終章【沖家の徒然帳】

笑顔の食卓

「はーい! 今行きまーす!」


 忙しなく手を動かしながら、惣次郎は玄関先に声を掛けた。

 来客を告げるブザーが鳴ったのだ。

 惣次郎の目の前にある台所では、コンロの上で大きな文化鍋が煮えている。中に入っているのは、醤油をベースとした山形風の芋煮だ。細切れにした牛肉、里芋、笹がきの牛蒡、人参、蒟蒻、豆腐に葱。汁よりも具が多く見える、ボリュームたっぷりのものだ。


 芋煮だけでは寂しいだろうと、おにぎりも用意している。こちらの中身も種類が豊富だった。古賀に貰った自家製だと言う梅干し。昆布の佃煮、辛子明太子、ツナマヨ。

 ラップ越しにおにぎりを握っていた手を洗うと、続きを日和と座敷童子に任せて、惣次郎は玄関へと急ぐ。


 惣次郎が来客を出迎える前に、既に客人として家に居た由良が、玄関先で話をしていた。相手は古賀、そして真野だ。惣次郎が呼んでもいない人の姿に、目を大きくする。この家には、小型や座敷童子、付喪神が居るのだ。事情を知らず、見えない人が居ると、小狐たちに隠れてもらう他がなくなる。


「僕が呼んじゃった」

 悪戯が見つかった子どものように肩を竦めて、由良が笑みを零した。


 おいおいと惣次郎が焦っていると、耳元で「大丈夫、上手くぼかすから」と囁かれる。何が大丈夫で、何をぼかすのかを教えてほしかった。そうこうしている内に、古賀が手土産だと手作りの漬け物や焼酎の瓶を掲げ、真野が「デザートに」とケーキが入っているのだろう箱を見せてきて、断るに断れない空気が出来上がってしまう。


 客人のはずの由良がスマートに二人を招き入れると、居間に案内をしてしまった。気が気ではなく、慌てて惣次郎は追いかける。だが、心配は無用だった。

 由良は、見事に上手くぼやかしたのである。

 古賀と真野には、小狐は親戚の男の子、座敷童子も親戚のおばさんと人間として映っているらしい。付喪神たちの声は聞こえていないようだった。

 どういった仕掛けなのか。聞くと「家に結界を張って、ちょっとね」と含み笑いを返される。閉鎖された社の主人とは言っても、やはり土地神。そして現役の住職。やることが家の守り神の小狐とは、レベルが違う。



 芋煮会は、すっかり冬になってしまった庭では寒いので、家の中で行うことになっていた。二つの大きなテーブルを引っ張り出して、皆で食卓を囲む様は、芋煮会と言うよりはただの宴会である。だが、皆で楽しく、美味しいものを食べることが主旨なので問題はない。

 熱々の芋煮が入った碗を手に取ると、念入りに息を吹きかけてから、小狐は里芋を頬張った。


「熱い! じゃが美味い!」


 小狐の隣で、日和もご満悦に表情を崩している。日和の膝には鞠が大事そうに抱えられていた。所謂、抱っこだ。寂しがりやらしい鞠は、日和を姉のように慕い、くっ付いて過ごしている。

 インターネットのレシピを参考に芋煮を作った惣次郎と座敷童子は、顔を見合わせてほっと安心の息をついた。


「ああ、本当、なんだか落ち着く味ですね」


 汁を啜った真野が、普段では考えられない緩んだ顔をしている。何か相槌を打とうとして、惣次郎は止まった。

 千景を見る。じっと惣次郎と真野のことを観察していた。日和を見る。視線が合って、戸惑って曖昧に笑まれると、大丈夫というように頷かれた。もうそんなことは気にしないと言っているようだった。


