死体礼賛の墓の殺人

「判決よ。そこのあなた、死刑。それがイヤなら調査に行きなさい。被害者は膳美郎女、現場は西の墓地よ」

 いつもどおり唐突にアイリは気がつきまして、三度目ともなればもはやおなじみの法廷に立っており、王妃様によるおなじみの死刑宣告を聞くのでしたが、おなじみでない言葉が続いていました。

 目が覚めたばかりなのに情報が多すぎよ……あ、違うわ。眠りについたばかりなのに、ね。

 なかば無理やりの覚醒にしては後を引きずる眠気はさっぱりありませんでしたが、なんとなく目をこすってから、アイリは周囲を見渡します。

 青空法廷です。テニスコートより一回り広いくらいの芝生。周囲をあまり高くない赤煉瓦の壁が囲み、その外周からは木々がわずかに覗いています。

 アイリが立っているのは証言台の前。陪審席にはデフォルメされたような動物たち。相変わらず羽ペンで石版に何かを書きつけています(いつも何を書いてるんだろう?)。法廷のくせに弁護人、検察官らしき人物はいません。

 ああいえ、ある意味ではこの人が検察官ですね。アイリの正面、柵向こうの壇上、裁判官の席には、ひじ掛けに頬杖をついた王妃様が座っています。あ、王様も隣にいます。おろおろしています。

「どうしたの、早くお行きなさいな。それとも死刑の方が良くて?」

 そのままの姿勢で王妃様が言いました。これまでと比べて少しハリのない声に聞こえます。

「あ、いえ。死刑は嫌です」慌ててアイリは答えました。「ですが、よろしいんですか? その、もう少しやり取りとかなくて」

「何がよ」

「いやその。これまでなら死刑宣告を受けて、私がそんな判決を受ける理由はないと反論して、そこでとぼけるはおよしなさいとかなんとか……」

「ならば聞くけど、あなたが膳美郎女を殺したの?」

「殺してません」

 誰それ。

「だったらいいじゃない。どうせあなた、また『私はやってません、事件のことも知りません、調査させてください』って言うんでしょ」

「……それもそうですね」

 それもそうだけど、なんというか、夢の中で手続き省略ご都合ショートカットとは、なんか気が引けるわ……。

 ちらと思いはしましたが、まあたしかにこの方が手っ取り早いしいっか、と割り切りました。切り替えが早いです。

「それで、被害者の方が、ぜんびいらつめ? ですか?」

「ええ、膳美郎女よ」

 漢字が思い浮かばないアイリです。

 ゼンビィ・ラツメさん……ではないわよねえ。なんでいきなり和名なのよ。設定は統一しなさいよ。

「何者なのですか」

「そんなの知らないわよ。私に分かるのは名前だけなんだから」

 ちょっと引っかかる言い方でしたが流すことにしました。

「はあ。ええと……現場はお墓、と。死因などは?」

「ふん。そこのあなた、ちょっとこっち来なさい」

 王妃様がアイリの後方に向かって声をかけると、「はっ」と小気味よい返事。振り向けば、壁沿いに待機していたトランプ兵の一人がざっざっと歩いてきます。線の細いというか、文字通り細い線の手足に、トランプの胴体。ダイヤの8です。アイリの隣に並びました。

「あなたは第一発見者ね」

「はい、私は第一発見者です」

「何を見たか説明しなさい」

「はっ。今よりちょうど十時間二十八分と五十四秒前、今日に日をまたいだ頃のことです。私が西の墓地の見回りをしていますと、枯れ大樹のそばに怪しい男と女がいるのを見つけました。近くの墓石に隠れてうかがったところ、女は両手を縛られており、その縄が木の高いところに結ばれているようでした。こう、万歳をするような格好です。ほとんど身動きのとれない女の口元に男が小瓶のようなものを持っていきます。中身を飲ませたようです。すると、なんということでしょう! 女が激しく身体を震わせたかと思うと盛大に吐血したではありませんか!」

 その場面を思い出して恐れるかのように震えだすトランプ兵です。

「……あの、王妃様」

 兵が震えっぱなしなので仕方なくアイリは尋ねます。

「なによ」

「その、吐血したという女が被害者のぜんびいらつめなのですよね?」

「そのようね」

「でしたら、犯人はその怪しい男なのでは?」

 王妃様が目を閉じました。頬杖はついたままです。

 ……寝てるんじゃないでしょうね。

 アイリがそう疑い始めたころ、面倒そうに目を開きました。

「第一発見者、その辺どうなのよ」

「はっ。女を殺した犯人はその男に相違ありません。小瓶の中身は毒薬で、男はそれを女に無理やり服用させたのです」

 第一発見者って名前なのかしら。どっちかっていうと目撃者じゃない?

 ですが、と第一発見者が続けます。

「怪しい男と説明はしましたが、背格好からそう判断したのみでありまして、実際に男かどうかは断言できません」

「だそうよ。あなたが犯人の可能性は残っているわ」

「いやいや……ええと、第一発見者さん、あなたは怪しい男の顔を見てないの?」

 小瓶のような細かいことまで証言しているのだから、当然男の顔だって見ているだろう、と考えての質問でした。

 ですが質問を受けた第一発見者は、ますます強く身体を震わせ、青い表情になっていきます。

「見た……暗がりでよく見えなかったが、たしかに見た……私は男の顔を見たのです。しかし! おお! なんたることか!」

 薄々気付いていたけど、この人めんどくさいわ。

「まさに冒涜……根源的恐怖……あれは、人間のものではなかった……少なくとも生きた人間のものでは……そう、私が見た男は、死人だったのだ!」

 ……それ、やっぱり私犯人じゃなくない?


   *


「今回はずいぶんと情報が少ないわねえ」

 裁判所を出て、西の墓地へ向かう鬱蒼とした森の道。アイリは愚痴るように言いました。

「被害者のことは膳美郎女という名前しか分からない。犯人は死人で男っぽい背格好らしいけど、どれだけ聞いても第一発見者さんが詳しく喋ってくれないから、具体的にどの辺が死人っぽいかは分からない。関係者の情報もゼロ。目撃者が一人だけってことは、この事件については、あなたも何も知らないのでしょう?」

 先導して歩く、監視役という名目のトランプ兵に尋ねます。これまでの事件でもアイリの調査にくっついてきていた、キリリとした印象の若い兵士。スペサンです。描かれているのがスペードの3なのでアイリがそう名付けました。安直ですね。

 ちなみに、被害者の名前の漢字はスペサンに教えてもらいました。

「そうだな。知っているのは君と同じ情報だけだろう」

 前を向いて歩きながらスペサンが答えます。

「うーん、とりあえず現場に行って、死体を調べろってことなんでしょうね。取っ掛かりはそこしかなさそうだし」

「被害者の死体か。そういえば君は死体を見ても平気なのか?」

「さあ。見たことないから分かんないわ」

 アイリはミステリーが好物の女の子ですので、読み物の中の死体ならいくつも見てきましたが、実際の死体はまだのようです。といっても、死体を見ることをそこまで怖がっている様子でもないみたいでした。

 そういえばこの夢の世界の事件でも、死体を直接見たことはなかったわね。

「まあ聞いた限りだと毒殺らしいし、そこまでグロいものではないことを期待するわ。スペサンは平気なの、死体」

「……当然だ」

「そう」

 間がありましたが流します。アイリは優しいですね。

 被害者といえば、とふと思い出して切り出します。

「王妃様が言ってたアレってどういうことなの。被害者のことは名前しか分からない、とか」

 単に知らないというのとはちょっとニュアンスが違っていて、それが引っかかっていたのです。

「あと、そう、むしろなんで被害者の名前を知っていたのか、とか。第一発見者は単に『女』としか言ってないわ」

「それは、王妃様はこの世界の管理者だからな。人口の増減と住人の生死は全て把握しているんだろう」

「……具体的な手段は?」

「私は知らない」

 なんか、設定が煮詰まってないのをはぐらかされてる気分だわ。

 まあ事件と関係なさそうなら無理に聞くことでもないわね、と結論しました。

「ふうん。あとは……犯人の怪しい男ね。そいつと鉢合わせたりしないかも不安といえば不安だけど」

 証言の後、壊れたレコードみたいに何事かをぶつぶつ呟くばかりとなった第一発見者の様子を思い出します。そうなっては、アイリが何を聞いても有意義な返答はありませんでした。

 しかしまあ……今回の事件が『どういう趣向』かは知らないけど、犯人の顔を知っている人物がいるのに同行してもらえないってのは、我ながらご都合主義すぎない? あるいは『すぐに犯人を割らせない』以外の理由があるのかしら……ああ、ダメね、こういう裏読みは楽しくないわ……。

「死人なんだっけ。第一発見者さんの恐れようからして、この世界では死人が生き返ってそこらをうろつくのが当たり前、ってことでもないのよね」

「ああ。死んだ者はきちんと灰にして埋葬する。そのための墓地だしな」

「んー、じゃあやっぱりその辺りなのかなあ、この事件のポイント」

 無意識の入れない庭。時間を教えない時計塔。アイリがここで関わった事件には、何かしらヘンテコな要素が混じっていました。

 墓地自体はいたって普通に使われている場所らしいから、イレギュラーなのは動く死人という存在なのでしょう。でもそうすると結局、動いている死体があったらすぐに犯人と分かることになっちゃわないかしら……?

