03 一生懸命、働いてるところ

 なかには町憲兵に見られていると気づいて会釈をしたり、愛想笑いめいた曖昧な表情を浮かべる者もおり、全員が全員「町憲兵など知るか」という調子でもないようだ。

「特におかしな点はないようですけれど」

「馬鹿野郎。ぱっと見ただけで尻尾の出てる奴らばかりなら、俺たちはどれだけ楽か知れん」

「即断は避けてください、と言ってるんです」

「お前が即断しかけてるじゃないか」

 疑って疑って疑っても、尻尾を出さない奴もいる。それなら潔白か。そうではない。そこで「申し訳ありませんでした」と言ったら、こっちの負けだ。

 たとえば、何らかの「犯人」がいる事件――殺しであるとか――ならば、誤って誰かを捕らえたが、そのあとで真犯人が見つかったというような場合もある。

 事実、二年ほど前に、ビウェルは冤罪で少年を牢に叩き込んだ。結局は異なる人間が犯人であったことが判明し、そのときには彼も、頭を下げることに抵抗はなかった。どう考えても少年が怪しかったのだが、誤りは誤りだ。

 ただ、幻惑草の密輸となれば話は違う。

 ジェルスの一覧表が全て信頼できるかとなると、これは判らない。なかにはそれこそ、冤罪もあるかもしれない。

 しかし「冤罪かもしれない」と言って調査の手を緩め、その隙を突かれるほど馬鹿馬鹿しい話もない。

 ラウセアが陥りやすいのは、そこだ。

 人を疑うのではなく信じたいのならば、神官アスファにでもなればよかったのに、と思う。

 もっとも、ラウセアを町憲兵隊に誘ったのはビウェル自身だったが――あれは冗談のようなものだった。まさか本気にして努力し、試験を通過するとは。

「おや、旦那」

 聞き覚えのある声に、ビウェルは顔をしかめた。

「思いがけないところで会うね。のんびり海を眺めるなら、恋人でも誘えよ。ラウセア、あんたも」

「うるさい」

 ビウェルは声の方を振り返りもせずに言った。

「寄るな。触るな。話しかけるな。俺たちは仕事中だ」

「見れば判るよ。制服着て帯剣してて、休暇中ですってこともないだろ」

 あくまでもビウェルは振り返らなかったが、声の主の方で彼の視界に入ってきた。

 ラウセアより少し上だろう、二十代半ばの若い男だ。明るい茶色の髪は少し長めと見え、うしろで短い尻尾を作っている。見るたびにビウェルは、これは化け狐アナローダの尻尾じゃないのかと思う。

