■2 女優―アクトレス―

『私は黒曜のリコリスを用心棒に据えたのは反抗的なリコリスの処断係としての意味合いかと推測したのですが』

「半分はね。あの子、それが生き甲斐みたいなものだし」


 でもそれだけじゃないわ、とマダムは応じた。トウキョウ中の、どころか日本国を相手取って商談を重ねている女だ。その特権じみた力が幅をきかせているのは彼女が中立な商人として見られているからに他ならなかった。


「私とあの子が通じているとわかったら、周囲の私への見方は変わるわ。そのときが来るまではよろしくない。だからあの子は切り捨てるの」

『その割には彼女に口止めなどをしませんでしたね』

「あの子に信用なんてあると思う?」


 マダムは脚を組み直して笑った。


「トウキョウのインフラを握る私と、同族殺しの精神異常者シリアルキラー。どっちの側につくかなんて明白でしょう」

『悪大官のようです』

「いつの時代劇のデータ?」


 饒舌に語るマダムは上機嫌である。紅茶を堪能し、凄艶に笑いかける姿は答え合わせが始まってからの余裕の表れである。黒曜のリコリスことクロユリを歯牙にもかけないあたりに、彼女の興味というのは非常にわかりやすい。ポーカーフェイスは笑顔だけで、興味関心をまったく隠す様子がないのはデーヴィスへのハンディだと言うのか。

 デーヴィスはこれ以上の雑談を無益と判断し、黒曜のリコリスの情報整理を再開する。


『あなたに同胞の情報を得る目的で、黒曜のリコリスは協力関係となりました。その結果が一昨日深夜から昨日明朝にかけての牧場での。彼女はあなたの依頼を忠実に処理したわけです』

「ご丁寧に報告までしてくれたしね」


 血のついた黒衣のセーラー服のままに、黒曜のリコリスは御殿にやってきた。黒ずんでセーラーに擬態しているかのような保護色だったが、匂いまでは誤魔化せない。大量の血と脂を浴びてきた少女の顔は、やはり表情筋が死んでいた。


「でも、牧場の主は取り逃がしてしまったわけね」

『瑠璃のリコリスのことですか』


 把握して当然の情報――あえてクロユリには伏せていた情報を、あっさりとデーヴィスは述べてみせる。トウキョウにおいてマダムが存在を認知していないリコリスは存在しない。すべてを監視するかのごとく掌で遊んでいる彼女には、どこに誰がいるかなんて常識レベルの情報だ。


「あの子、私を毛嫌いしてるみたいなのよね。面倒なお城のプリンセス気取りも小規模なら見逃したけど、シロガネダイの牧場は大きくなりすぎた。そろそろ間引いておきたかったの」

『黒曜のリコリスに殺させるつもりで?』

「あの子はリコリスを殺せて、私は反乱因子を除去できて。Win-Winってやつでしょう」


 だから残念だわ、とマダムは溜息をついてみせる。余裕綽々の様から、これは想定内であるとデーヴィスは推測した。


「気まぐれな王女様の動きは立てにくくて困るわ」

『しかし及第点と言いたいのですか』


 マダムはわずかに眉をぴくりと動かしたが、すぐに試すような微笑に戻る。


「どの辺が及第点?」

『シロガネダイの牧場は壊滅。その場にいた家畜にんげんは殺し尽くしたと、黒曜のリコリスは報告しています。目障りな戦力を削ぐという目標は達成されました』

「まあ、その辺は。確かにね」


 言い方に素直さはないが、デーヴィスの返答は間違っていなかったらしい。細かい表現の差違があるので感情を持つ生き物は難しい。同じ言葉でも真逆の意味を持つことが多いためだ。特にマダムという、明るい茶髪にスパンコールという派手な見てくれの女は、その見た目に反して思慮深い。傲慢さもそこに同居しているから、率直にいってめんどくさい女帝だった。


「これからもあの子には適度に働いてもらうわ。でもそれは利害関係のため。も必要でしょう」

『切り捨てる日は近いのですか』

「地下鉄は順調なんだけどね、それだけじゃ物足りないわ。だからもう少し先の話ね」


 自らが完全にトウキョウを掌握するまで。そのときが来れば黒曜のリコリスは「用済み」となる。マダムの言葉は謙遜もないわけではない。今や彼女というサービスなしにトウキョウで生きていけるものはないに等しい。移動には地下鉄が。食糧や物資が。安全なサービスを手に入れたいのなら、かつての都庁に住まうマダムにこいねがうこと。それがトウキョウで生きる掟である。

 きっとクロユリという少女は、そう遠くない未来に処分されるだろう。咲いた花を踏み潰すような慈悲のなさのもとに。


『黒曜のリコリスはあなたに不用の烙印を押されるまではあなたの狗。瑠璃のリコリスも牧場を奪われた以上当分は再起不能。あと目ぼしい動きをしたものはなかったように思います』

「目立つのはね」

『というと?』

「クロユリと有栖と接触したリコリス。それは監視しておいた方が良さそうだわ」


 マダムは紅茶の水面を見つめる。赤い海が小さな波紋を起こしている。


「赤いリコリスがね、二人に会ってるのよ。それもここ数日」

『デーヴィスの記録ですか』

「ええ。地下鉄を利用してる」


 マダム自身、千里眼などの特殊能力は備えていない。クロユリのように「心眼」というハイスペックな視覚、第六感を持つわけでもない。だから彼女はデーヴィスたちにその役割を任せた。地下鉄の番人である彼らはただの光り物収集マシーンではない。彼らはその無機質な瞳をカメラにして、地下鉄の利用者を記録しているのだ。正直、光り物はカメラに顔を映すためのツールにすぎない。

 クロユリ、有栖がそれぞれ地下鉄を利用した日、付近の駅で烈火のリコリスと人間の女を一人、確認している。今はまだリコリスらしく、本能のままに暴れまわっているだけだが、クロユリや有栖が接点のある彼女に頼らないとも言い切れない。マダムはそれを警戒していた。


「念のため、彼女たちが地下鉄を使ったらすぐに私に報告するよう伝えておくわ。まあ、苛烈なリコリスが一人増えたところで痛くもないけれど」

『言葉と指示が矛盾しています。危惧しての予防策でしょう』

「無駄口を叩かない」


 痛いところをつかれると、マダムは会話をシャットアウトする。わかりやすく図星ということだ。野心はあるくせに歩みが慎重。傲慢な本能のくせに理性的な 駒運び。矛盾だらけの女帝だからこそ、デーヴィスという監視カメラを地下鉄じゅうに配備しているのかもしれない。話し相手デーヴィスの推測の域をでないが。

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