座敷童

 廊下の先で様子を見ていた小狐が、ひょこひょこと歩いてくる。澄まし顔を取り繕っている普段とは違い、小狐には懐かしい者に対する情のようなものが滲んでいた。


「おや……これはこれは……お稲荷殿ではありませんか。信仰する者が居なくなって、すっかり死んだものだと思っておりましたが……生きておられたとは、しぶといですな」


 しかし、老婆にはにべもなかった。小狐の姿を見ると、嘆息まじりに言う。

 ムッと顔を顰めた小狐が「そんなにか弱くないわ! 儂を誰じゃと思ってる、稲荷神であるぞ!」と、威嚇の体制を取った。ふさふさの白い尻尾が、更に膨れ上がる。

 今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気であったが、惣次郎はそれどころではない。


「ざ、座敷童子……!?」


 小狐の言葉を遅くも反芻して、二人——二体のあやかしの間に割って入る。話を中断されたことに小狐は眉を上げたが、惣次郎の取り乱した様子を見て溜飲を下げたようだ。はち切れんばかりであった尻尾から、徐々に質量が減っていく。


「いかにも、私が座敷童子で御座います」


 粛々と頭を下げた老婆に、惣次郎は「イメージと全然違う!」と心の中で叫んだ。

 座敷童子と言われて想像をするのは、黒髪のおかっぱで、着物姿の子供である。だが、老婆は黒髪と着物姿だけは一致していたが、おかっぱではなく、何よりも子供ではなかった。50代程度の、怒らせたら恐そうな女性であった。


 夕食は日和と小狐、自称座敷童子と囲むことになった。

 居間の円卓に並んだ料理を確認して、座敷童子はふむふむと頷いている。三人分しか作っていなかった為、急ごしらえの料理たちは量が少なかった。

 古賀のお婆さんからいただいたカボチャの煮っころがし、モロヘイヤの酢味噌和え、秋の海の幸、秋刀魚の塩焼きである。三尾しか用意していなかった秋刀魚は、小狐と半分こしてもらおう。そう思って惣次郎が切り分けようとすると、座敷童子は静かに制した。


「結構。私たちのようなものに、食事は必要ありませんので」

 え——と座敷童子を見てから、惣次郎は小狐を見やる。


「ま、まあ……それはそうなんじゃが……惣次郎の飯は美味い。それに、儂は神じゃからな、供物は必要じゃ!」

「人に信仰されないと存在できないとは……なんと憐れな」


 食卓を挟んで、またしても小狐と座敷童子の間に火花が散ったような気がする。

 もしかして——もしかしなくても、小狐と座敷童子は、あまり仲がよろしくはないらしい。

 二人の意識を逸らすように、惣次郎は声を上げた。


「ええーと! じゃあ、座敷童子さんはお茶で。食べながらお話しましょう!」


 座敷童子の前に熱い緑茶を差し出すと、ようやっと夕食にありつくことが出来た。


 日和は、初めて見る座敷童子を前にして、小さく肩を縮こめていた。

 他の人と日和が話しているところは、由良と由良の息子である千景の二人しか、惣次郎は見たことがない。

 由良に対しては、日和は意外なほど友好的であった。それこそ、惣次郎と初めて会った時よりもだ。最初から由良が「僕にもおかしなものが見えるんだ」と、ニッコリと笑いかけ、お互いに見えざるものが見えるという秘密を共有したからだろう。少しだけ狡いと惣次郎は思う。自分も初めから小狐の姿が見えていたら、日和と距離を縮めることに、こんなに時間はかからなかったのかも知れない。そこまで考えて、今まで霊的なものを見たことがなかったのに、何故急に見えるようになったのだろう——惣次郎は不思議に思った。


「それで、お主は何しに来たのじゃ」


 小狐の魚の食べ方はキレイだ。皿の上に何も残らない。単純に、頭から尻尾まで、小骨の一本も残さずに平らげるのである。秋刀魚の身を箸で摘みながら、小狐は座敷童子に胡乱げな視線を向けた。茶をずずと啜ってから、座敷童子は淡々と告げる。


