ホットケーキミックス

文月イツキ

胸焼けのエッセンス

「……眩しい」


 窓から朝日が直接入り込んでくるこの部屋で一人暮らしを始めてから、晴れていれば目覚ましの力を借りることなく弱い朝を乗り越えられる。

 それはそれとして、直射日光は瞼の上からでも目に悪い影響を与えるらしい。子供の頃から習慣がなく夜にカーテンを閉めないこともあって年々視力が衰えてしまっている。


「せめて、レースのカーテンでもしないとな」


 枕元に置いてある何年も前に何かの祝いに買ってもらった黒縁の角縁眼鏡を当時の謎の感性で選んだ俺に似合わない真っ赤なケースから取り出し、ベッドから零れ落ちるように這い出しながら、目脂が溜まった顔に取り付ける。

 どうせ、この後顔を洗うのにと、無駄なことだとわかっているが、これも子供の頃からの癖だ。今更、非効率だからといって簡単に抜けるものではないだろう。 


「頭痛い……」


 ベッドから抜け出せたは良いが、頭がガンガンと響くように痛む。

 定期的にやってくる偏頭痛の周期はまだのはず…………ああ……そう言えば、昨日は勤め先の送別会だったか。大して仲良くも無い同僚と飲む酒ほど、悪酒は無いだろう。

 そもそも、俺は酒自体が苦手だ。姉には子供舌だと笑われるが、味がしないか苦いだけの飲み物を嬉々として飲める方が俺には不思議で仕方ない。

 如何せん下戸ではないから、酔いつぶれることもなく、好きでもない連中の下らない話を肴に、まずい酒を味わうことになり、貴重な休日の朝に響く鈍痛を引き連れなくてはならない。


 洗面所に行き、眼鏡を外して顔を洗い、口を濯ぎながら、痛む頭を動かしなが朝食について考える。

 母は俺と同じく朝が弱い、そんな母が朝早くに起きて飯など作ったことなど一度もなく、朝は食パンをトースト、ないし丸かじりにしてたため、昼や夜ほど朝食に頓着がない。

 ただ、こうも二日酔いが酷いと、少しでも胃に優しいものを……というこだわり、というか欲求みたいなものが生まれる。


「茶漬けが食いたい、けどな……」


 昨日は飲み会、晩飯の用意などしているはずもなく、残った冷ご飯なんてない。今から炊飯器で飯を炊いてたら、空腹と頭痛で死んでしまう。


「そういや、乳製品はアルコールの分解を手助けするとかなんとか、テレビで言ってたような、あと卵も良いんだっけ?」


 後から知ったけど、チーズなんかが効くのは飲んでる最中で、卵は生卵じゃなければ駄目らしい。

 そんなこと知るわけのない俺は、折角の日曜日だし、と凝った朝食を作ろうと思い立った。

 

 とりあえず冷蔵庫の中を確認、卵、丁度二つ、牛乳、一本新品のがある。それに、調味料として優秀なマヨネーズ、結構減ってるな……昼にでも買い足すか。あと、好物のとろけるチーズ(徳用でいっぱい入ってる奴)お、ベーコンあるやんけ、贅沢に二枚使ったろ。

 うん、これだけあれば、求めているものが作れる。


「朝はパン、パンパパン~~♪」


 パンの懐かしいCMソングを口ずさみながら、戸棚のパンケースから食パンを取り出す――。


「あれ……Oh……! ワッツ マイ ロイヤルブレッド!」

 

 『どこ』はウェアーだと万年英語が2の自分が気づくはずもなく、ただ自分しかいない部屋でアホみたいなテンションで騒いでた。


「くそっ……! 折角ふわふわおかずフレンチトーストを作ろうと思ってたのに! 待ってろよ、ローソン!」


 もうとっくに頭痛とかどうでもよくなっていて美味いものを食べたい欲の方が強くなっていた俺は、アパートから程近いところにあるファミリマートに駆け込んだ……多分会社から近いからよく使うのがローソンだったんだと思う。

 意気揚々と程よく食パンが収まるサイズのエコバッグとポンタ、そして小銭入れを持って寝巻きのジャージ姿で出てきてしまった。

 心なしかポンタ君の目に哀愁が漂っている気がする。


「まじか、ロイヤルブレッドないやん……」

 

 パンコーナーにて俺は愕然とした。お気に入りのブランドの食パンがない、他の食パンでもいいかもしれない、と誘惑に駆られるが、俺はアイツ以外の食パンなんて……!

 諦めるしかない……のか、ふわふわのフレンチトーストを、折角の休日の朝食をただフライパンで焼いただけのベーコンエッグでいいのか!?

