アリス

 アリスは夏休みを遠い親戚だと言う大石のおじ様のところで過ごしているわ。


アリスのお父様やお母様や姉様やお婆さまは海外で過ごしたりするのだけど、行くところといったらエラソーなレストランやホテルばっかり。そこでお話ししているだけなんて全然面白くないの。


 アリスがいつも退屈だわってお母様に文句を言ってたから今年はアリスだけ大石のおじ様のところで過ごせることになったのね。お母様はいつもわたしのことを怒っていたけどこんな素敵なサプライズをくれるなんて! 自分の希望は言ってみるものね!


 高原の別荘で過ごすのも楽しいけれど、大石のおじ様もとっても素敵な人だったわ。初めて見たときはとっても大きくて太っていて、髭もたくさん生やしていたから怖い人だったらどうしようって思ったのだけど挨拶をしたら優しそうな人だったから安心したわ。


 それにアリスのことアリスって呼んで認めてくれたもの、一瞬でおじ様のファンになっちゃったわ。


 高原の別荘も素敵なところだったわ。見渡す限り広がる緑! それも街中にあるような安っぽい緑じゃないわ。本物の緑よ。それと黄色い花がとっても綺麗なの。キリンソウとかキツネノボタンとかね。キツネノボタンは毒があるから食べたりできないけど……


 それにコモちゃんがとっても可愛いの! おじ様が頭が良いって言っていたけど本当ね。あっち向いてほいなんかもできちゃうの。他にもこの広い原っぱで追いかけっこをするのも楽しいし、アリスが隠したボールをコモちゃんに探させる遊びもとっても楽しいわ。コモちゃんは匂いをたどって本当にすぐ見つけちゃうのよ。


 ここはとっても楽しいところだわ。

 夏休みだけじゃなくてずっとここで暮らしていたいわ。


 おじ様には楽しいことばかり話したけれど、学校はつまらない時間の方が多いわ。先生もクラスの人達もみんなアリスのこと分かってくれないもの。


 ……落ち込んでてもしょうがないわね、夏休みをめいっぱい楽しまなくちゃ。

 おじ様が時々薦めてくれる本はアリスが好きな物ばかり! 本を選ぶセンスも良いなんてとっても素敵ね。


 おじ様の読んでいる本を少し覗いたらねずみが迷路の中にいる絵があったけれど、どういうお話なのかしら。聞いてみたけれどまた今度ねって教えてもらえなかった。気になるわね。


***


 十日くらい経ったけどここでの生活は自由があってとても楽しいわ。

 なにより外で遊ぶときに日焼け止めをべたべた塗りたくらなくていいのが楽だわ。お母様はアリスが外に出ようとするたびにお肌が荒れちゃうとか言ってあの変な匂いのする液体を塗りつけてくるんですもの。あれをつけると遊んでいる時に白い汗ができて本当に気味が悪い。


 おじ様は普段アリスが家で言われている面倒な決まり事はあんまり言わないから好きだわ。アリスがどうして嫌なのかちゃんと話せば分かってくれるもの。分かってくれた後にどうすればいいのかはおじ様次第だけど、大体はアリスの言うとおりになるわ。お母様達にも見習ってほしいわね。


 ただ、コモちゃんに色々なものを食べさせていたときタマネギを食べさせようとしているのを見つかった時は凄く怒られたわ。タマネギが犬にとって毒なこと知らなかったの。コモちゃんに危険なことをしてしまってアリスも反省したわ。


 あの時のおじ様は、いつも優しそうな目をしてるのにつり上がってて、にらみつけてきて、とても大きな声でアリスのことを怒鳴ったの。何してるんだ! ってね。おじ様の目は猫が毛を逆立てている時みたいだったわ。

 アリスが自分のしてしまった過ちに気付いて泣いて謝ったらいつものパンダみたいな目に戻って優しく撫でてくれたわ。


 おじ様に怒られたのはこの時だけ。それに、お仕置きとかはされなかったわ。お母様だったらアリスのこと地下室に閉じ込めちゃうのに。あそこは窓がないってだけで普通の部屋だけど本当に何もない部屋だからすごく退屈しちゃう。アリスは退屈なのが一番嫌いなのを分かっててやってるんだもの。意地悪なお母様。おじ様はアリスのことを認めてくれるのに。


 八万六千四百のきらめくような瞬間が今まさに過ぎていっているのね。悩み事は後にしなきゃね。


***


今日は本が沢山あるお部屋を隅から隅まで探検したんだけど、部屋の片隅に男の子向けの漫画本が置いてあった。おじ様はこういうのがお好きなのかしら? それにしたってずいぶん子ども向けのもののような気がするわ。自分で読むわけではなさそう。


 気になったからおじ様にこの漫画本のことを聞いたら別の親戚の男の子が遊びに来た時に退屈しないように買って来ておいてそのままにしてあるんですって、おじ様ってとっても子どもが好きなのね。


***


 おじ様、今日はどうしたのかしら。少し機嫌が悪かったのかしら。話しかけても「うん」とか「そうだね」しかお返事してくれないし、あの毛が逆立ってるときの猫みたいな目ではなかったけれど寝ているときの魚みたいな目をしていたわ。生気がなくて不気味。


 アリスが何かいけないことをしてしまったのかしら。どうすれば許してもらえるのかしら。何も言ってくれないから何を直せば良いのか分からない。この別荘に来てから初めて嫌な気持ちになったわ。無視されるのって最低な気分よ。


 おじ様、明日には元に戻っていると良いんだけど。

 

***


 今日のおじ様はいつもの優しいおじ様だったわ。

 だから昨日は何が悪かったのって聞いたんだけどにこにこするだけで何も答えてくれなかった。

 まるで昨日なんて存在しなかったみたいに。


 アリスがおかしくなってしまったの? 


