EP 片恋の顛末 

 この辺りで、俺の甘酸っぱい思い出を語っておこう。いい思い出ではないが、これがなかったら今の関係はありえなかった。だから話しておく必要がある。

 前にも言ったが、俺は桐生陽菜というクラスメイトに片思いをしている。中学が一緒で、中学三年生のときにクラスが一緒になったが、確かその時期に好きになった気がする。第一印象は『真面目な子』だった。先生の話はちゃんと先生の目を見て聞き、敬語を正しく使い、授業ではちゃんとノートを取り、指されたらはっきりと聞こえるように発言する。当時も彼女は学級委員長を務めていたのだが、先生から頼られるいい子だった。一方俺は、告白という行為を行えるほどの勇気を持っていなかったので、彼女を教室の隅から眺めることしかできなかった。そこにはいつか彼女が俺の気持ちに気付いてくれるのではないか、と淡い期待が含まれていたが、そんなことはなかった。

 それから卒業して、偶然にも同じ高校に進学し、同じクラスになった。始業式の日、彼女は学級委員長に立候補した。立候補者が彼女しかいなかったので、すぐに決まった。俺は副委員長に立候補した。そうすれば彼女の傍にいられるのではないか、という真面目じゃない理由だったが、俺はその役割を務めることになった。

 桐生陽菜は高校でも真面目な生徒として先生から信頼を得ていた。頼まれた仕事は副委員長の手助けなしにちゃんとこなす優秀な生徒でもあった。俺からしてみれば、恋心を除いても憧れる存在だった。

 しかし、彼女と仕事を通して接していく中で、中学の時には気付けなかったことを、俺は少しずつ感じていた。

 それがはっきりし始めたのは、ある学校行事で出席確認をしたときのことだった。前日に担任からその仕事をするように言われていたから、俺も少し早めに登校した。真面目な彼女はすでに来ていて、出席確認の準備をしていた――黒板に名簿表を貼って、『来た人はチェックを入れて下さい』という準備を。

 それを見て、俺は今まで感じていたもやもやの正体を掴んだ気がした。

 桐生陽菜は、真面目な生徒じゃないのではないか。

 ただの勘でしかなかったが、その何気ない行動が真面目な彼女らしくないと感じた。そこから俺の観察は始まった。

 結論は夏休みが明けたくらいに出すことができた。今まで俺ほど近くにいるやつはいないと思っていたが、俺は何も知らなかった。

 学級委員長としての桐生陽菜は、確かに仕事を確実にこなすけれど、それ以上のことはやらない。授業中に眠ったりはしないけれど、ノートに落書きしたり、先生の方を見なかったりしていた。提出義務のない宿題はやらないこともあった。そして、真面目だねと褒められるたびに切なく笑っていた。

 そういうことを見続けて、俺の出した結論は、彼女は周りが言うほど真面目ではないのではないか、ということだった。面倒臭がりで、委員長になるような人じゃない。一言で言って、つまらない人間だった。片恋を続けている俺にとってはそれなりの魅力を持っているのだが、真面目であるというアイデンティティを失った彼女は、客観的につまらない人間になった。それを彼女はよく思ってないのではないか。

 だからこそ、彼女は学級委員長に自らなったのではないか――俺の新たな仮説だった。

だんだんと彼女が分かってきた、とある冬の日。俺は、全てを変える出会いをした。

 学級委員としての仕事を終え、暗くなった道を歩いていると、彼女は現れた。

 月夜に輝く金髪。色っぽさを感じるうなじ。あでやかな唇に塗られた真っ赤なルージュ。ほんのり香る香水。細すぎない腕。太すぎない脚。目を奪う白い肌。

「そこの殿方」

 頭から離れない透き通る声。

 俺は一瞬にして力が抜けた。鞄を持つ力さえ、引き抜かれたように。立っているのがやっとだったから、顔は見ないまま立ち止まった。

 金髪の女はトントントンと靴を鳴らして俺の正面まで来ると、顔を覗いた。そして自然に顔に触れた。ぞわぞわっとした。しかしこれは恐怖ではなく、言うなれば快感に近かった。

