■7 アイロニー

「私、私の……私のドロシー、!」


 有栖は叫んだ。目を剥き、可憐だったはずの姿を醜悪に墜として。血走った白目も気にしない、ドレスがほつれてもどうでもいい。ヒールさえ煩わしい、あんなに時間をかけて繕った外見を、ゴミくず同然に投げ捨てる。


「帽子屋!」


 有栖が怒号同然に彼の名を呼ぶと、ようやく帽子屋が動いた。アタッシュケースに仕舞いこまれていた中身を取り出し、一切の愛想なく有栖に献上する。それは可憐な乙女の信条に反した、無粋で無骨なチェーンソーだった。


「可哀想、可哀想だわドロシー! あんな事件があったせいで、あなたはショックで!? なら仕方ないわ、お姉ちゃんは痛いのはいやだけど、あなたを助けるためだものね!」

「っの、イカレ女……!」


 最早有栖に理性というものはまったく期待できなかった。王国の王女という、統治者としてどうにか保っていた理性という皮を、ドロシーという肉親のために本能を優先した。独占欲、支配欲の化身とも言える彼女は、つまるところリコリスの性分から逃れることはできないのだ。

 チェーンソーを起動。ヴンという耳障りな音を聴くのも久しぶりだ。本来であれば聞き分けの悪い家畜相手に使った代物であるが、最近は自身のカリスマ性と洗脳で抑えこむことができていたため、めっきり使わなくなっていた。その間も帽子屋に手入れを一任していたから、切れ味に関しては折り紙付きである。


「ちょっと痛いけれど、首が落ちたってあなたなら大丈夫よね?」

「なら自分の首でも落としとけ、妄想メルヘン女!」


 有栖のチェーンソーと、ドロシーのチェーンソーと。二本の回転刃がゴリゴリと互いを削る。剣戟や鍔迫り合いをするにあたってきっとこの世でもっとも不適切な道具だろう。火花と、鼓膜を突き刺す音が我慢比べよろしく襲い掛かってくる。


「私とお揃いのチェーンソーぶきなんて、実は私を覚えていてくれたのかしら」

「偶然だわ、気色悪いこというな!」


 ドロシーが一気に押し込んだ。互いに細い線の少女とはいえ、場数が違う。有栖は処刑用にチェーンソーを使う程度で毎日誰かを斬り殺しているわけではない。耽溺と退廃の宴に日々興じている王女さまは、殺人鬼相手に分の悪い戦いを強いられていた。

 とはいえ、ドロシーの動きに無駄がないわけでもない。殺傷に長けた彼女の動きは大振りであることが弱点だ。いたぶることしか考えていないモーションはおおらかな彼女らしい性格だと、幼き日の思い出もうそうを重ねて有栖は思う。口角があがるのは仕様のないことだった。


「ねえドロシー、あなたは海が大好きだったでしょう? その理由を知っていて?」

「知るか!」


 それでもドロシーの動きがわずかに鈍ったのを有栖は見ることができた。確かに戦いは不得手だ、だが武器は何もチェーンソーだけではない。過去の己を知っている不気味なリコリス。ドロシーのなかにそんな懐疑を植え付けてしまえば、彼女は有栖相手に本気を出しにくくなる。


「綺麗だからって。笑っちゃうわよね、だってなんにでもあてはまるじゃない! 海も綺麗よ、山も綺麗よ、私は夜景も綺麗だと思ったわ。それなのに納得しちゃった私もバカだけど、あなたも大概よね?」

「褒めてんのか貶してんのかどっちなのよ」

「天邪鬼なのかもしれないわ」


 くすくすと、血走った眼で笑う有栖は執拗に首を狙った。だってアリスなのだから当然でしょう? と彼女は断言するのだ。妄執に囚われた、虜囚の国の王女さま。首をちょん切れと言ってしまっても、彼女は自分がアリスヒロインなのだと言い切ってみせる。

 ドロシーは苦々しく顔を歪めた。舌打ちをしようにも歯を食いしばっていないと衝撃に耐えられない。有栖の一撃は重くはないのだが、首を狙うその狂気に圧される。加えてチェーンソー同士が噛みあう音が一種の攻撃みたいなうるささだから、受けるばかりではストレスフルなのだった。


「あんたも一回、喰らってみれば!?」


 ドロシーの反撃。有栖が振りかぶった隙を突き、同様に首を狙う。斬るのではなく回転刃に有栖は目を瞠った。顔を逸らして胴体の損傷を免れたものの、長髪にチェーンソーが絡んだ。ドロシーの武器はこれでおじゃんだ。

 ぐるぐると髪の毛を巻き込んでいく凶器。身体の傷はなくても、それは有栖にとって噴飯ものだった。


「あ、あああ、私の、ああああああああ!!」


 断末魔のような悲痛な叫びが、ダイバの海辺を切り裂いた。ヒステリーとルナティックで支配され気が高ぶっている有栖は、動揺のあまりなす術がない。それを好機と捉えたドロシーが素手で殴りにかかる。このまま頭を押さえつけて髪の毛を巻き取るチェーンソーにキスをさせる思惑だ。下手な怪物よりもタチが悪い、とにかく命を奪うことに特化した行動だった。

 こんなときになっても帽子屋は助けに来ない。石のような男は本当に「荷物持ち」だったのだ。有栖は孤高の王女さま、そして孤独なリコリスだ。自分を理解してくれる取り巻きはどこにもいないし、どんなに崇拝されようとも自分が死に瀕した時代わりに守ってくれるものはいない。ドロシーの首を絞めた時の里砂かのじょのような存在が。


「――ッ、ああ、ああああ、畜生、うあああ……!」


 普段は自重している汚らしい言葉を吐いて、有栖は涙でぐちゃぐちゃになりながら髪の毛を切り落とした。朽葉色の長い髪。童話のアリスのような長髪は、実はお気に入りだった。かつては苦手だったけど好きになれた。王女になれば、皆が有栖を求めてくれるから。それが虚勢だとしても有栖は幸せだと思っていた。

 国を出たら、痛いだけ。苦しいのは自分だけ。世界で一番幸せな国は、有栖ひとりではなしえないことだった。


「帽子屋! 帽子屋!!」


 ドロシーの奇襲を紙一重で回避して、有栖は従者の名前を呼ぶ。塵一つの汚れも負っていないリクルートスーツの男は、濁った瞳で有栖を見つめている。


「何をしてるの、撤退よ!」

「よろしいので?」


 感情の乗っていない声で帽子屋は確認を取る。


「まだあなたは


 ドレスが汚れただけ。チェーンソーに髪が絡んだだけ。ドロシーを連れ帰ることもできない、妹と認めてさえもらえない。無駄足だ。というよりは敗残兵だ。敗北宣言をしているにも関わらず身綺麗な彼女を、涙でしか汚れていない彼女を帽子屋は責めた。

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