第10話 好事家と怪食の類
「先生ェ。随分と気落ちしてますなあ」
「
私の中にある悲しみや虚無が抑えようのない憎しみとなって好事家に一直線に向かっていった。
あともう少し、力を抜くのが遅れてたら好事家を殺していたかも知れない。この腕は、力の加減が難しい。
「先生……あたしを殺す気ですかい?あの鬼を殺したように」
「そう簡単に死なせるものか。貴様、この外道が」
私の怒りに反して、何が面白いのか奴はケラケラと笑っている。
「外道ねえ。ずいぶんと心外な言われ方ですなあ」
「ぬかせ。知らぬとは言わせないぞ。貴様。村の連中をけしかけただろ」
「はて」
「そうすれば私が鬼を殺しに行くと、解っていたんだろうが。最初からそれが狙いだったんだろう!」
私が襟首から手を離すと、奴はもっと大きな声で笑い出した。
「けしかけたなんてそんな。ちょいと鬼の危なさを教えてあげただけですよ。先生が言った通りにね。まあ、例えあそこで先生が行くのを断ってたら、茂助たちは鬼に殺されてたでしょうね。そしたらいよいよ先生は鬼と戦わなきゃいけねえ」
「どう転んでも、私と鬼が殺し合うように仕組んでいたんだな。五平さんも貴様が
「アレはアイツが阿呆なんですよ。『喰うものがない喰うものがない』って騒いでるからそう言えば山にキノコが沢山なってましたねって助言して差し上げたんでさ。そしたらまんまと
「どうして魑魅魍魎に襲われたと知っている。私は鬼に殺されたと言ったはずだが」
好事家は心底気味の悪い顔で微笑んだ。
「先生、ヒトが悪いや。引っ掛けるなんて。まあ、ご想像にお任せしますよ」
「貴様見ていたのか!五平が襲われるところを」
「魑魅魍魎が突然逃げるから、何かと思ったら鬼が来やがったからね。これはしたり!と膝打って喜んだんでさ」
「そうまでして私に鬼を殺させて、何が目的だ」
好事家は芝居がかった動作で大見得を切る。
「何って先生。あたしはしがない瓦版屋ですよ。ただただ好奇心がめっぽう強いってだけでさ」
「好奇心で命を奪うか外道め」
「何言ってんです。人を殺したのは鬼で、鬼を殺したのは先生だ。あたしは見ていただけ」
まったく悪びれる様子のない好事家を見てると胸の中に炎が燃えるようで苦しかった。もう一刻だってこいつの顔が見たくなかった。
「もういい出てってくれ。二度と顔を見せるな」
私が手で追い払おうとすると奴はそこに座り込んだ。
「そうはいきませんぜ。先生にはまだまだあたしの好奇心を満たしてもらわないと」
「出ていけ!」
なぎ払った右腕は凄まじい速さと力だったが、好事家のも人間離れした動きでそれを避けた。
「先生、往生際が悪いでさあ。ここまで来れば一蓮托生でしょ」
「誰が貴様と、もう私を放っておいてくれ」
「先生。あと二匹です。町で聞いたのは」
好事家が指を二本立てて見せてくる。
「何がだ?」
「先生みたいな連中があと二匹、あたしの知ってる限りでいるんですよ」
「なに?」
好事家は扇子を取り出して、いつかの様に講釈を垂れ始めた。
「獣を喰らうは人なり。人を喰らうは
「怪食の類……?」
「そうです。京の町で化け猫を喰い殺した犬が一匹。浅草の吉原に化けぎつねを喰った猪が一匹。そして今、数多の妖怪を喰らった元人間が一匹。あたしの目の前に」
「私は人間だっ!」
言葉とは裏腹に、身体を駆け巡る憎悪が奴のハラワタを引きずり出せと叫んでいる。
「人間!?冗談言っちゃいけねえ。鬼を殺せる人間がどこにいるんですかえ」
「それは……」
「アンタは喰った妖怪の力を己のものできる。喰えば喰うほど強くなる。
「ほとんど貴様が差し向けたんだろうが」
「他人のせいにしちゃいけねえや。人魚の肉をはじめて口にしたあの時から、アンタはとっくの昔に人間ではないんだよ。テメエの姿をよぉく見て見ろい!」
好事家の言葉を受け、手桶にあった水鏡に映る自分の姿をあたらめてまじまじと見てみる。
黒い髪にはところどころ金が混じり、眼は右だけが血のように紅い。左の腕には鱗が生えている。
「先生、もう人間のフリはやめなさいな。妖怪でも人間もねえ。アンタはどちらの側からも忌み嫌われる異形中の異形なんだよ」
そんな私を唯一受け入れてくれた金花を、この手で殺してしまった。人間でありたいという無様で自分勝手な理由のために。
「北にね、十里ほどいった村で『
金花に会いたかった。優しくて美しい、あの柔らかな絹にような笑顔にもう一度会いたかった。
たかだか十年暮らした村での生活を守るためにこれから何百年続いたかもしれない金花との幸せな時間を自らに手で葬り去った。
私は、愚かな生き物である。
「どうしたんです?」
「それでも……」
「あん?」
「こんな姿に成り果てても。それでも私は、人間でありたいと思う。せめて心だけは、人でありたいと願う」
「アンタまだ……」
「そのためだったらなんでもするさ。何でも犠牲にしてみせる。何だって喰らってやるさ。それが私なんだからな」
好事家は露骨に面白くないという顔しいて短く舌打ちをした。
「とんだ興醒めですな。今日のところは失礼します」
それだけ言うと出て行ってしまった。
昔から頑固で融通のきかない性分だと自分でも分かっていたのだが、こんなにも己の気持ちに率直になれたのははじめてだった。もしかすると、私の中にいる金花が私にそうさせたのかもしれないと思った。
こうして冬は、何事もなく静かに過ぎていった。
そしてまた、新しい春がやってきた。
続
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