「恋をしていらっしゃるの?」

 今の恋が一瞬で吹き飛んでしまいかねないその声が、再び耳に響いた。

「は、はい」

「しかしそれは叶わずにいる。可愛いですわ」

 心臓の鼓動が激しくなった。

 まるで魔法のように、俺の体は異常を起こす。

「わたくしが力を与えましょう」

「……力?」

「はい。あなたの気持ちに応える力を、わたくしが与えて差し上げます」

 次の質問をする前に、首筋に痛みと生温かさを感じて、どろっとした何かが流れた。頭が少しずつぼんやりしてきた。貧血にも似た感覚だ。数秒? 数分? 数時間? 時間感覚まで来るって来たらしい。気付くと、痛みも生温かさもなくなっていた。

「力を与えました。これで近いうちに、あなたの気持ちと反応するでしょう」

「俺の……気持ちと」

 あいつが好きだという気持ち?

 いや、違う。

 あいつとしばらく過ごして、気持ちは完全に変わった。

 俺がいるってことに気付いてほしい。

 俺がずっと見ているって、気付いてほしい。

 そう強く願ったとき、俺の体は変化し始めた。制服の下の肌に鱗が浮かび上がってきて、手はだんだん大きくなり、爪は鋭く伸び始めた。体中が炎に包まれたように熱い。背中から何かが生えてくる。脚も大きく太くなって、爪が伸びるのが分かる。靴が破けそうだったから脱いだ。服も脱いだ。

「素晴らしいお姿ですわ。この力があれば、町を一つ変えることなんて簡単です。人間の女の子の気持ちを変えることなんてもっと―――」

 満月が南の空に昇るころ、俺は大きなドラゴンに――怪異になった。


 自分の体を操るまで、一晩かかった。とりあえず制服を着たままドラゴンに変化することができるようになった。寝る時間がなかったけれど、俺は学校に行くことにした。

 眠気より彼女に会いたい気持ちが強かったのだ。

 その日から、全てが動き出した。俺は真面目風な・・彼女に迷惑がかからないように、放課後、ドラゴンになって彼女の前に現れた。金髪の女が言うように、これが彼女への気持ちに反応するなら、俺は力を彼女への思いを伝える手段として使いたい。

 だが、それはある女の登場によって、失敗した。

 怪異管理局に所属する怪異討伐師、セリーヌ・クーヴレール。緑色の長い髪と瞳、そして超強力な回復力を持つ、美しきマーメイドの怪異。かつてマーメイドの肉を食べて、不死身性を獲得した元人間、らしい。事件のあとに彼女から聞いた話だから、よくは知らない。

 ただ知っているのは、セリーヌさんは容姿とは裏腹にめちゃくちゃ強いことだ。怪異討伐師の仕事は悪い怪異を退治することで、俺は、ドラゴンは町を一つ滅ぼせるほどの怪異だったから、会うなり戦闘になったらしい。

 痛い思いを何度もしたけれど、俺は反撃しなかった。俺のもらったこの力は、人を傷つけるためのものじゃないから。俺はひたすら彼女を見た。大きくなった俺から見れば、彼女は小人に見えた。とても怯えているのが伝わってきた。

 違う。違うよ。

 俺は怖がらせたいんじゃない。

 お前に気付いてほしくて――こんな姿になったんだ!

 ドラゴンになって、後悔するのは結構早かった。

 だが、俺は退治されなかった。セリーヌさんや若月わかつきふうすけという男も、会ったのはほんの数回だし、会話なんて言えるほど言葉を交わしてない。でも、恩はとても感じている。助けてくれたのは、セリーヌさんとあの男子なのだ。あの二人がいなかったから、俺は今もドラゴンとして彷徨っているだろう。

 あとで陽菜から聞いた話だと、俺のドラゴンの力は弱まっているだけで消えたわけではないらしいが、今は人間として何事もなく生活している。

 それだけではない。俺はこの事件をきっかけに、ちゃんと気持ちを伝えられた。砕けたけど、いい友達を得た。ほしかった関係とは違うけれど、俺は傍にいれる。

 今の日常は、最高の幸せなのだ。

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