「もうすぐ着くぞ」

 いろいろと考えているところに声がかかりました。

 森を抜けます。陽の光を遮る木々はないはずなのに、薄暗いままです。先ほどまではたしかに日中でした。なんかおかしくない?と思っている間にも周囲の景色はどんどん暗くなっていきます。

 空を見上げて、目を見張ります。早回し映像のように月が昇っていきます。呆然と見ていたら、高いところで止まりました。

 夜です。

「……え、なに、夜中限定ダンジョン?」

「墓の探索は夜間と相場が決まっているものではないのか?」

「なによそのイメージ。……あながち間違ってないけど」

 だからってここまで超自然的に夜になるものなの? ああ、なるんでしょうね、ここはそういう場所だもんね……。

 割り切りました。切り替えが早いです。

 月はまん丸で、目が慣れてくれば、視野はそこまで悪くありません。道の続く先を見やるとほどなく、横に伸びる塀が目に入ります。目的地のお墓でしょう。スペサンが歩き出したので着いていきます。

「お墓の中はどんな感じなの?」

「どんなと言われても、墓は墓だろう。敷地にびっしりと墓石が並んでいるだけだ」

「びっしりと。落ち着く光景ではなさそうね」

「静かだぞ」

「でしょうね。あ、お化けや幽霊とかは出ないの?」

「……いるわけないだろう、そんなもの」

 存在を信じたくないみたいな言い方だわ。

 そんな会話を交わしながら進んでいき、だいぶ近付いたところでふと、小さい掛け声が聞こえてくるのに気付きました。

「よっ、やっ、はっ、あーあは、あはははは!」

 笑い声になり、はっきりと聞こえます。どことなく幼さを感じさせる少女の声です。

 さらに近付くと、お墓の入り口に、あまり背の高くない人影が見えます。何かを蹴って遊ぶような動きをしています。

 人影がくるりとこちらを向いて、「あー」と指差してきました。

「アイリさん! と、なんか後ろにいる人だー」

「……コジャク?」

 コジャクでした。かつての事件で知り合った女の子です。年恰好はアイリと同じくらいなのですが、突飛な言動が多く、アイリとしてはあまり相手にしたくない子です。

 コジャクがてててとこちらに駆け寄ってきます。

 人間の頭がい骨を抱えていました。

「…………」

 アイリは考える人のポーズになりました。

「アイリさん、こんにちはー。あれ、なんか暗いと思ったらもう夜だわ。じゃあ、こんばんわー。ね、ね、アイリさんは何してるの? もしかしてまた調査ってやつー?」

「……ええ、そうよ。そういうあなたは、こんなところで何してたの」

「お散歩だよ。外を歩くのは気持ち良いわー。それでね、ここで面白いもの拾ったから、遊んでたの!」

 ずい、と頭がい骨を差し出してきます。

 どうしろと。

「……遊んでたって、蹴って?」

「蹴ってー! 面白いのよ、この子、とっても慌てるの!」

「慌てる?」

「なんたる!」

 突然の叫び声にびっくりします。聞きなれない、低くしゃがれた声でしたが、見回してもアイリたちの他に人はいません。ちなみにスペサンが五歩ほど距離をとっているのを見つけましたが見なかったことにします。優しいです。

「この小娘ときたら、何度止めろと言っても聞く耳を持たん! 骨を敬う精神に欠けておるのだ!」

 また聞こえてきました。なんとなくそんな気はしていたので、アイリは頭がい骨に目を向けます。

「……喋った?」

「ああ、私だ!」

 頭がい骨が口を開くと声が聞こえます。どうやらこの頭がい骨、会話ができるようですね。

「ね、ね、面白いでしょ!」

「一応聞いとくけど、腹話術とかじゃないのよね」

「えー、違うよー。頭がいちゃんはお友だちだよ。ねー」

「私はお前とお友だちなどではないしお前はお友だちを蹴って遊ぶのか! それとその呼び方は止めい! 私は男でありメルトスという名前だと何度言えば分かるのだ!」

 頭がい骨――メルトスだそうです。ずいぶんと憤っています。

「でも頭がいちゃんは頭がい骨じゃない」

 コジャクはどこ吹く風です。

 ……こういう場合って喋るガイコツにあたふたしてみせるのがセオリーな気がするけど、この子がいるとどうでもよくなるわね。

 ため息をつくアイリでした。

「えっと、これ、私はどうすればいいの」

「あ、うん。わたしもう帰らなきゃだから、アイリさんに頭がいちゃんあげる! できたら持って帰りたいけど、頭がいちゃんはお墓から離れたくないんだって」

「当然だ。いつまでもこんな姿でいられるか!」

 こんな姿……胴体と分離しちゃったパターンかな?

「あーうん。ありがたく受け取っておくわ」

 メルトスを手渡されます。硬いです。コジャクが蹴って遊んでいたくらいですから、かなり丈夫なのでしょうね。頭がい骨ではありますが、さんざん怒鳴っているのを聞いたせいか、瘴気や嫌悪感みたいなものはあまり感じませんでした。

 唄いながら、コジャクがアイリの横を通り過ぎます。

「良い子はおうちに帰りましょー。アイリさんも、調査もいいけど、夜遅くまで外をうろうろしてたら悪い子になっちゃうわ。悪い子は悪い子に襲われちゃうから気をつけてねー」

「ご忠告どうもありがとう。気をつけますわ」

「そ・れ・と・もー」

 コジャクはいきなり振り返ると、ぐいっと距離を詰めてきました。顔が近いです。

「一緒に、悪い子になっちゃう?」

 何も考えていないような笑顔を貼りつけた上目遣い。大きな瞳に吸い込まれそうで、思わずアイリは息を止めます。

 目をそらして、吐き出します。

「……あなたは良い子でいなさい」

「うふふ、そうするわ」

 コジャクはアイリから離れると、こちらを向いたまま「それじゃまったねー」と腕をぶんぶん振りながら去っていきます。すぐに暗がりにまぎれ、小さい影になり、やがて見えなくなりました。

 小さく手を振り返すアイリは、それをしっかり見送った後、抱えていたメルトスにつぶやきました。

「お疲れさま」

「お互い様のようだが」

「かもね」


   *


 びっしり、と言うほどひしめいているわけでもありませんでしたが、等間隔に墓石の並ぶ光景はさすがに雰囲気があります。夜ですから余計に。

 西の墓地は石造りの塀に囲まれた大型墓地で、見渡す限り平坦な造りになっています。中央を馬車がぎりぎりすれ違いできるくらいの砂利道が貫き、その両側に墓石が四つ五つと配置されています。

 雑草はほとんど生えてないし、墓石もきれいなものだわ。捨てられた墓地というわけではなさそうね。

 その砂利道をアイリとスペサンとメルトスの……三人……二人と一頭(?)が歩いています。

「それで、メルトスはお墓になんの用事?」

「うむ。私の胴体を見つけねばならぬのだ」

 やっぱり。

「経緯を教えてくれるかしら」

「ああ……今朝方、まだ日付は変わっておらぬな? うむ、日の昇り始めた頃のことだ。朝の日課としてこの辺りを散歩しておると、枯れ大樹に吊り下がった女を見つけてな」

「吊り下がった女?」

「遠目であったが、あの華奢な体躯に長髪、間違いなかろうよ。両腕を樹に結び付けて、やや前傾にうつむいておった。酔狂にしては微動だにせぬからな、何かの儀式かと興味を抱いて近付こうと思ったのだが……不意に、背後に何かの気配がしてな。振り向く間もなく視界がスッと暗くなったかと思うと、気付いたときにはこの有様であるよ」

「ふうん。その女の人というのは、メルトスが見たときは生きてたの?」

「……ふむ、言われてみればそうだな。てっきり生者と思うて近寄うたが、私は生死を確認したわけではないし、今に思えばあの不動は死んでいたが故なのかもしらぬ」

 アイリは考え込みます。

 話がつながっていそうなのに、いまいちはっきりしないわね。メルトスが見たっていう女の人は、おそらく被害者の膳美郎女。メルトスを襲ったのは犯人の怪しい男。素直に結びつけたらそうなるけど……。

 ――今日に日をまたいだ頃のことです。

 ――日の昇り始めた頃のことだ。

 第一発見者とメルトスの証言には、大きな時間の隔たりがありますね。それで何か不都合があるわけではありませんが、一つ、疑問が生まれてしまいます。アイリが引っかかるのもそこでした。

 なぜ犯人の男は膳美郎女をほったらかしにしているのかしら?

