04 腕に覚えも
健康的で体格のいい若者の胃袋は、二度に渡る昼食をものともしなかったが、財布の方は予定外の出費に寂しくなっていた。
夕飯は余りもので済ませるかな、などと思いながらトルスは帰途についた。
知った顔と挨拶を交わしながら、きた道を戻る。
まだまだ日は高く、通ってきた裏道を使っても、やってきたときのように問題はない。
――はずだった。
理性では、災難はいつ何時、降ってくるか判らないこと、理解している。それでも、たいていの人間は考えるものだ。
まさか、自分には、何か起こるはずもない、と。
だからトルスは、面食らった。
〈野良猫通り〉に入り込んだとき、思いがけない場面に遭遇したことに。
「――までも黙りこくってんじゃねえよ。さっさと出すもん出しやがれ」
「痛い目に遭いたいってんなら、そうしてやってもいいんだぜ」
おっと、とトルスは足をとめた。
その路地裏では、十代後半から二十歳前後の、いかにも柄の悪い連中が四、五名ばかり、誰か気の毒な被害者を囲んでいたのだ。
おかしな言い方だが、常識ある盗賊ならば、いまのような
どうやら真っ当な盗賊――盗みを専業とし、
どうしたもんか、と若者は考えた。
ちょいとばかりは腕に覚えもある。ちんぴらのひとりやふたりなら、刺されでもしない限り、蹴散らせるだろう。
だが、このような路地裏にのこのこと入り込んでこうした連中に囲まれているというのは、いくらか当人の責任もある。自分の身に着けているどうと言うことのなさそうな小物がここいらの連中には
と、トルスが思ったのは「被害者」の風体を目にしたためだった。
彼より少し年下だろうか。くしけずられ、きちんと切り揃えられた短髪。きらびやかと言うことはなく、色合いこそ地味であるものの、見るからに質のいい上衣。磨かれた靴。それらから、脅されている少年がいいところの坊ちゃんであることは容易に知れる。
場合によっては、ちょっとくらい痛い目を見た方が、学習をするということもある。見なかったふりをしてやるのが親切と言うことも――。
気づかれない内に踵を返そうか、どうしようかと決めかねている内だった。
「何だ?」
ち、とトルスは舌打ちをした。不良連中のひとりが、彼に気づいたのである。
「ああ、見たことあるぞ」
「料理屋のガキだな」
「……てめえらだってガキじゃねえか」
むっつりとトルスは返した。いちばん年上に見える相手だって、彼と三つも違うとは思えない。
「さっさと帰んな。ここは通行止めだ」
「それとも一緒に、俺たちに小遣いをくれるか?」
「馬鹿野郎」
トルスは唇を歪めた。
「他人に施しできるほど懐が豊かなら、うちの店はとっくに建て直されてら」
「ならさっさと引き返すか、それとも」
年上の男が笑った。
「一緒にやるか?」
「馬鹿野郎」
トルスはまた言った。
胸くその悪い連中だが、正義感に燃えて戦ってやるという気にもなれない。不意を打てたならばともかく、その機会は完全に潰えている。第一、見も知らぬ若造のために彼が何かしてやる義理もない。
この場は黙って踵を返し――
「余計なことは言うじゃねえぞ」
だが、それを見透かしたように、男が言う。
「町憲兵でも駆けつけてくることがあったら、てめえんちは当分、火事に気をつけた方がいいだろうな」
店に火をつけてやる、というこの脅しがどこまで本気かは判らなかったが、トルスはぐっと詰まった。
火つけは、大罪だ。
アーレイドのような大きな街であれば
喝上げを通報された腹いせに放火などとは、あまり割に合わない復讐である。
だが、だからと言って「やれるもんならやってみやがれ」などと啖呵を切って、本当に実行されるようなことがあっては洒落にならない。
「つまらん脅迫してくれるじゃないか」
しかし、ここで「はい、仰る通りにいたします」と頭を下げるのもしゃくに障る。トルスはじろりと男たちを睨んだ。
「弱っちそうなのから
やる度胸があんのか、と、結局「やってみやがれ」に近い台詞を吐きかけたときだった。
トルスの方に気を取られていた不良どもは、その「弱っちそうなの」に対する警戒を完全に怠っていた。
おっ――とトルスが思う間に、少年は掴まれていた上衣を引ききり、彼の前に立ちはだかるようにしていた相手の足を思い切り払った。
「うおっ!? こ、このガキ」
転ばせるまでには至らなかったものの、充分すぎるほどの隙だ。少年は、追いつめられるようにしていた壁際から逃れ、素早く大通りの方、即ちトルスの方へとやってきた。
「くそ」
「待てっ」
「待つか!」
言うとトルスは、そのまま少年の手を取った。
「こい! 逃げるぞ!」
やり合わずに済むならそれに越したことはない。トルスはとんずらを決めると、そのまま走り出したが――どうして一緒に逃げてやる必要があっただろうか、と冷静に思うのは少しあとになってからだった。
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