05 何に、引っかかったのか

 ばたん、と勢いよく扉を閉めれば、ラウセアが嫌そうな顔をした。

「扉に当たったって、何にもなりませんよ」

「うるさい」

 これ以上ないほど不機嫌な声音と顔色でビウェルが睨めば、ラウセアは嘆息して肩をすくめた。

 〈海獣の一本角〉号の荷に不審な点は何もなかった。

 だが、あれだけの騒ぎだ。少し目端の利く者がいれば、やばい荷などはとっとと隠してしまっただろう。

 船長の突然の死に、急遽〈一本角〉の代表となった一等航海士は、すっかり恐慌状態でちっとも話にならない。

 聞き出せたのは、ライバン船長が自殺する理由など思い当たらない、酒には強い人で、樽ごと飲んだって酔わないし――これはいくら何でも大げさだろうが――、下船の支度に追われていて酒などは飲んでいなかったはずだ、というようなことだけだった。

 いや、それからもうひとつ。

 あの上流階級めいた男のことだ。

 〈一本角〉号は、客など乗せていなかった、と言うのだ。もちろんと言おうか、あれが船員であった訳でもなく、そんな男には見覚えがないと。

 となれば、あのときに下りてきた男は、船が停泊してから素早く乗り込み、それから下りてきたことになる。

(怪しい)

 と、ビウェルでなくても思うだろう。ラウセア以外、かもしれないが。

 だが少なくともあの男には、船長を突き落とすことはできない。その瞬間、男はビウェルと話をしていたからだ。これほど確かな〈ラ・ザインの証立て〉もない。

 だいたい、ライバンと言うらしい船長は、自ら欄干を乗り越えた。ビウェル自身と、それからラウセアも目撃者だ。間違いない。

 あの男が怪しい存在であっても、船長の死とは関係がない。そう結論づけざるを得ない。

 仮に、船長が男に莫大な借金でも抱えていて、返せぬと悲観して飛び込んだのだとしても、それは男の責任ではない。もとより、借金苦に自殺するような繊細な人間が、荒くれ船乗りたちのディラスなどやっていられるものではない。

(自殺)

(なのか)

 そうとしか見えないが、動機が判らない。

 通常、自殺者の動機など、別に町憲兵隊にはどうでもいいことだ。そういうことを考えて悩むのは遺族や友人知人の役割である。

 だが今回は、そうはいかない。幻惑草の密輸に関わる可能性ありとされる船の船長だ。

 そこには何か、事件の影がないか。

(クソ)

(あの、似非魔術師め)

 ビウェルは、厄介な一覧表を置き土産にした魔術師座長を思いきり罵った。

 もっとも、文句を言うところではない。ジェルス座長の表がなければ、これまでにアーレイドは二度、幻惑草蔓延の危機に晒されたことになる。ビウェルとしては、あんなものがなくてもおかしな薬など侵入させなかったと思うところだが、この自殺事件に関しては、そうも言えない。

 表がなかったなら、ただの自殺かただの事故としか、思わないだろうからだ。

 もしかしたら本当に、ただの自殺かただの事故かもしれない。それはまだ判らない。

 だが、調べてみる価値はある。

(それに)

(あの、鼻につく似非貴族)

 ビウェルは名前の判らない男をそう評した。ジェルスの場合は「似非」ではなくて本当の魔術師であったが、あの男は貴族ではあるまい。だが、町憲兵に丁重な態度を取っていても、心のなかでは「権力の犬」とばかりに見下している、そういう様子は判るものだ。

 事件との関わりありやなしや、それは判らない。状況から考えれば、ないとしか言えない。それでも、あの似非貴族が〈海獣の一本角〉号の裏ごとに何かしら関わっている、その可能性は大いにあった。

(その線だな)

 熟練の町憲兵は考えた。

(まずはあいつが何者か、それから探らにゃならんが――)

「ビウェル」

 若者の声が、男を思索から引き戻した。

「何だ」

隊長キアルが怒ってますよ」

「何だ」

 先の「何だ」は疑問で、あとのそれは「そんなことか」である。

「『何だ』じゃないでしょう。結果として、僕らは循環業務をさぼることになった。もちろん、事件があったらそれを優先するのは当たり前ですけれど、本来ならばあの辺りを巡回する任に当たっていた組がやるべきことで――」

「阿呆」

 言い捨てると、ラウセアは口を中途半端に開けたままでとまった。

「隊長は、そんなことに怒るタマじゃない。〈一本角〉を探るなら誰かほかの組……そうだな、アイヴァの組とでも連携すべきだった、だとか言うつもりなんだろう」

 彼より数年年下のアイヴァは、ビウェルがラウセアと組む前の相棒だった。どちらかと言えば口の回る男で、ラウセアのような口うるささはないが、ビウェルの行動の穴を的確に突く性格だった。

 派手な喧嘩も幾度かしたが、頼れるいい仲間だと思っている。思っているだけで言わないのが、彼のビウェル・トルーディたる所以であるが。

「それならどうして」

 ラウセアはむっとした口調になった。

「勝手に自分だけで行動したんです」

「お前もきたろうが」

「僕が同行してなかったら、あなたは暴走して飛び込んで、溺死者が増えてたんじゃないですか!?」

「阿呆。そんなことで死ぬか」

 だいたい、と彼は呟いた。

「溺死――かな」

「はい?」

「いや」

 何でもない、と手を振る。

 誰がどう見たって溺死だ。仮に、水に溺れたのではなくても、冷たい海に飛び込んだせいで鼓動が止まったのなら、やっぱり溺死の括りか、或いは少なくとも水死と言っていいだろう。

 だが何か、引っかかった。

 だが何に、引っかかったのか。

 明確な答えは出なかった。勘、と言われる類のものであるのかもしれない。経験が感じさせる、何かきな臭いような感覚。

 そこに信頼を重く置けば、危険だ。それは所詮、感覚に過ぎないのだから。

 しかしそれでも、嗅覚を刺激する何かを放っておくことはできなかった。

(ただの自殺じゃない)

(もちろん、事故でも)

 ビウェルは立ち上がった。

「どこへ行くんです」

「お前が言ったんだろう」

 こともなげに、ビウェルは肩をすくめた。

「シャント隊長と話をしてくる」

 見なくても、背後でラウセアが目をしばたたいているのは判った。彼がわざわざ小言を聞きに行くなんて、とでも思っているのだろう。

 その誤解は誤解のままで放っておいて、ビウェルは足早に隊長室へと向かった。

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