「ここは元より私の住む家。家人が居なくなって他所に移りましたが……家人が戻ってきたのならば、私も戻ってくるのが道理でしょう」

「……座敷童子さんは、前にもこの家に居たってこと?」


 惣次郎が聞くと、座敷童子は「いかにも」と頷いて「惣次郎さまのお祖母様がお産まれになった時から、私はこの家におります」と続けた。


「あの頃はピーピー泣いて、まるで赤子じゃったわい」

 小狐が口許に手を置いて、ぷくくと笑った。


「産まれたばかりでしたからな。今は修行も積み、座敷童子として胸を張って生きております故。……お稲荷殿は、相変わらずの我儘放題のようで。それではただの駄々っ子ですな」

「なんじゃと! お主、誰に向かって口を利いておるのじゃ! 今はかのような幼子の格好をしておるが、本当の儂はこんなものじゃあないわ!」

「へえへえ、信仰が断たれている間に、随分と力が無くなってしまったようですねえ。神様も妖怪変化と大差無い」


 ムキー! 小狐が歯軋りをする。子供の姿である小狐はまだいいが、売り言葉に買い言葉で大分座敷童子も大人気がない。

 小狐の言葉を鑑みるに、妖怪が歳をとって成長するというよりも、姿形を変化していると言った方がいいのだろう。座敷童子も体が成長したわけではなく、貫禄のあるお婆さんの姿に化けているのだろうか。


「お主は、随分と趣味の悪い姿に化けておるんじゃな!」

「こちらの方が馬鹿にされずに済みますもんでね」


 惣次郎の予想は正しかったようで、やはり座敷童子はお婆さんに化けているようだった。

 カボチャを咀嚼していた惣次郎は、二人のやり取りを交互に見遣る。惣次郎の苦笑いに気が付いたようで、座敷童子がごほんと咳払いを落とした。


「……と言うことで、またこちらにご厄介になります。惣次郎様、宜しくお願い致します」


 恭しく頭を下げて、座敷童子は言った。

 まあ、なんというか、話の流れを辿るに、そうなるのだろうなと思っていた惣次郎には、特に驚くことはなかった。座敷童子を拒否するにも、既に稲荷神という小狐が居るし、妖怪だもの、嫌だと言ったところで勝手に住み着くのであろう。それに、祖母が赤子の時から居るのだとすると、惣次郎よりもこの家の先住民でもある。

 それよりも呼ばれ慣れていない様付けに面食らいながら、惣次郎は頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 こうして、沖家の住人が一人増えた。




 座敷童子は、まるでお手伝いさんかのようによく働いた。

 庭の掃除も手伝ってくれ、家の中も埃一つが見つからない程に見事な掃除を尽くされた。居間から庭を望む掃き出し窓のガラスも、ピカピカに磨かれている。窓ガラス越しに秋の庭を眺めながら、ほうと惣次郎は感嘆の息を吐く。

 本来、座敷童子は掃除婦ではない。だが、生まれ育った家が汚れていることは許せないと、座敷童子が自ら奮起したのである。


「お茶が入りましたよ」


 座敷童子が台所から居間へと顔を出す。手に持たれているお盆の上には、湯呑みが三つとマグカップが一つ置かれていた。

 湯呑みの中には緑茶。ウサギのマスコットが書かれているマグカップには、ココアが入っている。まだ小狐が見えるようになる前、日和を連れ回して買い物に行った時に買った、マグカップである。


「おや、お上手ですね」


 円卓に広がっている画用紙を眺めながら、座敷童子は其々の前にコップを置いていく。

 画用紙には絵が描かれていた。いつも日和が持ち歩いているらくがき帳に、簡単な絵を描いてあげたところ、日和と小狐が目を輝かせて飛びついてきたのだ。それから、日曜の朝にやっているアニメ番組のキャラクターや、今流行りのマスコットキャラを、惣次郎は延々と書かされていた。日和の輝いた目もさることながら、小狐の楽しみようが半端ではない。悪い気はしなかった。


「一応、これを生業にしているもんで」


 白い紙に並ぶ白黒のキャラクターを見、照れながら惣次郎は頭を掻いた。と、隣に座っていた日和が、おずおずと惣次郎に近付いてきて顔を俯かせる。それを横目で眺めて、惣次郎は眉尻を下げた。

