第10.5話 彼女らも動き出す

「大丈夫なんですか? 彼は確かに怪異事件の体験者ですけど、一般人ですよ」

 南雲一斗が学校へ向かっている一方で、若月風助は和服に身を包み、怪異の専門家のアジトにいた。

 彼と対峙している美しい緑色の髪を美女、セリーヌ・クーヴレールは、場所に似つかわしくない深い青色のソファに身を預け、悠々とコーヒーを嗜んでいた。

「朝のコーヒーは、最高ね」

「こんなことさせていたら、怪異管理局に怒られますよ! せっかくもらった保護観察がなくなっちゃうかもしれませんよ!」

「うるさいわね。もうちょっと静かにしなさいよ。コーヒーがまずくなるでしょ」

「セリーヌさん! コーヒーなんて飲んでる場合じゃないですよ! 俺たちが揃って処分対象なんて、嫌ですよ!」

 と、アジト全体に響くよう風助は叫んだ。

 しかし、セリーヌは表情すら変えない。

「若月も飲みなさい。紅茶の方がいいかしら」

「セリーヌさん!」

「……もう、何をカリカリしてるのよ」

「だから! 一般人に怪異の調査をさせたってなったら、怪異管理局からお叱りを受けることになりますよ!」

 若月の言葉に、セリーヌはようやく反応した。コーヒーのカップをテーブルに置き、傷一つない白い二本の足で地面に立った。緑色の髪がなびいている。アジトとしている廃工場の割れた窓から、朝の涼しい風が二人のいる空間に流れている。

 セリーヌの立ち姿は、モデルのようだという言葉でも足りないくらい、誰かを魅了できるものだった。強調し過ぎない胸。ちょうどよく絞られた腰。引き締まったお尻。すっと伸びた二本の脚。そして、それらに劣らない整い過ぎた顔には髪と同じ色の瞳が二つ、きりっと輝いている。少々吊り上がった目は、怖い印象を抱く可能性を秘めているが、それさえも美しさに加算できるほど、他のパーツが揃っている。

 しかし彼女は若い女性ではない。人間のように《・・・・・・》考えると、彼女は五百歳の高齢者を二乗した高齢者である。それだけ年を重ねているにも関わらず、皺ひとつ作らず、それ以前に死んでいないのは、遠い昔に起こった偶発的で奇怪な出来事に由来するものだった。それを披露するのはまた今度の機会にしようと思うが、少しだけ。

 セリーヌ・クーヴレールは、マーメイドの怪異である。美しい声で船乗りたちを惑わせるという話があるけれど、彼女の能力はそれではない。マーメイドに関する話で有名なものはもう一つある。肉を食うと不老不死の体を手に入れられる、というものである。セリーヌは後者の話を経験して、不死身の体を手に入れた。強力な回復力による不死身性を手に入れた。

 昔の話はしないけれど、今の話はする。彼女は今、怪異管理局という組織に所属し、怪異討伐師として悪性怪異との戦いに身を投じている。強力な回復力により傷一つないけれど、彼女はれっきとした百戦錬磨――五百戦練磨の女戦士である。

 数々の死線をくぐり抜けてきた彼女は、誰よりも経験値が高い。

 そんな彼女は、何十分の一しか生きていない後輩に、言う。

「私にはどんなお叱りも効かないわ」

「セリーヌはそうでしょうけど、俺はどうなるんです?」

「あなたが死んだら生き返らせてあげる」

「……できるんですか?」

「知らないけど」

「おい」

「――あの子なら大丈夫よ」

 不死身の美しきマーメイドは、真っ直ぐと見つめて言った。

「根拠でもあるんですか? あの男はただの――」

「ただの一般人ではない。ドラゴンになった」

「でも……」

「彼は私と似ているもの。ちゃんと乗り越えれば、きっと向き合える。自分をどう生かすかを見つけられるわ」

 そう言うと、セリーヌは床に置かれた道具たちの中から数枚の魔法陣を用意した。

「それに、彼に丸投げするなんて言ってないわよ。私たちは私たちの仕事をしましょう」

 人間を守るという仕事を。

 セリーヌと風助の目は、きりっと引き締まった。

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