■5 引っ掻きまわす

「ねえねえリサさん、リサさんはどうしてトウキョウに来たの?」


 一度心を許してしまえば、えみりはもう止まらなかった。生まれた高揚感を留めることをせず、えみりは矢継ぎ早に質問を飛ばしていく。マシンガンと化した唇は器用に動き、流暢な言葉を吐き出した。


「生まれは? どこで育ったの? ずうっとトウキョウってことはなさそうよね、さっき外のニュースの話をしていたし! トウキョウで人間が生きていくのってとっても難しいと思うんだけど、リサさんはどうして生きてこれたの? やっぱりさっき言ってた天真爛漫な女の子のおかげ? その子はどんな子なの? リサさんに素敵な笑顔をくれる、可愛い子なのかな。ねえねえ、あたし気になって仕方なかったんだけど、リサさんには彼氏とかいる? あっごめんねデリケートな話だった? だってリサさんキレイだし美人だし細いし、あたしが男だったら惚れ込んじゃう! いや、女でも好きになるかな、あたしもうリサさんのこと気に入ったし! ああ楽しいな、リサさんの知りたいことが溢れてくる……!」


 奇妙な浮遊感にさえ襲われた。楽しい。愉しい。腹の底から沸き上がってくる感情は、若草えみりがリコリスになってから何度か味わった快楽だった。頭はよくない。むしろ勉強なら下から数えた方が早い学生生活だった。だが、えみりには知識欲がある。知りたいと願うこと、もっと相手を理解したいと求めること。そんなとき、えみりの口内にはたくさんの唾液が生成されるのだ。

 じゅるり。と下唇を舐めてからえみりは再度リサを見つめる。知的な印象を与えるスレンダーなお姉さん。最初に感じるのはそんなところだろうか。指通りのいい黒髪も日本人らしい虹彩の色も決して珍しいものではないとしても、えみりには新鮮で輝かしいものに映った。


「美味しそう」

「ッ!」


 思わずこぼれた本音つぶやきに、リサの顔が一気に強張った。息をつめ、驚愕と恐怖に目を見開き、わなわなと唇を震えさせている。それも初めて見る表情だ。

 重ねていた手を弾かれる。飛び退くようにリサは席から立ち上がった。黒色のスニーカーが数歩後退る。今もトンネル内を快走する密室の箱のなかで警戒心を剥き出しにしている、余裕のない顔もえみりの探求心を満たした。


「あなた……リコリスなの……!?」

「んー?」


 リサの切羽詰まった問いかけとは対照的に、時間をかけて言葉を捻り出すようにえみりは答える。


「そんなに警戒しないでよ、リサさん。あたし言ったでしょ? リコリスに追われてるって。なんであたしを狙ってるのかまったくわからなくてさ、困ってたんだよね」

「追われてるって……もしかして、黒曜の……!」

「やっぱり有名なんだ、あの子。ほんっと怖くてさ。殺気しか感じなくて、死ぬかと思ったもの」


 リサにすぐ肉薄することはせず、横に長い座席を占領してえみりは語る。時折意識が吹っ飛ぶほどの快感を得る、今はその予兆なのだと薄々察していた。


 ***


 若草えみりがとして開花したのは、間違いなく「知りたい」という感情のせいだ。子供っぽい容姿だがそれに負けない明るく華やかな性格で、彼女は教室のムードメーカーとして上手く機能し立ち回っていた。ちょうどそのクラスにも、えみりに優しくしてくれる男の子がいて、結論だけいうとえみりはその男の子が好きになった。恋に落ちた、とロマンス風に表現してもいいだろう。


『彼はどんな女の子が好きなんだろう』


 恋する乙女として、至極当然の悩みに苛まれる日々。幸せな苦悩だと揶揄する人間もいたろうが、えみりには真剣そのものだった。彼の好みだけを取り入れた、ステレオタイプの女子になるつもりはない。でも、彼の好みを知っておいて変えられるものもあるかもしれない。当たり前の思いを、少女は徐々に肥大化させていく。

 少女の悩みは興味へと変わった。どんな服が好きか。どんなメイクなら気を引けるのか。どんな話し方どんな性格、どんな女の子を理想としているのか。「何故」「知りたい」普通に抱く感情を、しかしえみりは普通に昇華できなかった。


『もっと知りたい。そうすれば、もっと彼に近づくことができる』


 知ることは距離を縮める儀式なのだと、えみりは考えるようになった。たとえ心が離れていても、彼の仔細を知っていれば。今日はどの道を通って登校し、どのシャープペンを愛用して勉強し、何曜日にジャージを洗濯し、何時間誰とSNSでやり取りをしているかを知っていれば。彼はもう、えみりの傍にいるも同然だった。


『ああ、もっと。もっと知りたい!』


 えみりの探求心は本来の目的を食い潰した。大好きな彼に近づきたくて始めたことが、大好きな彼と一体化するために知識を追い求める怪物と成り果てた。どうすれば、これ以上何を知ったら彼をより深く理解できるだろう。恋する乙女として、彼の何をまだ知らないのだろうか――


 若草えみりが人として最後に持っている記憶は、鉄臭い肉の味だった。


 ***


「リコリスって、あたしよくわからないの。


 えみりは自分の両手を見つめてそう呟いた。


「だって、見た目にはなんの違いもないじゃない。黒曜の? あのヤバいリコリスみたいな身体能力とかさ、見せつけられたら確かに人間離れしてるわ、と思うけど。あたしは違う。


 えみりには研ぎ澄まされた五感も備わっていない。身体能力も人間の女子と大差なく。生命力が逞しいかは、実際に殺されかけてみないとわからない。黒曜のリコリスには襲われたが、どこか傷を負ったわけではなかった。


「血を飲まなきゃいけないって、そういう身体の仕組みだけの話なの? あたしは元々そういうのにも興味があったし、今でも時々美味しそうだなって思うと意識が吹っ飛んじゃう。たくさんいるトンデモリコリスに比べたら、あたしなんて普通も普通じゃない」


 リサさんもそう思うでしょ? とえみりは小首を傾げてみせる。リサは強張った表情のまま何の返事もしてくれないが、それはえみりも想定内だった。

 よいしょ、と掛け声と同時にえみりが席を立つ。リサが更に一歩後ろに下がった。


「あたしはね、知りたいだけ。無害も無害、平凡なリコリスでしょ? リサさんのこと気に入ったから、もっと知りたいだけなの。指も思考も食べたときの味も、ただ純粋に知りたいだけ。わかってくれるよね?」

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