■4 鮮血

 何人斬ったかなんて数えない。クロユリは目的達成以外の過程にはまったく興味を抱かなくなっていた。

 庭は屍の積みあがった血の池地獄と変貌した。池に溜められた血はどんよりと赤く濁ったものが混ざりだしている。芝生の上に石ころのように転がされた肉片は五体満足なものが珍しい分解具合だった。その多くが上半身と下半身が迷子になっているパターンだ。縁側は返り血がたくさん飛び、既に凝固しこびりついたものもあった。


 純潔のリコリスの血と混ざりきったクロユリのセーラー服も、さすがに重さを感じてきた。純潔のリコリスは一人だけだったが、今回は数の暴力が効いた。クロユリの体力はまだ残っているし群青のリコリスメインディッシュを斬るコンディションも悪くはない。それでも附属物で思うようなパフォーマンスができないのは本意でなかった。

 せめて、とプリーツスカートを刻む。刀で乱暴に生み出したスリットは、クロユリの太腿を惜しげもなく晒した。日に晒していない真っ白な脚が赤黒いスカートと対照的だった。


「……これで」


 行ける、とクロユリは呟く。刀を何度か振って血を落とし、そのまま縁側へ脚を掛けた。群青のリコリスはまだ出てこない、しかし逃れられるはずもない。姐御と言って呼びに行った男もまた、帰ってきていないのだから。


 奥の座敷に群青のリコリスはいた。どこの任侠映画の銀幕から出てきたんだという、白いサラシを胸に巻き付けた女だ。肉付きのいい身体の足元には、しわしわに搾り取られた男だったものが置き去りにされている。喰らったのだろう、クロユリが来たから。


「群青のリコリス、捕捉」

「同族殺し、ねえ」


 群青のリコリスは窮地のはずなのに、クロユリを見てもなお余裕ある表情を崩さない。見栄か虚勢か、そこまでは推察できない。手に汗を握る様子は見つけられないが。


「見たところ中坊くらいにしか見えないんだが。本当にあんたが同族殺し?‪ 子供のってんなら」


 刹那。クロユリの流れるような一太刀が、群青のリコリスの頬を掠めた。頰で済んだのは彼女が回避行動を取ったからだ。本当は首を切り離そうと放った一撃だった。ひゅう、と群青のリコリスが口笛を吹き鳴らす。挑発のつもりだろうか。相手を軽んじるような素振りでクロユリが動じると思っているのなら大間違いだ。今のクロユリにそういった精神の揺さぶりは通用しない。


「まさかね。そんなわけないか。だって化物リコリスだもの、見てくれで判断できるものなんて何もない」


 それが可憐な少女の姿をしていても。無害な幼女の姿をしていても。リコリスという種類にラベリングされた時点で、彼女たちは常識というものから大きく逸脱している。人間の皮を被ったクリーチャー。それが彼女たちリコリスだ。


「さて」


 言って、群青のリコリスは大きく伸びをしてみせる。腰に提げているのは日本刀……ではない。拳銃だ。太腿の近くにぶら下がったホルスターから黒光りする凶器を取り出す。引き金に指をさしてくるくると弄びながら、群青のリコリスはしなびた男を端へと蹴飛ばした。襖に衝突して一枚、ドミノのように倒される。


「セーラー服の日本刀使い。相手は殺戮の名手ときたもんだ。とはいえ私にも通さにゃならん筋ってのがある。ウチのモンを手にかけた落とし前、その命でもって贖いな」


 まるで古めかしい時代劇のような口上だった。デーヴィスが積極的に蓄積していたデータに似たような語録があったのを記憶している。最早デーヴィスと大差ない脳髄を持っているクロユリが、そのデータベースを引用することも不可能ではなかった。だが、それに何の益があるというだろう。


「そのタマ、もらったァ!」


 乾いた銃声。銃の音を聞くのは久しい。何せ刀を極める日々だったし最近交わした刃は醜いチェーンソーだった。あからさまに殺傷能力の高い最適解を突きつけられることが、当然であるはずなのに新鮮に思われた。トウキョウでは拳銃を多く見ない。流通していないのもあるし、マダムがそれを求めないから。デーヴィスを一発でダウンさせることのできる武器なんて、彼女が受け入れるわけがなかった。

 拳銃は、クロユリが考えうる限り最も相性の悪い得物だ。そして最も合理的でもある。非力で戦いというものに慣れていない生き物なら、それを持てば間違いなく簡単に命を奪えるだろう。飛距離もあるし一発一発が致命傷たり得る。接近しなければ刃が届かない日本刀とは根底から違う。異種格闘技でもこんなマッチングはしない。


 なればこそ、クロユリは挑戦する。圧倒的不利な凶器を前に、その磨かれた殺意でもって相対する。

 鼓膜をつんざく咆哮を前に、クロユリは己の第六感をフル稼働させた。。音速の弾丸であっても、血濡れの道を歩いてきた彼女にならばことができる。軌道、銃声、それから硝煙。人間は甘んじて受けるしかないその弾丸を、クロユリは刀で真っ二つに弾く。


「は……っ⁉︎」


 いやいやそんなと、群青のリコリスは動揺を露わにする。目の前で行われた職人芸にドッキリか何かと勘違いしているのか。とにかくおめでたい隙間だった。ぽかんと空いた口に確かめるように銃口を覗き込む眼。阿呆だ、殺すべき相手を前にしてどうして凶器を眼前に晒す?

 黒光りする拳銃を奪い取り、呆けた口にねじ込んでやるのはあまりに滑稽だった。瞬きするほどの時間だった。


「ふがッ」


 そして、断末魔さえも面白おかしく。サーカスのテントに住んでいる道化師クラウンもかくやという間抜けぶり。道化師は人を笑わせるのが仕事だが、リコリスの生存意義は無論血を啜ることである。大衆芸能などではない。

 たった一人の客人は、笑いというものをてんで理解しないカラクリと化していた。


「これで、二人」


 赤い血の華が醜悪に咲いた。和室を取り囲む襖の風景画を血染めに落としていく。猪、鹿、月と風流な様を貼り付けた金屏風もリコリスの血が跳ね返る。この世界に金銭的価値は存在しない。どんなに嗜好品で周囲を固めても、最後にはこうして赤黒い染みになって終わりだ。

 硝煙を吐き出す拳銃は口に差し込んだままにしておく。残弾はあるはずだが持って行こうとは思わなかった。とどめを刺せなかった黒百合は本来であれば不服そうに鳴くはずなのに、そんな機能はじめからなかったかのように静まりかえっている。クロユリは絶命したリコリスから一歩身を引き、一思いに妖刀を突き刺した。

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