賢者の庵へ

「へーくしょん!!」


 ゴーシェの盛大なくしゃみでオルランダは早朝叩き起こされた。

 夜の砂の靄とは違う、朝の霧が砂漠にかかってる。


「おいお前……」


「な、何よ」


 いきなり『お前』呼ばわりされてオルランダはカチンときた。


「野営の際は火を絶やさない、常識だろ? 莫迦か?」


「それを女の私に強要する気!? 自分で火は見なさいよ!」


「あーもういい、常識無いんだったな、いいか湖に水があるうちに水を汲め」


 そう言ってゴーシェは皮袋を手渡した。


「砂漠を行く、水がないと忽ち死ねるぞ?」


 オルランダは言われるがまま必死で皮袋に水を詰めた。


「まさかこれで二人分じゃあ……」


「そのまさかだ、いいか湖の縁が見えるか」


「今はね」


「昼になってもこの線は消えない、そして湖の内側を掘れば水が出る」


「なんですって!?」


「というわけで湖の縁を歩いて目的地まで三日ほどだ、着いてこい」


 そして二人は足元の悪い中を歩き始めた。

 特にオルランダは足元も芸人の衣装だったので、歩きにくいことこの上ないし昼間は焼けた砂が容赦なく靴底をちりちりと焦がした。


 昼間を過ぎてほとんど無言だったゴーシェが口を開いた。


「ボージェスのところに女物の衣服なんてあったかな……」


「ボージェス…… それが貴方の育ての親なのね?」


「一々詮索すんじゃねえ、オレの事情なんだ勝手にさせろ」


「ねえゴーシェ、私のことどうするつもり?」


「どうする? とは?」


「また元居た見世物小屋みせものごやに売り払うの? もう芸人はイやよ」


「お前は奴隷ですらない、流民だ。金にもならん、なるとしたら本当に芸人か娼婦くらいのものだろう」


「………………」


 この国では奴隷以下の最下層民として流民がいた。

 要は被差別民ひさべつみんである。

 奴隷にすら差別される存在。

 生命なきものの王の国では厳しい身分制度が敷かれておりこれを覆せるのは、解放奴隷くらいの者であった。

 第一に王族が絶対的封建制を保っており、次に少数の貴族たち。

 嘗ては知識階級として僧侶たちがいたのだが、彼らは『神々は消えた』と言ってその全うを放棄するに至った。

 そして騎士たち。

 新興知識階級の教師や医師といった高級自由民、商人や金貸しが続く、そして自由農民、小作農、その下が奴隷だ。

 オルランダのような芸人然とした者は流民と相場が決まっていた。

 これらの身分はピラミッド型を呈しており上の身分ほど当然人口は少ない。



「オレはもボージェスも自給自足してる。金は要らん。お前は何なりと好きなところに行くがいい」


「もう、わたし行くところなんてないわ……」


「両親はどうした?」


「父さんは家を出て行った、母さんは病気で死んだわ」


「そうか」


「それで以前から私の金の髪に目をつけていた見世物小屋の座長が声をかけてきたわ、芸人にならないかって」


「………………」


「座長の口上によれば一世一代の大見世物、アルビノの令嬢オルランダ嬢一座に登場って垂れ幕だったわね。それで一度だけ舞台に立ったのよ。物見高い自由民たちには拍手喝采だったわ、突っ立てるだけで。

 その後どうなったと思う? さる高貴な身分の御仁おかたが私を買ってたの」


「買った……?」


「もう、言わせないで頂戴、無理やり襲われかけたのよ、それでがらくたの都を抜け出して逃げてきたってわけ。勿論その貴族に平手の一発くらいお見舞いしてるけれど」


「武闘派なんだな」


「厭な話よ、喋らせないで」


 そう言うと二人は黙りこくってまた歩き出した。



 二日間二人は殆ど話さなかった。

 もうこれ以上お互い干渉することもなかったし、詮索し合うこともなかった。



 二日目の夜、野営を組んで初めてゴーシェが口を開いた。


「あと三時間ほどでボージェスの庵に着く、夜が明けたら出立する」


「着いたらどうするの?」


「お前の身柄はボージェスに相談する、オレ一人じゃ決められない」


「とてもその人を信頼しているのね」


「身寄りのないオレを育てた」


「もう寝ろ、オレは火を見ている」


「最初と随分態度が変わったわね」


「お前のような、はねっ帰りの扱いを知らなかっただけだ」


「おやすみゴーシェ」


「起きろオルランダ、出るぞ」


「……んん」



 オルランダが眠い目を擦るとすっかり支度を整えたゴーシェが立っていた。

 自宅に戻れるから機嫌が良いのかもしれない。


「昨日言ったように三時間ほど歩くぞ」


「もう歩き疲れたわ、三時間くらいどうってことないわね」


 三時間といってもまだ朝の涼しいうちだ、予定よりも早く到着した。と、ゴーシェは思っていた。

 だが様子がおかしい。ボージェスの庵は地下にあった。

 砂に巧みに隠された天然の書庫のようなものだ、そうゴーシェは説明した。


 だがそこには馬、しかも数頭の軍馬が繋がれていた。


「しっ、オルランダ、誰かいる」


「馬で乗りつけてきた連中って事?」


「普通に考えてお客様とは考えづらい――敵だ」


 ゴーシェは巧みに砂上の足跡を消すと、オルランダを引っ張って砂丘の反対側へと隠れた。

 すると数人の豪奢な鎧の兵士が地下の入り口から現れ、馬に跨るとがらくたの都の方へ駆けて行った。

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