 朝食計画が夢半ばに散って超ショック、とか下らない親父ギャグを思いつきながら、魂の抜けた状態で俺はファミマを探索する。


 仕方ない、からあげくんでも買って帰るか……いや炭火焼き鳥でもいいな。

 改めて言うがここはファミリーマートである。

 そんな感じでふらふらしていると、ある一点に、俺の視線は釘付けになった。目と目が逢うーー♪ と悲しいリズムの音楽が脳裏を過るほどにそれは運命的で、気がついたら俺は購入した商品が入ったバッグを提げてコンビにの外に出ていた。

 

 中にはファミチキとホットケーキミックスが入っていた。



「ふふ……異常事態が起き計画に修正が加わったが、当初の目的である美味い朝食であることに依然変わりない」


 当初の目的は頭痛改善のはずだが、そんなことは憶えてない。俺は一人暮らしの特権を生かした、人には見られたくないような台詞を台所に立ちながら呟いた。

 調理台には卵が二個、ベーコン、牛乳、チーズ、残念ながらマヨネーズは解雇され、ホットケーキミックス、プチトマトという新人が加わっていた。

 三つ入っている白い粉の袋のうち一つを開け、ほんの僅かな量だけボウルに投入し、粉に白い液体を大体しゃばしゃばになるくらいぶち込んで菜箸で掻き混ぜる。

 ベーコンとトマトを食べやすい大きさに切り、いよいよ本番だ。

 温めたフライパンにやたら高い位置からオリーブオイルを入れ、キッチンペーパーで拭き広げる。やたら高い位置からオリーブオイルを入れる必要は特に無い。

 ホットケーキミックスと牛乳を混ぜた生地をおたまでフライパンに流し入れ、薄ーく引き伸ばしクレープっぽくする。そしてそこに中心から少し離れた場所にベーコン、チーズでを作る。

 そ・こ・に、卵を一つを割り入れ、蓋をして蒸し焼きにする。


「いつだって~DRIVE A LIVE♪」


 iPodで好きな音楽を流し口ずさんで使った道具を片しながら焼けるのを待つ。丁度一曲終わったタイミングで蓋を開けると、丁度いい具合に生地が薄茶色になっている。

 生地の四隅を折り畳み、卵のキミが真ん中から「コンニチハ」していて可愛らしい。

 そして粗挽き塩コショウを振り掛けて切ったプチトマトを添えて、ホットケーキミックスガレットの完・成! 

 本当はバジルとかレタスとか青物のイタリアンっぽい野菜が欲しいとことだけど、無いものは仕方ない。

 丁度いいフライパンが一つしかないのと、俺のポテンシャルでは同時作業は出来ないので、余った生地でもう一枚作る。

 もう一枚焼き上がる前に、出来上がってる方を食べ始める。

 一応調理途中なので立ち食いになってしまう。ガレットはフォークとナイフを使って食べるものだが片手が皿で塞がってるし、フォーク一本でケーキを食べるように食うことにした。作法を重んじる場でもない、ましてや、作ったのは自分なのだからどんな食い方でも文句を言われる筋合いは無い。


「我ながら美味い、やっぱ俺、センスあるぅ~~」


 自画自賛しながらも、トロッとした半熟卵とかりっとした生地の絶妙なマッチングに舌鼓を打ち、ベーコンとチーズの程よい塩味が手伝ってぺロリと食べきってしまう。

 ふわふわのパンもいいが、こういうのも悪くない。

 だが、しまった、割と一枚で結構満足感がある。もう一枚焼いてしまったが、箸が進まない……フォークだけど。

 仕方ない、昼食もこれだな。美味いけど、朝昼と同じものというのは少し寂しい。


「まあいいか、それよりも、これどうすっかな」


 開封したはいいが、中途半端に残ったホットケーキミックス。


「よし! やることも他にないし、久しぶりにお菓子でも作りますか」


 数少ない俺の趣味、少ない友人や家族からも女々しい、などと言われるが知ったこっちゃない、甘い物をよりリーズナブルに嗜む最適解がこれなんだから。

 そして、ホットケーキミックスというのは、お菓子作りにおいて心強い味方だ。安く、そして、必要なものが完璧な分量で混ぜ合わされているからホットケーキ以外の多くのお菓子に使える。しかも、湿気に強いからふるいにかける必要もない。


「さて、何を作るかなー」 


 とは言え、ホットケーキミックス一個で魔法のようになんでもとは行かない、重要なのは他の材料と組み合わせること、とはいえ、卵と牛乳、あとマーガリンなんかもあれば盤石。

 冷蔵庫はさっき確認したので、常温保管ができる食材を入れてる戸棚を開く、上白糖は常に二袋はあるし、蜂蜜もある、あとは――ん?


