旋と律のシンフォニー

杉 薫田

昭和48年・春

携帯電話もスマートフォンも無かった時代、旋に大好きな娘ができた。


 彼女の名前は「秘密のメロディー」

本名は知らない。 


同じ中学3年生で誕生日は3月、まだ14歳で、神奈川の横浜に住んでいて、私立の中高一貫の女子中学校に毎日電車で通っている。2つ下に弟がいて、今は卓球に夢中になって夏の神奈川県大会出場を目指して真剣に取り組んでいると言う事くらいしか知らないけれど、なぜか気になる存在。それは「好き」という感情に他ならなかった。


 声を聴いたことも無ければ、もちろん顔も姿も知らない、だけど、旋は秘密のメロディーの考えている事、心の中の思いを誰よりも知っていると一人で感じ取っているような気持でいた。

 私立中学の中高一貫校に通っているから中学三年生でも受験生ではない。そこのところは旋にとってはうらやましい限りだけれど、小学生の時に受験をして中学に進学したわけだからまあ受験の先輩でもあるわけで、旋も受験生という人生で初めて岐路に立ったことで受験をして進学するという経験を小学生の時にしてきたと言う事に尊敬ともいえる気持ちを持っている。

 旋が秘密のメロディーに出会ったのは5月の事だった。


 学校での友人たちとの話題はいつも 前日の夜から朝にかけてラジオから流される深夜放送の事。睡眠時間がラジオを聞いていると朝方の午前3時頃になってしまう為、深夜放送に対しては賛否両論があったけれど、受験生として勉強しているというラジオ聴取は親たちへの口実にもなった。


 旋の地元愛知県では、深夜放送にはクラスの中でも大きく3つの派閥を作っていた。地元の中京ラジオや名古屋ラジオが放送する地元の局アナウンサーが進行のパーソナリティーを務める地域密着の深夜放送を聞く「地元派」。人気のフォークシンガーや 露出が多くなってきた全国区の局アナを集めた 東京の文京放送の番組「ハ~イ!ヤング」派、そして、お笑い芸人や、有名なシンガーを集めたTBYラジオの「パック・イン・ミッドナイト」派という3つの魅力的な放送が流され、それぞれのファン層が放送の翌日それぞれの派閥のファンが集まり、前夜の番組の内容でクラスで盛り上がることが常だった。

 旋も地元派のメンバーに名を連ねていたのだが、東京の都会的な話題が中心の「ハ~イ!ヤング」派や「パック・イン・ミッドナイト」派にも最近興味が津々で地元派から乗り換えようと言う意識が次第に目覚め始めていた。全国ネットのテレビ番組などにもちょくちょく顔を出す東京のラジオ局のパーソナリテーにリクエスト葉書を読まれた友人は放送の翌日はまさにヒーロー扱いで、クラスの人気を集め友人たちの輪の中心にいる事はうらやましくもあったし、地元波でリクエストカードを読まれても東京の全国ネットのラジオ放送とは差別されて 低くみられてしまうのがいつもの事だった。 東京の二つのラジオ局の番組仲間に入ることも 今さら参加しても前からいる連中に新参者扱いされるのが嫌だったし、これまで聞いてきた地元のラジオ放送にも愛着が深かった。


 こんな旋が偶然ラジオのチューニングで拾ったのが、東京の第三勢力のラジオ局SBS放送の「東京ナイト・フレンド」という番組だった。出力数が低いSBS放送を愛知県で受信する事には繊細なチューニングが必要だったが、その話題は以前数回聞いたことがある 東京派の文京放送やTBYラジオとはちょっと変わった東京のローカル放送ともいえる ちょっとレア情報が詰まった内容に引き付けられたのだった。

 東京の都会的な話題や香りが漂いながらも、「ハ~イ!ヤング」や「パック・イン・ミッドナイト」のメジャーな人気番組とは一味違った番組の進行の雰囲気はそのインスピレーションが旋の心の周波数とぴったりマッチしたようにも聞こえて来たのだ。

『東京ナイト・フレンド』なら他の名古屋の放送局の地元派ともメジャーな東京派のラジオファンの連中とも違った優越感の中で深夜放送が聴けるかもと感じてだんだんとファンになっていった。


『東京ナイト・フレンド』は東京発のラジオ放送の為、愛知県で受信するにはラジオのアンテナの向きを設定し、微妙な電波を拾う事が必要で、電波の混信などから週末の金曜日の深夜がなぜかもっとも受信がしやすくクリアな音声を聴くことができた。

 金曜日の深夜 土曜日の深夜1時から朝3時までの放送の「サタデー東京ナイト」の担当パーソナリテーは SBS放送の局アナから選ばれて担当している『りょうたん』こと増田良太。東京の慶明大学出身のシティーボーイだとラジオで自己PRしていたのだが、実際は静岡のお茶畑農家出身のカントリーボーイというのが本当のところらしかった。 旋にとってはりょうたんの会話の端々発せられる 遠州弁のイントーネーションが三河弁に近いところがあり 一層親近感を覚えるところがあった。


 東京ナイト・フレンドには 東京発の深夜放送でありながら、その出力の弱さから放送が届く範囲が狭く。メイン聴衆者は、そのファン層が東京、関東周辺に限られて居るのが大きな特徴で、旋が「怪傑黒頭巾」のペンネームで送るリクエスト葉書は 愛知県という遠方から届くことで逆に注目を集め 2週に1回程度の割合で読まれることが多くなり、りょうたんからは常連リスナーの一人として認められつつあることがうれしかった。


