10 仕事熱心で立派だな

「だが、こういうことは隠せないもんだ。近い内にきっと、話は洩れる。そうなりゃ、何もザンシル村産じゃなくても、チェレンを食べたいと思う人間は減るだろうね。まあ、果物なんざ食わなくても死なないし、欲しければほかにすればいいんだから、大して騒ぎにはならんだろう。一部の商人が大打撃を受けるだけさ」

 言うと商人は瓏草カァジを取り出した。話は終わり、というところなのだろう。

「ふうん」

 若い男は両手を頭の後ろで組んだ。

「それなら、うちの親父の流通には、別に影響がなさそうだなあ」

「そりゃよかった。まあ、あまり言いふらさんでくれよ。俺だって、俺が口を滑らせたせいでザンシルの村人たちが飢える羽目になったとは思いたくないからな」

「判ってる。俺が親父を心配するのを見かねて、話してくれたんだろ。約束通り、話してくれた礼にここはおごるよ」

「そうか? すまんな」

 まるで情報屋ラーターの手口だな、とトルスは思った。旅人から巧いこと話を聞き出して、それからその情報を売る。それで儲けられる目算があれば、ここで飯をおごるくらいの出費は何でもない、という訳だ。

 と言っても、若い男が金で情報を売り買いする類の人種だと本当に思った訳ではない。噂話で金を稼ごうなどと考える奴らは、もっと目つきが卑しいものだ。自分がちょっとひねて考えただけで、本当に父親の商売に影響がないかどうか、心配したのかもしれない。

 それから彼らは他愛ない世間話に移り、トルスも磨く卓を移った。

(チェレン)

(果実に病が出て、人間にも病が出た、か)

 ぞっとしない話だ。

 商人の言った通り、果実であればほかにも種類があるし、食べなかったところで生死に関わるという程ではない。〈青燕〉で何か果実を使うとしたら、揚げ物に添える檸檬サキェラくらいのもので、絶対になければならないという訳でもない。

 これが豚肉コット鶏肉リィだということになったら厄介だが、どうやらそういう話ではない。果物売りの商売にはいくらか問題が出るかもしれなかったけれど、〈青燕〉亭には関係がなさそうだ。

 しかしそれでも、商人の話は、果実の病が人間に伝染うつった――というようなことを連想させた。死人まで出たと言う。

 これは、気味が悪い。

 噂を広めないでくれ、という商人の言葉は判らなくもなかった。病の果実などは市場に出回らないだろうから、黙っていても問題はないだろう。こっそり売ろうとしたところで、見て明らかにおかしいとなれば誰も買わないはずだし、有り得ないほど不味いとでもなれば今後の商売に関わる。

 そのままの形状ではなく、加工して売られるかもしれないとまでは彼は考えず、もしそういうことを考えついたとしても、まさか病と知りながらそんな真似はしないだろうと、人の好い思考に走ったかもしれない。

 下町育ちは子供の頃から物事の裏表を見通す癖がつくし、トルスは決して単純ではなかったが、悪くなった食材をごまかして調理するなどということを断じてやらない父親のもとで育った彼には料理人テイリーの誇りがあった。ただまだ彼は若くて、料理、食材に携わる者全員がそういった誇りを抱いているとは限らない、と判っていないだけだ。

(ファドックは、いまの話に興味を持ちそうだな)

(教えてやれるといいんだが)

 ふと思ったものの、少年の連絡先など知らない。是が非でも教えなければ、というほどでもないし、何となく浮かんだ思いはすぐに消えてしまった。と言うのも、先の男が彼を呼んだからだ。

「兄ちゃん、勘定」

「あいよ、旦那セル

 応じて振り返れば、商人は席を立って店を出て行くところだった。話していた通り、若い方のおごりということらしい。

「美味かったよ。こんなとこに、こんないい店があるとは知らなかった」

「そりゃどうも」

 ありふれた世辞だが、言われて悪い気分ではない。ただ、おべっかを使われて値引きをするほど〈青燕〉亭は潤っていない。トルスは正規の料金を告げた。もっとも、男も別に負けさせようと言うつもりだった訳ではないらしい。端数をごまかすこともなく、きちんと払ってきた。

 トルスはそれを確認し、またどうぞ、と言おうとして――口を中途半端に開けた状態でとまってしまった。

 男が、何だか不自然なくらい真剣に、彼を見ていたからだ。

「……えっと、旦那?」

「お前さん、ここの息子か?」

「そうだけど。それが何か」

「いや、仕事熱心で立派だなあと思ったのさ。お前さんくらいの若者は、親の手伝いなんて面倒臭いとばかりにあちこち飛び出して、自立という名のわがまま放題。家族の絆、ってな考えはもう古いのかね」

「……さあ」

 何の話がはじまったんだろうかと思いながらトルスは曖昧に返した。

「言っとくけど、俺はここにきちんと雇われてんだよ。雇われた以上は、親も子もない。絆がどうとかはともかく、給金分の仕事をするのは当たり前」

「成程」

 男はうなずいた。

「立派だよ。熱心だ」

 彼は同じことを繰り返した。

「俺らのいた場所の隣の卓なんか、ずいぶんきれいになったんじゃないか?」

 ぎくりと、した。

「そう?」

 トルスが聞き耳を立てていたことは気づかれていたのだ。

 何気ない調子で返したものの、いくらか声が上ずっただろうか。

「よし」

 男はまたうなずく。

「お兄さんが小遣いをやろう」

「はあっ!?」

 突拍子もない台詞が続いて、トルスは素っ頓狂な声を上げた。てっきり、盗み聞きをするなんてふてえガキだ、とでもいう雑言がくると思ったのに。

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