第4話

律華ちゃんとの会話により、東誠路の失踪が確認されたのが三月十七日、日曜日。しかしこの事件についてより詳細に述べる為には、事の始まりまで遡って説明する必要があるだろう。


俺が覚えている限り、事の発端は三月十四日、木曜日。


一人の女性客が事務所の扉を叩いたのが、全ての始まりだったと記憶している。






丁度昼過ぎ、昼休憩の終わる頃に、その客は事務所に現れた。


そこそこにお年を召された、上品な奥様だった。しかし残念なことに、すっかり憔悴し、顔色が悪い。

その日は律華ちゃんは休みで、先輩(学生時代の呼び方の名残で、所長のこと)は奥の部屋で前の仕事の書類をまとめていたので、俺が代わりに彼女を応接スペースに案内し、先輩を呼びに行く。


「娘を、探してほしいんです」


女性は、しきりにそう口にしていた。それ以外の言葉を失ってしまったのか、あまりに酷いので、一応先輩に俺も同席することを提案した。なんせうちの所長は強面なので。


先輩も渋い顔をしていたものの、他に担当している事件が既にあるという理由で、俺は奥に追い返された。


女性は二時間近く話し込んでいたと思う。しばらくして、先輩が神妙な顔で奥へと戻ってきた。


「どーでした?」

「子供の家出……にしてはちょいとひっかかる。誘拐かもしれねぇが……。遼、そっちの仕事、あと何日かかる?」


 ほう、と俺は少しだけ姿勢を正す。単独で調査にあたっていることの多い我が事務所で合流を求められるのは、それだけ厄介そうな事件、ということだ。


「二日あれば片付くかと。来週からは確実に合流できますが」

「分かった。こちらの件については、調べた端からいつもの引き出しに入れておく。そっちが片付き次第目を通してくれ」

「了解っす」


 いつもの引き出しというのは、調査中万一のことがあった際、もう一人が引き継げるよう、調査内容をまとめてある場所だ。


「しっかし、人手が足りないと困りますよね。律華ちゃん呼んで手伝ってもらいます?」


 俺の言葉に、先輩は顔をしかめる。


「あいつはできるだけ仕事に関わらせたくねぇ」

「はぁ、まぁ学生ですしねぇ。でもちゃんと言い含めておけば口も堅いし良い子だと思いますけど」


 律華ちゃんは言動こそやや幼く見えるが、一人で先走る癖以外は年齢以上にしっかりしている印象がある。実際、信頼出来るからこそ、現在も雑用や下調べの一部を手伝ってもらっているのだが。


「仕事ができるかできないかでいえば、あいつならできる」

「でもダメなんですか?」

「あいつがここに入った目的を果たさせちまうから駄目だ」

「は?」


 目的とは。俺が不思議そうな顔をしたのに気付いたのか、不機嫌そうに先輩が話し始める。


「おまえにも一応話しておいた方がいいな。遼、律華の兄のことはどこまで知ってる?」

「律樹くんですか? 真面目な柔道部の次期エースって聞きましたけど」

「そっちじゃない、長男の方だ」


そこまで言われて、ようやく思い出した。

佐々木律華は四人兄弟の末っ子だ。下三人は三つ子で、今現在共に暮らしている。しかし、その上にもう一人兄がいるのだ。

佐々木(ささき)風律(ふうり)、七歳年の離れた青年。――失踪当時、二十一歳。


「もしかして、まだ彼女、お兄さんの行方探してるんですか?」

「みてぇだな。死んだ、と伝えたんだが。あの事件の担当だった俺に張り付いていれば何か情報が得られると考えてるらしい」

「そりゃまぁ……あれから二年も経つのに、粘りますねぇ……」

「まだ二年、だろ。あいつにとってはな」


 絞り出すように、先輩は言う。


 二年前まで、先輩は刑事だった。元々正義感の塊だった先輩には、非常に向いている職だと思っていた。

 しかし、詳しくは知らないが、二年前に酷い事件があったらしい。その事件に巻き込まれたらしい佐々木風律は行方不明となり、その担当であった先輩は刑事を辞めることを決意した。


「今回の事件も行方不明事件だ。あいつの兄と繋がりなんかねぇだろうが、下手に暴走されても困る。下調べ程度は手を借りることにはなるだろうが、あまりあいつに情報を流さないでくれ」

「はぁ……了解しました」


 それならば無理に雇わなければいいのではと思うのだが、雇い始めの頃の荒んでいた少女を思い出す限り、先輩なりの考えがあるのだろう。


 ふと時計を見ると、既に三時を回っていた。そろそろ協力者との待ち合わせの時間だ。

 合流するとなったからには、できるだけ早くこちらの件も片付けなければならない。


「じゃ、俺ちょっと出かけてきます。何かあったら連絡ください」

「おう、気ぃつけろよ」


 先輩にひらりと手を振り返し、俺は荷物を片手に事務所を後にする。




 今にして思えば、それが先輩の姿を見た、最後だった。


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