06 命令という訳じゃない

 麺麭ホーロ職人の息子だと言うけれど、いまは「立派な方」の世話になっているらしいファドックは、後者の方の性質を身につけているようだった。

 先にちらりと見せたような親しみやすい感じもあるが、大概においては丁重で礼儀正しい。トルスがすれ違った知人と、一見したところ親しい挨拶とは思えない挨拶――「よう、まだ生きてたか」だの「相変わらずしみったれた顔してんな」などという類だ――を交わすのに、ただそっと会釈してつき合う。

 それを見た知人たちはトルスに向かって「どこの坊ちゃんを騙して連れ歩いてるんだ」などとはやし、あまつさえ「少年趣味があったのか」とまでくる場合もあったが、トルスはただ馬鹿野郎と一蹴、ファドックも別に腹を立てた様子はなく、下町らしい冗談に笑っていた。

「それにしても」

 町憲兵隊の詰め所の方に足を進めながら、トルスは話しかけた。

「いったい何でまた、あんな路地裏にいたんだ?」

「果実の価格が高騰していると聞いたんだ」

 まず、やってきた答えはそれであった。

「何?」

 トルスは瞬きをした。

「果実が……何だって?」

 気候の穏やかなこの付近では、冬場でも実をつける植物がある。だがそれでも、多くは春先から秋口にかけて出回るもので、そろそろ果物売りの声も威勢がよくなってくる。

 そういったことは市場を訪れるような者には常識であるが、「高騰」という言葉が下町の若者には判らなかった。ファドックはすぐそれに気づき、値段が上がっているらしい、と言い換えた。

「チェレン果に至っては、ひとつも見かけないと言う」

 それはいまどきの季節に旬を迎える、赤子の拳くらいの大きさをした赤い果実だった。甘味とほどよい酸味があって、老若男女に好まれる。適度な固さがあるため、飾り切りなどにも向く。立派な料亭などでは複雑な飾り切りをして、食後に出すこともあるとか。

「聞いたことはないか?」

「さあな。俺んとこじゃ使わないから」

「君の? ああ、料理屋の息子だったな」

 何で知ってるんだ、と問いそうになった。彼は先ほど〈青燕〉亭という名称は口にしたが、何の店であるかは告げなかった。

 だが思い出した。例の不良連中が、彼を「料理屋の息子」だと言ったのだ。

 脅されていた状態で耳にした言葉をよく覚えているものだ、とトルスは妙な感心をしてしまった。

そうなんだアレイス

 だがそれについては特に触れず、トルスはうなずいた。

は労働者仕様の飯屋でね。爽やかな果物なんていう、女子供が喜ぶようなもんは特に用意しないんだよ」

「成程」

「んで。それがどうしたってんだ」

 判らなくてトルスは尋ねた。

「高いということは、手に入りにくいということになる」

「そりゃ、まあ、なあ」

「だからちょっと、調べていたんだ」

 いまひとつ答えになっていない。トルスはそう思った。胡乱そうな気持ちが伝わったか、ファドックは肩をすくめる。

「チェレン果をお探しの方がいらっしゃるんだ」

「『お探しの方がいらっしゃる』」

 トルスは繰り返した。成程、と今度は彼が思う。

 ではファドックが「立派な方の世話になっている」というのは、どこかのお屋敷の使用人でもやっているという辺りなのだろう。ご主人様の命令で、手に入りにくい果実を探しているという流れか、と考えた。

「それにしたって、裏路地じゃ果実なんて売ってないだろ」

 もっともなことを言うと、ファドックはうなずいた。

「だろうな」

「判ってんなら、何であんなとこをうろうろ」

「あの場所が目当てだった訳じゃない。北の市場では見られなかった。東でも。西に行ってみようかと思って、通り抜けるところだっただけだ」

「西」

 またも繰り返してトルスは笑った。

 アーレイドの西にあるのは港。海だ。

「海じゃ果実は獲れないだろ」

「だろうな」

 ファドックはまた言った。

「だが、輸入はされる」

 またも聞きなれない言葉だ。だが、聞き覚えはあるし、何となくは理解もしている。その理解は「どこか遠くの町からまとめて仕入れることをそう言うらしい」という程度であったが、大筋で何もおかしいところもなければそれ以上の知識は日常に必要がないから、トルスがこれ以上認識を改めることはなかった。

「鮮果は長い航海には向かないけれど、コトスの街くらいからなら有り得るだろう」

 ファドックが口にしたのは、アーレイドが面しているのと同じ湾内にある街の名だった。

「いつ、コトスの船がやってくるか判らないと、調べるのは難しいが……」

「そこまでして、チェレンが欲しいのか?」

 トルスは口を挟んだ。

「俺としちゃ、チェレンにこだわるより、別の新鮮な果物を食った方が早いと思うぜ。まあ、コウトウしてるのかもしれないけどよ」

 それに、いくら近場であっても、時間をかけてやってくるものより、間違いなくその日の朝に採れたものの方が美味いに決まっている。そうも言った。

「確かにな」

 ファドックは認めた。

「だが」

「ご主人様のご命令か」

 それなら仕方ないか、とでも続けようとしたが、少年は首を振る。

「いや、命令という訳じゃないんだ」

「はあ?」

「それに、新鮮なものの方が栄養価も高いということは医師コルスも言うけれど、そういう問題ではないらしい」

「じゃあどういう問題なんだ」

「〈幸運の果実〉」

「何だって?」

「チェレン果の別名だ。聞いたことはないか?」

「……ないな」

 考えるようにしてからトルスは首を振った。

「こう、果実を」

 とファドックは、右手の指をまっすぐに伸ばして、すっと振り下ろす動作をした。

「まっぷたつに切る。そのときに、種が傷つかなければ幸運が訪れると言うんだ」

「はあ」

 まじないみたいなものだろうか。下町では迷信の類が生きていて、顔を洗うミィの前脚が耳を越すと縁起がいいだの、月傘の女神エリリット・ルーの姿が現れるのは不吉の前兆だの、そういった根拠のないことが日常的に聞かれるが、トルスもこれは聞いたことがなかった。

「ご主人様は幸運をお探しか?」

「そんなところだな」

 ファドックは肩をすくめた。

「ふうん」

 トルスは曖昧な相槌を打った。

 いまの話をまとめると、ファドックは命令ではなく自分の意志でそうしているが、お相手はずいぶんとわがままらしい――。

(まとまらないな)

 トルスは肩をすくめた。とにかく探してこいと命令をするわがままな主人、ならばまとまるのだが、少し違うようである。

 だが彼は特に突き詰める気にはならなかった。ファドックの主人がどんな人物であれ、使用人を抱えるようなお偉いさんなどにトルスは縁がなく、そういった人々がどんな思考回路を持っているものかちっとも見当がつかなかったし、見当をつけたいとも特に思わなかったのだ。

「ただ、気にかかるのは高騰しているという事実なんだ」

 少年はそう言った。

「旬のものは普通、安くなるだろう。今年は不作だったと言うのならばまだしも、そうは聞かない。気候は安定していたし、採れない理由はないはずなんだ。奇妙だと思ってる」

「はあ」

 トルスは再三、曖昧な相槌を打った。

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