ゴーシェ

「つ、冷てぇっ、何しやがる!? てめぇのせいでうみに落ちたぞ!」


 青年はオルランダを無視して一人で船に上がろうとするが、その度に舟はひっくり返りそうになりなかなか上がることができない。


 オルランダは泳げないので沈む一方だ。


「ごぼ、ちょっと助けなさいよ、ごほっ」


 そう言う間にもせっかく一度助かったのにもかかわらず、水が口に入ってきた。


「うるせえ、オレは泳げるから構わねえんだよ」


「じゃあなんで一度は私のこと助けたのよ!」


 オルランダがそう叫ぶと、船頭は舌打ちしてオルランダを抱きかかえると泳ぎ始めた。


「困った奴は助けろって育ての親が行ってたんだよ!」


「ふーん、少しは人間味あるじゃない……って育ての親?」


「他人の事情に首突っ込むな、ホラ、舟の上、上がんぞ」


 青年はオルランダを先に舟上に押し上げた。

 オルランダは縁を掴むと舟の中に転がり込む。

 多少船内に水が溜まっていたが掻き出せる程度だった。

 次に青年が手を伸ばしオルランダに助けを求めた。

 これは――凄いことではないのだろうか? ともかく彼のがっしりした腕を掴み、オルランダは力いっぱい引き上げると、ごろりと濡れ鼠の青年が舟に乗り込んできた。


「大丈夫? 剣なんて吊るしてるから……」


「これはオレが持ってるように言われているんだ、手放すわけにはいかねえんだよ。それと――」


「?」


「済まなかったな」


 いきなりのことにオルランダは赤面してしまった。

 そんな、急に、真顔で謝られても、困るし……


「謝るのは後でいいからさっき矜持がどうのと言っていて教えてくれなかった、貴方の名前を教えてくれないかしら?」


 すると青年はそっぽを向き、すごくむすっとして答えた。



「それだけ? 苗字は? あなた自由民?」


「身分は知らない、ただのゴーシェだ」


 船上を夜風が吹き抜ける。その冷たさに身を切られるようだ。


「ボージェスのいおりに、今晩中湖から帰るのはお前のせいで無理のようだ、ここがどこかもよくわからない」


「ボージェス?」


 だがゴーシェはその問いを無視して言った。


「一度砂地に着岸するぞ、とはいえこのは広い。しかし目測が誤ってなければ一刻ほどで砂地に出るはずだ」


 ゴーシェは再び櫂を操りだした。


 今度こそオルランダは黙って水面を見ていた。乾燥した冷たい風が容赦なく体力を奪っていく、早く砂地に降り立って火を熾してもらいたい所存だ。


 魚が暗い水面を跳ねる。


 ところがオルランダが目を凝らすと眼下には何か巨大なものが広がっているのだ。

 屹立する塔。階段。複雑に絡み合った都市の遺構。


「驚いたか」


 気づくとゴーシェに声を掛けられていた。


「砂漠には水没した都市がある、無論昼間は砂に埋もれて気づかないのだがな」


「こんなこと、がらくたの都では誰も教えてくれなかった!」


「あの都市の連中がどう思っているかはオレにはわからん、だが砂漠に暮らしてきた人間にはいくばくかの真実であることに間違いはない」


「私、何も知ろうともせずに生きてきたのね……」


「これから知ればいいだろう、オレだって砂漠のことと書物で得た知識しか知らない」


 そうして二人はまた黙りこくった。

 半刻ほどゴーシェが舟を操ると徐々に対岸が見えてきた。


「空が砂で煙って星が見えない……」


「どういうこと?」


「方角が解らない、ということだこのスカタン」


「がらくたの都でもよくあることよ、鉄くずの山に遮られて周りなんて見えやしないんだから」


「そういう問題は論じていない、着岸するぞ! っ掴まれ!」


 みしみしと音を立てて砂地に舟は乗り上げた。



 半刻ほどして焚火の音がぱちぱちと爆はぜた。

 ゴーシェの獲った魚が何匹か舟に残っていたので火にくべて今宵は食べることとした。

 火を熾してくれたのは半乾きになっていたとはいえ、湿った服を着ていた両者にとって助かる話だ。

 特に芸人の衣装のオルランダにとっては。

 衣服がすっかり乾き、魚を食べきると砂の靄も晴れ星々が顔を出した。


 そしてしばしゴーシェは空を睨んでいたが、遂に口を開いた。


「おい、悪い知らせだ」


「どういうこと?」


 オルランダは首を傾げる。


「現時点から目指すボージェスの庵まで4ガラム半ある」


 ゴーシェは嘆息した。


 オルランダは度量衡を知らなかったので、4ガラム半がどれだけ遠い距離か知る由もなかった。


「4ガラム半って遠いの?」


 それを聞いてゴーシェは半ばキレ気味に答えた。答えるようになっただけマシかもしれない。


「いいか、1ガラムはおよそ徒歩で半日だ、解るか? 4ガラム半だぞ? しかも最悪三日はかかるってことだ!」


「えーっそれって凄く遠いってことじゃない!」


「誰のせいで湖の反対側まで来る羽目になったんだ、莫迦女」


「私はこの砂漠が湖に変わるなんてこれっぽっちも知らなかったからよ! 何の責任もないわ!」


「ほう、責任の押し付け合いを今ここでするか? いいんだぞ抜いても」


 ゴーシェは腰に帯びている剣に右手を添えた。


「最低! すぐ暴力に訴えかえる男はモテないわよ!」


「テメェに興味ななんざねえ! もういいオレは寝る!!」


 ゴーシェはマントを被るとそっぽを向いて横になってしまった。


「な、何よ……アンタなんてちょっとでも信じた私が莫迦だったんだから!」



 こうして夜は更けていった。

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