少しだけ変わった子

白情かな

大石

「こんにちはおじ様、初めまして。アリスです」


 十四歳の少女が私に話しかける。少女は日に焼けていない白い肌をしていて、髪は伸ばしている。けれどその声からは活発そうな印象を受けた。ぺこりとお辞儀をする仕草が可愛らしくも上品で育ちの良さをうかがわせた。しかしこの子の名前はアリスだっただろうか。


「明日香。ちゃんと自分の名前を言いなさい」


 母親がたしなめる。やはりこの子の名前は明日香だった。たしかそう聞いていた。


「初めましてアリスちゃん。夏休みの間よろしくね」

 どちらの名前で呼ぶか少し迷ったが本人の意思を尊重して名乗った方の名前で呼ぶ。


 ここはとある田舎の駅。明日香ちゃんのご両親から頼まれて夏休みの間私がこの子を預かって生活させる。


「では、大石のおじ様、明日香をよろしくお願いしますね」

 明日香ちゃんのお母さんはそう言いながら明日香ちゃんには見えないように封筒を渡してくる。長期の泊まりになるからその費用なのだが、事前に私が伝えていた金額よりもだいぶ多かった。


「困りますよ、こんなに……」

「明日香のためを思えばこれくらいは当然です。その代わりしっかり面倒見てくださいね」

 もとよりきちんと頼まれたことはするつもりだが、金を多めに渡されて嫌な気持ちはしない。


「お母さん、安心してください。きっと明日香ちゃんにとって良い経験になると思いますよ。こっちの暮らしは」

「そうなるよう祈っていますわ」


 明日香ちゃんのお母さんはそう言って駅の改札に入っていった。まだ話したそうだったがこの電車を逃すと次は一時間待たなければならないから仕方ないだろう。それに事前に明日香ちゃんのことはよく聞いていて、生活上気を付けることなどもきちんと理解していた。


「それじゃあアリスちゃん、ここまで来るのにお腹もすいたろう、おすすめのお店に連れて行ってあげよう」

「実はわたしお腹ぺこぺこだったの! 好き嫌いはないからおじ様の好きなお店に案内してくださる?」


 少女らしく表情豊かで、手をぱたぱた動かして落ち着きがない。それなのに話す言葉は過剰なくらい丁寧でアンバランスだ。そこもまた魅力に映る。面白い子だ。


明日香ちゃんは宮本家というかなりの資産を持つ家の三女で、姉たちよりは甘いにしてもかなり厳しく育てられたそうだ。それでも少女らしい活発な性質を残していて、明日香ちゃんの芯の強さがわかる。宮本家の娘となれば、お嬢様学校に通っているのだろう。少し変わった感性を持っている子のようだが、それが原因で中学校ではあまり周りとうまくやっていけていないようだ。


しかし本人は楽しく生活しているようだし、それがこの子の個性なのだからそう無理に回りに合わせることもないとは思うが……


駅の近くの還暦を過ぎた夫婦が趣味でやっているうどん屋に連れて行くことにする。その店は小さい個人店だが味は確かだ。明日香ちゃんはこういう店に来たことがないらしくはしゃいでいた。


「とっても素敵な雰囲気のお店ね! 隠れ家って感じがして楽しいわ!」

 さすがにそこまでではないと思うが、金持ちの感覚のずれなのかこの子が特殊なのか判断に迷う。


 注文をしてから話しかける。

「アリスちゃん、実はおじさんの家はちょっと山を登ったところにあってね。けっこう歩かなきゃいけないんだけど大丈夫かな?」

 明日香ちゃんは目をきらきらさせて答える。


「ええ、来る前から聞いていたわ。高原におじ様の別荘が建っているんですってね。周りはずうっと自然に囲まれているの。わたし、外で体を動かすのが大好きだからとっても楽しみにしてたのよ!」


 明日香ちゃんは薄いピンクのショートパンツにミルク色の白い長袖Tシャツを合わせている。動きやすい服装だ。体力に難がなければ問題なく別荘にたどり着けるだろう。少し軽装過ぎるが旅行鞄の中には他に着るものも入っているそうだから適宜着替えればよいだろう。


 はたして口に合うだろうかと心配していたが明日香ちゃんはうどんをぺろりと平らげ、とてもおいしかったと言っていた。店を出るときにこの店の老夫婦にも感謝の言葉を忘れない。礼儀正しい子だ。孫のような年齢の子においしかったと言われて老夫婦は顔をほころばせていた。明日香ちゃんに孫の姿でも重ねたのだろうか。