 座敷童子が家に来た時から薄々とは感じてはいたが、日和は座敷童子が苦手なようだった。座敷童子が近付いてくると顔を俯かせ、惣次郎の影に隠れるよう体を小さくさせてしまう。そんな日和の様子を、座敷童子は気にしていないようだったが。

 マグカップを手に持つと、茶色く丸い水面を見つめて、やはり日和は顔を上げなかった。


『日和ちゃんは、喋っても自分の声が届かないと思ってるんだよ』


 先日、由良と話した内容を、幾度目かに思い返す。このところ惣次郎がずっと考えていることだったが、解決の糸口は今だ掴めないままだった。


『どういうことですか?』

『喋ることを諦めてるって言えばいいのかな。日和ちゃんは、何かを言っても〝信じてもらえない〟と思い込んでるんだ』


 惣次郎と出会う前。親戚の元をたらい回しにされていた時に、日和に何があったのか。惣次郎は詳しくは分からなかったが、見窄らしい格好とおどおどとした雰囲気、そして、日和を引き取ったおばさんの口振りを聞くに、見なくとも悲惨な環境であったのだろうと予想することは容易い。

〝あそこに怖いものがいる〟

〝変なものが見える〟


 そう日和が当たり前に見えているものを主張したとしても、周りの大人たちが信じることはなかっただろう。気のせいだ、また嘘ばかり吐いて——そうあしらわれるのが関の山であり、惣次郎自身、小狐の姿が見えるようにならなければ「狐が居る」と言われても、信じなかったに違いない。


 誠を嘘だと捉えられるばかりではない。繰り返す内に、日和は気味が悪い子として敬遠されてきたのだ。


 由良が言う「喋ることを諦めている」という意味は分かった。

 小狐や妖怪のせいではないことも分かったが、だからと言って、どうやったら日和の声を取り戻せるのかが分からない。惣次郎は、由良と話した日から、ずっと悩んでいた。

 同じものが見えるよ。

 日和の言葉を嘘だと思わないよ。

 小狐の姿を惣次郎は認識が出来たし、由良も見えないはずのものが見えると言う。日和の言葉を肯定する人物が、たった二人であるが存在していたが、心の問題というものは簡単ではなかった。

 過去に受けた〝どんなに訴えても信じてもらえない〟という思いが、まだ日和には強く根付いているのだろう。


「誰か来ましたな」


 湯呑みを両手に、座敷童子がぽつりと言った。小狐もぴくりと耳を動かす。誰? と聞く間もなく、玄関から音がした。引き戸が開く音。続いて、呼びかけの声。


「ごめんください」


 聞き覚えのある声だった。古賀のお婆さんだ。

 声の主が誰であるのかはすぐに知れたが、惣次郎は非難げに座敷童子を見る。玄関戸の鍵を惣次郎は閉めていたが、座敷童子が「昔はこうだった」と言って開けておくのである。施錠するよう何度も訴えたが、惣次郎の嘆願をよそに「危険な輩が来たら、私がとっちめてやりますので問題はありません」と座敷童子には聞く耳を持たない。また同じやり取りをするのは嫌で、渋々と惣次郎は閉口した。日和が、喋るのを諦めてしまう気持ちが、なんとなく分かる。


 大きく返事をしながら玄関に急ぐと、古賀のお婆さんと千景の姿があった。

 相変わらず、前が見えているのか心配になるほどに、古賀のお婆さんは腰が曲がっている。だが、これでいて現役で畑の世話をしており、地域の集まりにも精力的に参加をしているのだから、体力とフットワークの軽さに頭が上がらない。そして、千景も相変わらずの美少年具合だった。由良から大人の色気を抜いて、そのまま小さく縮めたようだ。


 座敷童子と共に居ることが嫌だったのだろう。玄関先まで着いてきた日和が、千景の姿を見て目を丸くする。日和の後を追ってきた小狐は「なんだ、カボチャのしわくちゃお婆か」と、失礼な呟きを落とした。


