第10話 たった一人で俺は始める

 俺は追い出されるようにアジトを出た。

 アジトを出る前、セリーヌさんは若月に言った――こいつに協力することは私が許さない。こいつを救う義理は、あんたにだってないから。若月はそれに対して、了解の意志を示した。つまり、俺が今の危機的状況から抜け出すには、俺自身がこの事件を解決するしかない。

 あの女が言ったこと、反論はない。怪異を軽蔑しているのとは少し違うかもしれないけれど、怪異という存在を面倒くさいなんて理由で遠ざけるのは、怪異を真正面から見ていない証拠だ。

 完全に俺のせいだ。

 俺が悪い。

 あの女が言ったことは、正しい。そして俺がああ思われるのも、当然だ。だから彼女が下した決断を、俺は受け入れた。

 救われないし、手助けもされない。

 俺はたった一人で、サラマンダーの件を解決する。

「一斗、今日も怖い顔しているね」

 俺の隣を歩く三留が顔を覗いてきた。

 そこでようやく我に返る。あれから一晩が過ぎ、サラマンダーで出遭ってから三日目の朝を迎えて、今は登校中だった。時刻は七時三十分。いつもより早めの登校だった。隣を歩くのは、今日も三留。また家の前で待ち伏せていた。

「もしかして、今日は桐生さんのお仕事を手伝うの?」

「いや……そういうことはない」

 いつもより早い登校の理由は、早く起きてしまったからだ。昨晩はいろいろあって眠りが浅かったらしい。体は昨日以上に重い。疲れか、それとも――

「もう、また怖い顔になってるよ!」

「うるせえ。お前はさっさと学校行け」

「ひどいなあ。今日だって桐生さん、もう学校だよ。昨日、準備が終わらなかったんだって」

「ふうん」

「あの子も案外普通だよね。真面目ちゃんだと思っていたけれど、優秀なわけじゃないもの。その分私は……」

 三留はまた、俺の顔を覗き込む。そして、いつもと変わらず、包みを差し出した。

「元気出して! これ、結構美味しく焼けたんだ。昨日のはちょっと失敗しちゃったから、今度は生地を厚めに作ってみたんだよ!」

 昨日……そんなの、もらったか? 記憶にない。

 まあ、話を合わせておくか。

「そうなんだ」

「また作ってこようと思うんだけどお、何がいいかなあ。クッキー? ガトーショコラ? ティラミス? 菓子パン? ドーナツ? もしかして、バリエーションに飽きちゃった? それならあ、新しいのに挑戦かなあ。難しいけど、ケーキとか焼いてみようかなあ」

 なんでもいい。そもそも俺は、甘いのが苦手だ。一昨日もらった菓子折りだって、俺は手を付けていない。彼女がくれたお菓子だって、四日分くらいため込んでいる。俺はこいつからのプレゼントを楽しんだりしていない。

「頑張れよ」

「きゃーっ! 一斗が励ましてくれた!」

 こいつはいいなあ。俺みたいに悩むことは、きっとないんだろうな。

 悩み、か。『怪異には存在する理由がある』とセリーヌさんは言っていたけれど、悩みも理由になるだろうか。俺のときは、『見てほしい』『気付いてほしい』という強い気持ちでドラゴンになった。

 ――俺のときは?

「そうだ!」

「え、何? ケーキがいいの?」

 俺は専門家ではないけれど、アドバンテージはあるじゃないか。たった一人でやらなければならないなら、俺にある力を活かすしかない。幸い今の俺には、活かせる力がある。あの苦い経験を乗り越えた今、俺には――分かる。

 怪異になるほどの気持ちなら。

「なあ、三留」

「なになになにい? あたしに何か聞きたいのお?」

「お前って、悩みとかあるの?」

「悩みい? うーん……あ! 最近の悩みは、お菓子作りが上手くいかないことかなあ。焼き過ぎて焦がしちゃったりするんだよねえ」

 焼き過ぎ――炎。

サラマンダーの炎。

いや、そんな薄い理由で怪異になることはできない。俺のように激しく強い思いを持たなければ、あんな常識外れなことにはならない。

それに、俺が変身した怪異が『ドラゴン』であった理由もある。ドラゴンは『鋭い眼光で睨む者』という意味らしい。俺の場合、もっと広い意味で『見る』というワードが当てはまったけれど、今回も同じような感じだったら、なぜサラマンダーなのだろうか。

サラマンダー――炎のドラゴン。小さいドラゴン。

これは勘でしかないが、『炎』というのがキーワードな気がする。急ぎ過ぎて間違った判断をするのはよくないから、目星くらいにしておこう。

「ねえねえ、お悩み相談でもしてくれるのお? 一斗、優しい!」

 ……鬱陶しい。

 別にお前とはお悩み相談できるほど仲良くないだろう。いつもなら適当に返すが、俺は今、それどころではない。

 俺は一人で、この事件を片付けなければいけないのだ。

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