異形の地

 翌朝早くに出立の準備を整えたダオレとオリヴィエは、布団から二日酔いのアルチュールを引きはがすのに難儀していた。


「嗚呼、頭がガンガンする。私は悪い病気なのだ、それも死に至る……」


「アルチュールさん! 貴殿はただの二日酔いです。ほら、この水差しの水を飲んで」


 それは騎士団独特の、ゴーシェは既に気づいていたが微量に塩を混ぜた水であった。

 アルチュールはそれをぐびぐびと飲み干すともう一度ベッドに横になった。

 この分では出発は一行が想定しているよりも、遅れてしまいそうだ。


「アルチュールさん、無理にでも起こして出かけた方が良くないですかね? 時間が勿体ないですよ」


 そう、オリヴィエが提案したとき――


 部屋のドアを開けて騎士団の団長と副長、即ち髭を蓄えた四十路の男とずんぐりとした男、即ちヘクトールの二人が入ってきた。


「出かけるのかね?」


 まず口を開いたのは副長であった。


「じきにアルチュールどのが恢復すれば、直ぐにでも出かけます」


 そう、ダオレは答えた。


「どうしたのかね?」


 団長は問うたがまさか二日酔いだとは、彼の名誉のためにも言いたくはない。

 だがダオレとオリヴィエがまごまごしているうちに、団長は看過してかそれを言い放った。


「ふむ、二日酔いかね? アルチュール殿は昨晩随分とワインを飲んでいた様子。あれでは辛かろうて」


 そうして団長は目を細めると眠るアルチュールを見遣った。


「若いと無鉄砲を繰り返すものだ、男というのものは――まだ名乗ってなかったなそういえば、わたしはゲオルグという。団長などただの飾りで、ヘクトールの方が余程有能よ」


 そう言うと団長は、ゲオルグは顎鬚を撫でた。

 それは彼の癖らしい。


「団長、見たところこのアルチュールという男、あと一刻もすれば回復するかと」


「なるほど、その間に我々に異形の地について聞きたければ聞くがいい。ただ、すべて莫迦正直に答えるわけではないがな……」


「異形の地……?」


 思わずダオレは聞き返していた。


「ここの書庫の事だ、なに入れば意味は解る」


 ゲオルグとヘクトールは頷いた。


 昨晩話し合った事柄を言ってもいいものか――

 即ち、野生動物である。

 ただしその書庫が、膨大な書庫が野生動物の巣窟であったとしても、果たして『異形の地』と呼ぶであろうか? この神の右手に通暁した騎士団の幹部たちが。

 答えは否であろう。

 ただし『異形の地』には野生動物が居ないという保証もなく、それ以上の危険もない保障すらなかった。

 しばしの沈黙の末、オリヴィエは言葉を選びながら口を開いた。


「即ち『異形の地』には野生動物か同等以上の危険が待ち受けていると?」


「それは貴殿たち次第、我々の求める『求道の書』に辿り着けるかも貴殿たち次第、持ち帰ることができるかも貴殿たちの技量に拠る」


「………………」


「ダオレ殿、オリヴィエ殿。我々とて鬼ではない少々装備を渡そう」


 前に進み出たヘクトールが、やはりずんぐりとした手に持っていたのは糸玉であった。

 なるほど、これを頼りに進みまた戻ってこい、と、いう意味であろうか。


「内部は迷路のような構造をしているのですか?」


「さあ? 我々も何世紀も立ち入っておらぬ故」


「何故、何世紀も立ち入ってないのか? そしてその本が何故今になって必要なのか? それを手にしたとき全てが氷解するだろう」


 ダオレの問いに二人は口々に答えた。


「してアルチュール殿!」


 ヘクトールの声が寝室に響く。

 今まで狸寝入りを決め込んでいたアルチュールはベッドから撥ね起きた。


「べ、別に寝たふりをしていた訳ではない。偶々起きて話す機会を逸していただけだ……」


「今までの話は聞いていたということでよいかな、アルチュール殿」


 ゲオルグはにこりともせず彼に語りかけた。


「だいたい聞いている」


「では、朝餉を共にしようか、空腹のまま出かけては途中で倒れる」


 また昨晩と同じテーブルで質素な朝食が供された。



※※※



「で、その『異形の地』はいったい何処に?」


 アルチュールは見当はずれな質問をしたが、ゲオルグは面倒がらずに答えた。


「我々の足の下に」


「『異形の地』は地下に存在するのですか……!?」


「ただし入り口は少々離れている、我々は手が離せないからまだ騎士団に入る前の、下働きの小僧に案内させましょう」


 果たしてそこで本当の出立となった。


 騎士団領の敷地は広く、「少々離れている」とヘクトールは言ったが小僧に案内されて着いたそこは、騎士団の母屋から徒歩で一時間もかかる場所であった。

『異形の地』の入り口は唐突に姿を見せた。

 屋根も何もない、ただの深い下り階段が焼け付く荒野の中にぽつねんと存在していた。


 一応装備は持ってきてはいるが地下水脈以来の地下で、今度はカンテラの灯だけが頼りのこの『異形の地』に何が待ち受けるのか……実のところダオレは不安が隠せなかった。


「とりあえず降りてみないと何があるかもわからないだろう、諸君らはそれでも男か?」


 そう言うとアルチュールはいの一番に埃っぽい階段を降りはじめた。


「待ってください、灯りもなしに……! いきなり危険です!」


「アルチュールさん、危ないですよ! 先行しないでください!」


 ダオレとオリヴィエは口々に止めるが、アルチュールは深い闇へとどんどん降りて行ってしまう。

 仕方なく二人は彼を追った。


 可也、長い階段を降りきるとそこは円形のホールであった。

 そしてとてつもなく高い天蓋から円形の光が差し込む不思議な空間が広がっていた。


「別段、危険などあるまい?」


「……これは!?」


 荒涼とした砂地だとばかり思っていた地上には、採光のための硝子が埋め込まれており円形のホールを上から縁取っているのであった。

 周囲は円形の本棚で全て本で埋まっており、何かの全集なのか同じ背表紙の微妙に違う本だらけだった。


 そしてダオレは気づいた。

 この巨大な円形のホールの壁面には装飾があり、巨大な『ゼロ』のモニュメントが彫刻されているのであった。

――そういうことか!

 この数字こそが『異形の地』の謎を解明する手がかりになろうとは!

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