綺羅篇 喜劇『LycoriTH』

■1 喜劇―コメディ―

 閉鎖的な世界でものを言うのは、情報だ。


 世界の広さはどれくらいか。どこまで侵入できてどこが立入禁止か。この世界で一番偉いのは誰か。世界の外側はどうなっているのか。そうした「枠組み」を知っているのといないのとでは大きくの難易度が変わってくる。

 知識と言うのは厄介だ。この国だって一度は外国との交流に制限をかけた国だ。新しい知識、新しい技術は時として実情と相容れない。自らの統治に都合の悪いものは排除すべし。そうやって虚飾の平穏を守る、昔から取られてきた手法だ。彼女がやっていることも、言わば同じことである。枠組みを作ればあとは簡単。その脆弱性を補う利点を持つものが自分だとアピールすればいいだけ。


「隔絶絶命都市トウキョウは、リコリスを閉じ込めるための檻である」――このを信じているものが、世にどれ程いるだろう。思考停止して本能のままに血を啜るリコリスには、到底至れぬ結論であろう。


「冷静に考えることができるなら、わかるはずなのにね? 日本という国の中枢の詰まった首都を、おいそれと明け渡すはずがないじゃない」


 言い方は悪いが、獣を閉じ込めたいだけなら田舎の山間の集落にでもぶちこめば良かったのだ。人も少ない、リコリスは餌がなくなれば殺しあう。何の問題もなく彼女たちは共食いをして死滅するだろう。そうなっていないのは他でもない、が交渉したからである。

 あれは大変だったわと、肩を大きく竦めてみせる。異質たる力を持って母親の腹から産まれた、リコリスという女。その元凶とも原初とも呼べるリコリスこそが彼女だ。肥大化した異形は瞬く間に東京を掌握し、日本の政治の中枢に戦いを仕掛けるに至る。

 そう、交渉。原初のリコリスである彼女は日本政府との交渉の果てに、中枢である東京二十三区を我が物としたのである。


「何故……? あらあら、随分と面白いことを聞くのね」


 決まってるじゃない、と女は給仕にやってきたデーヴィスの頭を撫でた。金のスパンコールはシャンデリアに照らされて目に痛いほど輝いている。


「この国を私が支配するため。すべての生き物リコリスを手のひらで踊らせるためよ」


 原初のリコリス、通りのいい名前はマダム。独身だし、はべらせるのは不格好なロボットばっかり。そんなビルの高層階から、彼女は踊る街並みを見下ろしていた。


『マダム・カメリア。何がそんなに愉快なのですか。私には理解が及びません』


 話し相手となっている一体の機械人形デーヴィスがノイズの混じった電子音で問いを投げた。マダム・カメリア――それすらも彼女の偽名でしかないのだが――彼女のことを称号マダムではなく偽名なまえで呼ぶ唯一のデーヴィスである。地下鉄とこの御殿であくせく働く機械仕掛けの召使。それがデーヴィスの定義であるが、このデーヴィスだけは彼女にとって稀有な存在でもある。

 をするのだ。

 そういうわけだから、マダムはこのデーヴィスとの会話を心底愉快に思っている。命令系統の不備だか何だか知らないが、特別変異で生まれてしまったこの産業廃棄物イレギュラーにマダムは一種の愛着さえ感じているのだった。


「あなたにはわからない? そうよね、機械だものね」


 侮蔑の込められたマダムの言葉にもデーヴィスは応じない。思考こそすれ、快不快といった主体的な感情をこのデーヴィスはまだ学習していない。


『マダム・カメリアは支配に快楽を感じるのですか』

「そうよ、支配するのは大好き。でも厳密に言えば好きなのは、支配じゃなくて屈服なのかもしれないわ」


 豪奢なメタリックシルバーのソファーは、本来であれば来客用のものだ。三人はゆったりと座れる。それに、さも自らが丁重にもてなされる客人であるかのように、マダムは深く腰掛け身体を委ねていた。口許には酷薄な笑みが浮かぶ。


「高慢な生物モノが悔しそうな顔をして膝をつくのが好きなの」

『悪趣味ですね』

「快楽を知らないのに趣味の高尚さは理解しているつもり?」

『私が蓄積したデータベースによれば、人間が膝をつくときは精神的もしくは肉体的に逼迫しているときです』


 それが愉しいのに、とマダムは哄笑した。別のデーヴィスが紅茶を給仕する。マダムはレモンティーなどのフレーバーつきのものがお好みだ。ティーカップに銀は使わない。彼女を毒殺しようと企てるものはあれど、彼女に毒は効かないから。

 白磁のシンプルなソーサー、そして水面には赤い湖。コントラストを堪能するようにマダムはそのさまを眺める。指先で取っ手を摘まみ、静かにレモンティーを口に運ぶ。マダムが指示した通りの茶葉の塩梅、抽出時間だ。同じ味を出せる、というのは機械人形のメリットであった。


「それで? あなたは答え合わせにでも来たってわけ」

『あなたの宿題を提出しに来ただけです』

「ああそう。そういえば言っていたかもね」


 まるでへんてこな学校だ。マダムにはこれまた面白がって遊んでいる趣味がある。どういうわけか奇妙な能力を得てしまったデーヴィスのために、思考を養うための宿題を与えていた。

 リコリスたちはそれぞれどんな動きをしているか。そのうち。情報整理と推測を必要とする課題だ。


「じゃあここらで、情報整理といきましょうか。数日の動きのチャート化ね。私にもちょっと予想外の動きがあったし、それについてあなたがどう推測を立てたかを聞きたいわ」


 チュートリアルをするかのように、マダムはデーヴィスにゆっくりと言い含めた。何度もやっている課外授業。デーヴィスは黒光りする両目をぎょろぎょろと動かして、淡々と回答をはじめた。


『トウキョウに生息するリコリスで、特筆すべきはまず黒曜のリコリスです』

「ああ、いたわねそんな子」


 さして興味がないのか、素っ気ない口調でマダムは紅茶をすすった。


『あなたの用心棒にしたのでは?』

「違うわ、駒よ。私の


 支配するのが好きだと言ったでしょう、とマダムは呟く。


「あの子がどう思ってるか知らないけど、まさか私が心からあの子を信頼してるとでも?」

『黒曜のリコリスは同族殺しとして名を馳せていますが、生前は刀の道に一途な性根であり、その性格は今も変えられてはいないようです。マダム・カメリアに命を差し出すと言ったのも反故にしない根拠では』

「口先ではね。でもその辺はどうでもいいのよ」


 マダムがティーカップを置く。冷えきった灰色の瞳が侮蔑の色を宿した。


「私は何も信用しない。私が支配し私の都合のいいように使い潰す。この世にリコリスは私だけ、それがいずれ私が作り出す世界よ」

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