■3 因子―ファクター―
発言を許可されたデーヴィスはここ数日の振り返りを終えた。であれば自らに課せられたタスクは新たな局面を向かえる。これからどう対応するか、どんな動きが予測できるか。
『烈火のリコリスを監視しつつ、目下瑠璃のリコリスを狩ることが目標ですか』
「王女様は放置できないわ」
マダムは明言こそしなかったが、デーヴィスの発言を否定しなかった。それは許容に近い。ティーカップの傍らにいたデーヴィスがディスプレイとなり、トウキョウの地図を表示する。デジタルデータの利点はすぐに引き出せることだ。それをマダムは熟考するように眺める。
「烈火のリコリスはダイバからツキシマ方面に移動してるわね。王女様は地下鉄を使ってシロガネダイに戻り、そのあとの利用履歴はなし。廃墟に留まっているか、警戒しているか」
『瑠璃のリコリスは今回の襲撃であなたを疑うでしょうか』
「どうかしら、確率は五分ね。気づいていると仮定して動いた方が良さそう」
自分の王国を特定し、完膚なきまでに破壊したのがマダムの差し金だと知れたら、瑠璃のリコリスはまず地下鉄と縁を切るだろう。物資援助も申請しないかもしれない。あるいは素知らぬ顔をしてすり寄る可能性も否定はできまい。数日の行動を注視すべきだろう。
刺客が黒曜のリコリスで、自分との関係を考えられるとやや面倒だが、恐れるほどの力はもう残っていない。
『瑠璃のリコリスにはまた黒曜のリコリスを向かわせるのですか』
「同族殺しの印象を植え付けたいのは事実だけど、今じゃないわ」
『では数日は慈善事業の商人ヅラをして様子見を?』
「ひどい言葉を覚えるじゃない」
そんな言葉を教え込んだつもりはないのだけれど、とマダムは失笑する。デーヴィスたちの記録の閲覧、たくさんの人間やリコリスの外見データ、口調、感情の起伏に至るまで。このデーヴィスは学習のために多くのものを摂取した。それが他のデーヴィスと根っこの部分から違う由縁でもあるが、どうしてこうなったのか知るものは誰もいない。
『他のリコリスを動かしますか』
「そうね、人間ばっかりが搾取されてリコリスが生きながらえるのも面白味に欠けるのよね。私が作り上げる
チェス盤はない。しかしマダムは己の意にそぐわない手駒たちを並べてみせるように、トウキョウに存在するリコリスを次々に挙げていった。若草、群青、紫煙、純潔――どれもマダムが流布していった通り名だ。彼女たちは自らの自由意思で生きているように思い込んでいるのが、また喜劇である。
「このあたりには、そろそろ死んでもらってよさそうね。クロユリの餌にでもして、彼女を適当に満たしておきましょう」
『黒曜のリコリスを呼びますか』
「昨日の今日だものね、少し時期を空けてでいいわ。毎日ここに通っていたらそれこそ懇ろだと思われちゃう」
自称一匹狼を気取る黒曜のリコリスが、本当は誰よりも誰かに頼って生きている。その構図がマダムには愉快でならなかった。ポイ捨てするには惜しい駒だが、長く首輪をつけているのも牙をなまくらに変えてしまう。黒曜のリコリスが「踊らされている」と自覚した頃合いに始末する。それがマダムの思い描くシナリオだった。
「この後は来客があるから。あなたはもう下がりなさいな」
『次の宿題は』
「ずいぶんやる気じゃない?」
誤算と言えば誤算だった。ただのデーヴィスが遂げた進化としてはイレギュラーが過ぎた。でも特別にはしたくない、だから名前は与えない。他のデーヴィスと同じ符号で区別をさせない。マダムと対話できる唯一の機械人形を廃棄しない時点で、己はもうとっくに特別視しているのだが。天の邪鬼な彼女はそれを認めようとしなかった。
「あと数日中に来るだろうリコリスと、そこで行われる商談。推測してみてごらんなさい」
『了解しました』
他のデーヴィスよりもずっと違和感のない日本語を操り、デーヴィスはぐるりと半回転した。そのまま二輪を駆動させ、一礼もせずに消えていく。デーヴィスに背中を折り曲げる動作はインプットされていない。
静寂が訪れた。
「……烈火の……」
デーヴィスを完全に下がらせたあと、マダムはひとりごちる。冷めきったティーカップの中にはまだ赤い池が残っている。燃えるような赤い色。黄金の御殿すら焼き尽くすような不気味な揺らめきが、マダムの心にさざめきを起こす。
クロユリと接触済みの
「私に歯向かうメリットはなさそうだけど、有栖と手を組まれると厄介だわ」
烈火のリコリスが有栖をどう思っているか知らないが、有栖は烈火のリコリスに執着している。それは彼女の地下鉄の使用履歴を見れば明らかだった。牧場の人間に調査を仕掛けたときも、有栖が烈火のリコリスを妹と盲信し、溺愛している噂は聞いている。有栖は間違いなく、烈火のリコリスに再度接触するだろう。
王国を失った統治者が血縁を頼ったら、どうなるか。
「一蹴してくれればいいのだけど」
有栖がまた国を作る前に、今度こそ殺さなくては。マダムは冷めた紅茶を一気に飲み干した。喉を通る、突き刺す思い出。
「…………」
静寂が恋しい。機械音に溢れるようになったこの御殿において、静寂とは真の意味での静寂ではない。マダムがひとりきりで執務室や応接室に籠るだけの、孤独の代名詞である。
静寂を殺したことにも理由があった。何かしらの音に囲まれていたかった。無音は苦痛だ、瞳を閉じる毎に思い出す悪夢があるから。冷めた紅茶も、無音の病室も、落ちた椿も。すべてが嫌いだった。
「私から、何もかも奪っておいて……まだ、奪わせてくれないの」
深紅の椿が胸の奥に咲く。きつく瞑目した彼女の表情にデーヴィスと話していた余裕はない。皺の寄った眉間は何かに耐えるように歪んだ。咲いた椿を抑える。スパンコールの飾りが指の腹に食い込んだ。
「誰にも奪わせない。
――椿が落ちる。
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