「スペサン、『枯れ大樹』って今向かってる現場よね。何かいわれでもあるの?」

「特に聞いたことはないな。文字通り、ただの枯れた大樹だ。いつからあるとも知れず、何の花も咲かせることなく、しかし腐ることもなくその太い枝を広げている。墓地はこの通り代わり映えしない景色が続くからな、目印のようにそう呼んでいるんだ」

 ハチ公みたいなものね。見たことないけど。

「メルトスの気がついたのもそこ?」

「いや、私が起きたのはここから枯れ大樹より少し先に進んだところであったな。意識を失ってからわずかばかり動かされたらしい」

 メルトスが言います。

「そこを先の、コジャクとかいう小娘に拾われ、入り口まで蹴……運ばれたのであった。その道程に私の胴体が落ちておらぬことは確認しておる。あの小娘も、どこまで信じてよいか分からぬが、一応は気を配ってくれたと言うしな。であるからして、ぬしらには枯れ大樹より向こうを重点的に探していただきたいのだ」

「ああうん、承知したわ」

 コジャク精神的被害者同盟でした。

 あれ。頭がい骨状態のメルトスが枯れ大樹の先に落ちてて、それを拾ったコジャクがこっちの入り口に向かってきたのなら、コジャクも枯れ大樹のそばを通っているはずよね。コジャクは膳美郎女の死体については一言も触れなかったけど、見ていないのかしら。見てはいたけど興味がなかった? あの子ならありそうだわ。けれど、もしかしたら……。

「メルトス、あなたがコジャクに拾われた後も、死体は大樹に吊られてたの?」

「ん。や、すまぬがそれは分からぬ。私としてはそれどころではなかったし、視界も自由にきかなかったからな」

「そう」

 ……厄介なことになりそうねぇ。


 ほどなく到着した枯れ大樹は、大樹とは言いますが幹の直径で三メートルぐらいの代物で、周りにお墓しかないから目立っているだけなのでした。小高くなった地面に生えています。触れてみても水気を感じません。カサカサの枝をしっちゃかめっちゃかに伸ばしています。荒廃したお墓のイメージなら装飾としてピッタリでしょうが、ここでは変に異物感を醸すばかりです。

「確認のために聞いておくけど、これが枯れ大樹で間違いないのよね」

「ああ、そのはずだが……」

「……まあ、もしかしたらとは思ってたけど」

 樹の周囲には、吊り下がった女性の死体などありませんでした。

 アイリの懸念どおりです。

「参ったわね……被害者不在よ」

 髪の毛をひとふさつかんでクルクルまわします。

「これからどうするつもりだ?」

「捜すしかないでしょう。膳美郎女の死体、犯人の怪しい男、メルトスの胴体……捜し物が多すぎよ」

「なんと、ぬしらあの女の死体を捜しておったか。またそれは酔狂なことよのう」

「好きでやってるわけじゃないわよ」

 考え事はわりあい好きですが、とっかかりが無さ過ぎてイラつき気味のアイリです。

 犯人が持っていった? あるいは第三者? その理由は? 持っていったのが犯人だとしたら、どうして殺してから数時間は放置していたの?

 ああもう、情報が少なすぎるわ――

「なーにーもーのーだー!」

 頭に響く大声が聞こえてきました。アイリは目をつむって顔をしかめます。

 今度はなによ、と声のした方に顔を向けてみると、人間……人型の何かが、枯れ大樹へのゆるやかな坂をぴょんぴょんと上ってきます。肩幅より広げた両腕を水平に突き出し、両足を揃え、飛び跳ねています。

 バランス悪そうだなぁ、と思いながら見ていたら、案の定着地で足を滑らせました。

 すてんとこけました。

「うおー! 罠かー! なんと卑劣なー!」

 仰向けのまま喚きます。

 起き上がる素振りはありません。

「……なんて言うんだっけ、こういうの。ゾンビじゃなくて」

「キョンシーであろう。死した身体に魄のみを宿らせた操り人形よ」

 メルトスが答えて、ああ、と得心します。そうそう、そんな名前だったわ。中国っぽいの。それからスペサンの方を向いて、

「つまり死体じゃない。死体は動き出さないんじゃなかったの」

「あれは『ひとりでに』動き出すことはない、というくらいの意味だ。キョンシーには術者がいるだろう。それに、こんなのがうじゃうじゃいるわけでもない。私だって初めて見た」

「ああそう……まあいいわ。とりあえず話してみましょう。会話になるか分からないけど」

「気をつけたまえよ。キョンシーに噛まれた者は一時的にだがキョンシーになるぞ」

「こけてくれて好都合ね」

 ほんのちょっと、キョンシーになるとはどんな気分か味わってみたかったですが、ポーズが嫌だったので誘惑を追い出しました。

 坂を下りキョンシーに近付きます。袖口の広い中華風の半袖にスリットの入ったスカート。棒のように伸びた手足は細く、どことなく青みがかっています。弁髪帽を深く被っています。ざっくり揃えられたショートカットではありましたが、服装や小ぶりな丸顔からみて、元の肉体は女性のものでしょう。おでこに直接貼られたお札には『勅令 随身保命』の文字。達筆です。

 自力では起き上がれないらしく、広げた腕をひたすら上下に振りながら「うおーうおー」と叫んでいます。うるさいです。

「こんばんわ、ちょっといいかしら」

 アイリがしゃがんで話しかけるとピタリと腕を止めて、口を開けたまま目をギョロと向けてきました。不気味ですが意思疎通はできそうです。

「なんだ、何の用だ」

「あなたは何者かしら」

「わたしか? わたしは崇高なるキョンシーである!」

 あ、ちょっと笑った。

「えっとね、私、そこの枯れ大樹に吊られていたっていう死体を捜してるんだけど、あなた何か見てない?」

「枯れ大樹に死体だと? わたしはずっとここにいたが、そんなものは見ておらぬぞー」

「ずっと? え、ずっとっていつから?」

 質問する声に力が入ります。

「ずっとはずっとだー。わたしが目を覚ましたのが明け方であるからそれ以降であるな」

 目を覚ましたってなに、寝てたの。キョンシーって寝るの。

 気になりましたが、それよりも考えなければいけないことがありますね。

「メルトス、あなた今朝この子見た?」

「いや。キョンシーを見かけていればさすがに言っておる」

『日の昇り始め』と『明け方』。どちらにせよ朝早くだわ。一度消えた死体がまた戻ってくるとも思えないし、キョンシーの言っていることが正しければ、膳美郎女の死体が消えた時間帯はだいぶ絞れそうね。

「それじゃああなた……そういえばあなた、名前あるの?」

 キョンシーだから、キョンキョンとか? 思いついてすぐに頭を振りました。パンダか。

「名前だとう。おお、あるぞー。わたしはレンメイというのだ! サァエフ様よりいただいた名前だぞー!」

「レンメイね。サァエフっていうのは、あなたのご主人?」

「サァエフ様だ! サァエフ様はすごいのだぞー! わたしを生んでくれたぞー!」

 微妙に返答がずれています。

 受け答えはできるけど、あんまり頭は良くなさそうね。脳が腐ってるのかしら?

 質問を続けることにします。

「そう、サァエフ様はすごいのね。それでレンメイ、あなたここで今日、誰か怪しい人を見てないかしら」

「つい最近線の細いトランプ男を見たぞー」

「それ以外」

「頭がい骨を蹴って遊ぶ女ー」

「それもいいわ」

「アァ……昼に肉の腐った男が通ったぞー。とても不味そうだー」

「あなたの肉は腐ってないの」

 思わず口に出ました。

 レンメイは憤慨したように腕を振ります。

「失礼な! わたしは肌の手入れは怠っておらんぞー!」

「ごめんなさい悪かったわ」

 気にしてるの? ああ、そんなことより『肉の腐った男』ね。犯人かしら? たしかに死人っぽいけど……。

「その男は枯れ大樹の辺りで何かしていったりした?」

「何もしてないぞー。棺桶を引きながら通り過ぎていっただけだ」

「棺桶?」

「頭の欠けたガイコツが入っていた」

「ガイコツであるか!」

 メルトスが食いつきます。……比喩ですよ?

「レンメイ、あなた有能ね。そいつはどっちへ行ったの」

「あっち」

 口で言うだけで何の身振りもありません。

 ……まあ、私たちが入ってきたのと反対の方角でしょう。たぶん。

「こうしてはおれんな! すぐに追いかけようぞ!」

「ええ、そうしましょう。ありがとうねレンメイ、とても参考になったわ」

 結局倒れたままだったレンメイをそのままに、アイリはお墓の先へ向かおうと立ち上がります。

 伸ばしきった腕が目に映ります。

 血色のあまり良くない手首に走る、幾筋もの線。

 両手とも、痛ましいほどにびっしりと刻まれています。何本も、何本も。

「……あなた、生前の記憶ってあるの?」

 見下ろす形で、アイリが声をかけます。

 これまで質問にはすぐに答えていたレンメイですが、今回は少し間がありました。

 やがて、無機質な声が。

「なんのことだ。わたしは崇高なるキョンシーだ。名前をレンメイという。サァエフ様にいただいた名だ」

 まばたきもせず中空を見つめながらそう答えたきり、大きく口を開けたまま黙ってしまいました。

「……そう。肌のお手入れ、頑張ってね」

 それだけ言って、アイリは先へと進みます。


   *


 ひどく、のろのろとした動きでした。

 持ち上げた足を緩慢に差し出し、重力に引かれるように、上半身を揺らしながら踏み込んでいます。その度に、ずりゅっと、水気混じりの何かが音を立て、棺桶が、ガリゴリと引きずられていきます。棺桶からは鎖が伸びており、それを後ろ手に持っているのです。

