第3話
「――――痛ッたぁ……ッ!?」
脳天を突き抜ける痛みに、思わず涙が滲む。
「酷いよ遼さん!お父さんにも殴られたことないのに!労働組合に訴えてやる!」
「所員一ケタのうちの事務所に労働組合なんてありません。というか冗談だろ、自宅に知らない男置いて外出するか?そういうところが抜けてるんだよ律華ちゃん」
固めていた拳を解き、私の用意してきたおむすびを食べながら、いかにもまっとうなことを言うこの男。畔柳遼、二十五歳。
趣味は女たらしと誰かのヒモになること。月の半分は女性の家を渡り歩き、口説いた女性は星の数。他人の家への居候に関してはプロなので、なるほど確かに私の行動はちょびっと、ほんのちょびっと非常識だったかもしれない。
だからといってこの人に説教されても、全くもって素直に反省する気にはならないのだが。
「大丈夫ですよー、……多分」
「どこからその自信が出てくるかなぁ君は。だめだよ、男はみんな狼なんだから」
「うへぇ、すぐそういうこと言う。遼さんとは違うしっかりした人だから大丈夫ですよ多分」
そう言いながら軽く視線を泳がせる。危機管理よりも、今は別のことを優先すべきと考えただけだ。
事務所のやや奥まった場所の、安物のソファに座って私の用意した食料を掻きこんでいた遼さんは、ようやく食欲が収まったのか、ゴミを袋にまとめると改めて私に向き直る。
「まったく……。で、相談したいことっていうのはその少年についてかい?」
「さっすが遼さん、話が早くて助かる~。まずはこれ、見てほしいんですけど」
私はリュックに手を突っ込み、昨日手に入れたものを取り出す。
「……首輪?」
「助けた時に、キリが着けてたんです。息苦しそうだったから早々に外したんですけど」
「高校生のくせに割と過激なプレイを……いや冗談、冗談だって」
すぐ脱線する遼さんを睨みつけ、私はその首輪を渡した。彼は指先で軽く素材を確認し、それから金具などに目を通していく。
「大型犬用かな、少なくともジョークグッズやファッションでつけるものじゃないね。……ご丁寧にナンバータグとロゴまでついてる。Twilight Ax……?ブランドか何かかな」
「昨日検索したら、同名のペットショップが引っ掛かりました。富裕層相手の、結構変わった店らしいです。そんな店の首輪をつけられた、明らかに普通の様子ではない若者……」
私の言葉に、遼さんは軽く眉を寄せる。
「んー、人身売買、とか言いたい? 流石に人間を動物と一緒くたに販売するって話は聞いたことがないな」
「でも、不審じゃないですか? 服装も怪我の様子も、明らかに文化的生活を送っているとは思えない」
「気になるのは分かるよ。でもその割には本人も関わるなって感じだし、第一その不審な怪我っていうのも、朝には見当たらなくなっていたんだろう? そこら辺がどうもなぁ。普通なら警察に駆け込むし、警察に駆け込めないような事件の関係者なら、俺達も下手に手出しはできない」
遼さんはどうも気乗りしない、という顔で首を捻る。
「手が空いていたら協力したいところなんだけど、所長に連絡がつかない以上、所長の安否を確かめる方を優先したい。だから君には悪いけど、警察に持ち込んだ方が安全だと思うな、その事件は」
「でも、所長の追いかけていた少年少女行方不明事件に関連しているかもしれませんよ?」
「関連してても、本人が喋る気がないなら何の情報も得られないかもしれない。でも気になりはするね。律華ちゃんはしばらく自宅で待機、少年について追加で分かったことがあったら連絡して」
心の中で、ひそかに舌打ち。これはもしかして、完全に後方支援の流れか。
「りょ、遼さんはこの後、どうするんです?」
「消えた所長を探す。下手するとうちの事務所潰れかねない大問題だし」
あ、あれ? そんな重大な状況でしたっけ?