「今から畑に収穫に行くんじゃが、日和ちゃんもどうかと思って」


 古賀のお婆さんは、にこにこと相好を崩していた。日和は戸惑ったようで、惣次郎の服の裾を掴む。


「……俺も行く」


 小さく告げたのは千景だ。

 日和と千景は、短い間であったが寺の案内をされた時に、打ち解けているようだった。同じ年頃ということもあり、由良の血をひいて千景も見えざるものが見えるからだろう。喋らない日和と寡黙な千景で、会話が成立するのかどうか不思議なものだったが、敢えて、惣次郎は突っ込んで聞きはしなかった。千景の言葉にほおを赤らめた日和を見て、やっぱりどんな話をしたのかが気になる。

 小学生と言えど、女子は女子。

 イケメンはモテて然りらしい。


「いっておいで」


 軍手と画用紙を持たせて支度を終えると、惣次郎は嫁に送り出す気分で日和の背を押した。


「美男子ですな。あれは将来が有望ですぞ」


 日和と千景、古賀さんを見送り家の中に入ると、柱の影に隠れていた座敷童子がほおに熱を込めて言った。〝家政婦は見た〟状態だ。思わず、惣次郎と小狐は顔を見合わせる。

 妖怪と言えど、女子は女子であった。


 座敷童子が淹れてくれたお茶はぬるくなっている。程良い温度のそれで喉を潤してから、惣次郎は意を決して口を開いた。


「日和が喋らない」


 テレビではワイドショーが流れていた。東京の動物園で生まれたパンダが、めでたく二歳を迎えたと明るいニュースがやっている。パンダに興味があるのかないのか、畳の上に足を投げ出してテレビを見ていた小狐が、きょとんと視線を向けてくる。湯呑みを手にした座敷童子も、不思議そうな顔をしていた。


「日和が喋らないのは、初めからじゃ」

「本当は喋れるはずなんだよ」

「無口な娘だと思っていましたが……何か病気ですかね?」


 さして日和が話さないことを気にしていなかったようで、初耳だと座敷童子が茶を啜る。惣次郎は「最初は小狐のせいだと思ったんだけど……」と続けると、小狐はバツが悪そうに「違うと言っておろうに」と眉尻を上げた。座敷童子が「今は人を祟る力もないようですしな」と小狐の言葉を拾う。そうなのか。


「心の問題らしいんだよ」


 投げ出していた足を組み胡座になると、小狐は「うーん」と眉根を寄せた。


「心の問題と?」

 痛ましそうに、座敷童子が言う。惣次郎は肯定した。

「うん。小狐は、日和から何か聞いてない?」

「何をじゃ」

「学校に行きたくない理由とか、ここに来る前に何があったとか」


 小狐の視線が宙を彷徨う。

「日和の初登校の日、一緒に居たじゃないか。何も言ってなかったか?」

 眉間の皺が深くなる。小狐は悩んでいた。

「シーソーに乗ってた時だよ」


 ようやっといつのことなのか思い出したようで、小狐はぽんと手を叩いた。拳で手の平を叩く、古典的なものだ。座敷童子の呆れた視線も小狐へと向けられる。


「ガッコウは怖いところと言っていたぞ」

「その他には?」

 思わず、惣次郎は身を乗り出した。

「イジメられると言っていた」


 あっけらかんと言った小狐の声は、言葉に不似合いだった。しんと、部屋の中が静まり返る。

 テレビのワイドショーでは、今流行りのニュースについて討論する音声が流れていた。どこかの高校で、今年の初夏に女子生徒の飛び降り自殺があったらしい。イジメが原因ではないかと騒がれている。人も疎らな早朝の校舎。射し込む朝日。冷たいコンクリートの地面に横たわる、一人の少女。その目は光を映さない。そこまでを想像してから、タイムリーな〝イジメ〟の話題に、惣次郎は顔を蒼褪めさせた。


「ど、どうして、イジメなんて……」


 ここに越してきてから、まだ日和は一度も学校に登校していない。ここの小学校でイジメに遭ったわけではなく、前に在籍をしていた小学校でイジメられていたのだろう。がっこうがこわい。らくがき帳に書き込まれた日和の文字が、改めてずっしりと重たく感じる。