 店を出ると私は明日香ちゃんが両手で抱えるように持っていた泊まりのための荷物を預かって背負う。


「おじ様、重くないの?」

「まあ、多少は重いがこうみえてもタフでね。これくらいならどうってことないんだよ」

「おじ様って素敵だわ。熊さんみたいに大きいのにとっても優しいのね」


 確かに私は大きい。身長は百九十をゆうに超えているし、何より横にも太いのでかなり大きく見えるのだ。これで目つきが悪かったりしたら人に大きな恐怖心を与えてしまうのだろうが、丸顔なことや垂れ目なことが幸いしてあまり怖がられることはない。笑顔を絶やさないように注意もしているし、ひげも伸ばしてはいるが形は整えている。


 十五分も歩けば別荘のある台地のふもとへたどり着く。明日香ちゃんは多少汗をかいてはいるが疲労した様子はない。運動が好きだというのは確かなようだ。

 ふもとに着き少し休憩を入れてから山を登り初めて二十分程で明日香ちゃんが登山道を外れる。


「おいおい、どうしたんだい?」

「おじ様! クローバーがたくさん咲いているわ。四つ葉のを見つけたいの、少しだけ待ってくださる?」


 中学生にもなって四つ葉のクローバー探しとは。彼女のお母さんから聞いていたとおり少し年齢と精神との乖離があるのだろう。


「やった! 見つけたわ!」

「そうかい、それじゃあまた登ろうか」

「あ、まだよ、もう少し待ってて」

 虫でも見つけたかな。どうせ時間はあるんだ、そう急がなくても良いだろう。しばらくぼーっとしていると「見つけたわ!」と言ってこちらに向かって走ってきた。石がたくさんあるから走ると危ない。「きゃあ!」案の上だ。予測していたので何とか受け止める。

「アリスちゃん、あんまり慌てていると危ないよ。もう少し気をつけなさい。」

「ごめんなさいおじ様。おじ様にこれを見せたくって!」


 明日香ちゃんの手には四つ葉のクローバーが二つ握られていた。この子、転びそうになったのに手を離さなかったのか、いよいよ危ないな。


「一つはおじ様の分よ。あらためて一ヶ月間よろしくね。おじ様」

 満面の笑みでクローバーを差し出された。

「ありがとう」

 私はそう言って明日香ちゃんの頭を撫でた。




 別荘に着くまで一時間半ほどの道のりだが、寄り道が多くてかなり時間がかかってしまった。明日香ちゃんは緑がとても綺麗だと喜んでいた。最近の若い子は電子機器がなければ退屈で仕方ないだろうと思っていたが、この子に限っては一ヶ月近くそういったものから切り離されていても楽しく過ごせるだろう。


 別荘はそこそこ大きい二階建ての建物だ。一応水道は通っているし電気は節約しながらなら一か月くらいは自家発電で賄える。生活するには不自由しない。


 玄関の扉を開けるとシェパードが出迎えてくれる。明日香ちゃんは大喜びだ。

「こんにちは! とっても賢そうな顔をしているわ。あなたはなんていう名前なの?」


 明日香ちゃんはかがんでシェパードと目を合わせながら話しかける。

「その子はコモンって名前だ。頭が良くってな、色々なことを手伝ってくれるおじさんの相棒だよ」

「コモンっていうのね、でもあんまり可愛くない気がするわ……コモちゃんって呼んでもいいかしら」

「それはコモンが決めることだ。試しに呼んでみるといい。」


 「コモちゃん」と明日香ちゃんが呼ぶとコモンはそれに応えて吠えた。どうやら認めてくれたらしい。一か月の間良い遊び相手になってくれるだろう。


「まだ明るいから少し外で遊んできたらどうだい。おじさんは夕飯の支度をしているから」

「アリスだけ遊んでいるわけにはいかないわ、手伝うわよ。外で遊ぶのも好きだけど料理をするのも楽しそうだわ」


 どうやら危ないからという理由で台所に立たせてくれたことがないらしい。確かにあまり落ち着きのない子だし危なっかしい。きちんと見ていなくては。


 明日香ちゃんも手伝うというので比較的簡単に作れるシチューを作ることにする。野菜を切るように頼むと元気よく返事をして指をまっすぐにのばした構え方で切り始めた。

「アリスちゃん。その切り方だと指を切ってしまうよ。猫の手にして切ってごらん。」

「猫の手?」


 明日香ちゃんは自分の手をまじまじと見つめてしばらく考えたが「できないわ、あのぷにぷにしたところがないし」と諦めた。

「説明が悪かったね、こうやって切るんだよ」

 指を丸めて切るのを実際にやってみせる。

「ああ、そうやって切れば良いのね。やってみるわ」


 その後はすぐにコツを飲み込めたようで初心者にしてはスムーズに切っていった。小学校でも家庭科の授業はあったと思うのだが忘れていたのだろうか。


 鍋に水を張って加熱しながらできるだけさりげなく話しかける。

「アリスちゃんはどうして本名を名乗らないんだい?」

 明日香ちゃんは少しむっとしたような顔をして答える。

「だって明日香って名前の子はたくさんいるじゃない。そんなのつまらないわ。それで別の名前を考えたの。『不思議の国のアリス』が大好きで、そこから名前を取ったのよ。でもお母様は明日香って言わないと怒るの。おじ様もなの?」