「あれよね」

「あれだろうな」

「あれであろう」

 二人と一頭の意見が一致しました。 

 レンメンが見たという『腐った男』には、枯れ大樹から出発して、わりあいすぐに追いつきました。というか、その当人がこちらに向かってきていたのです。

 威圧感に溢れる大男です。背を丸めたように歩きますが、それでもスペサンより高いでしょうか。全身を黒いコートで覆い、黒い皮の手袋に、黒い靴、極端に唾広の黒い帽子と、黒尽くめです。まだ距離があって顔面や腐った部分は見えませんが、それでもかすかに腐臭が漂ってくるのでした。

 すぐに見つけたはいいのですが、なんとなく近寄りがたく、男がこちらに来るのを待っています。

「あれね、今度こそゾンビね。スペサン、新しい死体よ」

「いや……ゾンビも死人には違いないが、肉体的には辛うじて無事だからな、『生き返ってうろつく死体』にはノーカンだ。それに私もゾンビは初めて見る」

「例外だらけで泣きそうだわ」

 話している間にもゾンビはずりゅずりゅガリゴリゆっくりと近付いて来、臭いもどんどん強くなります。

 顔が見えるくらいになりました。これもやっぱり黒のサングラスをかけていますが、他に装飾品の類もなく、コートの襟に埋もれるように、生身の顔面を晒しています。

 なるほどそれは気味悪く爛れており、触れたらねちょりと音がしそうです。一目で死人と分かります。コートの袖と手袋の合間にも、似たような質感の肌が覗きます。全身こんな感じなのでしょうか。

 もうほとんどすれ違いそうなほどのところまで来ましたが、ゾンビがこちらに反応する様子はなく、声をかけなければ通り過ぎてしまいそうです。

「あの、ちょっといいかしら」

 意を決して呼び止めます。

 ずりゅ、で止まりました。やや前傾の姿勢で、こちらに向けて身体をよじります。

 ……目が見えないってのは怖いわね。

「少し聞きたいことがあるん」

「あたま、か」

 遮られました。ゾンビが喋ったのです。低い低い、体に響いてきそうな声です。

「さがして、いた。わたせ」

 鎖を持っていない方の手を差し出し、反動で体が揺れます。

 反射的にアイリは後ずさりました。

 ……どうしましょう。

「えっと、メルトスのことよね。なんであなたが胴体を持っているの?」

「ひろ、た。ほねが、おちて、いる、のは、よく、ない。しんで、いれば、うめる。いきて、いるなら、かえす。しかし、あたまが、ない。だから、さがして、いた」

 ……あれ、よくわからないけど、もしかして良い人?

「え、メルトス、渡していい?」

「うむ。おぬし、その棺桶の中にあるのは私の胴体に相違ないな?」

「そう、だろう。ほねは、なかなか、おちて、ない」

「渡したらどうするの?」

「はめる」

 物理でした。

「……はめるだけなら、私がやってもいいかしら」

 渡すのがためらわれたので言ってみます。

「ああ。かまわ、ない。おなじ、ことだ」

 ゾンビが手を下ろします。そのまま動きません。

 ゾンビから目を離さないようにしつつ、メルトスを抱えて、棺桶に近寄ります。

 棺桶は下に伸びる六角形で、蓋の表面には十字架の模様。一旦メルトスを置いて両手をかけ、ギギッと錆びの音をさせながら開きます。中には、両手を×字に組んで、人型のガイコツが横たわっていました。頚椎の先にあるべき頭がい骨がなく、ぽっかりと空いています。

「ここに置けばいいのかしら」

「頼む。ああ、これでようやく……」

 頚椎に差し込むようにメルトスをはめます。人骨一式完成です。

 と、出来上がったばかりのガイコツがガバリと上体を起こしたので、驚いてアイリは飛びのきました。

 腰を直角に座るガイコツは、組んでいた両手を広げ、閉じて、また広げと繰り返すと、突然カカカカと顎を鳴らして笑いました。

「素晴らしきかな四肢! 脊髄! 骨盤! やはり我が身が一番よ!」

 叫んでからもう一度カカカカと笑います。

 気味悪いです。

「……メルトスよね?」

 テンションにちょっと引きつつ尋ねます。

「おお、いかにも。娘、ぬしのおかげで助かったぞ。そこな屍体も、よくぞ私の体を運んでくれた。カカカカ、自由とは素晴らしいな!」

 立ち上がり棺桶から出て、土を払うように大たい骨をはたきます。

「ふう、散歩のはずがすっかり暗くなってしまった。娘、私はこれで帰るので死体捜しの手伝いは出来んが、この恩は忘れんぞ。いずれどこかで報いよう。なに、心配するでない。私はこれでも義理堅いのだ。カカカカ、カカカカ! それではさらば!」

 シュタッと効果音の聞こえてきそうな動きで敬礼のようなポーズをとると、メルトスは軽快な足どりでもと来た道を去って行きました。

 ……え、なにそれ。復活したと思ったら即帰宅とか。あの頭がい骨これでおしまい? なんだったのこの救出イベント。

 アイリが呆然と見送っている間にも、メルトスの姿はどんどん小さくなっていくのでした。

 気を取り直して、今ならまだ追いつけるかしら、などと考えていると、今度は目の前の棺桶がずりゅガリと動きました。ゾンビが歩き出したのです。

「あ、ちょっと待って、話はまだあるわ!」

 慌てて呼び止め、ゾンビの前に回ります。

 動きを止めたゾンビは、サングラスのせいですぐには分かりませんが、たしかにアイリの方に顔を向けました。

「なん、だ」

「私、枯れ大樹に吊られてたっていう女の人の死体を捜してるの。そのことで質問があるんだけど、えっと、あなた、なんて呼べばいい?」

「なまえ、か。……るーてぃお、だ」

 ゾンビはつぶやくように名乗りました。

「ルーティオね。ルーティオ、あなたはその死体を見ていないかしら」

「みて、ない。おれが、したい、を、みつけ、たら、うめる」

「そ、そう……あれ、さっきキョンシーに会わなかった? あれは死体じゃないの?」

「あった、な。したい、だが、あれは、うごく。いきて、いる。それは、ちがう」

「違うっていうのは、何が?」

「おれが、うめる、のは、しんだ、したい、だけだ。それは、ものだ。じぶん、で、うごく、やつは、いい。いきて、いる。おれと、おなじ」

 生きた死体。矛盾したような表現ですが、ガイコツ、キョンシー、ゾンビ、ここでアイリが出会ったのはそんなものばかりです。

「ううん……分かったわ。それじゃあ、メルトス、さっきのガイコツなんだけど、あの胴体を拾ったのはいつ?」

「ひる、だ。あたま、が、なくて、この、はか、を、さがして、いた」

「拾ったのはどこ?」

「ここ、から、たいじゅ、の、むこう」

 レンメイの証言と一致しますね。

 ルーティオは、一目でそれと分かる死人、見るからに怪しい男。やっと見つけた容疑者、これは重要参考人待ったなしねと意気込んでいたアイリですが。

 ……嘘つきには見えないわ。いまいち疑いづらいわねえ。

 質問を重ねるうちに、どうにも志気の低下を感じてしまうのです。

「もう、いいか」

「ああうん、ありがとう」

 アイリは横にどいて道を譲りましたが、ルーティオはゆっくりと振り向いて、自分が来た道を戻ります。

 ずりゅ、ガリ。

 ずりゅ、ゴリ。

「ねえ」

 ふと気になって、その背中を呼びました。

「なんで、死体を埋めるの?」

 丸まった背中が動きを止めます。

「……したい、は、じぶん、では、うまれ、ない。はか、の、した、で、ねむれ、ない。しんだ、のに、かわい、そう、だろう。だから、うめる」

 大男の、その後ろ姿が。なぜかアイリには、やたら小さく見えたのでした。

「おれは、いきて、る」

 ずりゅずりゅガリゴリ。


   *


「この先って何があるの?」

 ルーティオが去っていった道を眺めながらスペサンに尋ねました。

「……しばらくは、特に何も。近くに四つ辻があるが、どちらへ進んでも墓石がずっと続くだけだ。枯れ大樹のような目立つものはない」

「四つ辻……ああ、それで。納得したわ」

「何をだ」

「一本道なら、コジャクとルーティオがどこかですれ違ってるはずでしょう。だとしたらやっぱり、コジャクが何も言わなかったのが気になってて。四つ辻があるんなら遭遇してなくても不思議じゃないわね」

「……それを言うなら、ルーティオがメルトスで遊ぶコジャクとすれ違っていたら、その時点でメルトスを引き渡すよう言っていなければおかしい、とならないか?」

「私が声をかけるまでルーティオはメルトスに気がつかなかった。頭がい骨リフティングしてるコジャクとすれ違っても、スルーしていたとしておかしくないわ。というか多分、時系列をちゃんと考えるなら、ルーティオは枯れ大樹の辺りにメルトスの頭が落ちてたのを一度見逃してるわよ。ザルね。まあ、どうでもいいことだけど」

「そうだ。そのルーティオだが、行かせてしまってよかったのか」

 結局、膳美郎女の死体の行き先は不明なままです。

 メルトスの胴体は見つかりましたが、それで何か進展があったわけでもありません。

 そのうえいかにも怪しい死人を逃してしまいました。調査は振り出しに戻ってしまうのでしょうか?