「おいおいおいおい……どんだけホットケーキミックス好きなんだよ俺」


 戸棚の奥からホットケーキミックスのパッケージ袋が二つ、どちらも開いていて、中の小分けされている袋がそれぞれ二袋ずつ入っている。


「そういえば、前もおんなじ事やらかしてたな……」


 ちゃんとあるモノと無いモノを把握せずに好きな食材を買ってしまうせいで、度々発生する、中途半端な開封済み食材たち。


「しかたねぇ、時間は腐るほどある――まとめて相手してやるよ」


 少年漫画の主人公かホストクラブの稼ぎ頭しか言わなそうな台詞を大量のホットケーキミックスを前に一人で言う姿は、誰にも見せられないほど酷い絵面だろう。

 それはそうとして、ホントに何つくろ、やっぱり焼き菓子かな。

 ふと、昨日の宴会で誰かが言っていたどうでもいいと思っていたことを思い出した。


『ああ、そうだ明日何の日か知ってます? なんだ知らないの! キミ彼女とか作らなそうだしねぇ、え? 結局何の日なのか? だって、キミには関係ないだろうけどね、明日は……ホワイトデーなんだよ』


 今思い出してもくそうぜぇ先輩だった。

 というか、そうか今日はホワイトデーか、初めて誰かのために菓子を作ったことを思い出す。


「そうだ、マフィンにしよう。カップあるはずやし」


 それは、俺が高校生の頃、女友達に貰ったチョコレートのお返しだった。


 その子は俺の好みをわかってくれていた、甘ったるいモノが好きで、それを引き立たせるほど良い苦味も好きなことを。だから彼女はココアクッキーと抹茶クッキーを『友チョコのあまり』と言って二人肩並べ歩いた帰り道に手渡してくれたのだ。

 ココアクッキーは所々焦げていて、抹茶クッキーは咽るほど抹茶パウダーがかけられていて、お世辞にも出来がいいとはいえない代物だった。


 当時は半分照れ隠し半分本気で、彼女の手作りチョコを美味くないとディスり、俺の方が美味く作れると、チョコチップ入りとプレーンの二種類のマフィンを作って手渡したのだったか。

 マフィンのカップを探していると、チョコチップと純ココアを発見してしまった。仕方ない、今回も二種類のマフィンを作ろう。


「くそつまんねぇと思ってた高校も、アイツといた時は案外楽しかったかもな」


 出会いは味気ないものだった。

 いや、出会いというのも変な話だ、初めはただのクラスメイトだったのだから。

 仲良くなったのは、文化祭と体育祭が同時に開かれる学園祭、ウチの学年はクラスごとの演劇で、どういう経緯だったか、壁を背に拗ねている女の子を見つけたのだった。

 自分は思い通りにいかない脚本を書かされて、ストレスを大量に抱えながら、他のクラスメイトが体育祭のほうの準備で教室を出ていった教室でため息を吐いていた。二人きりになった教室で、どちらも下らない学祭に辟易していることを感じ取り、何がきっかけだったかは憶えていないが堰を切ったように文句を言い合った。

