11 まだ裏がある
「ほらほら、手ぇ出しな」
「あんた」
トルスは胡乱そうな目つきで男を見た。
「俺には、クジナの趣味はないからな」
はっきりと、そう告げた。
クジナ、つまり男を愛する性癖を持つ男たちというのは、ちょくちょくと存在した。迫害されるようなことはないが、少々警戒されることはある。
もしやこの男はどうしてかトルスを気に入り、手懐けたいと思って小遣いなどと言い出したのではないか。そう疑った彼は予防線を張ったのだ。
言われた男はぱちぱちと瞬きをして、それから傷ついたような顔をした。
「俺が金で情を買うように見えたか? そりゃ酷い誤解だ。だいたい俺には愛する妻と子供がいるんだよ」
結婚をして子供をもうけながらクジナでもある、という男もいなくはないが、少数派と聞く。トルスは少し警戒を解いた。万一にもその気があるなら、結婚しているなどとは言い出さないはずでもある。
「じゃ、何だよ、それは」
トルスは男が差し出す数枚のラル銀貨を指差した。
「だから、小遣い」
「もらう理由がない理由が」
「言ってるだろうが。熱心な仕事ぶりの褒美だよ。いい子だから、情報屋なんかに話売るんじゃないぞ」
そこでトルスはようやく気づいた。
男は彼が話を聞いていたことを咎めず、その代わり、口止めをしようとしてきたのだ。
「……何のことだか判んないね、旦那」
慎重に彼は言った。
「でも、くれると言うならもらっとく」
そう続けて、男の手から銀貨をぱっと取った。男は少し驚いた顔をして、だがそれから愛想笑いのようなものを浮かべると、賢いな、などと言った。トルスが敢えて具体的には何を聞いたとも答えないで、男の言うことを了承したと――そう理解したのだろう。下手に確認をするほど馬鹿ではない、と。
そう、もちろん確認をする必要などない。
死人。チェレンの病。村。
これには何か、まだ裏がある。
男は自分で言っていたような、父親の商売を心配するような孝行息子ではない。
いや、親孝行か親不孝か、そんなことは判らないしどうでもいいが、とにかく父親が心配で云々というのは作り話だ。男こそこの話を情報屋に売りつけるつもりでいるのかもしれない。
だが、それもトルスにはどうでもいいことだ。
男の小遣い稼ぎを邪魔する気はないし、〈青燕〉亭のみならずトルスにまで金を落としていってくれるなら上客だ。見たところでは特に金持ちという感じはしないどころか、よく見れば着ているものは外見を気遣わないトルスよりも貧相――貧乏臭い。よく飯をおごれたり小遣いをやれたりしたものだと思うが、だからこそ必死で売れる情報を探してでもいるのかもしれない。
そう判定するとトルスは銀貨を握り、改めて「またどうぞ」と言った。
何か後ろぐらい相談などはうちでやられたくないが、これは決まり文句であると同時に「とっとと帰れ」の意でもある。
男はうなずくと、親しげな感じで手を振って、〈青燕〉亭を出て行った。
「閉めるか」
厨房から声をかけられて、トルスはびくっとした。
「閉める?」
彼は父親に顔をしかめた。
「まだ早くねえ?」
「少しな。だが今日はもう客もこんだろう」
ロディスのそれが長年の勘による台詞なのか、はたまた疲れたから今日は終わりと言っているのか息子にはよく判らなかったが、調理人が上がる気でいるなら、客を呼び入れても仕方ない。判ったと答えるとトルスは表の看板を片付けようと足を進めかけ、父親にとめられた。
「いまの客は?」
「ん?」
「何か話してたようだったな。知り合いか」
「いいや、初めて見る顔だよ。いい店だなってさ」
「そうか」
ロディスは「当然だな」と呟くと、満足したように踵を返す。
「なあ、親父」
トルスはその背に声をかけた。
「何だ」
「赤魚が高騰してたら、どうする?」
突然に彼は覚え立ての言葉を使ってそんなことを尋ねた。ロディスは振り返って、目をしばたたく。
「高騰だと?」
「値段が上がるってこと」
「それくらいは判ってる、馬鹿にするな」
鼻を鳴らして、父親は渋面を作った。
「赤魚が高けりゃ、別の魚を使えばいい。それだけのことだ」
「でも、そうだなたとえば、バッキの大旦那が」
それは〈青燕〉亭の大得意客である。
「今日は絶対に赤魚を食べたいから用意しておいてくれ、とか言ったら」
「そうしたら仕方がない、市場からまとめて卸すんじゃなく、どっかの料理屋が買ったのを一切れ分けてでももらうさ」
「そか」
成程、と息子は思った。どうしても欲しいのであれば、そういう手がある。
だいたい、「どうしても欲しい」のであれば、高くても買えばよいのだ。ファドックの主人にはそれくらいの
だが、チェレンはひとつも見かけないという話だっただろうか。
いったい――。
「何で価格が高騰してるんだろう、とか思うか?」
「はあ?」
ロディスは口を開けた。
「何でも何も、獲れなかったんだろうよ」
「だからさ、何で獲れなかったかとか」
「俺が知るか」
もっともである。当然だ。トルスだって同じように考える。
(やっぱり)
(判らないな)
病。死人。高騰。
ファドックの話とつい先ほど耳にした話には何か関わりがあるのかもしれないし、「チェレン」という共通はただの偶然で、かけらも関係ないのかもしれない。
どちらにせよ、とトルスは思った。
(少なくとも俺には)
(何の関係もない)
〈
トルスはこれから幾日も経たない内にこの夜の話を思い出すことになるのだが――予知者ではない若者には、当然、そのような未来は見えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます