■7 踏み潰される、雑草
***
ギラギラに輝く鉄の箱を、ドロシーはいつもサイテーな趣味だと思っていた。暗いトンネルの中を走るから余計に目立つし、マダムが派手なものを好むのは知っていたけれど、それにしたってナンセンスだ。自己主張ばかりで顔でも張り付けているかのよう。プラットホームで待っているときも、不愉快さを微塵も隠さず迫ってくる箱を睨み付けていた。
車内もよく光っているから、ふたつの
ではもう片方は?
それがリコリスだとわかったとき、いやたとえリコリスではなくても、彼女が里砂に仇なしているだけでドロシーは殺意を火にくべた。何者であろうと里砂に手を出すなら殺す。愛機を駆動させるのに一切の迷いはなかった。
鉄の箱越しでも、ドロシーの鼻ならわかる。じゅるりという、蛇が這うような薄汚い唾液の匂い。汚い、ああ汚らわしい里砂に触れていいのは自分だけのはずなのに! 行為を細かく見たわけではない。動体視力はそこまで良くないのだ。でも、その羽虫が里砂に密着しているのはわかる。
「……あたしの
ドアが開き、背後でチェーンソーを振るうそのときまで、興奮状態のクソアマはドロシーに対応しなかった。チェーンソーの唸り声も流石に後ろまで来ればわかったろう。それでも一ミリも身体がこちらに向かなかった……彼女は相当に里砂に執心していたと見る。
切れた首から噴水のように血が吹き出し、バタバタとドロシーと里砂に雨を降らせた。べっとりとした赤黒い液体が真っ赤な髪を伝う。カッターシャツは白いからすぐに染まってしまった。噴水の向こう側で里砂は呆れたように笑っている。その笑顔が見たかった。
「ごめんね」
「なんで里砂が謝るの」
「だって」
床を転がっていく頭は恍惚とした顔をしていたが、 二人は見向きもしなかった。ころころと座席にぶつかるまで転がっていく幼い顔のリコリス。胴体さえも最早邪魔なオブジェだと、ドロシーは近くにあった「優先席」と書かれた座席にそれを突き飛ばした。すぐに抱き合う。里砂の黒髪にべっとりついた血を払おうとしたけれど、里砂にやんわりと制止された。
「消毒して」
里砂がドロシーの左手をつかみ、優しく彼女自身の頬に触れさせた。同じく血まみれの頬、しかし鉄臭い中に僅かに香る、……唾液。里砂が何をされたのか。思いを馳せた瞬間、怒りという激情がドロシーを支配していくのを感じた。
噛みつくように頬に唇を寄せた。唇を押し付けるだけでは綺麗にできない。あのよくわからないクソアマの痕跡は、ひとつたりとも残してやるものか。里砂は自分だけの恋人で、自分は里砂だけの恋人だ。
舌で丹念に血と、その奥にあっただろう粘りけのある体液を舐めとる。目元近くまで舌を伸ばせば、くすぐったそうに里砂が目を閉じた。目尻がほんのり桃色に色づいているのもいい。欲情する。
「がっつくわね」
「たまにはいいでしょ?」
反対側も同じように。本当は眼球の裏まで消毒してしまいたかった。里砂が触れたもの触れられたもの、すべての接点を自分で上書きしてしまいたかった。少し離れただけなのに、こんなにも恋しくてたまらないなんて。独占欲を寂しさとドロシーはラベリングした。
唇を開かせる。ドロシーの舌が侵入し、求め合う。隣で頭のない死体が鑑賞しているのもお構いなしに愛を確かめた。クダンシタで自動ドアが閉まっても、ドロシーは里砂をガラスのドアに閉じ込めるようにして里砂を奪い取った。
「もっと」
と里砂が言うものだから、ドロシーはちょっと驚いた。理性や分別のあるのが里砂だから、こういう「公衆の面前」で続きを促してくるのが珍しかったのだ。それはいつもならドロシーの担当で、屋内のプライバシーが保証されているところを提案するのが里砂だから。
なので、ドロシーは互いの唇を離して悪戯っぽく問いかけた。
「なあに里砂、あたしが欲しいの?」
「ええ、欲しい。今すぐにでも」
がっついているのは里砂の方だ。すぐ事に及びたいとドロシーは常に思っているし、里砂の同意があるのから
里砂の指先は小刻みに震えていた。
「……なんだ。素直じゃないんだから」
ドロシーは啄むキスをひとつして、それ以上深くは求めなかった。そのあとにスレンダーな身体を包むようにそっと抱きしめ、耳元にそっと愛を囁く。
「怖かったって、言えばよかったのに」
「……言えるわけ、ないじゃない」
里砂の声は明らかに涙声だった。表情は、あえてみないでおく。
「大人だからって強がりすぎなんだよ、里砂は」
「ドロシーが来るってわかってたから、強がってなんか、ないのよ」
「はいはい。今日は一緒にシャワー浴びよ? 血でベトベトだし」
するにしても、潔癖症気質の彼女は身を清めてからでないと乗ってくれないだろう。自棄を起こした状態の里砂を抱いてもいい気分にはならない。ドロシーが今は優しくしたい気分だった。
今日は自分が上になろう、とドロシーはもう決めていた。主導権は気まぐれで変わるけれど、憔悴している里砂を大切に抱きしめたい。ドロシーの今の望みだった。
「せっかくだし、シブヤまで行ってみる? キレイめのホテルが残ってるかも」
「それ、派手な色のホテルのこと?」
「里砂もそういう気分なんでしょ」
諦めたように、里砂はへにゃりと力なく微笑んだ。相当に参っているのはドロシーにもわかる。普通の人間が生きるには、あまりにも気を張っているべきことが多すぎる。だからドロシーは里砂と一緒にいる時間を多くとろうとしているのに。
「……もう離れないから」
指先が、唇が、肌が感じたいとおしい温もり。ドロシーはトウキョウで彼女を手放すつもりは、毛頭ない。
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