「メルトスが気を失ったときの話、覚えてるかしら」

「ああ。枯れ大樹に吊り下がった死体を見つけて、近寄ろうとしたら、いつの間にか背後にいたという何者かに襲われたんだろう」

「状況的に考えて、その『何者か』ってのが『怪しい男』とするわよ。ルーティオにそれができたと思う?」

「……いや。そうか、メルトスに気付かれないまま背後に近付くのは、ルーティオには難しそうだな」

 ――不意に、背後に何かの気配がしてな。

 二人の脳裏には、ルーティオが歩くときの、耳に残る特徴的な音がよみがえっていることでしょう。

「しかしそうなると、容疑者の手掛かりもなくなってしまったか」

「あら、そうとも言えないんじゃない? 少なくとも一人、疑うべき人物を知っているわ」

「何だと? ……まさか、私のことではないだろうな。いつかの時のように」

「まさかまさかよ。いるじゃない、とびっきり怪しいガイコツが」

「メルトスか」

 まあ今さらの感はあるけどねぇと独り言ちます。

『喋る頭がい骨』なんて唄うしゃれこうべの親戚みたいなものだから、すっかり疑いそびれちゃったわ。あとコジャクのせい。でも、よくよく考えてみたら、まだしも人体を保っているキョンシーやゾンビより、骨だけで歩いてるガイコツのがよっぽどおかしいのよ。どこに声帯があるのよ。

 この世界に毒されすぎたかしら、と反省しないでもないアイリです。

「しかし、メルトスは被害者なのだぞ」

「バールストン先攻法はホームズ先生の時代からの伝統よ、って言っても理由にはなんないけど。とりあえず戻ってみましょう。メルトスには追いつけなくても、何か見落としていたものがあるかもしれないわ」

 というのは口実で。

 もう一人、出会ってない登場人物がいるはずだものね。そいつにも話を聞いてみなくちゃ。……これぐらいの先読みは許してよね。

 誰にともなく思うアイリでした。


「それでなー、卑劣な罠にはまってしまってなー、起き上がれなくなってしまったのだー」

「ははは、レンメイはお茶目だなあ。しかし自分で起き上がれないのは困りものだね。どれ、帰ったら膝の関節のマッサージをしてあげよう」

「わあい。大好きだぞーサァエフ様ー」

「ああ、私もだよ。可愛い可愛いレンメイや」

「…………」

 枯れ大樹まで戻ってきた二人が見たのは、満面の笑みで伸びきった腕を振るレンメイと、帽子越しにその頭を撫でる長身の男でした。

 いちゃついていました。

 なんていうか……事案だわ。

 またしても引き気味のアイリですが、それでもしっかり男を観察します。

 牛の顔面を模したようなお面を被っており、表情はうかがえません。ルーティオと同じく、全身を黒い服で覆っていますが、こちらは西洋のローブのようなデザインです。引きずりそうな裾がほとんど足元まで隠していて、フードまで被っているので、遠くからだと一本の黒い筒に見えそうです。

 レンメイを撫でる腕が、異常に細いです。……スペサンほどではありませんが。

 男はこちらに気づいたようで、腕をローブに仕舞うと流れるような動きで近付いてきました。

「こんばんは、レンメイのご主人様」

「ああ、ごきげんようお嬢様。ふむ……なるほど、レンメイを罠にはめてくれたのは君たちか」

「誤解ね。あれはレンメイの自爆よ」

「分かっているさ、冗談だ。さて、すでにご存知のようだが、あらためて自己紹介をしておこう。我の名はサァエフだ」

 我ときたか。そういえば今日は名乗るのは初めてね。……変な相手ばかりだったものね。

「アイリですわ。イルセ・アイリ。お見知りおきのほどを」

「ああ、よろしく」

 ローブから手が差し出されました。

 近くで見るそれは、すっかり乾燥して褐色がかった包帯でぐるぐるに巻かれていましたが、その上からでも肉らしい肉の一切ついていないことが見てとれる、まさに骨と皮だけの代物でした。

 うっとアイリがたじろぎます。

「ふふ、珍しいか。この通り我の体はすっかり乾ききっておる」

 アイリの反応を楽しむように言って、サァエフは手を仕舞います。

「……サァエフも、死体なのね」

「さてどうかな。我の体はたしかに通常の人間とは大きく異なる。物理的には、なるほど死体とそう変わらんのかも知れないが、しかし我の魂は連続性を損なっていない。これはな、そういう技術なのだよ。腐りゆくヒトの形を永遠に保つための防腐の術。運命に抗わんとするヒトの叡智なのだ」

 ああ、と思い至りました。つまりあれね、今度はミイラね。

「その仮面は? 外してくれないのかしら」

「我とて少しくらいは見栄えを気にするのでな。まあ、我の体のことはよい。何か聞きたいことがあるのだろう?」

「ええ、話が早くて助かるわ」

「膳美郎女」

 制すように、サァエフはその名前を口にしました。

「と、言ったかな? お捜しの死体は。長髪の女性だとか。あいにくだが、我はその人物の死体は見ていないな」

「……話が早くて助かるわ。レンメイからお聞き及び?」

「ご推察の通りだ」

「でも……うん、そうね。私はレンメイに膳美郎女の名を伝えてはいないわよ。語るに落ちたのかしら?」

「レンメイは優秀でね、実はとても耳が良いのだよ。ここに着いた時、君たちはあの樹のそばでその名を持ち出していたはずだ。これで納得していただけたかな?」

 質問しているのはアイリなのに、数度のやり取りで会話の主導権を持っていかれてしまいました。

 これは、ちょっと面倒な相手ね……。

「それなら私たちが捜してる『怪しい男』に心あたりは?」

「棺桶を引くゾンビなら見かけたが、既にあたっているのだろう? 他は知らないな。そういえばあれは骨の胴体を運んでいたか。そうそう、朝方のことだが、骨の胴体が落ちているところを我も見ておるな。枯れ大樹に向かう道の途中だった」

「見つけたくせに、放置してたのね」

「落し物を拾う趣味はなくてね。愉快な頭がい骨君は元の体に戻れたかな?」

「おかげさまで」

「それは重畳」

「ゾンビのことを見かけたっていうのは、この辺りで?」

「ああ。そもそも、我はたいていレンメイと共にいたぞ。正確にはレンメイが我に付き従っているわけだが。その後に一度、我はしばし墓より少し離れていたから、君たちがレンメイと会ったのはその時なのだろう」

「あなたと一緒だったなんてレンメイは言わなかったけれど」

「君たちがレンメイに聞いたのは『怪しい人を見かけたか』だ。レンメイにとって我が『怪しい人』なわけがなかろう?」

「……ちなみに墓の外へは何しに?」

「関係の無い野暮用だ。すぐに戻るつもりだったからレンメイは残してきた」

 なんかやり辛いわ。

 打てば響くように、サァエフは淀みなく質問に答えてくれますが、アイリはなんだか先を読まれているようだと感じました。

 ルーティオを見たあと一度墓の外に出ていた、とか、私の疑問に先回りして回答している感じ。たしかに説明には筋が通ってるけど、なんというか、どんな質問をされるかあらかじめ考えてあったみたいな……。

「まだ終わらんのかー」

 サァエフの後ろにくっついてきたレンメイが不満げに言いました。

「ああ、もうちょっとだけ待っておくれ」

「おお、待つぞー」

 打って変わっての猫なで声になるサァエフと嬉しそうに小さく飛び跳ねるレンメイです。

「……ずいぶん可愛がっているのね」

「ふふ、死体を愛でるのは気色悪いかね」

 あ、そこは自覚あるんだ。

 サァエフはレンメイの後ろにまわると、背中から抱きつくように、腕を絡めました。

「しかしどうだ、これもまた永遠への憧憬が生んだ術の結晶でありながら、この娘は我に無いものをたくさん持っている。潤いを帯びた肌、ふくよかな肉……関節は若干硬いがな。なんとも素晴らしいではないか」

「お、おおー、なんだかよくわからないが嬉しいぞー」

「ふふ、お前はそれでよいのだよ、レンメイ」

 囁いて、レンメイから離れます。

「……レンメイは、サァエフが作ったのよね」

「それはあまり正確な表現ではないな。キョンシーは魂の抜けた死体に、防腐の術の込められた札を貼り、そこへ魄を宿すことで誕生する。我の忠実なしもべであることは一つ間違いではないが、誕生の過程で生まれる人格は我の関与するところでない」

「それはよく分からないけど……でも、『素材』の選択はあなた次第じゃなくて?」

「なかなか鋭いことを言う。ふむ、認めよう。我はこの死体が美しかったがゆえに、その姿を留めようとした。だが、それがどうしたというのだね?」

「いえ、別に」

 実はアイリも自分がなんでこんなことを聞いているのかよく分かっていないのでした。

「……生きたままの剥製みたいなものね。動く剥製」

「そうでもないさ。防腐の術とて完璧ではない。額の札を剥がしてしまえば止まっていた時間は動き出し、腐敗は進行する。もっとも、札もまた術で守られているから、人の手によってしか剥がされることはないのだがね」

