つきまとってくる

「ねえねえ、お姉さん。遊ぼ?」


「ごめんなさい。今日は仕事があるのよ」


「えー! この前もそう言って、遊んでくれなかった!」


 私は掴まれた服の裾を、ため息を吐いて見た。

 そこにいるのは、いつもの子だった。

 名前は勇樹君。小学四年生。

 近所に住んでいて、いわゆる親に放置されている子供。


 少し前に困っている所を助けてから、何故か妙に懐かれてしまった。

 それ以来、会うと絡まれる。

 最初は素直に好意を伝えられるので、少し嬉しさはあった。

 しかし、何度も続くと面倒くさくなってしまう。


 だから最近は、会っても冷たい態度をとっているのだが。

 どうしてか、全くめげてくれない。


「ごめん。ほら、公園で遊んでいる子達の所に行きなよ。そっちの方が楽しいでしょ」


「……嫌だ。お姉さんが良い」


 それとなく他の子と遊ぶように促しても、頑なに私と遊ぶのに拘ってくる。

 その時の顔が、ただの純粋な好意だけに思えなくて、余計に私は避けたくなってしまった。


 だけど、相手は子供。

 あまり強い態度をとると、更に面倒な事になってしまう。

 だから冷たい態度はとるけど、決定的に遠ざけはしなかった。


「仕事に送れちゃうから。私、行かなきゃ。あなたも、他の子と遊びなよ。それじゃあ」


「あっ」


 最近はありもしない仕事をでっち上げて、その場から離れるようにしている。

 納得はしていないみたいだけど、諦めてはくれるから良い手だ。

 私は申し訳ない顔を頑張って作り、本当は嫌でも頭を撫でる。


 そうすれば、頬を赤く染めて大人しくなった。

 こんなところも嫌な感じがして、数回頭を撫でると、すぐに手を離す。

 名残惜しそうな顔をされたが、見えないふりをした。


「今度は遊んでね!」


「……バイバイ」


 絶対に約束はせずに、私は勇樹君と別れる。背中にビシビシと視線を感じるけど、いちいち気にしていたら大変だ。

 会わないように、毎回道を変えているのに見つけられるせいで、ストレスが溜まってしまう。


 私はもう一度、大きなため息をついて目的の場所へと走った。





「えー! それって、いたいけな少年の初恋泥棒しちゃったんじゃないの」


「はあ?」


 友人のその言葉に、私は店の中だということを忘れて大きな声で叫んでしまった。

 当然、周りからの視線が一気に集中するが、すぐにそらされる。

 私は恥ずかしさから、小さな声で怒った。


「何言っているの。初恋泥棒なんて、しているわけないでしょ」


 顔を近づけていた彼女は、ニマニマと笑う。


「いやあ、だってさあ。どう考えたって、好きだから一緒にいたいって感じじゃない? 年の差なんて気にせず、ちょうど彼氏がいないんだから恋愛しちゃえば?」


「馬鹿じゃないの」


 他人事だと思って、好き勝手に言ってくれる。


「まず、いくらなんでも犯罪だし。私は年上の方が好きだし、ベタベタと甘えられたくない」


 年の差の恋愛が許されるのはフィクションの世界か、現実だとしたら成人した人間だけだ。

 私は、飲んでいたコーヒーに砂糖を入れたことを、今更ながらに後悔する。

 今日は妙に甘ったるく感じてしまい、ブラックは苦手だけど苦い方がまだマシだった。


 店には悪いけど、残してしまおう。

 これ以上飲んでいられなくて、私はカップを遠ざけた。


「まっ、それもそうか。私も、さすがに小学生は無理だわ。それじゃあさ、また合コン開催するから来てよ!」


 本気で言っていたわけじゃなかったみたいだから、まだ良かった。

 私は話題が変わったことに、ほっとする。


「うん、分かった。行くよ」


「おっ! 珍しく乗り気じゃん! それなら頑張って、とびきりのイケメン集めるよ!」


 合コンという場はあまり好きではないけど、今は早く恋人が欲しい。