 彼女は確か、背景の色彩が気に入らなかったのだっけ、僕は役者気取りの馬鹿どものご機嫌取りで日に日に合成獣キメラなっていく脚本に文句をぶちまけた。

 そこから、どこかシンパシーを感じた俺と彼女は、共だって行動することが多くなった。

 行事に消極的なところ、興味を持つもの、友達が少ないところ、猫が好きなところ、意固地なところ、似たところが多くて、すぐに何でも話せる気兼ねない仲になっていた。

 女子にしては背が高く、俺と同じか若干高いほどで、小さい女の子が好みだった俺はただ一緒にいると気が楽な友人程度に思っていた――はずだった。


 ソレを自覚したのは修学旅行、自由行動で一緒に見知らぬ街をぶらついた日の夜、たった一行のメールが俺の胸を焼いた。


『アンタ好きな子おるん?』


 その時の俺は、臆病風に吹かれ、いつも通りを装って、おどけた風にはぐらかした。

 関係が変わること、今までなんとなくで楽しかったことが、意識してしまうのが怖かった。


 遅すぎる初恋の自覚だった。


 結局、卒業するまで宙ぶらりんの友達以上恋人未満の踏み込めない関係が続いた。


「胸焼けが酷い、マフィンなんか作るんじゃなかった」


 二日酔いなどとっくに覚めていて、甘い物などまだ口にしてもいないっていうのに、思い出した苦々しくも甘ったるい記憶に胃が溶けそうだった。

 きっと俺はあの日々のことを、忘れることはないだろう。


「誰だよ、初恋は実らないなんて言った奴は……」


 気が付けば、俺はカップに入れたマフィン生地をオーブンに入れていた。ホットケーキミックスはまだ残ってる。


「さすがに全部マフィンにするのは、もったいないしな、たまには素直にホットケーキでも作るかな」


 使うのはやはり、牛乳と卵、どんなに他の材料を加えても、変わらない組み合わせ。

 定番で冒険のない味、嫌いじゃない。まるで、あの日々の象徴だ。いつもの取り合わせ、定番中の定番、そして、少し甘ったるい。


――ピンポーン


 玄関の外からチャイムが押される。

 甘い匂いに誘われた、定番がやってくる。


「開いてるぞ、勝手に上がってこい」


 玄関の方には目もくれず、俺は生地を混ぜる。

 今日みたいな日にウチに来る奴なんて一人しかいない。


「よ、転職おめでと。餞別、持ってきてやったぞ」


 レジ袋一杯の甘い缶チューハイと、チーズやら燻製のつまみを両手に引っ提げて、ソイツは上がり込んで来た。


「なに作ってるん? お、マフィンやん」

「お前のチョコより万倍うまい、な」


 顔を上げて作業を一時中断する。


「お前な……初めてウチがチョコあげた時からずっと言ってくるやん」

「言われたくなかったら、少しくらいマシになれ、もう少ししたら焼き立てをくれてやるよ」


 結局、俺たちは大人になっても変わらなかった。どちらも、意固地で自分を曲げないから、材料の変わらないホットケーキのような胸焼けのする関係が変わることはなかった。


「むしろ、まだ焼けてへんかったんかよ。それ期待して朝飯食わんと来たんやけど」

「アホやろ、冷蔵庫にガレットはいってるからソレでも食っとけ」

「ん、ついでに酒も入れとくわ」


 半熟卵は少し冷やしても美味い、そもそも、そんなに作ってから時間が経っているわけでもないから、味が落ちていようもない。


「やっぱ、お前料理上手いな」

「休日の朝昼晩、全部俺に作らせるお前よりはな」


 彼女はどこに何があるか熟知した動きでナイフとフォーク、普段使ってるマグカップを取り出し、食卓の方で少し遅めの朝食を取り始める。


「春から在宅なんだっけ?」

「在宅って言っていいんかわからんが、家で全部済ませる仕事。しかも、今までより給料がいい。やっぱり俺に人付き合いは向いてないみたいだ。それに、一々、土日家にいるか連絡を受け取るのも面倒だと思ってたからな」


 今みたいな、胸焼けする定番の味も悪くない、好きだから胸焼けしても止めないんだから。


 ――けど、いつまでも同じ味というのも面白くないから、転職を期に、新しいエッセンスを加えようと思ったんだ。


「あのさ、今の職場辞めたら言おうと思ってたことがあるんだ」


 それは、大人になった俺だから、少しくらいなら酒が飲めるようになった俺だから、アクセントにラム酒を降るように。


「……一緒に暮らさないか?」


 むせ返りそうになりながらも、彼女に目を合わせて、俺は定番を壊した。

 メールじゃない、遠回しな贈り物でもない、真っ直ぐな言葉で、伝えてやった。


「馬鹿……」


 その言葉に一瞬目を瞑る。

 失敗したか?

 恐る恐る目を開けて見ると、そこにいたのは――。


「ウチが前、修学旅行ん時にメールしたときは逃げたヘタレの癖に、雰囲気も無い朝飯んときの素面で面と向かって告白とか、カッコつけやがって」


 柄にもなく頬を赤らめ、恥ずかしそうな表情を隠す彼女だった。 

 こんな表情を見せたのは、昔、俺がなけなしの勇気を振り絞って流行りの恋愛映画に誘ったときくらいかな。


「……ふ、不束者ですが、よろしく、お願いします」


 思わずかしこまってしまった彼女が、可愛らしくて、おかしくて、思わず吹き出してしまった。


「笑うな、馬鹿……」


 いじけながらガレットを頬張る彼女を見て微笑みが浮かんでくる。

 

「じゃあ、今日は転職祝いと同棲祝いで、ご馳走でも作るかね」

「冷蔵庫空っぽやったぞ」

「んじゃ買い出し行こうや。退職金で財布は潤ってる。そうだな……ホットケーキミックスでも、買い足して、でっかいホットケーキ作ろうぜ」

「甘党め」


 俺たちのホワイトデーには変わらない二人の甘ったるい、スイーツのように心地の良い火傷が刻み込まれたんだ。

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