 なるほど、そんな理由だったのか。アリスのようにいたいという意識が変わった感性を形作っているのか、それとも元の性格なのか、もしくはその両方か。


「いいや、おじさんは怒ったりしないよ」

 そう答えると一気に顔が明るくなった。

「よかったわ、家だと一々注意されて嫌なのよ」


 学校の話を聞きながらシチューを作る。学校中で自分だけが知っている秘密の場所の話、雨の日に結露した窓に指でたくさん絵を描いたこと、校長先生の意向で素敵な花が咲き誇っている花壇の素晴らしさ。本人は楽しそうに話をしているがその全てが自分一人で完結する話で、友達の存在はほとんどでてこなかった。友達はいないのだろうか。クラスメイトが話題にするようなことにはあまり興味がないのかも知れない。


 シチューができあがる。


 割れるのが面倒なのでここでは木製の皿を使っている。高原で木製の器によそったシチューを食べるのはなかなか趣があって良い。

「アリスちゃんが切ってくれた野菜、とてもおいしいよ」

「ありがとうおじ様! アリスもちゃんと料理できるのね!」

 実際のところは細かく切りすぎているきらいがあったが、まずは自信を付けさせるのが良いだろう。


 普段はテレビを何となく付けて空腹を満たすためだけに味気ない食事をしているが、明日香ちゃんがいると楽しく食べることができる。


 明日香ちゃんはスプーンなどの使い方も上品で、普段のはっちゃけた感じがない。こういうところで育ちの良さを改めて実感する。



 食事が終わると勉強の時間だ。夏休みのほとんどをこちらで過ごすので学校の宿題を持ってきてもらった。あまり電気を使いたくないので暗くなってしまう前に宿題をやってもらおう。


「アリスちゃん、家から持ってきた宿題があるだろう。今日はそれをやってから寝よう」

 明日香ちゃんは拒否する。

「宿題は面白くないわ。せっかくこんな素敵なところにきたのに宿題なんてしたくない。お家の中を探検してきてもいい?」


 仕方ない。初日だし落ち着いて勉強もできないだろう。


「うん、じゃあ今日は勉強はなしだ。二階にアリスちゃんの部屋があるからそこも案内しよう。ただし、明日からはちゃんと勉強もするんだよ」


 この別荘の二階には来客用の部屋、今はアリスちゃんの部屋と私の部屋、それとかなり大きな書斎の三部屋がある。寝る場所は各々の部屋だ。書斎にはアリスちゃんが楽しめるように中学生向きの本をたくさん用意してある。ご両親からファンタジーのような話を好むと聞いていたので特にそういった本を多く揃えた。


「案内はいらないわ。アリスは自分で探検したいの!」

 そう言うような気はしていた。

「そうかい。それじゃドアノブのところに犬の飾りがぶら下がっている部屋には入らないでくれ。そこはおじさんの部屋だからね」

「わかったわ! じゃあ行ってくるわね!」

 明日香ちゃんは元気よく階段を上っていった。



 もうじき暗くなってくるだろう。そろそろ寝る支度をしようと私も階段をゆっくりと登った。


 翌日、外は雨が降っていた。

 ここは年間を通して降雨量は少なく、雨が降っていることは珍しい。

「わあ! とってもかさかさな天気ね!」

 明日香ちゃんは起きてくると開口一番そういった。


「かさかさな天気? 雨が降っているけど」

「雨が降っているとみんな傘をさすでしょ! だから傘傘な天気なのよ」

 不思議な発想だ。普段からこの調子なら普通の人は会話が難しいだろう。


「面白いとらえ方だね、すごいよ」

「本当? アリスはいつも変なことばっかり言うってお母様によく叱られるのだけど」

「まあ、確かにちょっと変かも知れないけどね」

「もう、おじ様ったら!」


 明日香ちゃんは頬をふくらませて怒る。現実にこんな感情表現をする子がいるとは驚きだ。


「今日は雨だから書斎で本を読むといい。私もそうするから」

「いいわね! おじ様のおすすめの本をアリスに教えて!」



 一ヶ月間この子と暮らす。

 聞いていた通り変わったところも多くあって不安だが、きっと一か月あれば何とかなるだろう。

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