「日和はわしらを見ることが出来るからな。フツウとは違う。それだけで、イジメの対象になるのじゃろう。人とは醜いものよ」


 まんじりともせず小狐が言った言葉に、座敷童子は深く頷いた。


「私が修行に出ていた家でも、一人、あやかしものが見える子どもがおりました。必死に見えないふりをして普通を装っておりましたが、やはり見えるが故に、他の者たちから避けられておりましたよ。どんなに隠していても、見えない者からは奇妙に目に映るものです。何もないところを見つめる。誰も居ないのに、人が居るように隙間をあけて通る。急に驚いた素振りを見せる。同じ血を分けていると言うのに、家族からも除け者扱いされておりました」


 惣次郎が想像をしていたよりも、日和を取り囲む環境は酷かったということだ。


「子ども同士なら尚更、酷いイジメを受けていたのかも知れませぬな」


 噛み締めるように奥歯に力を入れて、惣次郎は俯いた。


「どうやったら信じてもらえるかな」

「そらまた大義な。人からの信頼なんぞ、簡単に得られるものではなかろう」


 胡座の膝の上にほお杖をついた小狐が、退屈そうに尻尾をゆらゆらと揺らす。少しムッとして、惣次郎は眉間を寄せた。


「小狐は日和が心配じゃないのか」

「元はと言えば、人の醜さが原因じゃろうて。自然に話し出すのを待てば良い」


 ぐうの音も出ず、惣次郎は押し黙る。意外にも助け舟を出してくれたのは座敷童子だった。


「協力しましょうぞ。前の子には何かをしてあげたいと思っても、所詮私はあやかし者。あの子もあやかしを嫌っておりましたからな。何も出来んのでした。それを悔いております」


 座敷童子の目には、強い光が宿っている。物陰に隠れ、悔しそうに歯噛みし、子どもを見守っている座敷童子の姿が想像できた。心強くなって、惣次郎は「座敷童子はこう言ってるぞ。小狐には情がないのか」と、小さな狐に凄む。「何故なにゆえわしが……」と流していた小狐だったが、惣次郎と座敷童子の無言の視線に根負けをして、渋々といった様子で頷いた。溜め息が吐かれる。


「して、どうするのじゃ?」


 惣次郎は腕を組んで悩んだ。呆れ眼の小狐には癪だが、これといった具体的な案は持っていなかったのだ。


「親睦を高めるには、共同作業が一番で御座います。幸運なことに、惣次郎様は料理が出来る。みなで何かを作るというのは如何でしょうか?」


 日和と共に台所に立ったことはある。食事の支度を、手伝ってもらった時だ。だが、それは一緒に作ると言うよりも、ちょっとしたことを頼む手伝いでしかなかった。


「ハンバーグや餃子など、みなで作れるものがいいですな」

「ギョーザ! それは食したことがないな。美味いのか?」


 食べ物の話題に食いつき、目を輝かせるのは勿論小狐だ。ギロリと一睨みを利かせて、座敷童子が切って捨てる。


「お稲荷殿も作るのですよ」

「ええ? わしは神じゃぞ……」

「日和様の為。大事な巫女なのだから、少しは力を貸しなさいな」


 大事な巫女のところに、薄く嘲笑が混じっている。小狐を馬鹿にしているのだ。この二人は基本的にウマが合わない。小狐は大分不服そうにしながら、うなだれた。だが、日和の為との言葉に思うところがあったのか、その後に反対の言葉は続かなかった。了承したということでいいのだろう。


「じゃ、じゃあ、小狐と座敷童子にも手伝ってもらって、皆で餃子を作るってことでいいかな?」

 座敷童子が大きく頷く。


「あ、でも、なんか日和、座敷童子さんのこと苦手みたい」


 思い出して言った惣次郎に、座敷童子は効果音がつきそうな程にショックを受けていた。やはり日和に苦手意識を持たれているとは、微塵も気にしていなく、思ってもいなかったようだった。


