バレンタイン・デー4(御幸の場合)

 「……」

「……」


――静寂が訪れていた。


チックタック、と、壁掛け時計が時を刻む音。

冷蔵庫の排気音、外から聞こえる子どもや鳥、車の喧噪が時折聞こえる程度だ。


……小一時間は経ったろうか。

御幸は、相も変わらず、持参した小難しそうな外国語のタイトルの書物に目を落としていた。


それ自体は珍しいことではない。

あちらから話したいことがあれば切り出してくるし、こちらから声をかければ何なりと返事をする。

まぁまぁ、いつものことなのである。


――ある、が。

どうも、様子が違う。


いつもならば、書に目を落とすと数十分は帰ってこないのだが、今日は違う。

5分や10分置き―― ともすれば、1分や2分の間隔で目線が散っているのだ。


最初は、“オレの希望”がそう感じさせているのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

チラリ、チラリと散らばる視線が、ちょくちょくと合う。


――滅多にはないことなのだが、そう言ったことが絶対になかったというわけではない。


どうやら、話したいことがあるが、自分では切り出しにくい、という状況なのだろう。

その理由が“想像と希望の通り”ならば、オレから切り出すこともやぶさかじゃあない。


「――なぁ、御幸」

「ッ――。

 ……はい、何ですか?」


――うん、こちらの台詞だ。


喉元まで出掛かった言葉を引っ込めて、次の句を探る。


「いや…… なんか、用事があるのかな、って思ってな」


「用事、ですか――。

 それは、何故、そう思うのですか?」

「何で、って、そりゃ――……」


うーん……。


ここで、彼女の変調を指摘するのは無粋なのだろうか。

いっそのこと、オレのほうの思惑を引っ張り出すべきか……。


ええい、ままよ!


心の中で気炎を上げる。


「その―― 今日は、バレンタイン・デー、だからな!」

「――そうですね」


予想よりも、御幸の返事が早かった。


それは、つまり、彼女の用事も、どうやらそれに即したものだ、ということだろう。

ホッと、胸をなで下ろす。


「出来れば、チョコレートなんぞ―― 頂きたいなぁ、なんて」

「……」


オレが冗談めかしてそう言うと、彼女は小さく視線を落とした。

そのまま、深く考え込むような素振りをして見せた。


――?


何だろう。

このイベントを知らなかった、とか、用意していない、とか、そう言うものではなさそうなのだが。


御幸に逡巡の様子が見て取れた。


「――ダメなのか?」

「……いえ。

 ――用意は、してきました」


と、オレの問いに応えて、おずおずと用意したものを差し出す。

10cm四方程の、銀光りする金属の箱だった。


「もらって良いのか?」


「――はい、それは、どうぞ。

 その――……」

「ん?」


「……いえ、何でもありません」


何かを言い淀んだかと思うと、そのまま言葉を伏してしまう。


――相変わらず、今日はずっと、“らしくない”御幸の態度だった。


クエスチョンマークを顔に浮かべたまま、頂いた“それ”に手を掛ける。

包装の一つもしていない簡素なそれは、弁当箱のように蓋を取って開けるタイプだった。


ゆっくりと端を持ったまま、両手を空中に向かってスライドさせる。

開けた瞬間、まるで玉手箱かのように、大量の湯気が立ち上った。


「――おぉ」

「……」


視界が開けた先。


――中から現れたのは、4つの物体だった。


カップケーキと言うのか、マフィンと言うのか。

見るからに“熱々”を表している、黒くてふわふわしたようなそれだ。


「これ、チョコのケーキ?」


「――ホットチョコケーキ、と言う物だそうです」


「へぇ~……。

 なるほど、仰々しい箱だと思ったけど、保温容器かこれ」

「……はい」


そう頷いて、また視線を下げる。


何となく口に運ぶのも躊躇われて、オレは一旦、フォークを取りに食器棚に向かった。


その間も無言で俯いていた御幸が、オレが席に着き直すと、やっと口を開いた。


「……不味くはない―― と、思います。

 料理なんて、所詮は化学反応―― 手順通りにやれば、その通りの物が出来る…… はず、です」

「あぁ――」


珍しい彼女の軽口に、そう相づちを打ってから、オレは心の中でほくそ笑んだ。


“あの”御幸にして、自信が持てないのだ。

――それは恐らく、技術とか経験とか、そういうものの以前の話で。


その様子がどうにもこうにも微笑ましくて。

オレは、軽やかに口に運ぶ。

火傷しかねないほどの温かさの中、咽ぶように頬張った。


「……美味い」

「……」


「うん、美味い。

  最 高 に 美 味 い ! 」

「――っ……」


落ち着かない雰囲気のままの御幸に向かって、投げかける。

想い以上の、ありったけの言葉を。


――と、彼女は頬を盛大に赤らめて、目を落としてしまった。


……それでも、オレがフォークに手をやると、おずおずとまた視線をくれた。


また訪れた静寂と、さっきまでとは違う視線の中、“それ”を口に運んだ――……。

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