「そりゃ、風に飛ばされたとか木の枝に引っかかったとかで取れたら大変でしょうね」

「しかりだ。自分では貼り直せないしな。しかしなるほど、生きたままというのは重要かもしれないな。魄は陰の気だから、正確には『生きたような』と言うべきだが……その内面を感じさせる、思いもよらぬ言動をしてみせるからこそ、こんなにも愛おしいのだろう」

 そう言うとサァエフはレンメイの手を取りました。

「どうだい、レンメイ。お前は死してなお幸せか?」

「おお? サァエフ様はとてもよくしてくれるからなー! わたしはしあわせだぞー!」

 ……その様子を見て。

 アイリは心のうちに、何かもやもやしたものを覚えるのですが、それを上手く言葉にできなくて、どうしようもなく居心地が悪いのでした。


   *


 サァエフとレンメイが去って、枯れ大樹にはアイリとスペサンが残されていました。暗い墓地に生き物の声はなく、会話でもしていないと、刺すような静寂に襲われます。

 アイリは枯れ大樹のそばに立っていました。

 足を少し開いて、両腕は万歳をするように、しかし手首はくにゃりと前に曲げます。体は前傾で、顔を伏せ、髪を無造作に垂らします。

「何をやっているんだ君は」

「死体ごっこ」

 起き上がりました。

「疲れるわ、この体勢。縄でも結んでないと」

「何がしたかったんだ」

「なんとなく」

 木の欠片が付くのもいとわず、幹に寄りかかるように座りました。今回の調査は立ちっぱなしの歩きっぱなしだったのですっかり足が棒です。

「メルトスを追いかけるのではなかったのか」

「ん? ああ、そんな話もしたわね。まあ、一応メルトスからは話を聞いてるわけだし、やっぱり今は無理に追うこともないかしら。メルトスが日課の散歩でここに来るなら、明日になれば会えるわけだし」

 言い訳のように口にしますが、ほんとうは気が乗らないだけでした。

 しかし、今は何時なのでしょうね。明日と言ったけれど、このお墓に明日なんてくるのかしら。なんか、ずっと夜のままのような気がするわ……。

 見上げる月の位置は、高さは、ここへ来た時と変わっているのでしょうか。アイリには分かりません。

「その様子だと犯人の目星がついているわけでもなさそうだな」

 ぼぅっとしたアイリを見とがめるようにスペサンが言いました。

「まあね。そもそも被害者の死体だって見つかってないわ」

「しかし君はこれまでの事件でも、死体を見ることなく、推理によって犯人を指摘してきた」

「今までと今回とじゃ話が違うわよ。ああでも、そっか、今日はなんだかんだで死体とたくさん接してるのね。そのせいで疲れてるのかしら」

 メルトスも、レンメイも、ルーティオも、サァエフも、普通に動いて喋って感情を示して、生きているようで。すっかり意識の外に追いやられていたことですが、彼らだってみんな、死体なのです。

 死体だらけのお墓。

 生きた人間と、何が違うのかしら。分からないけど、何かが違うのよ。それはもう、決定的に、致命的に。でなければこんなに悩んでないわ。

 ……何に?

 答えられません。

 それで、ずっと、アイリの胸のうちはもやもやしたままでした。

「……おさらいしましょうか。まず、今日の〇時すぎに、被害者が怪しい男に毒を飲まされるのが目撃された。次に明け方、六時ごろかしら、たまたまここを通りかかったメルトスが木に吊るされた女の人、おそらくは被害者を発見するけど、これまたおそらく、犯人の怪しい男に襲われて気を失う。メルトスを襲った犯人が被害者の死体を樹から下ろして持ち去ると、わずかの時間差でレンメイが目を覚ましてここらをうろつき始めた」

「レンメイが膳美郎女の死体を目撃していない以上、その順序になるだろうな」

「そこからはあんまり事件と関係ない気がするけど……レンメイが目を覚まして、少ししてサァエフが合流する。道中でサァエフはメルトスの胴体を見つけているけど無視。それをルーティオが昼ごろに拾って棺桶に仕舞いここを通過。サァエフが墓から出たあと、今度はメルトスの頭部を見つけたコジャクが通過。入り口まできて私たちと遭遇、と。時系列はそんなところね」

「行ったり来たり、何やらごちゃごちゃしているが、動きにおかしなところはなさそうだな」

「ええ、これまでの話を総合しても、特に矛盾は生じないわ」

 こういうのが一番困る。矛盾があれば誰かが嘘をついていると分かるけど、ギリギリでも成り立っている以上、全員が真実を述べている可能性を否定できない……。

 まだ情報が不足しているのかしら。

 それとも、私が気づいていないだけで……。

「……疑問があるとしたら、やっぱり犯人の行動よね。殺害から死体消失まで、およそ六時間くらい、被害者の死体は樹に吊るされたまま放置されていた可能性が高い。お墓の中でも一番目立つところよ。誰かに目撃されるリスクを考えなかったのかしら」

「わざわざ放置してから回収したのはたしかに謎だが、放置するのはそこまで危険か?」

「だってこのお墓、途中まで一本道じゃない。向こうの入り口を使ったら、たいていの人は枯れ大樹を通るでしょう」

「いや……そもそも、こんなところに人は来ないだろう?」

 ん、と引っかかります。会話にズレがあります。

「……『こんなところ』って?」

「だから、墓地だ。王妃様の兵士が月に一度見回りをするのと、業者が死灰を埋めに来るくらいで、他に入り込むものなどほとんどいない」

「どういうこと? お墓参りとかで来るでしょう、人」

「墓参り? なぜ墓に参る?」

 皮肉、ではありませんでした。スペサンの表情は耳慣れない言葉を聞いたときのそれでした。

「ここは墓地だぞ。死人を葬る場所だ。死んだ者は灰になって埋められる。死者と会話できるわけでもあるまいし、なぜ生者が訪れる必要がある」

 唾を飲みました。それはアイリの直感には相容れない考え方でしたけれど、同時にアイリは、その違和感が理論的には何の根拠もない、ただの習俗からくるものだと分かっていました。それから気づきます。スペサンの言ったことが正しいのだと……この世界では『そう』なのだという証拠を自分がさんざん見ていることに思い至ったのです。ずらりと並ぶ墓石、そのどれもが綺麗なものでしたが、献花や供え物の類は、その痕跡も含めて何一つ残っていませんでした。

「いやまあ、コジャクのような例外もいるが、あれはほんとうに例外中の例外だ」

 スペサンは言い訳をするように、少し目をそらします。

「いや、それにしたって……コジャク以外にもいたじゃないの。メルトスに、ルーティオに、レンメイにサァエフ」

「だから、それは死人だろう? 死人の場合は問題ないじゃないか、どうせここから出られないのだから」

「……は? え、ちょっと、え、なにそれ!」

 アイリは思わず立ち上がってスペサンに詰め寄ります。

「なによそれなによそれ! 死人がここから出られないなんて聞いてないわよ!」

「言ってなかったか? 死体の中にはまるで生きているかのように活動するものがいるが、それらは墓地の内部と、せいぜい外周から数メートルの範囲でしか動けない。普通に考えたらそうなるだろう? 絶対数が少ないとはいえ、死人が外の世界に出てきたら大変なのだから」

「世界の都合なんて知ったもんじゃないわ! え、じゃあなに、今回の犯人を見つけたとして、外に連れ出せないのならどうするの」

「それこそ、私の知るところではないな。君の役目は犯人を見つけて王妃様に知らせることであり、その先は王妃様のお心のままだ」

「死人が外に出られないなら、お墓の中は死人でうじゃうじゃいっぱいのはずじゃない」

「その調整のための兵士の見回りなんだがな。実際論としてこの程度の死人密度で済んでいるわけだし、それに、この墓地で私たちが通った範囲などたかが知れているぞ?」

 心のおもむくままにスペサンへの文句をひたすら並べ立ててもよかったのですが、頭を抱え歯を食いしばり、どうにか自制しました。

 なりふり構わず叫びだしたい衝動を押さえつけながら、アイリは必死に考えをまとめようとします。

 墓地に生者はやってこない。それを前提にしたら、どうなる。墓にいるのは死人だけ。生きているような死人だけ。墓地から外に出ることのできない、檻に囚われた死人たち――外に出られない死人になら、膳美郎女の死体を目撃されても問題ない?

 ここが死者の世界なら……誰も死体の存在を生者に伝えることはできない。今回は例外なのだ。死体があると知られなければ? それは、裁かれる恐れもないということでは? 殺人者の烙印は、どうだろう。それは忌むべきものとなるだろうか。……そんな生者のような社会性を、この墓地へ来てから一度でも実感したか?

 外に出られない死人になら、膳美郎女の死体を目撃されても問題ない。

 スペサンが言ったのは、つまりそういうことだわ。でも、まだよ。もっと先まで言えるはず。そう、目撃されても問題ないのなら死体を隠す必要はない!

 それならどうして膳美郎女の死体は見つからないのか?

 どうして死体はわずかな時間だけ放置された?