「生憎と恋人はいないんです」

 ラウセアは笑って返した。

「そういうあなただって、奥方と一緒のようには見えませんけれど、ヴァンタン?」

 ヴァンタンと呼ばれた男は肩をすくめた。

「うちの奥様は大事な時期なんだ。こんな騒々しい場所に連れてきて、腹の子供に何かあったらどうする」

「馬鹿か、お前は。騒がしいくらいで何かあったりするもんか」

「そりゃもうね。既に、自他ともに親馬鹿と認められている」

 笑ってヴァンタンは応じた。仏頂面をしているのはビウェルだけという訳だ。

「まあ、アニーナと散歩するなら忙しない港じゃなくて、向こうの浜辺だろうなあ。春先はおかしなのも出るから、やらないが」

「何かあったんですか」

「一般論だよ」

 真剣な顔をするラウセアに、ヴァンタンはひらひらと手を振った。

逢い引きラウンじゃないなら、お前は何をしてる。見たところ」

 仕方なく、ビウェルはヴァンタンを見て続けた。

「仕事でもないようじゃないか」

 エルファラス商会の配達人バイリーンをやっているヴァンタンの手には、何もなかった。

「配達後だ、とは思ってもらえない訳か?」

 ヴァンタンは嘆息した。

「先日は予定外の出費もあって、俺は一生懸命、働いてるところだよ」

「ならさっさと店に戻って、次の荷物を運んでろ。配達人が油を売っていたと、商会主に話してやってもいいんだぞ」

「相変わらず横暴だなあ。知った顔を見かけて話しかけて、何が悪いんだ?」

「邪魔だ」

 短くビウェルが答えれば、ヴァンタンは苦笑した。

「こんなのといつもご苦労さん、ラウセア」

「もう、慣れました」

 どうと言うこともないように、若者は答えた。

「配達帰りなんですか?」

「ん? まあね」

 ヴァンタンは曖昧に答えた。ビウェルは片眉を上げる。

「何だ。今日は何を企んでる」

「人聞きが悪いなあ。俺は別に、旦那の敵じゃないよ」

「似たようなもんだろうが。人の仕事の邪魔ばかり」

「協力だってしてるじゃないか。俺が『真犯人』を匿ったことがあるか?」

 そう言われると、反論ができなかった。

 このヴァンタンは下町の事情通で、何かやばい話があると感じればきちんと町憲兵隊に報告を入れる善人だが、一方で町憲兵隊が追う人間をかばったりもする。

 しかし、彼がそうしたときはこれまでいつも、間違っていたのはこちら、ヴァンタンは無実の人間を救ったということになった。

 確かに間違えたのはビウェルら町憲兵隊の方だ。しかし、それはあくまでも「これまで」の話。

 町憲兵隊とて、無実の人間を罰したくて奔走などしない。今後は負けてなるか、という気持ちがいくらかあるせいなのか、ビウェルが素直にヴァンタンに礼を述べることはなかった。

 誤りを認めることと、誤りを指摘した男を持ち上げることは別だ。少なくとも言葉にまとめては、ビウェルはそう考えていた。

 ヴァンタンが協力をしたいと言うのならば断る理由はないが、こちらから手を借りることはしない。

「そうだ」

 ふとヴァンタンはラウセアを見た。

「クレスとリンからは? その後、連絡はなかったか」

 同じようなことを思い出していたらしい。それは、数年前にビウェルが捕らえた無実の少年たちの名だった。

「あのとき以来は、ないですね。どうしているのかなあ」

 ラウセアはふっと背後――東の方を振り返るようにした。ビウェルは顔をしかめる。

「『あのとき』ってのは何だ。以前に、何かあったのか」

「ありました。言いましたよ、僕は。リンから手紙がきましたよって」

 若い町憲兵は責めるような目つきで相棒を見た。

「だけどあなたは、俺は興味ない、で済ませたじゃありませんか」

「何?……そうだったかな」

「おかしな意地を張るから、あとで困るんです」

「意地だと」

「そうでしょう。彼らがどうしたか心配しているなんて思われるのが嫌だったんじゃないんですか」

「ラウセア、お前、調子に乗るのもいい加減に」

「はいはい、いいからいいから」

 ヴァンタンは仲裁をした。

「そんときの手紙では、ずっとクレスの両親を探してるって話だったよな」

 説明をしてくれようという訳か。ビウェルは鼻を鳴らした。

「ええ。ヴァンタンの言っていた夫婦者というのは、残念ながらクレスの両親そのものではなかったようなんですが、関係者ではあったようで、大きな手がかりを見つけたんですって」

 ラウセアも続ける。

「そうそう。かなり遠いところの話が書いてあったんだよな。どこって言ったっけ?」

「確か、ウェレスと」

 思い出しながらラウセアが答えると、ビウェルは呆れた顔をした。

中心部クェンナルの向こうじゃないか」

「それもかなり南です。行ってみるつもりだ、とリンは気軽に書いていましたけど」

「あのクソガキは、ビナレス中を旅するつもりって訳か」

 ビウェルは鼻を鳴らした。

「相棒の親探しなんざ、いい口実だな」

「別にどんな理由で旅をしたっていいじゃありませんか。どうしていちいち、おとしめるような言い方を選ぶんです」

「貶めた訳じゃない。いい友人関係のようでけっこうだ、と言ったんだ」

「とてもそうは聞こえませんでした」

 それらのやり取りに、ヴァンタンは笑っていた。ビウェルはじろりと睨む。

「笑うな。そう言えばお前は、あのときも余計な節介を」

「したからこそ、真犯人が捕まえられたんじゃなかったかな?」

 澄ましてヴァンタンは返す。その通りであったので、反論の余地がない。

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