第1話 俺たちの日常

 冬休みが明けた。約二週間の、短めの休みだったが、クラスメイト達は久しぶりの再会で喜々として冬休みの思い出話をしている。

 ちょっと前まで俺にはこんなのとは無縁だと、思っていたのになあ。今の俺には、そういう話の出来るやつが傍にいる。

「おはよう、一斗くん」

 と、そいつは挨拶した。噂をすれば影が差すというのは、本当らしい。

「おう」

「おう、じゃなくて、おはようって返すんだよ。おはよう、一斗くん」

「お、おはよう」

「よくできました」

 彼女は満足げに頷いて、前の座席に座った。

 桐生きりゅう。それが彼女の名前である。同じクラスの学級委員長で、俺の、唯一と言っても過言ではない友達で――俺の片恋相手。一か月前の件をきっかけにおしゃべりのできる間柄になったのだが、具体的な内容は必要になったら話すことにしよう。

 だから今は、こう言っておく。

 なんだかんだあったけれど、今は仲のいい友達だ。

「ねえねえ。一斗くんは冬休み、どこか行ったりした?」

「いや、別にどこも行ってない。元日に親戚で集まったくらい」

「やっぱりそうだよね。うちもそうだよ」

「俺は俺んちでやるけど、陽菜は?」

「うちは他の親戚の家でやるよ。うちは狭いから」

「そうなんだ」

「そういえば、招いたことないね」

「遊ぶときはいつも、駅前かショッピングモールだもんな」

「今度、うちに来てよ! そうだなあ、具体的には今週の休みとか」

「いいのか?」

「いいのいいの。実はお母さんが一斗くんにずっと会いたがってるんだよね。私の新しい友達が気になるみたい」

「それは嬉しいな。ぜひ行こう」

「じゃあ、待ち合わせとかどこにしようか」

「もう決めるのかよ」

「こういうのは忘れないうちにやっておいた方がいいの」

「まあ、確かにな」

「じゃあ、私の家でいいかな」

 陽菜は予定帳を出して、何かを書き込んだ。

 黒く真っ直ぐなセミロング。彼女の性格を表したような、美しい髪だ。握る手にも、手元を見る眼差しにも、俺とは真反対の性格にも――俺は恋をしている。

 一度振られた身であるけれど、俺はそんなすぐ諦めるような男じゃない。告白だって振られたのだって、たった一回だ。しかもその一回は失敗とはいえど、好感触ではあった。だからこうして、彼女の自宅に伺うこともできるわけだが……

 ……彼女の自宅だと!

 なんとなく話していたからスルーしていたが、それは結構すごいことではないのか?

「ほ、本当にいいのか?」

「今更何よ」

「な、何って。ほら、俺らさ、なんていうか、ちょっと複雑っていうか、なんていうか……」

「何よ。今はお友達でしょ」

 ……そうだった。

 俺らは恋人じゃないんだった。こう仲良くしゃべっていると、たまに錯覚してしまう。彼女には、俺以外の友達がいないから、こんな話をしてくれるだけで、別に特別というわけじゃない。

 それに気づくとき、いつも心が苦しくなる。たった一回の失敗でも、初めての一回はこういう気持ちを生んだ。これから何度告白をしくじるか分からないけど、最初の一回ほど苦しいものはないだろう。

 こいつが俺の気持ちに応えてくれる日は、来るのだろうか。

 そんなことを考え始めたら、だんだん辛くなってきた。やめよう。

 ここは話を続けよう。

「そうだったよな。そうだった、そうだった。俺は友達の家に遊びに行く約束をしていたんだった」

「そういえば、その日はお父さんもお母さんも仕事だって聞いたから、家に誰もいないかも」

「ま、マジで?」

「もしかして抵抗ある? 女の子と二人きりって」

 抵抗なんてない。むしろめちゃくちゃウェルカムだ。片恋相手の両親と親しくなることができるほど、俺のハートは強くない。こう言っては失礼だが、いたら気になって仕方なくなる。