 他所と変わらず、この家の風呂は古い。まだ秋口だと言うのに、身震いがする程に冷えた。床には丸く、親指の先程度の紺色のタイルが敷き詰められている。壁もタイル張りだ。極め付けに、バランス釜である。浴槽の横にある給湯器を手動で着火して、湯を沸かすのだ。給湯器がある分、ステンレスの浴槽は狭くて深い。だが、少ない湯で体全体を温められるので、経済的ではあった。

 昭和生まれである惣次郎も、あまり馴染みがない。平成っ子である日和は、更に戸惑いがあっただろう。


「大丈夫か?」


 今まで惣次郎が給湯器に火を入れてから、日和は入浴をしていた。だけど今日は、自分でやってみたいと言うことで、使い方だけを教えて任せたのだった。

 曇りガラスの向こうに声をかけると、話さない日和の代わりに小狐が答える。


「良い湯加減じゃ」


 湯船に浮かんでいるビニール製のアヒルで、小狐が遊んでいるイメージが湧いた。殺風景な風呂場では寂しいだろうと日和に買い与えたものだったが、アヒルのオモチャは日和よりも小狐の方が似合う。想像に間違いはなかったようで、プヒとアヒルが潰される音が聞こえた。

 問題なく入浴が出来ていることを確認して、惣次郎は脱衣所を後にする。


 風呂から上がってきた日和と小狐からは、ほくほくと暖かな湯気が上がっていた。冷たい麦茶を二人に手渡すと、居間のテーブルに三人で着く。座敷童子の姿はなかった。故意に、席を外してもらったのだ。麦茶を飲んで落ち着いたのを見計らってから、惣次郎は日和に声をかける。


「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 惣次郎の改まった様子に、微かに日和が纏う空気が強張る。唇もきゅっと引き締まった。無言だったが、日和の目は緊張しながらも惣次郎に続きを促しているようだった。


「座敷童子のこと、苦手?」


 日和は僅かに目を大きくしたあと、逡巡して黒目を泳がせた。肯定だろう。困惑気味にらくがき帳を手にするも、ペンを持った手は空気を彷徨う。

 惣次郎は、どこか物陰から様子を窺っているであろう座敷童子を、少しだけ哀れに思った。座敷童子と言うだけあって、あれは子どもが好きらしい。修行先で出会ったと言う〝あの子〟の話をする時も、座敷童子の目には慈しみが宿っていた。


『おばさんににてるんです』


 日和はらくがき帳にそれだけを書き込むと、申し訳がなさそうに俯いた。

「おばさん?」


 惣次郎は反芻する。日和が直近で預けられていた惣次郎の叔母には、座敷童子は似ても懐かない。座敷童子は丸顔ではあるが、ほっそりとした体型だ。対して叔母は、細面であるのに洋梨のような、下半身の膨らんだ体型であった。と、なると。叔母の前に預けられていた親戚の誰かか。惣次郎は思い浮かべてみるも、ピンとくる人物が居なかった。蜜な親戚付き合いをしていたわけでもないし、一人一人の顔と成りを覚えてはいなかった。


『おとうさんとおかあさんがいなくなって、はじめていったいえのひとです』

「そっか。その、おばさんが苦手なの?」

 日和は小さく頷く。

「もっと力が戻ったら、わしが懲らしめてきてやろうか」


 得意げに小狐が言った。「こら」と頭を小突いて、惣次郎が嗜める。揺られていた尻尾が、しゅんと沈んだ。


『おばさんは、わたしのことがきもちわるいって』


 躊躇って綴られた文字は、そこまでで途切れた。俯いている日和からは感情が読めなかったが、その時のことを思い出して、悲しい心地になっているのだろう。頭頂部の旋毛が、寂しげに見える。優しく手の平を乗せると、惣次郎はくしゃくしゃと日和の髪の毛を混ぜた。


「座敷童子は、日和のことを気持ち悪いなんて思ってないよ」

 乱れた髪の合間から、日和の丸い瞳が覗いてくる。

「ま、すぐには無理かも知れないけど、座敷童子は日和と仲良くなりたいみたいだよ。まずはみんなの親睦を深めるために、今度餃子パーティーをしようと思うんだ。餃子は好き?」

 次に続いた日和の頷きは、元気に上下して嬉しそうであった。

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