 そのタイミングと、その後の時系列と……。

「あぁ……」

 ふっと力を抜くと、アイリは、ほとんどため息のような声を漏らしました。

「……うん。スペサン、もう一度だけ確認させて」

「何だ」

「なんか頭がい骨が喋ったりゾンビが歩いたりしてたわけだけど、死体がひとりでに、勝手に動き出すことは絶対にない、そう考えていいのよね」

「ああ、そうだな」

「実はガイコツだけ特例とかもないわよね。というのはつまり、膳美郎女の死体を鳥かなんかが食べちゃって、骨になって動き出したとか、そういうことは」

「よくそんなことを思いつくな……そのような例外もない。断言しよう」

「そう。なら、決まりかしら」

 アイリはそう言いましたが。

 そこにはいつも見せているような、謎が解けたときの高揚は、少しも感じられないのでした。

「犯人が分かったわ」


   *


 追いつくのは簡単でした。少し早足に歩いたら、その後ろ姿はすぐに視界に入ってきました。当然ですね。別れてから、まだ間もないのですから。

「ん。んおー?」

 先に気づいたのは、長身の男の後ろをぴょんぴょんと付いていくレンメイでした。足を軸に、ぐるりと振り向きます。

「サァエフ様ー、あいつらー」 

 男はその声にぴたりと動きを止めて、肩越しにこちらを見やります。牛を象った仮面。

「……おやおや、これはこれは」

 何も言わずアイリは近付いて、サァエフは完全に振り返り、二人は対峙しました。

 にらみ合いのような時間が流れました。

 それを、サァエフが破ります。

「また会ったね、好奇心のお姫様」

「ご機嫌麗しゅう存じますわ、魔法使い様」

「そんなに万能なものでもないがな。……何の用かな?」

「ええ、大事なことを聞きに」

「ふむ、先ほどの問答では足りなかったかね。よろしい、何でも聞きたまえよ」

「あなたじゃないわ。尋ねたいことがあるのは、レンメイよ」

「なーんーだーとー!」

 怒ったように腕を振ります。

「わたしはすでに散々話したであろう! しかも、お前らは倒れたわたしをそのままにしたくせに!」

 気にしてたんだ、それ。……だったら言いなさいよ。

「まあまあ、レンメイや。わざわざ追いかけてきてくれたんだ、もう少しくらい付き合ってあげようじゃないか」

 サァエフがいさめます。

「そうかー、サァエフ様は優しいなー! サァエフ様がそう言うならよいぞー」

 ころっと調子を変えるレンメイです。

 単純だわ。でも、それも……。

 まばたきもせずこちらを見つめるレンメイの方を向いて、すぐに目をそらして、軽くつむって。一つ呼吸をすると、アイリはレンメイに尋ねました。

「ねえレンメイ、何でもいいわ、何か……何か、昨日のことを話してちょうだい」

「昨日、か?」

 レンメイはかくんと首を傾げました。

「おかしなことを聞くなー。まあよい。昨日か。昨日は、そうだなー、昨日は、昨日だな、昨日、昨日だったな、昨日ならばわたしは、昨日、わたし、わたしはわたしはわたしは」

「レンメイ」

 サァエフが平坦な調子で名を呼ぶと、レンメイの口が止まりました。首を傾けたポーズのまま動きません。

 アイリとサァエフは、また、お互いに無言です。

「……やっぱり、そうなのね」

 確認するようにアイリが口を開きました。

「レンメイ……彼女が、膳美郎女なのね」



「いつから気づいていた」

 そう問うサァエフの声はやはり平板なままでした。

「ほんの、ついさっきよ」

 答えるアイリも、どこか淡々としています。

「このお墓は死者の世界。死体を生んだとして、それを生者に見とがめられるおそれはない。なのに実際問題、膳美郎女の死体は見当たらなかったわ。普通に考えるなら、犯人が隠した、持ち去ったとみるのが妥当な状況だった。だったら犯人はなぜ死体を隠したのか? 隠す必要なんてないはずなのに。物体としての死体が欲しかっただけなら、放置されていたことに説明がつかなくなる……ちょっとした矛盾ね。そこまで考えてようやく気がついたの。ここは、死者の世界なのよ。死体が物言わぬ死体のままであるとは限らない。私はすでに膳美郎女の死体と出会っているのかもしれない」

「なるほどな。そこまで考えたのならたしかに、レンメイを疑うのが自然か。キョンシーはもっとも生前の姿に近い死体だ」

「レンメイは『明け方に目を覚ました』と言ってたわ。それを聞いたとき私は、睡眠から覚醒した、という意味だと受け取った。けど、違ったのね。日の変わるころに殺された膳美郎女は、明け方にレンメイとしての意識を得た。レンメイが言っていたのはその時のことだわ」

 だからレンメイには『昨日』の記憶がなくて、先ほどのような混乱を起こしてしまったのですね。

 サァエフは何度も頷いています。

「なるほど、なるほど……それで、殺したのが我であると? 膳美郎女をキョンシーとして蘇らせたのならば、『素材』を生んだのも我だろうと?」

「認めるのかしら」

「当の死体を引き連れているのだ、反駁も今さらだろう。しかし興味はある。どのようにして我に辿り着いたのか」

「……あなた、私が言うより先に被害者の名前を知ってたわ」

「それについては、ふふ、一種の遊び心だよ。だが、一応の説明はつけたはずだぞ?」

「その後にこうも言った。『捜している死体は、長髪の女性か』と……膳美郎女が『長髪』だなんて、なんで知っていたのかしら?」

 ――遠目であったが、あの華奢な体躯に長髪、間違いなかろうよ。

 アイリがそのことを知ったのは枯れ大樹に着く前でしたね。サァエフが被害者についてレンメイから聞いただけなら、被害者が『長髪』だと知っているはずがありません。レンメイはずっと枯れ大樹の辺りにいたのですから。

「つまりあなたは、生前の膳美郎女を見たことがあるのよ。根拠としては弱いけど、今回は状況的に黒で確定だったわ」

「……ふむ。冗談のつもりが、ほんとうに語るに落ちたというわけか。我もまだまだであるな」

 少しずつ、サァエフの口調におかしみが混じり始めます。今もローブから出した細い手を顎にやりながら、ククッと小さな笑い声を漏らしました。

「あなたの犯行はこんな感じかしら。今日の〇時すぎ、あなたは膳美郎女の両腕を枯れ大樹に結び、毒薬をもって殺害した。キョンシーにする予定だったから傷つけたくなかったのね。殺害後も死体は樹に吊るしたままで、誰も近付かないようにこっそり監視でもしていたのかしら。メルトス、ガイコツを襲ったのもあなたね。死体を目撃されるのは構わなかったけれど、膳美郎女……キョンシーになる前のただの死体には、触れられたくなかった? 傷つけられたくなかった? 持ち去られたくなかった?」

「全部だが、強いて言うなら最後だな。この墓には、死した死体を持ち去る迷惑な奴がいるのだ。ああ、君も会ったのだったかな? ふん、ガイコツはあれの同類ではないが、何を仕出かすかは分からなかったからな。首と体を分けたのはちょっとした憂さ晴らしだ」

 ――したい、は、じぶん、では、うまれ、ない。はか、の、した、で、ねむれ、ない。しんだ、のに、かわい、そう、だろう。

「……そう。その後であなたは、膳美郎女の死体をキョンシーとする術を施した。レンメイが生まれたのはこの時ね。ああ、髪を切ったのも? それからは、証言として語ってくれた通りかしら」

「ふふ。ならば、ついでに尋ねておこう。なぜ我は膳美郎女の死体をすぐにキョンシーとしなかったのだと思うね? しかも目撃されても構わないといえ、近付かれたくもないはずなのに、あのように目立つ樹に吊るしたままで、だ。君の話の通りであれば、実に真夜中より明け方まで、わざわざ監視までしているようだが?」

「…………」

 ああ、まただ。

 どうしようもなく、もやもやする。

「どうした。答えられないのかな?」

「……一つ、聞いていいかしら」

「なんだね」

「レンメイは、どうして喋れるの」

「……ほう! ほうほうほうほう!」

 サァエフはおかしくてたまらないようです。

「なんだ、すっかり見抜かれているのではないか! ふふ、ああよいぞ、教えよう。自動で伸縮する、そうだな、ゴムのような素材のつっかえ棒のミニチュアを想像してもらおう。それを膳美郎女の死体の口内に設置した。要はマッサージと同じだ、継続的に運動させればよいのだ。閉じようとする力の方がいずれ弱くなるから口はほぼ半開きとなるが些末なことだ。結果はあのように、レンメイは問題なく会話ができる」

 活き活きと……ええ、活き活きと、サァエフは語りました。

 それはアイリの推理が当たっていると認めているのと同じことでした。

 できることなら、間違いであってほしかった推理。

「……樹に吊るしたのは、ポーズをとらせる必要があったから。立った状態で腕を真っ直ぐ伸ばす姿勢を。死んですぐにキョンシーとしなかったのは、時間が必要だったから。死体として過ごす時間が」

 ――額の札を剥がしてしまえば止まっていた時間は動き出し、腐敗は進行する。

 裏を返せばそれは、防腐の術とは肉体の時間を止めること。

「キョンシーになったら死体現象は進まない。あなたは、死後硬直を待っていたのね」

 牛の顔が、ニヤリと笑ったような錯覚を覚えます。

「ああ、その通りだ。死後硬直は顎から始まり四肢、それから末梢関節へと進む。レンメイ、いや、膳美郎女と言うべきか? とにかく彼女の場合は比較的進行が早く、予定より早く術を施すことにした。腕に関してはちっとも動かせないのでは不便にすぎるからな、上下には動かせるよう我が手を加えた。なに、死体は痛みくらいでは悲鳴をあげんよ」