「秘密のメロディーさんからのお手紙です。」

「先週の日曜日、友達3人で念願の百恵ちゃんのコンサートに行く事が出来ました。ものすごい人たちの数で 男の子達のほうが多かったんだけど、同じ中学3年生という事で感動のコンサートでした。百恵ちゃんって同じ中三の同級生なんて思えない大人の女性って感じで、凄く魅力的でした。りょうたんさんはラジオ局で本物の百恵ちゃんを見た事がありますか?」

 

「なんと 百恵ちゃんの新宿コマ劇場のコンサートに友達3人で行ったんだね。 う~~ん 俺も百恵ちゃんは局内で一度だけ見かけたことがあるけれど、確かに大人ぽくて、中学校の三年生には見えない感じだよね。」


「では、秘密のメロディーさんからのリクエストで 山口百恵ちゃんの新曲『としごろ』です。」

 りょうたんは秘密のメロディーが友達3人で行ったという百恵ちゃんのコンサートの話題からリクエスト曲をオンエアーした。


「山口百恵ちゃんが生で見られるなんて やっぱり東京だよな、田舎じゃ考えられないことだし・・・。」 

 旋にしてみれば、それは夢物語の様な話だった。友達と連れ添ってコンサートに行くなんて事は発想にも出てこないし、アイドルってテレビの画面を通して見る 雲の上の存在の様なものだから、勉強部屋に貼ってある雑誌の付録の中三トリオのポスターを見てつぶやくのがせいぜいだった。


 東京ナイト・フレンドで語られる東京発のいろいろな話題は、田舎の愛知県では嘘のような話ばかりだった。

話題の人気グループ・ガロのようなベルボトムのラッパジーパンにロングヘアー、トンボのサングラスメガネなんて 中学生で真似しても いがぐり頭の坊主ヘアーでは似合わないし、VANやJUNと言ったアイビースタイルやヨーロピアンスタイルを雑誌で見てまねてみても、似合っていないのは自分でもわかっていた。東京の都立中学では制服が自由化され始め、学生服が廃止された学校も登場したと言うニュースも流れていたが、田舎の中学校では夢の様な話だった。


 髪の毛は耳に被らない。襟足は刈上げが基準で、女子ならオカッパ頭か三つ編みにすること。シューズはオニツカタイガーのスニーカーシューズ程度で、カバンで許されるのはマジソンスクエアーバックまで。自転車通学では、交通事故の死亡事故が1万人を超えたと言う交通戦争と言われる社会の中で安全ヘルメットの着用が義務付けられていた。

 たまに愛知県の都会と言われる名古屋の街に繰り出しただけでも、都会の風を感じて 三河地方の田舎町との違いを感じてしまうほどだった。東京では地上36階建ての霞が関ビルがそびえたち、名古屋でも駅前には地上26階建ての高層ビルの建設が来年の完成を目指して工事がちゃくちゃくと進んでいる。駅前には大名古屋ビルや名鉄百貨店など10階を超える見上げる様なビルがいくつも立ち並び、旋のいる三河の地方都市では街の中を見渡しても4階建てのビルが最も高く、本当に田舎に暮らしているという事を自覚してしまうのが常だった。田んぼと畑が広がり、最近開発された自動車会社の大きな工場だけが時代の変化を伝えていたが、テレビで伝えられるような都会の出来事や流行とは程遠い様なのんびりとした毎日だった。


「東京っていいなあ・・・」

 旋にとって東京ナイト・フレンドでの都会人達の日常の出来事を感じる事は 本当に自分が東京人の一人となったような気がしてくる時があった。


 1971年に公開された大ヒット映画 「小さな恋のメロディ」と「ロミオとジュリエット」が地元の洋画館で2本立てのリバイバル上映されたのは 6月の最初の週の事だった。映画と言えばゴジラの怪獣映画やディズニー映画以外は見た記憶のない旋にとって洋画として始めてみた二つのラブストーリーは衝撃的な体験だった。


「小さな恋のメロディーって・・・」


「そうか、秘密のメロディーさんのラジオネームって この映画から取った名前だったんだ。」

 旋は東京ナイト・フレンドで気になっていた 同い年のリスナーの女の子・秘密のメロディーの素性が少しわかったような気がして嬉しくなった。

映画の「小さな恋のメロディー」の主役、トレーシー・ハイドはすごく可愛くて、映画の中の少女に恋をしてしまうほどの理想の少女で、映画を見た男の子たちのハートを捕まえて離さなかった。この映画の主役の名前からラジオネームを取った 秘密のメロディーにはその想像上のイメージでも映画の主人公に被せてしまい 旋にとっては魅力的な女の子に感じてしまうのだった。


 旋は、名古屋のラジオ局に向けてリクエスト葉書を出していた時からラジオネームを「怪傑黒頭巾」で通していた。

 国語教師の近田先生が推奨した芥川賞作家の庄司薫の三部作を読んだ時、70年安保闘争で学生たちが直面した東大紛争や全学連の学生たちが立ち向かったその歴史や背景を理解する事は難しくて出来なかったが、三部作の中で「怪傑黒頭巾」という名前だけはなぜか耳にこびりついた。「怪傑黒頭巾」というキャラクターは旋にとっては小学校の低学年だった頃の人気のテレビドラマだったらしかったが、ドラマの内容については全く知らない物だった。小学校時代のヒーローと言って頭巾をかぶった人気者は「怪傑ハリマオ」や マスクをした「仮面の忍者 赤影」、「江戸川乱歩シリーズの明智小五郎」の怪人二十面相が浮かんだが、どちらかと言えば悪役のイメージがあった。

顔を隠したヒーローと言えば 仮面ライダーが思い浮かんだが、ラジオネームで仮面ライダーに関連した名前を名乗るリスナーは多く、今さらそれを使おうとも思わなかった。

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