昨日のことを聞こうとするとおじ様は何も答えないけれど、それ以外はいつも通りだったわ。それならそれでいい。アリスも昨日のことは忘れる。それでこの楽しい日々が続くならそれが一番よね。


***


 今日もおじ様は変だったわ。アリスのこと明日香ちゃんって呼んでくるの。その呼び方はつまらないからやめてほしいって言っているのにやめてくれないの。


 どうして? アリスはいつも通り過ごしていただけなのに。


 他はいつもと同じだったわ。一緒にお喋りしながらご飯を作ったり、コモちゃんとの追いかけっこにおじ様もまざったりね。おじ様は遅いからすぐ捕まっちゃうのよ。



 あ、もう一つおかしなことがあったわ。おじ様が薦めてくれる本はいつも面白かったんだけど、今日のはあんまり面白くなかったわ。面白くない、というよりはあれはお勉強の本よ。学校の宿題もちゃんとやってるのにどうしてまた勉強しなくちゃいけないのかしら。それに本を半分読み終えるまで夜ご飯を食べさせてくれなかったわ。なんだかおじ様のことも信用できなくなってしまいそう。


***


 今日のおじ様はとっても優しかったわ! アリスのことを明日香ちゃんって呼んでくるのは相変わらずだけど、今日はプレゼントがあったの! とっても大きい赤い宝石のついたネックレス! ちょうどこの前アリスが読んでいた本に登場する魔法のネックレスに似ているの。


 家ではお姉様はこういうネックレスを付けることが許されてるけどアリスは付けちゃだめって言われてるの。ずるいって言ってもちっちゃいのしか付けさせてくれなかったわ。それにエラソーなホテルやレストランに行くときしか着けちゃだめだったけど、おじ様はこの魔法のネックレスをつけて遊んでもいいと言ってくれたわ! コモちゃんに見せてあげたら興味津々だったけど、だめよ。これはアリスのなんだから。


 やっぱりおじ様ってとても面白くて楽しい人ね。


***


 今日のおじ様は変だったわ。

「今日は勉強の日だ。」って言って、何冊かのお勉強の本だけ渡して部屋の中に閉じ込めたの。指定のページまでちゃんと勉強して、テストに正解しないと出してくれないって。


 外に出ればとっても楽しいことが待ってるのに部屋に閉じ込められるなんてひどい気分だわ。でもおじ様はアリスのためだって言うのよ。


 何がアリスのためなのか全然分からなかったけれど、外に出れないのが嫌だから勉強したわ。簡単なテストだったから正解したけれど、そしたらおじ様にとっても褒められてアリスちゃんって呼んでくれたの。なんだかアリスのこと認めてくれた気がして嬉しかったわ。


 おじ様が優しくていい人っていうのは分かっているのだけど、最近はおじ様のことがよくわからなくて怖いわ。


 途中からおじ様はおかしくなってしまった。おじ様が変わってしまった原因がどこかにあるのかしら。


***


 おじ様が変わってしまった原因をアリスは考えたの。それはきっとおじ様の部屋にあると思うの。


 だって一階には前から何も変わったところはないし、二階のアリスの部屋も、書斎も変わったところはなかったわ。

 おじ様は時々山を降りていったようだったからそこで何かあったのかも知れないけど、それはアリスじゃ調べられない。だからおじ様の部屋に何かあるに違いないと思うの。この前読んだ本にあったわ、呪われた道具を持っているとその人の性格も歪んでしまうって。


 今日はたまたまおじ様が下界に降りていってる。おじ様の部屋に入って呪われた道具を見つけなくちゃ。最初の日におじ様の部屋に入ってはいけないといわれていたけど、おじ様を助けるためだもの。仕方ないわ。


 二階のおじ様の部屋の前に立つ。ドアを開けたらいきなり怪物に襲われたりしないかしら。そう思って外から木の枝を持ってきている。犬の飾りがかかっているドアノブをなぜかゆっくりひねる。ここにおじ様はいないのに、緊張する。


 ドアを開けると怪物はいなかった。アリスの部屋と同じように、右手側にベット、左手側に机が置かれている。机の上についている本棚には難しそうな英語の本と青い本型のファイルがいくつか並んでいた。英語で書かれている本のタイトルはP、s、y……英語は苦手だからわからないわね。青いファイルの方は〇年度ファイルとだけ書かれていてそれが何年分もある。他には机の上に細かい字で書かれた書類の入ったクリアファイルがいくつかとパソコンが置かれている。


「呪われた道具はないのかしら。」


 それじゃああのファイルに挟まってる文章か、あの難しそうな英語の本に人を狂わせる力があるの? 確かめなくちゃ。



 一歩、部屋の中に踏み込んだ。

ガランガランガラン!

