■3 開城

 爆音のアラートが鳴り響く。デーヴィスの頭に赤いサイレンが生え、ぐるぐると急回転する。危機感を煽る真っ赤なランプが部屋中を照らす。それでもやはりデーヴィスは淡々と状況を述べた。


『屋敷に侵入者あり。屋敷に侵入者あり。デーヴィスの映像を共有、画像解析中』

「……つけあがって……っ!」


 ああ、焦れったい。イライラして事態を呑み込めなくて、この掌から抜け出して踊ろうとする輩が許せない。掌握しているはずだった。自身の目の届く舞台で滑稽なショーを観劇すること、それがマダムの愉悦だった。そして本能にも繋がった。

 己は純然たる支配者でなくてはならない。知らないことは認めない。すべて自分の思うように動く。奔放に活動するリコリスだって、俯瞰すればマダムに踊らされていただけなのだと。


「私をこれで欺いたつもり……!?」

『解析しました。瑠璃のリコリスです』


 デーヴィスからの報告にマダムは一瞬動きを止める。目を見開き、それから机を穴が開くほど見つめた。ライダースジャケットを羽織った肩が小刻みに震える。瑠璃の、とマダムは口のなかで呟いた。


『その従者と、あとは十数人の人間を捕捉。正面と裏口、二手にわかれて襲撃しています』

「……そう。そう、そういうこと」


 唇を開けばわなないた。それが次第に愉快なことに思える。くつくつと乾いた笑い声がこぼれた。


「烈火を手なずけたわけ、あのお姫様。私を倒すために」


 烈火のリコリスにマダムを討つ理由はないが、瑠璃のリコリスにはその理由がある。烈火のリコリスは感情的な生き物だとデーヴィスの報告から推測している。目の前の美味しいもののためにを全力をなげうつ。目先の利益しか見られない短絡的な動物だ。だからこそ、そこに理由なんて論理的ロジカルなものを要求してはならない。原初のリコリスたるマダムとは違う。あれはイヌに過ぎない――狼を気取った野良犬。

 原初のリコリスは目を剥いて命じた。


「侵入者を駆逐しなさい。内蔵されたナイフと手榴弾は惜しみなく使って。それでも倒れないなら――機銃マシンガンの使用を許可する」


 ***


 御殿入口の警備は思ったよりも緩かった。有栖があらゆるネットワークを駆使して水面下で調査をしていた事前情報によれば、入口にはガードマン代わりのデーヴィスが待ち構えている。機械人形の魚眼みたいなカメラにその姿を晒し、マダムにその情報を送る。彼女の許可が下りれば入城できる。正規の手続きを踏むのであれば。

 今回はそれを押しとおるのであり、デーヴィスと周辺のトラップをどう抜けるかが命題だった。ガードマンを兼ねる機械には武器も内蔵されている。人間よりもずっと丈夫だから下手な攻撃では倒れない。心臓部を破壊してしまうか、ボディをそもそも壊してしまうか。そのためには殺傷能力の高い武器が必要だった。

 だから、対デーヴィス用に騎兵槍ランスを調達していたのだが……結論から言うと、抵抗ひとつなく落とせた。


『地下鉄にて異分子を発見。除去せよ。除去せよ』

『地下鉄にて火災発生。消火せよ。増援を求む』


 ……どうやら、地下鉄で暴れまわっているがいるらしい。その対処でデーヴィスたちは情報が錯綜しており、指示系統が混乱しているようだ。有栖はくすりと笑みをこぼす。


「……何か愉快なことでも?」


 隣に控える帽子屋が問う。彼の手には騎兵槍が握られている。せっかくスーツの下に筋肉を窮屈そうにおさめているのだ、ここで活躍させないでなんになる。


「あの子はたぶん、私に協力するつもりなんて毛頭ないのでしょうけど」


 手に取るようにわかる。だって自分のことだ。己の欲望と本能の一部分。自分がいかに身勝手で、快楽に従順で、他人に媚びへつらうことが嫌いか。有栖はよくよく知っている。


「その身勝手さが私の助けになっているとは、夢にも思っていないでしょうね」


 想定通りの動きではない。有栖より先に手柄をとるためにトチョウに乗り込むくらいは想像していた。しかしその手法が、マダムのトウキョウにおける支配の成果ともいえる、地下鉄を破壊することとは。


「私の、銀の靴」


 有栖は小銃を構えた。チェーンソーはドロシーに託した。マダムの監視を掻い潜ってかろうじて手にいれたこれが、有栖の命運を握っている。

 地下鉄がマダムの成果なら、彼女の根城たるトチョウは栄華の象徴だ。


「やっぱりあなたは、私の願いを叶えてくれる」


 帽子屋が先陣を切る。混乱している機械人形を騎兵槍で一気に貫く。そのまま自動ドアまでぐいぐいと押しやり、鉄屑ごと破砕した。透明なものと、電気を帯びたものと。ジャンクと化した混合物があたり一面に散らばった。

 帽子屋が騎兵槍を抜く。デーヴィスだったものは心臓コアを穿たれ首が九十度に曲がる。ぎょろりとしたレンズが動く気配はない。


「帽子屋、中は――」

「来ます。下がって」


 帽子屋は短く答えた。視界は良好、開けたエントランスホールに隠れる場所などない。徘徊しているデーヴィスが何体いるかと思いきや、驚くほどがらんどうで無人だ。デーヴィスの一体もいない。しかし帽子屋は緊迫した様子で腰を落とした。不気味な機械音が耳に入ったからだ。奥のエレベーターのランプが点滅して、チン、と気の抜けるほど軽い音を鳴らした。……なにか、来る。


「っ!」


 エレベーターの扉が開くと同時に、飛んできたのは黒い塊。ゴツゴツとしたそれが弧を描いて投げられたのだ。有栖にはそれがなんだかよく見えなかった。目を細めて確認しようとしたとき、帽子屋の大音声が鋭く降ってきた。


「伏せろ!」


 問答無用だった。仮にも従者が私に命令するなんてと口答えする暇すらなかった。身体が刹那強張り、即座にその指示に従う。黒いソレの正体は身体を大理石の床につけたときにわかった。

 目映い光とともに爆発したのだ。耳がバカになるのではと思うほどの轟音が鼓膜を刺す。


「……手榴弾……」


 爆風による被害だけではない。炸裂弾による強烈な光は視力を奪う。そのうえ轟音が加わったら聴覚まであてにならなくなるだろう。警備員代わりのデーヴィスが装備するにしては過剰な武器だ。


「誰も信用してないマダムなら当然の備えなのかしら」


 何度か目を瞬いて有栖はゆっくり身体を起こす。帽子屋もなんとか立っているが、手榴弾持ちのデーヴィス相手に生身で突撃するのは無謀だろう。おちおち肉盾にするつもりはない……今は。本命は上のフロアなのだ、それまでは生きていてもらわないと従者の意味がない。だから。

 有栖はトリガーに指をかける。


「下がりなさい、帽子屋。流れ弾が当たっても知らないわよ」

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