■3 嬌声の向こう

 クロユリは処女である。

 色狂いと揶揄されたのは母親だけで、その娘であるクロユリがそういった手の沙汰に巻き込まれることがなかった、それだけは救いだったのかもしれない。毎晩異なる男の隣で眠っていたと皮肉を叩かれるほど。初潮を迎えて間もない少女にはすべてを理解することはできなかったけれども、母親がをしているのだけはわかっていた。そして、そんな母親と同類のような眼差しを向けられるだろうことも。

 それでもクロユリが貞操を守ることができたのは、刀の道があったからである。祖父とともに刀を極めようと邁進した日々。打ち込んだかけがえのない時間は、クロユリにとって得難いものだったのだ。当然、そこで学んだみっつの手順も。


 刀で斬るときには三つのプロセスがある。この心構えがなっていないと、どんなに研ぎ澄まされた刃でも何物も斬ることができないと。そう、祖父は言っていた。

 ――そのプロセスは砂嵐になって再生されている。


 ***


 ポタポタと、刀身を伝って血の雫が落ちていく。ワイン色の床に広がったところで誰も気にしないだろう。数時間経てば擬態は解かれ、黒ずんだシミが浮かび上がってくる。それも些事だ。

 人間の男の方は純潔のリコリスが啜り尽くたなれの果てだった。肉片を細切れにすることはできても、血という血はすでに抜かれた状態だった。クロユリの主たる目的は吸血ではない。人間の男に固執するほどグルメでもない。さっさと肉塊を捨て置き、無残な姿になったリコリスに黒百合を刺した。規則的に脈打つ黒百合が血液を吸い上げていく。その間もクロユリに大した感情は生まれてこなかった。


 強いて言えば、一刻も早くこの命令を遂行したいと思っていた。機械仕掛けの熱心な忠誠心なのか義務感なのか、この欲求をどんなカテゴリに分類すべきかは心得ていない。だが、マダムに与えられた任務はすべて完璧に遂げなくてはならない。機械人形に弄られたための副作用なのか、元来の性格なのかは自己分析ができていないが。


「残りは、群青と紫煙」


 発せられた声には一切の抑揚が乗っていなかった。次に仕留める予定は群青のリコリス。特筆すべき情報はない。大方純潔や若草と同じく、リコリスにの異常性の少ない生き物だろう。人間からリコリスへと変生した彼女たちは、人間の心をもて余してしまう。最早人ではなく異形なのに、さも人間のような営みを刺激的にするのだ。たとえば純潔のリコリスのように、男をベッドに誘って食事をするとか。

 リコリスの理性は崩壊している。どんなに「らしく」見えても、そこには人と同じくした回路は存在していない。最優先事項は本能、植え付けられた欲望だけだ。


「だから、私は躊躇わない」


 殺せと言われたら殺すだけだ。クロユリを構成する命令系統はそれだけ。マダムという司令官がいて、それがシナプスを巡って筋肉を動かしていく。快楽・不快といった些事にはこだわらない。クロユリとはそういう生命体なのだ。……今は。


 一方的な殺戮に終始するわけではない。中には抵抗する輩もいる。群青のリコリスはそれに類するものだった。容姿について特筆することもない。マダムに見切られ、間引きの対象となった目障りなリコリス。きっと処断に必要な情報はその程度だ。純潔のリコリスは男を篭絡して喰らう種類であれば、群青は徒党を組んでいるタイプだった。

 シロガネダイに城を構えていた瑠璃のリコリスとも、しかし毛色が違う。群青のリコリスのソレはなのだ。クロユリにも覚えがある。これはいわゆる任侠沙汰に近しい匂いを感じる。


「姐御ォ! 何やらマエにけったいなガキが」


 下の手の男は鍛えられた二の腕から手首にかけて、びっしりと鱗模様の刺青をしていた。もしかしたらタンクトップの下も一面そうなのかもしれない。小麦色の肌をしているのもいかにもといった感じで、並の人間であればまあ積極的にお付き合いしたいとは思えない人相だろう。そしてその所属も、恐らく間違っていない。

 奇襲を仕掛ける意味は感じなかった。群青のリコリスが組織する人間はせいぜい百人やそこら。それだけの人間を束ねたという意味ではリーダーシップ性を認めるべきかもしれないが、だからこそマダムが目をつけたとも言えるので難しいところである。そして、並の人間が相手であれば、人間である以上クロユリの敵ではない。餌場に飛び込んでいくのに何を恐れる必要があるというのか。

 姐御とやらを呼びにいった男を待っている筋合いはない。門番代わりのガラの悪い男から早々に片づけることを決めた。黒百合は最早鞘を必要としない。常に血を啜り飢える機械は、クロユリが右手を振るえばひと思いにその血肉を喰らった。ほんの一瞬の猶予も許さない神業の一閃。男が何か言おうとする前に、黒百合はその胴体を真っ二つに切断していた。


「ぎゃああああああ!?」


 醜く、そしてうるさい悲鳴だ。断末魔に品性など求めないが鼓膜を刺激するのは好みではない。必要ない情報を大声で脳まで届ける行為に無駄を感じるのだ。一刻も早くソレを捨て去るため、クロユリは喉を刀で貫いた。絶命した男の上半身が門に張り付けになる。黒百合を抜けばぼてり、と無関心な音を立てて肉塊が折り重なった。

 騒ぎが大きくなることで援軍が押し寄せるのは容易に推測できる。その場合はクロユリにとって戦いやすいフィールドを選ぶのが最適解だ。庭先まで一気に駆け上がり、縁側に控えていた男たちを迷いなく斬り伏せていく。眼光の険しい男が多かったが、クロユリには何の効果ももたらさない眼差しだ。

 一人目は肩から一気に脚まで斬りつける。二人目が控えているから刀から引きはがすついでに縁側へ蹴飛ばしてやった。襲い掛かろうとしていた三人目に一人目だった死体が押し付けられる。二人目は心臓を狙ったが動きが完全には止まらなかった。すかさずもう一振り、今度は反対側から斬り込む。できるだけ身体の中心に近いところで身体を二つにしてやれば、おおよそ自由に動くことはできなくなる。クロユリは手数を減らすため、ひたすら襲い掛かる男たちを二つにしていった。減少傾向にある人間の男をよくここまで集めたな、とどうでもいいような所感を抱きながら。

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