「きゃあ!」

 突然大きい音が鳴り響く。


 よくみると透明な糸が足下に仕掛けられていて、誰かが入ろうとすると糸の先に繋がった空き缶と石で作られたものが鳴るようになっている。

 でも、これに何の意味があるのかしら。ここにおじ様はいないし……


「ワン!」

 背後から吠え声が聞こえる。

「コモ……ちゃん?」

 いつも遊んでいたコモちゃんじゃない。明らかにアリスのことを敵としてみていて、威嚇してる。


「コモちゃん、おじ様を元に戻すためなの、わかってくれる?」

 コモちゃんはグルルと唸っている。そしてじりじりと近寄ってきている。

「コモちゃん、やめて。あなたまでおかしくなってしまったの?」


 あまりの恐怖に一歩後ずさる。

 次の瞬間、アリスは床に組み倒されていた。コモちゃんが飛びかかってきたんだわ。

「いや、やめて! やめて! いやあああああ!」


 唸りながら犬歯をむき出しにしているのは今までのコモちゃんじゃない。きっとアリスはここで殺されてしまう!


「コモン! やめろ!」


どこからかするどい声が聞こえると、コモちゃんはアリスから身体をどけた。おじ様だった。


「おじ様!」


 アリスはおじ様のお腹に抱きついて泣いた。今までで一番ほっとした瞬間だった。


 おじ様には勝手に部屋に入ったことは叱られたけど、ごめんなさいって謝ったらちゃんと許してくれた。あの部屋には大事なものがあるから、あそこに入ろうとする人がいるとコモちゃんは入らないように威嚇をするんですって。おじ様はアリスに怖い思いをさせてしまってごめんなさいと謝ってくれたわ。

 おじ様はアリスを救ってくれた。


 きっとおじ様は悪い人じゃない。もし何かあるとすれば、それはきっとわたしのせいなのよね……


***


 あれから何日か経った。


 おじ様はアリス……わたしが良い子にしていればとても優しい。外で遊ぶのはほどほどにして、お勉強を頑張るとたくさん褒めてくれる。明日香ちゃんっていわれても、今までみたいに訂正しなければいつもにこにこお話ししてくれる。


 コモちゃんも、今まで通り一緒に遊べる……けど、やっぱりちょっと怖いな。


 今までは思ったことは何も考えないでそのまま口に出していたんだけど、一回考えてから口に出した方が、おじ様の機嫌が良くなる気がする。


 そういうちょっとしたところに気をつければ、やっぱりここはとっても楽しいところだわ。


 ああいうことがあったからおじ様がわたしのためを思って行動してくれていたのがわかったけど、お母様達もわたしが気付かなかっただけでわたしのためを思って色々なことを言ったりやらせたりしてきたのかしら。


 最近わたしは自分のことがよくわからなくなる。不安になる。そんなときおじ様はわたしをそっと抱きしめて明日香ちゃんは良い子だよっていってくれる。


 きっとアリスだった頃のわたしは悪い子なのね、はっきりそういわれなかっただけで。お母様達も、わたしだったらあんなに怒ったりしないのかしら。



 もう地下室は嫌だわ。


***


 おじ様の別荘から帰る日が来た。とても楽しいところだったけど、あまり未練はなかった。


 別荘に来た日と同じ駅でお母様と待ち合わせをした。

「ただいま、お母様。迎えに来てくれてありがとう」

「お帰りなさい明日香。別荘は楽しかった?」

「ええ、大石のおじ様はとてもよくしてくれたわ」


 アリスだよって、前のわたしだったら言っていたんだろうな。


「それはよかったわ、大石さんありがとうございました。あの、うまくいったようで本当にありがとうございます。これはほんのお礼で」

「いえいえ、それは後で振り込んでいただければいいですから。それより、明日香ちゃんはこっちでいい経験ができたんじゃないかな」


 お母様が大石のおじ様に封筒を渡そうとしていた。それが気になったけれどわたしは気にしないことにした。


「はい、とても楽しかったです」

「大石さん、このたびは本当にありがとうございました」

「ええ、私もとても楽しい夏休みになりましたよ。あ、お母さん、手紙でもお伝えしましたが明日香ちゃんは褒められると伸びる子なのでこれからはどんどん褒めてあげてくださいね」

「ええ、そうしますわ」


 とても楽しいところだった。

 けど、何となく、また来たいとは思わないな。


 あ、魔法のネックレス別荘に置いてきちゃった。


 だけどもう、いいや。


 電車から見る自然の景色は、来るときはとてもわくわくしたものだったけど今ではもう、あんまりわくわくしない。


「お母様」

「なあに、明日香」

「これからも、わたしのことよろしくお願いします」

「ええ、もちろんよ。わたしの大事な娘だもの」



 久しぶりに見たお母様の笑顔が、とても大事なものに思えた。

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