⑨狼の襲撃 その1

兵士たちは松明を手にしていたので、洞窟の中は明るくなっていた。


シェリルはかまどの方を見た。薪が燃えている。何か見えないだろうか、何か助かるヒントになるものが。シェリルはすがるようにパチパチと音を立てる炎を見た。


──パチッ


大きく爆ぜる音がして火の粉が舞った。一瞬、炎の中に一対の目がうかび、視線があった。


──えっ……


シェリルは驚いて、もう一度目を凝らしたが、もうただの炎しか見えなかった。


「シェリル、行こう」


と腕をとられ、クロウに連行されるようにして洞窟の入り口に向かった。

シェリルは洞窟の調度品や、食料が兵士たちにちゃっかり奪われているのを見て、やはりと思いながらもがっかりしていた。略奪は彼らの習性のようなものであり、これは諦めるしかなかった。


洞窟の外に出ると、雲の間から月が顔をのぞかせているのが見えた。ぐるりとあたりを見回すと、松明と月光で、周囲の様子はある程度わかった。


弓をもった兵士たちが少し離れたところに待機している。シェリルが走って逃げだせば、放つだろうか。彼らの目が普通の人間のものなら、闇夜にまぎれて逃げ切れるかもしれない。土地勘はシェリルの方にあるはずだ。皮でできた丈夫な靴をはいているので、もしかしたら成功するかもしれない。だがもし弓兵がクロウと同じように夜目の使える者なら、弓矢の餌食になってしまうだろう。


ただクロウをはじめ、屈強な男たちに囲まれており、そもそもここから抜け出すのは絶望的だった。


シェリルがキョロキョロしている間に、クロウは兵士と会話を交わし、フード付きのマントを脱いでシェリルにかぶせた。


「じゃあ、僕は先に帰るよ。後はよろしくね」

クロウは兵士に向けてそう言った。シェリルは訝しく思いながら、クロウの方を見た。

クロウの背の方に黒いものが盛り上がったかと思うと、大きな翼になった。


──ばさっ


大きな鳥のような羽の音の正体はこれだったのか。

「お姫様、行きましょうか」

クロウが手を伸ばし、シェリルは反射的に後ろに下がった。

しかし、すばやく手首をつかまれて引き寄せられた。

「さわらないで!」

シェリルは叫んで、腕をふりほどこうとしたがびくともしなかった。

「シェリル……君は本当にかわいいね」

クロウはシェリルを体に引き寄せて、抱きかかえ、その細い首を大きな手でつかんだ。

その手に力が入り、シェリルは喘いだ。意識が落ちるぎりぎりのところでクロウは手を放し、シェリルを抱え上げた。

抱き上げられたまま大きく呼吸をしていたシェリルの目は、クロウの肩越しに洞窟の上の斜面を見た。


──おおーん……


悲しそうな、そして不吉な遠吠えが聞こえた。

気づいた兵士たちがざわついた。

斜面の上には何十匹もの狼がいて、こちらを見下ろしていたのだった。

兵士達と狼はにらみ合っていたが、やがて狼たちは一気に斜面を下ってきた。


斜面から一直線に駆け下りてくる狼はとても大きかった。

シェリルは今まで殺された狼しか見たことはなかったが、月明かりの下、遠目からみてもその狼たちは今まで見たどの個体よりも大きな体をしていた。その群れの大きさも、何十匹もいて数えきれないほどで、一般的な狼の群れの単位より、はるかに大きかった。


兵士たちの動揺も大きかった。

彼らにとっては、予想外の出来事だったに違いない。

シェリルは、一瞬いい気味だと思ってしまったが、他人を嗤える余裕は当然なかった。狼にとっては、シェリルも兵士たちも獲物に変わりはない。


──でも、人間の数も多いわ。兵士たちがエサになっている間に逃げられるかもしれない。


狼は大抵、一匹の獲物を複数で襲う。

つまり、誰かが犠牲になったり、戦っているすきに逃げることができるかもしれないのだ。


小さくて弱そうなシェリルが真っ先に狙われそうではあるが、そこは考えないようにした。

現実的な判断が不要な状況がある。

生死のかかった、絶望的な状況ではただ一縷の望みにかけるしかない。


──あんたは狼のエサになるといい!


シェリルは狼の方へ注意を逸らせたクロウの顔面狙って手拳を繰り出した。


「……っ!」


渾身の一撃は効果があったようだった。一瞬クロウの手が緩んだすきに、シェリルは体をひねって腕から抜け出した。そのまま駆け出す。


すでに、狼の先陣は兵士達に襲いかかっている。周りの兵士たちは狼への対処でシェリルどころではなかった。


すぐ脇の兵士が狼に跳びかかられて倒れ込んだ。叫び声を上げながら抵抗しているが、人間の成人男性ほどの大きさの狼が大きな口で何度も噛みついている。その牙であっという間に体はズタズタになってゆく。


「シェリル……!待てっ!」


腕をつかまれたシェリルは振り払おうと顔を向けた。一瞬クロウと視線が交わった。その焦燥を帯びた表情に、誰かの顔が重なった。


「あなた……」


【あなたのことを知っているわ】

次の瞬間、大きな狼がクロウにも襲いかかった。腕が自由になったシェリルは横から大きな衝撃を食らってそのまま宙を舞った。


ああ、狼の体当たりを食らったのか、と理解する間もなく岩場に激突した。

気を失うことはなかったが、全身を強く打ちつけたせいかすぐに体が動かなかった。


(立って、逃げなくちゃ……)


何とか体を反転させて、四つん這いになるがそれ以上は無理だった。

兵士たちは阿鼻叫喚の渦の中だ。きっとクロウもあれが最期だろう。


(私も……ここまでなの?嫌だ……!)


シェリルは両手を握りしめた。

そして目を見開いたまま硬直した。

数匹の狼が自分を取り囲んでいるのに気がついたのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女でも聖女でも、ただの娘でも。 千代乃 @38380909

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