■5 吐き出す紫煙

 三日目がやってきた。

 マダムの任務としてはまだ数日の猶予があるが、クロユリの脳内が弾き出した計算式によれば今日中に完遂できる見通しだ。純潔、群青と大きなトラブルもなく屠り去った。残るは紫煙のリコリスのみ。

 一日の間を置いたのは、最終調整のためだった。群青のリコリスを始末した後、そのまま夜を駆って進んでもできなくはなかったが、返り血を浴びすぎたセーラー服が足枷となりつつあった。また、いかにロジカルな思考を手に入れたとはいえ、身体はリコリスであることに変わりはない。人間ほどではないが疲労も蓄積する。最後の標的……紫煙のリコリスは他二人よりも慎重に事を運ぶべき。万が一の過失もあってはならない。クロユリはそう算出していた。逆に言えば、群青のリコリスは多少の瑕疵があっても完遂できる任務ミッションだったと計算した結果である。


 アリアケに降り立ったクロユリは、その風景を脳内の地図と符合させる作業から開始した。二次元の情報データと実物はその距離感や高さなどが異なる場合がある。齟齬を生んではならない。たったひとつの誤りバグがすべてを崩壊させるリスクも存在する。最後の標的――紫煙のリコリスが根城にしているのは、かつて同人誌即売会などのイベントを盛大に開催していた展示場だった。さかさまのピラミッドが特徴的な双子の塔。ガラス張りの外観は人間がメンテナンスをしていた時代の風景みてくれだ。マダムが手入れの価値なしと判断したそれは、骨格だけを残した廃墟となっている。自動ドアなんてものは過去のテクノロジーだ。きっと都庁だった御殿しか現役でない。入り口は乱暴に割られて散乱した強化ガラスが散らばっている。刺々しいアーチとなった入り口、ガラスの中をくぐって抜ける。


 異変はすぐに訪れた。


「……!」


 ぱき、とガラスを踏みしめたと同時くらいに、斜め右上から何かが射出された。クロユリの研ぎ澄まされた視覚は高速で放たれたそれを正確に捉える。尖った先端、ジュラルミン製の矢じり……恐らくは、毒か何かを塗布しているのだろう。一本の矢傷ではリコリスに致命傷を与えられない。

 黒百合を構え、その矢をはたき落とした。弾丸よりは捌きやすい。軽い音を立てて落ちたそれはボウガンの類だ。入り口をくぐると発動する仕掛けだったのだろう。なら、ひとつで済むはずがない。クロユリは周囲を見回した。


「上から……」


 反対方向。あらかじめつがえられた矢が勢いよく放たれる。一本、二本の話ではない。自動ドアの天井に装填されたボウガン、恐らくは十に至る程度。それらが一斉にクロユリをめがけて飛んできた。下手な鉄砲。慎重な紫煙のリコリスらしい策だ。

 なら、クロユリは応じるだけ。数が襲いかかっても、この刀に切れない速度ではない。身を捻り回避できるものは見逃し、それでも狙うものは叩き斬る。頭蓋を狙ってきた三本を弾く。五本は回避、 腹を狙った二本は左手で


「私には通じない。任務は遂行するのみ。命令は『必ず殺せジェノサイド』――邪魔はさせない」


 紫煙のリコリスは、簡単に言うと慎重派で籠城を決め込む女だ。アリアケの展示場という馬鹿でかい建物を拠点に選んだのは、そこを難攻不落の根城にするため。下手な隠密生活よりも「あの城は落とせない」と思わせる堅牢なセキュリティを実現することで、我が身を守ろうといるらしい。そしてそこが安全だとわかれば、人間だって媚びて集るに違いない。

 まっすぐ、太い道を突き進む。前方には動かなくなったエスカレーター。階段もあるが動いていないのだから大差ない。エスカレーターに足を踏み込めば、剣山のような鋭利な刺が飛び出してきた。そんな魔改造、どんなエンジニアがいて……と思ったが、籠城のために人間を雇ったのかもしれない。脚に突き刺さろうとする茨を、クロユリは一閃で黙らせた。先端を切り取る。エスカレーターのステップひとつひとつに同様のギミックが仕掛けられていたが、尽くを斬り伏せた。


 まるで秘宝眠る洞窟のようだ。最深部に待っているのは極上のお宝などではなく彼岸花の首になるわけだが。クロユリは難なくトラップを突破していく。


「なん、で」


 何個の罠を掻い潜ったか、そんなものは数えない。大切なのはリコリスの首を落とすことで、そこまでの下準備は重要ではないのだ。幾度となく繰り返した言葉。クロユリの脳内は同じ命令が、語彙が、爪の先まで浸透させるかのように下されている。


 がらんどうのホールの隅っこに、広さにそぐわないほど身体をちぢこませて少女は怯えていた。ノンフレームメガネがわずかに浮いて少女の視界を曇らせる。クロユリよりも年上だろうが、自分よりもずっと幼く見えた。恐らくは精神が。

 やわらかい繭にくるまれたような少女だった。ホールの隅っこに立てたバリケード代わりの衝立も、人が折り重なってできた壁面も、突破したことで繰り出された弓矢の雨も、すべてクロユリは乗り越えた。紫煙のリコリスを守るものを、堅牢と信じただろう檻を粉砕した。慎重とは恐怖の反動だ。守りに徹したその姿を憐れむことはない。非力なリコリスらしい知恵の結晶だろう。


「黒曜の……本当に、マダムが……!」


 紫煙のリコリスはぎゅっと身体を抱き締め、涙でいっぱいにした瞳でクロユリに嘆願した。


「わたしっ、わたしはマダムに決して反抗しません! 必要ならばマダムに人間の男だって捧げますし、お力になれることは何だっていたします! わたしは逆らわない、力を持たない、だからっ」


 命だけは、と震える声で紫煙のリコリスは乞うた。クロユリは思案する。紫煙のリコリスは慎重な生き物だ。何度だっていれてきた情報。彼女の本能であり宿業がそうさせているのかもしれないが、きっとこの有り様は変えられないだろう。慎重なリコリス、故に何を仕掛けているかこちらも冷静に見極めなければならない。

 周到な用意が必要だ、とクロユリは判断した。故に一日待った。準備に当てた。

 それは紫煙のリコリスが

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