「や、でも、ちょっと連絡とれないだけなんじゃ」
「最後に連絡が取れたのは一昨日の夕方。事件の関係者に聞き込みを行くと言っていたものの、それ以降連絡なし。どうも様子がおかしいから昨日慌てて仕事を片付けてきたんだけど、事務所にも戻ってる気配がないんだよね。あの仕事人間が連絡なしにどこかで二日近く寝こけてるわけもないし」
「……大問題じゃないですか」
「そう、大問題なんだ」
確かに連絡が取れないから、ちょっとおかしいなとは思っていたけれども。これは、かなりの大事か。
「なんかこう……ケータイ壊したとかじゃないですか? ほら、割と抜けてるところあるからあの人」
「やー、そうだったら別の方法で何らかの連絡を入れる人だよ、先輩は」
そう言われると、否定もできない。
うちの所長、東誠路は、警察を辞めて、学生時代の後輩である遼さんと探偵業を始めた男性だ。強面・堅物・正義漢といった単語が似合ういかにもハードボイルドな人だが、その実私生活は抜けている部分も多い。
でも、やはり、連絡がつかなくなることは滅多にない人なのだ。
指先から頭の先まで、すぅっと冷たいものが這い上がってくる。
「私も探すの手伝います。所長が行ったとすれば、丁度調べていた行方不明事件に関連する場所の可能性が高い。手帳とか、覚書ノートとかないんですか?」
「先輩の家にならあるかもしれないな。この後探しに行ってくる」
「私も行きます」
慌てて荷物をまとめようとした私は、遼さんの手によって遮られた。
「いや、君は自宅待機。引き続き先輩に頼まれてた事件の調査を続けて。追加で分かったことがあったら連絡してほしい」
「でも!」
「君には世話してあげないといけない青年がいるんだろ。そっちに関しても何かわかったら連絡するよ」
遼さんはヘラリと笑う。けれど、その目は有無を言わせぬ光がある。
――――これは、失敗したな。
私は内心、歯ぎしりしていた。首を突っ込むために用意した手札が、逆に私の枷となり、私を後方支援に送る為の理由に使われてしまった。
これでは、どうせ事件解決までまともな情報は私の元に流れてこない。
「いいね、律華ちゃん。先輩社員からの命令です」
「……分かりました。遼さんも無理しないでね」
少し目を伏せて、私は了承の意を示す。
遼さんは私の返事に満足したのか、自分の机の方へと移動してしまう。
「時間があったら追加で調査もしておいてほしい。後でメールで調べてほしいこと送るから」
「はぁい」
遼さんの後姿を伺いながら、私はのろのろと荷物をまとめる。
帰り際、遼さんが見ていないのを確認し、ポーチを一つソファの下に蹴り込んだ。
今できるのは、これぐらい。私は暗い顔のまま、帰路についた。
今回こそ、上手く割り込めると思っていたのになぁ。
この人達と出会って二年。事務所に出入りするようになってから一年半。雑務は任せてもらえるものの、いざ調査となると何一つ関わることが出来ない。関わることが出来ないから、知りたいことが分からない。
だから私が関わらざるを得ない状況――私が持ち込んだ情報で、事件に食い込んでやろうと息巻いていたのに。
とんだ番狂わせだ。キリが何らかの事件に関わっていることは確かだが、所長の調査情報と突き合わせてみなければ同一事件か特定できない。まずは所長を探さなければならないが、キリを放っておくわけにもいかない。
こうなれば、気になったことを端から調べていくしかない。たとえ無駄足だとしても、できることなんてそれぐらいだ。
帰り道、昨日も訪れた図書館に足を運び、備え付けのパソコンでただひたすらに情報を集める。途中で遼さんから追加の調査メールが届いたので、そちらも調べて我に返った頃には、既に午後四時を回っていた。
ざっとまとめた情報をスマホでまとめて、遼さんに頼まれていた分はメールを送り返す。そこでようやく一段落した私は、凝り固まった肩を解しながら今度こそ家に向かった。
追加情報を元に、遼さんは所長を探しに行くだろう。飄々としているが、あれでも情報網と頭の回転は一級だ。私が首を突っ込む隙などありはしない。
首を突っ込めない、それが問題。
頭の中で、ぐるぐると思考が渦巻く。
拾った青年、消えた所長。首を突っ込みたい理由、私が遠ざけられる理由。
これから私がどう動くか。何を優先し、何から手を引くか。
ぐるぐる、ぐるぐる。欲張りな私の思考は堂々巡り。
階段を登り、玄関を開ける。そもそも遠回りをし過ぎているんだ私は。目的を果たす為の行動をする為の行動の段階でつまづいてばかりで。
部屋が暗い。今の私の気分みたい。二年もかけて何一つ貴方に辿り着けない。お兄ちゃん。
夕食を用意しなきゃ。それからキリから話を聞けるように努力する。けれど所長も心配だ。まだ死なれては困る。あの人にはまだ聞きたいことが山ほどある。
……おかしい。
思考の海に沈んでいた私の頭が、違和感に気付く。
静かだ。キリは寝ているのだろうか。それにしても、どこか張りつめた空気。
押し殺した気配が。
殺気が。
リビングに踏み込んだ私の、肩に衝撃。天地がひっくり返り、背中が床に叩き付けられる。呼吸が止まり、一瞬意識が遠のく。
のしかかる体温。振り払う気力もない。ぼんやりとした視界に、金色の双眸が映る。
フローリングを掻く硬い爪の音。苦しげに喉の奥でくぐもる呻き声。粗い呼吸。逆立つ体毛。
――男はみんな狼なんだから。
昼間冗談めかして遼さんに言われた言葉が脳裏をよぎる。
「……キリ、あんた……」
私の言葉を遮るように、黒い剛毛に全身を覆われた獣は、鋭い爪を振り上げた。
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