04 船長

「それなら今日は、どんな節介を焼いてる」

 話題を換えようとビウェルがそう問えば、ヴァンタンは「別に」と答えた。

「ちょっといい果実でも、アニーナに買って帰ろうかと思って」

「阿呆か」

 町憲兵は一蹴した。

「果物が買いたけりゃ、北か東へ行け。ここは港だぞ」

「そりゃごもっとも」

 ヴァンタンはうんうんとうなずいた。

「旦那は〈幸運の果実〉のまじないなんて知らないだろうしなあ」

「何のまじないだと? いや、言わんでいい」

 ビウェルは片手を上げた。

「そんなもんに興味はない」

 とうとうと説明されることを避け、ビウェルは先にそう言ってから、胡乱そうな目つきになった。

「何を企んでる」

「人聞きの悪い」

 彼らは同じやり取りを繰り返した。

「ちょっと気になる話があるんだが、まだ旦那に話せるほどの中身がない。概要が掴めたら、詰め所に行くよ」

「ほう?」

 ビウェルは胡乱そうにヴァンタンを見る。

「なかなか、殊勝じゃないか」

「俺はいつだって善良なる一市民だよ。望むのは平和に平穏」

「普通、平穏を望む人というのは、何やかやと事件に首を突っ込まないものですけれど」

「友人が面倒に巻き込まれていたら、手助けたいと思うのだって普通だろ」

「お前は友人の範囲が広すぎるんだろう。たまたま一度配達をした家の使用人だって、友人だと言い出すんじゃないのか」

「顔と名前を見知って、すれ違ったときに挨拶をするくらいになれば、友人と言ったっていいと思うがなあ」

「そういうのはせいぜい知人、ちょっとした顔見知りと言うんだ」

 ぴしゃりとやれば、ヴァンタンは肩をすくめた。

「成程ね、旦那には友人が少ないのも道理という訳だ」

「お前に多すぎるんだ。……ええい、邪魔だ。とっとと消えろ」

「はいはい、そうするよ。じゃ、トルーディ旦那、ラウセア、お仕事しっかり頼んます」

「言われるまでもない」

「有難う、ヴァンタン。頑張ります」

 ビウェルはもうヴァンタンの方を見もしないで言い、ラウセアはにこにこしながら手を振った。軽い足音が駆けるように去っていく。仕事中に油を売ったという自覚でもあって、急いで戻るのだろうと考えたビウェルは、さっさとそうしていればいいのにと思った。

「……ねえ、ビウェル。思うんですけど」

 茶色い髪の男を見送りながら、ラウセアは呟いた。

「うるさい」

「まだ何も言ってないです」

「『ヴァンタンにはぁ、もっと親切にするべきだと思いますぅ』とか言うんだろうが」

「それは、僕の真似なんですか?」

 むっとしたように若者は言った。

「どうしてあなたは、そうやってわざわざ人の反感を」

「うるさい」

 ビウェルはまた言った。前のものに比べて鋭く発せられたそれは、苦情ではなく「黙れ」という指示だった。気づいたラウセアは、ぴたりと言葉をとめる。

「ここにいろ。俺が少し、話を聞いてくる」

「――判りました。任せます」

 ビウェルはじっと船を見ていた。ヴァンタンを一顧だにしなかったのは、何もあの男を気に入らないからではない。いや、気に入らないのだが、それだけではない。世間話に気を取られて何かを見落としてはならないからだ。

 ビウェルは無遠慮に歩を進めた。隠そうともしない足音に気づいて、船から下りてきた人物が振り返る。

「おや、これは、町憲兵さんセル・レドキア

 それは四十を少し回ったくらいの、ビウェルと同年代の男だった。町憲兵と思しき相手に向かって会釈をする姿は、ごく真っ当な感性の持ち主であるように見える。

(いや)

(どうかな)

 熟練の町憲兵はじろじろと、下船してきた男を見た。

 下りてきたところを見ると、これは「乗船客」だろうか。

 先ほどの船員とのやり取りがなかったとしても、〈海獣の一本角〉号が上等客船などでないことは明らかだ。

 だがそこから下りてきた金髪の男は、まるで伝説に謡われる〈青い女神〉号の一等客であるかのように、金のかかった格好をしていた。

 見るからに上質のマントは、暗い茶色をしている。潮風がそれを翻せば、内側の明るい朱地に、金の細糸でなされている細かい刺繍が見えた。白い手袋、首にかけられた金鎖、ひだを集めた真白い上衣、ぴしっと折り目のついた下衣、汚れひとつない上等の編み上げ靴――とても、荒々しい船旅を越えてきたとは思えない。

 その傍らにじっと控えるのは、黒髪に黒い肌をし、黒い服を着た二十歳ほどの若者だ。船乗りは日に灼けた黒い顔をしているものだが、この若者はそういった感じでもなかった。

 では何者なのかと言うとビウェルには判らなかったが、生まれつきとても肌の色が濃いのだろうと思った。あまり見ないが、皆無でもない。

 ビナレス地方のずっと東、「東国」と呼ばれる地域には肌の黒い人間が暮らすと言うが、西端のアーレイドでそんなことを知っている者はあまりいないし、知っていたとしてもとっさに思い出すこともない。あまりにも遠い場所で、実感の湧かない「お話」のようなものだからだ。

