第14話 彼女の抱いた感情は

 言った瞬間、サラマンダーが床を埋め尽くした。体を炎に包んだ小さなドラゴンが教室の床どころか、壁や天井にまでを埋め尽くした。

 熱い――熱い熱い!

 このままだと焼か――れる?

 焼かれる、か。

 俺はこの状況で、答えに迫りつつあった。

 彼女の気持ちは『怒り』でも『愛』あるが、『燃やしたい』わけでもなかった。

 『焼く』だ。これは焼くための炎だ。

 しかし、俺の思考はここで止まる。炎が迫ってくるのだ。昨日は若月という盾があったのだが、今日は俺一人。なんとしてもこの場から脱しなければ――

 ――――――!

 爆風が吹いた。風が吹けば炎は燃え盛るものだが、爆風は大量のサラマンダーを一気に吹き飛ばした。そして風がやむと、緑色の髪がふわりと垂れ下がってきた。

「なかなか頑張ったじゃない。点数にして四十五点と言ったところかしら」

 気付くと目の前に、緑の髪が広がっていた。熱さはもうない。

 助けられた――?

「セ、セリーヌさん……」

「あら、坊や。無事みたいね」

「どうして……? 俺を救う義理はないんじゃ」

「義理はなくても義務はあるのよ、残念ながら」

 セリーヌさんは駆け出して、手に持っていた槍で教室を埋め尽くすサラマンダーの大群を薙いだ。そのとき、俺はもう一つの人影を確認した。若月だ。どうやらあの爆風のタイミングで一緒にやってきたらしい。彼は彼で赤い札を用意し、三留に何かをしていた。この角度からだと具体的な行動は分からない。

 数分後、教室の床にはサラマンダーの残骸がごろごろと転がっていた。そして、教室の奥に設置されたロッカーの上に、三留が横になっていた。眠っているようだ。

 セリーヌさんは槍を背中のケースにしまうと、俺の正面に立った。吊り上がった目は俺を睨んでいるのではなく、真剣な目だった。

「あ――ありがとうございます」

 一言目はそれだった。あんな別れ方をしていて、こんな再会は普通あり得ないだろうから、とりあえず窮地を救ってくれたことへの感謝の弁を述べた。しかし彼女の表情は変わらない。あのときの怒りがあまり感じられない。『残念ながら』と言っていたからあまり積極的な救済ではなかったのだろう。だから、次の話題に移ることにした。

「サラマンダーは三留千夢――という答えが出ました。結果的には導いたわけじゃなくて、偶然辿り着いたんですけど」

「運も実力のうちよ。まあまあの出来ね」

 静かになったこの状況でようやく言葉を返してくれた。声に怒りは感じない。俺は三留を看ている若月にセリーヌさんの心情について一言くらいもらいたかったが、彼はこちらに気付いてくれなかった。

「あなたが出した答え、微妙に間違っているわ」

「……でしょうね。ほとんど勘みたいなところがありますから」

「いい勘とは言ってあげる。『燃やす』じゃなくて『焼く』ってところは正解なの。でも、それだけじゃあ部分点しかあげられないわ」

「俺、自分の考えとか言いましたっけ。もしかしてマーメイドの力?」

「マーメイドにそんな力ないわ。人の考えくらい目を見れば分かるわ」

 そういう彼女は、今も俺の目をじっと見ている。

 髪と同じ色の瞳で、じっと。

「部分点ってことは、足りないんですよね」

「そう、足りない」

「何をつけ足せば――」

「考えなさい。あそこまでは正解ってヒントを与えているんだから、もうちょっと頑張りなさい」

 『焼く』という考えは合っている。そこから何が足りない?

 焼く。焼く焼く。焼く焼く焼く。焼く焼く焼くやく。やくやくやくやくやく。焼く。厄。役。薬。躍。益。訳。やく。やく。――妬く?

「嫉妬……やきもちを妬く?」

『焼く』ではなく『妬く』。

 燃えるような嫉妬。

 そこで俺は思い出す。三留千夢が毎日俺にプレゼントをくれること。俺のファンであること。俺は桐生陽菜に片想いをしていること。一度フラれても友人といて毎日顔を合わせていること。

 そして思い直す。あいつは『ライク』ではなく『ラブ』の感情を抱いていたのではないかと。ファンではなく片想いなのではないかと。

 ロッカーに横たわる少女は何も答えてくれないから、あくまでも想像の域を出ないが、これ以上に自信のある仮説は出てこない。

「正解」

 と、セリーヌさんは言った。

「百パーセントの事実はあの子しか知らないけれど、退治する私にとってはそれだけ分かれば十分」

「退治するんですか?」

「あなたみたいに無害認定がもらえると思ったの?」

 期待していなかったと言えば、嘘になる。こうして被害が出ていない以上、そういう平和的解決もあるかと思っていた。俺のように情状酌量もあるかと願っていた。

「あなたのときは陽菜や市井しせいの人々に被害を与えなかったこと、私たちとの戦いで反撃しなかったことが考慮されて、無害認定がなんとかもらえたけれど、今回は違う。あの子はあなたに妬いて、あなたを焼こうとした」

