第12話 炎という感情とはⅡ

「炎と言われたら、僕は愛を思い浮かべるね」

 昼休み、俺は昨日に引き続き、図書館へ足を運んだ。カウンターにはやっぱり束ねられた真っ白な長髪が座っていた。司書らしく読書の最中だったけれど、この人にも尋ねてみた。俺の頼る大人はこんな回答をしたのである。

「真っ赤に燃える情熱的な愛情は、どんな気持ちにも負けないよ」

「俺には、分かりかねるな」

「君はまだ子供だからね」

「子ども扱いするなよ」

「大人ではないだろう」

「……まあ」

「君は恋をしているようだけど、恋と愛は違うよ」

「どう違うんだよ」

「分からない」

「は?」

「でも明らかに違うことは分かる。大人になれば、分かるよ」

 海凪先生は片手に持った本を、しおりを挟んでようやく置いた。読書に飽きたのかと思ったけれど、カウンターの奥にあるマグカップを二つ、手に取った。

「飲むかい?」

「飲まねえよ。あんたと俺は生徒と先生だろ」

「堅いこと言うなんて君らしくないよ。飲んで行きなよ。どうせ誰も来ないし、いつも来てくれるお礼さ」

 先生はその細い体を立ち上がらせ、二杯の飲み物を用意した。コーヒーだった。生徒にコーヒーを提供する先生は彼ぐらいしかいないだろう。というか、絶対いない。ここに通い始めてからコーヒーを出されたのは初めてだ。

 先生はカップをカウンターに置くと、自分のに口を付けた。コーヒーの香りが鼻に伝わってきた。

「うん、美味しい――で、南雲。昨日言っていた厄介ごと、何かあったんじゃない?」

「は?」

「そんなことでもないと、二日連続でここに来たりしないだろう」

「……まあ、そうだな」

「さっきの質問だって、それ関連なのかな」

「察しがいいな」

「詳しくは聞かない。多分、教えてくれるような事案じゃないんだろう。君が必要だと思ったときに、僕は助言するよ。大人として」

「じゃあ、もう一つだけ聞きたいことがある」

「何でもどうぞ」

「先生は今、燃えるほどの愛を注ぐ人はいる?」

 先生は大人の色気溢れる唇に再びマグカップの縁をつけた。そして、コーヒーが通っていく首は、ごつごつし過ぎず、体に合った太さの首は男でもみとれるセクシーさだ。

 先生は言う。

「いるよ」

「どんな人?」

「どんな人かは言えないけれど、女で美しいってことだけは確かだよ」

「なんで好きなの?」

「理由はない。ただ本能的に守りたいって思う、それが愛なんじゃないかな」

 守りたい――か。

 俺がこの怪異の話を陽菜にしないのは、守りたいからなのかな。そうだとしたら、俺のこの気持ちは恋じゃなくて愛なのかな。俺はまだ大人じゃないから、違いなんて全然分からない。恋を愛だって勘違いするし、混同して考える。そんなことをしなくなったとき、俺は大人になれるのだろうか。

「ところで、南雲。僕からも聞きたいことがあるんだけど」

「何だよ?」

「君にとって、炎と言えば何?」

 俺がした質問が、丸々返ってきた。まさか質問される側になるとは思っていなかったから、俺は少しだけ戸惑った。が、頑張って考えてみた。

 炎――炎。

 陽菜は怒りで、海凪先生は愛――俺は。

「特にないな。燃えるような感情を経験したことは、俺にはない」

「ふうん」

 俺の答えに、先生はそれだけしか反応しなかった。

 自分で言って、俺は結構乾いているな、と自覚した。恋をして、友達を得て、片恋を続けているけれど、それはあの事件があったから起こった人間関係の変化であって、それ以前は同年代の人間関係を築いてこなかった。だから多分、他の人より感情が薄い。強く願ったり、祈ったり、共感したり、反発したり……そういうことが少しもなかった。

 だからこそ、俺は理解しかねているのだ。炎の怪異を生み出すほどの感情がどんなものが知らないから、こうも悩んでいるのだ。

 だからこそ、この怪異がどこから来たのか、見当さえつかないのだ。

「きっといつか分かるよ」

 と、人生の先輩は言った。

「君は今、恋をしているんだから。恋と愛は別物だけれど、通ずるところがあるからね。それに、燃えるような感情は愛とは限らない。でもきっと、恋が愛に変わったら、君もいつか激しく燃える心に動かされることになるよ。僕のように、ね」

 赤い瞳が細くなったとき、ちょうどチャイムが鳴った。それは会話の終了であり、午後の授業の開始でもあった。俺は結局、海凪先生の言葉の意味を問うことはできなかったけれど、それは自分で考えるべきだ。

 俺はお礼だけ言って、図書館を出る。

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