 サァエフは笑いますが、アイリにはちっとも笑えません。

「……キョンシーの死体現象が進まないといっても、それは防腐の術が施されたお札が貼ってあればこそ。これを剥がしてしまえば、キョンシーは普通の死体と変わらず腐りゆく。キョンシーがお札を『自分では貼り直せない』というのは、魔術的な理由かと思ってたわ。けれど違った。もっと単純に、額に手が届かないのね」

「それも正解だ」

 何一つ否定されることなく結論に辿り着いてしまいました。

 アイリは思い出します。レンメイの、いえ、膳美郎女の両腕、その手首に刻まれた痕を。それを見たときの痛みを。

「サァエフ……あなたが欲しかったのは、愛しくも忠実な僕ではなくて、肌の綺麗なおもちゃなんだわ。でもあなたは不安だった。キョンシーが……膳美郎女と同じく、自殺衝動を持っているのではないかと」

 ――誕生の過程で生まれる人格は我の関与するところでない。

 ギリ、と歯をかみ締めます。

「死体は墓地から出られない。この閉じた世界、墓石くらいしかない世界、キョンシーが自殺するのは難しいでしょうね。でも一つ、とても簡単な方法があるわ。自分でお札を剥がしてしまえばいいのよ。そうすればいつかは朽ち果てられる……だけど……だけど、死後硬直した状態で時間の止められたキョンシーは、自分の腕を上下に動かすことしかできなかった。『人の手によってしか剥がれないお札』、人の手であれば簡単に剥がせてしまうお札を剥がせなかった! だって手が届かないんだもの!」

 もう、止まりませんでした。

 自分の言葉が、自分の中で跳ね返って、増幅して。

 アイリは叩きつけるように叫びます。

「だから、だからよ。サァエフ、あなたは、膳美郎女をキョンシーとするために殺した。自殺させないために殺した! 生殺与奪を完全に我が物とせんために! 生者に最後に残された尊厳と自由すら奪い取るために!」

「……実に賢しいお嬢様だが、所詮は生者ということか」

 それまでの調子と変わって、ひどく醒めたようにサァエフが言いました。

「君の理屈はどこまでも生者の論理だよ。死の素晴らしさを理解しないからそのように激昂する。擬似的なものといえ、死は永遠なのだ。もっとも、君の年ではそれを感じるのは難しいだろうが」

「それが望んで手に入れたものなら私だって否定しないわ。でも、あなたのそれは違う。自らの窮地を脱せんがためでも、逆らえない情動に身を任せたがゆえでもない、お遊びの殺人じゃない!」

「豊かさを享受する者は気楽で良いな。身を捨てて死者の国をさまよう自傷者の一人、殺したところでなんだというのだね。我々が持ち得ない幸福を自ら捨てるような輩に、みじんも憤りを覚えないとでも?」

 やれやれとばかりにサァエフは首を振ります。

 それから自分の顔に手を持っていくと、フードをとり、つけていた牛の仮面を外しました。

 その下から現れたのは、しわくちゃに萎んだ、カラカラの眼球。

 色がすっかり薄れ、顔面に埋もれたくちびる。

 髪の毛の一本も残っていない頭部。

 そして全体に、しわと言うには深く刻まれすぎた、いくつもの溝。

「あの女は、そうだ。自ら命を絶ちたがっていた。それ自体は別に構わんよ、勝手にすればいい。だが、ならばなぜここへ来た。生者は生者の世界で死ぬがよかろう。それをなぜ、ここへきて、自らその身を傷つける必要がある。柔らかで、清く、張りのあり、みずみずしく、真白の、その肌を。なぜ我の前で傷つける! 永遠の代償として我が手放したものを、なぜかくも無残に!」

 怪奇な姿で吐き出される荒々しい呪詛の剣幕に、思わずアイリは後ずさりします。

「捨てられるくらいであればいっそ、我が頂戴してもよいではないか。人形で結構、死を望む魂などいらぬ。それを遊戯と呼びたければそうするがいい。しかし、ふふ、お遊びの殺人とはな」

「何がおかしいのよ!」

 落ち着いたサァエフの冷笑に、たじろぎつつもアイリが怒鳴り返します。

「おかしいさ。君は、鏡を見るのが苦手かね」

「……何を言っているの」

「我と君と、何が違う」

 すうっ、と。

 サァエフは音もなく、アイリに近寄っていきます。

「人の死という、君らからすれば圧倒的な事実から目を背けるように、謎だなんだと莢雑物を見出して騒ぎ立てる。その人物が生きてきた歴史も、抱いていた思想も、情熱も、すべて無視するように抽象化して、死体というパーツに還元してしまう。自分はこいつらと何の関係もないと思いながら、事件を読み解く第三者として、安全な立場から死をもてあそぶ。なあ、それが、死者の尊厳を踏みにじる行為でなくてなんなのだ」

 アイリは、近寄るサァエフに対し動きません。

 動けません。

「見たこともない人物の死体ならば気にならないか? 架空の物語なら割り切るのも容易いだろうな。いや、そもそも意識すらしないのか。しかし、君は一度でも想像してみたことはあるか? かつて死体が、君と同じように、考え、悩み、喜び、憂い、成長し、老い、生きていたのだと。その死を消化しきれないほど影響を受ける人々がいるのだと。我の殺人がお遊びだと? ならば聞くが、君はなんのために謎を解く。そこに必死さはあるのか? 避けられぬ義務なのか? 善き事をしようという意思はあったか? 違うな。君は楽しんでいた。知的好奇心の充足とは、つまりはお遊びではないのかね?」

 眼前に迫ったサァエフは、差し出した手をアイリの顎にかけて、くいと持ち上げます。

「自分でも気づいていたのだろう? 気づいていたから、君は我への怒りを抑えきれなかった。それは見たくもない自分への怒りなのだから。ふふ、可愛いものだな。その程度の感情もクリアできないで持て余す。誇るがいい、それは生きているがゆえの葛藤だ。だからこそ、生もまた死と同じくらい尊い」

 甘く、囁くような声に、思わずアイリは腕を払いのけました。

 荒くなりそうな呼吸を必死に抑え込みます。

 震え出しそうな声を絞り出します。

「……一緒に、しないで。どう言い繕っても、あなたは、人を殺してるの」

「そうだな。君の寄る辺は、そこにしかない」

 サァエフはばっと振り返ると、今度はレンメイへと歩み寄りました。

「ああ、可愛い可愛い私のレンメイよ」

 サァエフが声をかけると、固まったままだったレンメイがびくりと体を震わせました。

「おー、サァエフ様ー。なんだー?」

 レンメイはサァエフに向けて笑顔を作りました。今までの会話など無かったかのように、先ほどまでと変わらない無邪気な様子です。

「すまないね、少しだけ我慢しておくれ」

 サァエフはそう言って、レンメイの額に貼られたお札をつまみます。

 それを、剥がしました。ためらう素振りも、何か特別な動きもなく、とても自然に。

「お……お……?」

 お札を剥がしたからといって、目立った変化があるわけではありませんでした。ただ、レンメイの表情がゆっくりと凍りつくように、呆けたものになっていきます。

「え……あ、ああ」

 腕を突き出し、棒のように足をぴっしり伸ばした、その特徴的な姿勢は崩れないまま。レンメイの口から、意味の無い嗚咽が漏れます。

 まばたきもせず見開いたままの目は、どこも見ていません。

「ああ、あああ、あああああああ」

「……さあ、この死体を見て君は何を感じるのかな」

 アイリの方を向いて、サァエフが問います。

「哀れむか、痛ましいか。そうだ、君の寄る辺はそこにしかない。君が正当性にすがりたければ。しかし、その実感を持たずして主張するのは卑怯だろう。君は知るべきだ。そして傷つくべきだ。それを乗り越えて再び謎解きに興じるか、自らの感情に押しつぶされて身動きがとれなくなるか、それは君次第だがな」

 アイリは反論できませんでした。力が抜けるのを感じます。にらみ続ける気概もありません。

 私は――。

 心の中にあったもやもやは、いまや、もっとどす黒くて重たい何かになって、胸に溜まっていくのです。

 答える言葉を、持ってない――。

「……ろ、して」

 呟きが届きました。

「ころ、して。おねがい。ころして」

 その言葉は、レンメイの口からこぼれていました。

 誰の言葉なのでしょうか。

「ふむ? 魂の残滓の影響か、はたまた魄の固定が不完全であったか? 何にせよよろしくないことだ、すぐに戻してあげよう」

「ころして。おねがい。わたしを、しなせて……」

 うつろに懇願するその声に、サァエフはふふと笑います。

「おかしなことを言う。私はもう君を殺してあげたよ。君の望んでいた通りに。君はもう死んでいるんだ。何も気に病むことはない、これからは共に、素敵な墓場で暮らそうじゃないか――」

 その額にお札を貼りつけました。


   *


 アイリはこれまで、死体を見たことがありません。

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