 少なくともビウェルは知らなかった。ただ、船乗りではないなと思った。熱を吸収する黒い服は、彼らの選ぶ格好ではない。

 若者は従者然とし、男から一歩離れて付き従う様子であったものの、こちらは特に町憲兵に頭を下げなかった。

「お前は」

 ビウェルは若者から視線を離し、男を見据えて低く言った。

「これの船長と知り合いなのか」

「いえ、そういう訳でも」

 答えると、男は片眉を上げた。

「こちらの船長が、何かしたのでしょうか?」

「それは言えんな」

 町憲兵はそう返した。

「船長はどういう男だ。印象は」

「典型的な海の男といったところですよ」

 それはあまり答えになっていない説明だった。ビウェルがそう指摘しようとしたとき、男は何気ない風情で船を振り返る。

「――ああ」

 船を見上げるようにすると、男は甲板の後方を指した。

「あちらにおいでだ」

「どれだ」

「ほら、あの……」

 そのときであった。

 男が船長であると示した人影は、いきなり欄干を乗り越えたかと思うと、そのまま海へどぼんと飛び込んだのである。

「な」

 滅多なことには動じぬビウェルも、これには目を丸くした。

「何だ! どうした! 何してやがる!?」

 どうしたも何もない。飛び込んだのだ。海へ。

「クソ」

 ビウェルは罵りの言葉を吐くと制服の上着を脱ぎ捨て、そのまま駆け出――そうとしたが、素早く寄ってきたラウセアにとめられた。

「ちょっと! 何考えてるんです、やめてくださいよ!」

「それは俺の言いたいことだ。あの野郎、何考えてやがる」

 酔って、ふざけて手すりを乗り越え、それでうっかり海に落ちるような馬鹿もいるだろう。だがいまのはそうではない。明らかに意図して、飛び込んだ。

 身投げ――というような言葉がビウェルの脳裏に浮かぶ。だが、港に町憲兵の姿を見かけたとして、密輸がばれると悲観して自殺を目論むような人間は、最初から大胆な犯罪など行わないものだ。

 では何のために飛び込んだ? まさか、暑くなったから水浴びをしようと思った訳でもあるまい。

 それを聞き出すには、もちろん、水から引き上げなくては。

 ビウェルが強く腕を振れば、非力なラウセアの手はあっさりとふりほどかれる。だが年下の町憲兵はめげることなく、ほとんど抱きつくようにして先輩をとめた。

「そういうことに向いてる人なら、ここにはたくさんいます! だいたい、ビウェルが泳ぎに堪能だと聞いたことはないですよ!」

「馬鹿にするな、人並みに泳げる」

「人並みくらいじゃ救助は無理です、判ってるでしょうに」

 そう言われれば、ビウェルも認めざるを得ない。溺れる人間が、救助にきた人間を巻き込もうとするかのように暴れ、結果、どちらも共倒れになるというのは珍しい話ではないのだ。

「ほら、もう助けに向かってる人がいます」

 ラウセアが指差した方向には、成程、人並みどころでなく泳ぎに長けていそうな者が、素早く反応して〈海獣の一本角〉の後方に向かっていた。

 港のざわめきは普段と異なる色に染め上げられ、ほとんどの者が仕事の手をとめて成り行きを見守っている。

 救助者は海面で大きく息を吸うとそのまま潜り込み、船長が作った波紋も、彼のものも消えて、数トーアが経つ。

 五秒、十秒――誰もが固唾を呑んで見守っていると、ざばっと波が立った。救助者はぐったりした船長の身体を後方から抱え込み、見物客に手を振った。

 わあっと歓声が上がり、それから火だの医者だのだの、と無責任に言い立てる者もいたが現実に動く者もいて、いつもならば互いを邪魔だと罵り合う荒くれ水夫たちも一致団結という雰囲気になった。

 もっとも、人命救助だ何だと言うより、、という感覚に近かったのかもしれない。

 ともあれ、勇敢なる救助者と、見ていた者には自殺志願者、それ以外には、うっかり落下した馬鹿な奴と思われたふたり組は、ほかの手助けもあって、無事に陸に引き上げられた。

 ――否、無事では、なかった。

 熟練の水夫はいち早く救助に向かい、最高の速度で船長を海の下から拾い上げたにもかかわらず、船長の鼓動は既にとまっていた。

 救命知識を持つ者が手を施したが無駄に終わり、ようやくたどり着いた医師コルスも役に立たず、それならあとは町憲兵の仕事だとばかりに野次馬たちが去りかけた頃、ビウェルは失態に気づいた。

 船長を死なせたことだけではない。

 まるで彼にその状景を目撃させるかのように船長を示した上流階級ふうの男とその従者は、船長の生死など気にも留めることなく、とうに姿を消していた。

 しくじった、という根拠のない奇妙な感覚が熟練の町憲兵を訪れたとき、港に雨が降りはじめた。

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