 そうすれば、勇樹君も賢い子だから諦めてくれるかもしれない。


 私はそう考えて、楽しそうな友人と合コンのセッティングをした。





「あー。楽しかった」


 友達とカフェでお茶をしたあとは、ショッピングをしたので私は大満足しながら帰っていた。

 久しぶりに息抜きができて、今まで溜まっていたストレスも解消した。

 私は買ったものが入っているたくさんの紙バックを、テンションを上げながら見る。


 買いすぎてしまった感もあるが、こういう時じゃないとお金を使えないから仕方がない。

 両手が重いけど、あともう少しで家に着くから頑張らなくては。

 私は気合いを入れると、歩くスピードをあげた。


 そして、家が見えてきて安心しかけた。

 しかし家の前に、黒い塊がいるのに気が付いてしまった。


 それが何なのか、私はすぐに分かってしまう。


「ゆ、勇樹君?」


 驚いて考える暇なく、その名前を呼んだ。

 そうすれば、体育座りで顔を膝にうずめていた勇樹君が、私の方に顔を向けた。


「お姉さん!」


 涙のあとがある顔を、ぱあっと輝かせて立ち上がり近づいてくる。

 私は逃げ出したくなったけど、荷物もたくさんあるし家は勇樹君の方にあるので諦めた。

 目の前へと来た彼は、私を見上げると無邪気に笑った。


「お仕事、お疲れ様! ねえ、その荷物重そうだね。俺が持とうか?」


 その表情が、何もかも見透かしてくるみたいで、私は視線をそらす。


「え、えっと、勇樹君。どうしてここに? おうちの人が心配しているでしょ」


 まだ九時とはいっても、小学生は家に帰っていないといけない時間だ。

 さすがに、親が心配しているだろう。

 私は心配している気持ちもあって、それを聞いた。


「家に帰っても、みんないないから……さみしくて。ねえ、お姉さんの家に泊まっちゃだめ?」


 しかし返ってきた答えは、望んでいるものでは無かった。

 私は顔を引きつらせて、何とか笑みを浮かべる。


「だ、駄目でしょ。さすがに泊まるのは。家まで送るから。ね?」


「……」


 家に泊まらせるのは、絶対に嫌だった。

 だから何とかして、家に帰らそうとした。

 優しい顔を意識し、優しい声を出す。


 それなのに、今までの表情が嘘なぐらい、勇樹君は無になってしまった。


「ゆ、勇樹君?」


 私は怖くなって、彼に呼びかけた。

 このままでは、良くない事が起こる。そんな予感がした。


「ねえ、お姉さん」


「な、何っ?」


 しかし何か行動を起こす前に、勇樹君の方が話しかけて来た。

 私は緊張して、声を裏返させる。


 そんな私に構わず、更に近づいてきた彼は、勢いよく抱き着いてきた。

 急な行動に、私の体は強張った。


「お姉さんの事、僕だーい好きだよ!」


「そ、そうなの。ありがとう」


「だからね、お姉さんは俺のお嫁さんになるんだよ。絶対絶対、結婚しようね。俺、すぐに大きくなるからさ」


「ひっ」


 自然と悲鳴が出てしまう。

 勇樹君の顔は、真剣だった。

 本気で言っているのは明白で、だからこそ私は恐怖で震えた。


 何よりも怖いのは、完全に拒否が出来ない事。

 これがもう少し年齢のいっている人だったら、ストーカーとして他の人に相談できるかもしれない。

 しかし相手は、子供だ。

 私がどんなに嫌がっても、微笑ましいという言葉で終わってしまう。


 もしも、もしも、この子がそれを分かっているのだとしたら……。

 私は、きっと逃げられない。


 抱きしめられた拘束は、子供の力だから簡単に引きはがせる。

 そのはずなのに、引きはがす事が出来ないのは。

 すでに無邪気に笑うこの子に、捕らえられているのだということなのかもしれない。

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