が、これは多分、男のセリフだ。しかしそこは突っ込まず。

「俺は全然気にしない」

「そう。よかった」

 陽菜は笑う。

 俺は結構幸せだ。なんだかんだありつつも、いい結果に終わったのだ。終わり良ければすべて良し。俺は今流れる日常に、とても満足している。九割がた、満足している。

 こんな毎日がずっと続いてくれれば、きっとそれ以上の幸せなんてないのかもしれない。

 そんなかっこいいことを思っていると、俺はいつものように・・・・・・・視線を感じ取った。ストーカーのようなじっとりとしたそれではなく、アイドルでも見ているような憧れの視線だ。しかし、気にする必要はない。別に実害はないからだ。

「すごい見られているよ」

 と、陽菜は気にしているようだが、心配はない。彼女は気持ち悪くもないし、嫌なやつじゃない。

 もう少しくらいで、きっとアクションを起こすだろう。タイミング的に。

「おはよう、一斗!」

 来た。俺の読みはばっちりだった。

 振り向くと、茶髪交じりの髪の毛を高い位置で二つに結んだぱっちりおめめ・・・のセーラー服が、俺の顔を覗き込むように立っていた。

 三留みとめ千夢ちゆという彼女は、言うなれば南雲一斗のファンなのだ。常に俺を見ていて、憧れの眼差しを送り、ファンクラブを立ち上げようものなら会員番号一番を手に入れ、ライブをやろうものなら最前列を常に狙うような、徹底的な俺のファンなのである。もちろん、一介の男子高校生である俺にファンクラブなんてものはないし、ライブも言わずもがなだが、そういうことをしようものなら絶対にそうなる。自信をもって断言する。

「おはよう、三留」

「きゃー! 一斗が私に挨拶してくれた!」

 多分、こいつにとって俺はアイドルなのだ。なぜそういうことになったのかは、全く心当たりがないし、見当もつかないが、とりあえず迷惑はしていないので何もせずにいる。強いて言うなら、やめるのを待っている。

「で、何か用か?」

「用ってほどじゃないんだけどお、ちょっと聞いてほしいっていうかあ」

 相変わらずイライラするしゃべり方だ。が、この感じだとすぐ終わりそうだ。彼女の用は、ちょっと話を聞いてほしいことではないのだ。

 三留は手に持っていた小さい包みを机に置いた。

「これ、作ってきたんだあ。もしよければ食べてほしいっていうかあ。感想くれなくてもいいんだけどお。くれたら嬉しいかなあみたいな?」

「受け取るよ」

「ありがとう、一斗! 千夢、嬉しい!」

 彼女は俺に笑いかけると、去って行った。彼女の用事は、プレゼントを渡すことだったわけだ。こっちが受け取れば、彼女は満足して帰っていく。こんなことを何百回もやられていれば、どんな反応が正しいかくらい分かるようになる。

「あの子、また作ってきたんだ」

「冬休みの間は大人しかったんだけどな。二週間やそこらじゃ、諦めないらしい」

「そりゃあそうでしょ。だって、もう一年くらいずっとなんでしょ」

 正確には五月からずっとだ。毎日欠かさず、小さな包みを抱えて俺に渡しに来る。中身はお菓子が一番多いが、手作りマフラーだったり、筆記用具だったり、誕生日にはバラの花束だったり、特に目立つようなルールはなさそうだ。

 今日は、袋の大きさから、多分お菓子だろう。そろそろ見た目だけで中身を推測するくらいはできるようになった。

「持って帰って食べるよ」

「そうだね。学校にはお菓子持ち込み禁止だもんね」

「そうだな」

 少し変わった点があるとするならば、陽菜と友達になってから、三留の行動すら楽しく思えてきたことだ。三留のくれるプレゼントすら、俺らにとって楽しい話題の一つになるのだ。

 俺はちょっとだけ幸せな気分になって、プレゼントを鞄の中にしまった。

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