「過失じゃなくて故意だった、ってことですか」

「そういうこと。情状酌量なんてできないわ」

 だから通常通り、退治するわ。

 ――とセリーヌさんは言った。

 退治って、何をする? さっきの槍で彼女の体を突き刺すのか? そんなことをしたら、ドラゴンじゃあるまいし、彼女は死んでしまう!

「セリーヌさん」

「何かしら」

「三留を殺す気じゃないですよね」

 俺は顔色を窺いながら尋ねた。しかし、その目は何も変わらない。殺意も敵意も感じない。俺の質問に驚く様子もない。手も槍の柄に伸びたりしない。魔法陣を出したりもしない。直立不動で俺を見るだけ。

あなたに教える義理はない――なんてまた言われるんじゃないか。まだ俺は信用されていないのかもしれない。俺はちゃんと真実までたどり着いた。途中専門家のヒントをもらいながらも、ちゃんと最後までやり切った。それでも怪異を軽んじていると言われるのだろうか。

そこまで考えたけれど、彼女の回答は全然違っていた。

「彼女を救えるのはあなただけよ」

「……え?」

「怪異が絡んだから私たちも出張ることになったけれど、本来ならあなたとあの子の問題だもの。だったら解決できるのはあなたとあの子でしょう」

「でも……」

「あなたのときを考えてみなさい。結局は陽菜があなたを『見た』ことによってドラゴンの脅威は去ったでしょう。それと同じ。今度はあなたが彼女の気持ちに応えてやればいいの」

 彼女の気持ち、嫉妬に応える。嫉妬がない状態にすればいいと考えれば分かりやすい。つまり、俺も好きだと言ったり、恋愛的な交際をスタートすれば、両想いになったと思って嫉妬は消える。

「むにゃむにゃ……ここはどこ?」

 ロッカーの上の少女が目を覚ました。ツインテールが崩れていて、セーラー服のスカーフが解かれていた。若月が押さえたときにそうなってしまったのか。だが、彼女はそれを気にする様子はなく、今の状況を寝起きの頭で必死に理解しようとしていた。

 一通り見渡すと、ロッカーから降りて俺を見つけた。

「三留」

「や、やほお一斗。もしかして寝顔見られちゃったあ? えへへ、ちょっと恥ずかしいなあ」

「三留、あのな……」

「――ごめんなさい」

 三留はぐしゃぐしゃ髪の毛を直すことなく、俺に頭を下げた。

「トカゲ生み出したの、あたしなの。ちょっと構ってほしかっただけだったんだけど、すごく行き過ぎちゃった。家燃やしたり、一斗を焼こうとしたのは本当にやり過ぎた。でも、傷つける気も殺す気もなかった。なんか風助くんとかも巻き込んじゃって、本当にごめんなさい。もう、やらないから。絶対もうやらないから。もう近づかないから。許さなくていいから」

 あたしを焼かないで下さい。

 と、三留はお願いした。あのムカつくしゃべり方を封印して、俺に初めて頭を下げて、心からお願いした。

 焼くってどうやるんだよ。そんなツッコミが頭に浮かんだが、声にはしなかった。その代わり。

「三留」

 と名前を呼んだ。そして、俺がフラれたときに陽菜がやってくれたみたいに抱きしめた。

 しくじったから、慰めて。バックハグじゃないけど、あのときされたのを思い出して、抱きしめた。

「事情はだいたい予想がついているんだ。お前は確かにやり過ぎたし、正しい行為とはいえないけれど、そのおかげで俺はお前の気持ちをちょっとは気付いてやれたんだ。ここまでやられないと気付けない俺も悪い」

「でもこれは――」

「俺とお前の間で起こった事件だ。ちゃんと俺とお前で解決しないといけない」

 体を離して、顔を見た。泣き顔だった。悲しいのか、悔しいのか、もしくは嬉しいのか、俺には分からない。あの女みたいに目を見れば気持ちが分かるなんて、俺にはそんなことできない。

「分かった」

 三留の声を聞いて、俺は俺たちを見ていたセリーヌさんと若月に視線を送った。

 ――ちょっと席を外してくれ。この件をちゃんと終わらせるから。

 ――分かったわ。

 若月は頷いた。

 二人は揃って教室を出て行った。

 俺たちの事件を、完結させよう。

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