 千景が日和に話しかける。おにぎりの具が、何が入っているかクイズにしようと言っているようだった。意外にも子どもらしい会話の内容に、一瞬うつつを突かれる。


「千景には千景の意思があるんだよ。千景は千景で毎日を楽しんでる」


 由良が囁くように言った。こんにゃくを口に入れて「僕、玉こんにゃくも好きだなあ。今度作ってよ」と、はふはふと息を吐く。

 勝手に心配をしていたが、由良と千景は上手く成り立っているのだと思えた。お節介な老婆心が落ち着く。


「皆、漬け物も食べておくれ。これが沢庵で、これが胡瓜。蕪も美味しいさ」


 古賀の勧めで、座敷童子が沢庵に手を伸ばす。咀嚼して嚥下すると、雷に打たれたように目を見開いた。


「これは、美味しい!」


 作り方を教えてくれと頼んでいる中で、犬張子と招き猫は賑やかさを意に介さず、窓辺に寝そべっている。他の付喪神たちも、物を食べないので思い思いの場所に座っていた。


「惣次郎くんは、お酒飲めるの?」

 古賀が持ってきた焼酎をコップに注ぎながら、由良が小首を傾げる。惣次郎を押し退けるようにして、小狐が食いついた。

「わしも!」

「こら! 小狐はダメだろ!」

「なんじゃ今更。毎日、飲んどるわい!」


 子どもの姿だから忘れてしまうが、そういえば供物として酒も供える。お神酒というものだ。初めて知る事実に愕然としながら、惣次郎は由良から酒を受け取る小狐を眺めた。だが、見た目は子ども。恐る恐ると教師である真野を見ると、真野はスマートフォンの画面に目を伏せていた。


「あ、通知きてる」

「彼氏?」

 真野に由良がフレンドリーに返した。


「えー、違いますよ! 最近、面白いブログを見つけて読んでるんです。そのブログからの更新通知ですよ。あんまりブログって見ないんですけど、これはちょっとファンタジーで面白いんですよね。それに、なんか日和ちゃんの家を思い出すなあって」

「どれどれ?」


 焼酎を片手に、由良が真野の後ろからスマートフォンを覗き込む。惣次郎がやるにはハードルが高く、一歩間違えなくても引かれてしまいそうなことを軽々とやってのける由良に、やっぱり美形は役得だと惣次郎は唇を噛んだ。

 スマートフォンの画面を読んでいた由良が、意味ありげな顔で笑いながら惣次郎に流し目を寄越した。色気のある顔だからか、目に含まれた不穏な空気を察してか、惣次郎はドキリと心臓を鳴らした。


「徒然帳、ねえ」

 意味深に呟いた由良に、恥ずかしさで頭が沸騰しそうになった。


 小狐と出会った時から始めたブログは、細々と更新を続けている。まさか真野に読まれているとは思わなかった。


「やめてー!!」

 顔を真っ赤にして叫んだ惣次郎に、日和がびくりと肩を揺らした。

「ど、どうしたの……?」

「な、なんでもない、なんでもないんだ、日和は気にしないで」

「後で僕が日和ちゃんにも見せてあげるね」

「ちょっと由良さん!!」

「なんじゃなんじゃ、わしも見たいぞ」


 私も俺もと声が上がる。惣次郎は茹で蛸のようになりながら、半泣きの状態で由良に縋り付いた。


 わいわいと騒がしいほどに賑やかな家の中を見渡して、日和が心底幸せそうに笑みを浮かべる。由良と小狐とに揉みくちゃにされながら、日和が楽しそうに笑っていることに気付くと、惣次郎も自然と口許が笑みを作ったのが分かった。


 イラストのコンテストの結果は、明日発表される。どんな結果になろうとも、幸先は良いはずだと強く信じることが出来た。

 イラストのテーマは〝温もり〟だ。

 惣次郎は可愛らしいタッチの水彩調で、一軒の家のイラストを描いた。その絵に込めた思いの通り、今、この家は笑顔に包まれている。

 普通とはちょっとどころか、大きく違う。

 独身男の惣次郎と、小学生の日和。そして人間でもない稲荷神と、座敷童子、付喪神。家族と呼ぶには、歪だ。だが、これからも、一つ屋根の下に集うこの日常が、末永く続いてくれることを願っている。


「何一人で笑ってるんじゃ?」

 不可解そうに小狐が眉を寄せていた。

「いや、楽しいなあ、と思って」

 惣次郎が答えると、小狐は辺りを見渡してからふんと鼻息を鳴らす。


「こんなに騒がしいのは久しぶりだわ。五月蝿くて敵わん」

 尊大に言ってのけるものの、その尻尾が嬉しそうに左右に振られているのを、惣次郎はしかと見た。



 2018年、冬。

 沖家は、賑やかに一日を終える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沖家の徒然帳 浅葱いろ @_tsviet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