第9話 逃げ込んだ先で
次の瞬間、炎の熱さは全くなくなっていた。
「ねえ、離れてよ。もう大丈夫だから」
「お、おう」
若月の声で、ようやく状況に気付いた。場所が変わっていた。今、俺たちがいるのは教室ではなく、昨日訪れたあの女のアジトだった。そういえば、転移ナントカとか言っていたが、まさか瞬間移動?
「あら、早かったわね」
「ちょっと予想外の事態が起こってしまって。
若月はすでに動き出していた。さっきの騒動が嘘のように冷静だ。
それを目で追っていると、緑色の髪が目に入った。艶やかな緑――セリーヌさんがそこにはいた。
ここでようやく状況を理解する。俺たちはセリーヌ・クーヴレールのもとへ逃げ込んだ。辺りを見渡す限り、危機は回避されたようだ。
「私のところへ来たところを見ると、状況はあまりよくないみたいね」
「はい。サラマンダーの調査はまだ途中ですが、南雲一斗を狙っているのは間違いありません」
「そうね」
「二度目の出現が学校でしたので、親玉は南雲一斗の学校での関係者であると思います。彼は人間関係があまりありませんから、結果は明日にでも」
「分かったわ。見当はついているのかしら」
「はい。大方、目星はついています」
「実害が出るのは時間の問題よ。結果が出たらすぐに報告なさい。すぐに向かって退治するわ」
「了解しました」
「ちょ……ちょっと待って下さい! 何が何だか分かりませんよ!」
流れる会話を打ち破った。俺だけ取り残されている。二人は専門家だし、一般市民の俺とは違う世界の住民なのだろうが、俺は当事者だ。納得いかない。
「落ち着きなさい、坊や。あなたが入れる話じゃないわ」
「それは分かってますけど、俺にも分かりやすく説明して下さい。俺を狙ってるとか、親玉とか、目星はついているとか、一体どういうことですか?」
「あなたに教える義理はないわ」
「どうして? サラマンダーの話を持ってきたのは俺ですよ!」
「だから何?」
「だから、俺は関係者なんです。状況がどれくらい分かってるのかくらい、教えてくれたって……」
「あなたのことを、信用できないからよ」
セリーヌさんは鋭い眼差しを向けていた。敵を見るような目だった。
「……信用されてないの、俺」
「してないわ、全く」
「お、俺、何かしたんですか?」
「自覚がないなんて、本当にどうしようもないわね」
「………………」
俺がこの人を裏切るようなことを、したというのか?
「サラマンダーのことなら、全部話していますよ」
「はあ……」
ため息を吐かれた。違うらしい。だったらなんだ。俺はこの件以外で積極的に彼女と関わったりしていないはずだ。約一か月、何事もなく過ごしてきたのだから。
考えても答えは出ない。覚えもない。俺は答えを求めて、目線をそっちにやると、セリーヌさんの美しい瞳はこっちを見てはいなかった。明らかに俺のことを追い払おうとしている。
「言って下さいよ。俺だって一刻も早く事態を収拾したい……」
「嘘つきだからよ」
と、セリーヌは言った。
「……嘘つき?」
「あなたは嘘を吐いたでしょ」
「嘘なんて……サラマンダーのことはちゃんと全部話したし、嘘も吐いてない」
「サラマンダーの件とは関係ないわ」
「じゃあ――」
「金髪の美しい女性に、あなたは会ったんでしょう」
「――――――!」
――ああ、そうだった。
昨晩の話じゃないか。俺はそのために彼女のところに招かれたのだ。謝罪の菓子折りをもらって、体を撫で回されて――それから。
でも、どうしてそれを彼女は知っている? 俺をドラゴンにしたという辺りから疑問を感じたりして、調べていたりするのか? 怪異関係の調査は専門外だというのに?
セリーヌさんは続ける。
「私は気付いていたわ。あなたがあの女に会ったって」
「………………」
彼女は俺に指をさす。具体的には俺の首元を、昨晩のキスマークが薄っすらと残る首元を、指差した。そこには、少し前まで『嘘』の証拠が――金髪の女に噛みつかれた跡が、残っていた。
「そこにあった傷は、私が治してやったわ。私がたった一度しか会話したことのない少年に、キスなんてするわけないでしょう」
あれは、キスではなく、治療行為だった――?
セリーヌ・クーヴレールは強力な回復力ゆえの不死身性を持つ、マーメイドの怪異だ。あのとき、キスという形で彼女の体の一部である、唾液を傷跡に付着させて完治させた、ということか?
「あなたが今、考えたであろう仮説は多分合ってるわ。私は自分の体液をあなたに与えて、傷を治した」
「何のために?」
「それは単純に、事件解決後のケアよ。私は最初、あの傷を戦ったときに与えてしまった傷だと思っていたけれど、一か月ほど経った昨日、あなたをここに呼んだとき、その傷だけ種類が違うことに気付いたの。その傷だけは、戦いの中で絶対につくことのない傷だった」
確かに違う。あの戦いを喧嘩だとすると、俺には分かりやすい。喧嘩をすれば、傷はたくさんできるけれど、あの残った首元の傷の
怪異退治を仕事にし、戦いを稼業とする彼女だからこそ、気付けた俺の見落とし。
「あのときはちょっとからかうつもりだったけれど、それに気付いて、私は金髪の女について聞くことにした――町に脅威を与え続ける、私の敵について」
敵――だったのか。
あのときは、かなり曖昧にはぐらかされてしまったけれど、そういう知り合いだったのか。
セリーヌさんはまた、俺を睨みつける。あなたも敵よ、と言うように。
「あなたは陽菜とは違う。陽菜はとってもいい子。強力な回復力を持つ私と、不死身の化け物の私と、怪異の私と、真正面から向き合ってくれた。化け物だって怖がらないし、怯えないし、私を化け物だって罵倒しても謝ってくれた。あなたに対してもそうだった。ドラゴンと化したあなたを、最後には守ろうとした」
「何が――言いたいんですか?」
「怪異とおざなりに接しているあなたのことが、怪異の私は嫌いだと言っているのよ。怪異はあるべくして存在するもの、現れるのには理由がある――逆に言えば、ないところには存在できないし、理由がないと現れることができない。あなただって陽菜が見てほしいと願わなければ、存在できなかったかもしれない。陽菜があなたを求めたからこそ、あなたは怪異から人間に戻ることができた。陽菜の誠意がなければ、あなたはいないのよ」
………………。
そうかもしれない。
「でも、あなたは違う。あなたは怪異と関わるのが面倒だから、嘘を吐いた。あの女を知っていると言えば、面倒なことに巻き込まれるかもしれない。ドラゴンのとき、あんな風に迷惑をかけたから、なるべく関わりたくない。今回だって、そう。あなたは当事者のくせに、なんとなく一線を引いている。最低限しか踏み込んで来ない――なんなのよ!」
美しい緑の髪が、逆立った。
「怪異はあなたのために現れたかもしれないのに、どうしてそんなに適当なのよ。私は怪異を退治するのが仕事だけれど、怪異を軽蔑したことなんて一度もない。正面から向き合うからこそ、私は悪い怪異だけを退治する。だから、あなたを救ったのに――」
あなたは殺せばよかった。
セリーヌさんの目から血の涙が流れそうな雰囲気だった。怒りと悲しみと憎しみが同時に感じる。
「若月の見当は、多分合ってる。でも、あなたには教えない。怪異と軽蔑しているあなたには教えない」
「………………」
「怪異と向き合えないあなたを救う義理は、私にはない」
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