瑠璃篇 Alice's party

■1 ドールハウスの王女

 華やかに着飾ったドレスを纏って、豪奢な屋敷の主人になる。従順なメイドをはべらせて素敵な殿方と恋をする。たくさんの子宝に恵まれて幸せな人生を歩む。王宮のプリンセスになりたかったのか、良妻賢母なお嫁さんになりたかったのか。のテンプレートに恋をしていたのか、その真相は少女にもわからない。ただ、幼い頃から夢想していた憧れに恋をするだけではなく、夢は叶えてみせるものだと信じていた。そして今、少女は夢のための努力を続けている。


 少女の夢にはまずお屋敷が必要だった。自分の夢のつまったドールハウス。外観はできるだけ綺麗で、可愛くて、胸がときめくものがいい。おとぎ話に出てくるようなメルヘンチックなデザインをした家を探し回った。同時に街並みも大切だ。自分が治める王国なのだから綺麗な街並みがいい。できれば小高い丘の上に教会があって、感動で胸がいっぱいになる夜景が見られるといい。シロガネダイに自分だけの国を作ろうと決めたのは、街のイメージが少女にぴったりだったからだ。自分の屋敷にはとびきり大きな、西洋のお城みたいな家を選んだ。内装はこれから自分の好きにすればいいから多少殺風景でも目を瞑った。


 屋敷を手にいれたら、国には民が必要だ。少女は争うことが苦手だ。武術を習っていたわけでもなし、戦いに特化した特殊能力を持っているわけでもない。ならば他人の血を飲まなければいけない身体でどうやって生きていこう? その答えが、夢見た王国に国民を住まわせることだった。

 そうだ、私は王女さまなのだからたくさんの国民を住まわせ、――少女は国のビジョンを描くなかで、そんな責務を覚える。リコリスとしては信じられないほど理性的な考え方で、しかし人間からすれば恐ろしいほど狂気に彩られた考え方で。少女は人間を飼育すると決めたのだ。


「それがここ、私だけの王国シロガネダイ。なかなか綺麗で幸せな国だと思うのだけど、どうかしら?」


 少女は純白のワンピースに青いカーディガンを羽織っていた。品のよい会釈と丁寧な言葉遣いに世界が狂いそうになる。人間を飼育すると言われるこの牧場において、女主人である少女は目を疑いたくなるほど清純で可憐な微笑みを浮かべていた。


「私の国では手錠も鎖もつけなくていいわ。国中、好きなところを歩いていいの」


 新しく外から連れてきた家畜こくみんについて、まず少女は国の説明からはじめる。ここで生まれ育った子供とは違い、外来産である成人した人間は外の理屈と理性というものを備えている。それに働きかけるために言葉での説明が求められるのだ。はじめは激しく抵抗するか、死への絶望に脱力するかの二択だ。だが少女ので大抵は話を聞いてくれるようになる。この男も一晩かけて懐柔したところだ。


「本当に……いいのか?」

「ええ。だって、あなたは私の大切な国民だもの。王女はきちんと国を治め、民を育てるものでしょう? 私は力で民を抑圧することはしたくないの」


 荒廃し、血で満たされた隔絶絶命都市トウキョウ。 血を啜り人を殺すリコリスという怪物を目にした人間なら、この少女が天使に見えることだろう。瑞々しい肌や愛らしい顔立ちだけではない。毒気のない言葉、自由を重んじる風潮。「血を毎日、少し吸わせてくれればそれで構わないわ」――命を保証する言葉に、慈悲深さを感じずにはいられないだろう。地獄の底で出会ったのだから、相対的にに見えるのだ。


「世の中にはね、チェーンソーを振り回して人間の男を殺してしまう、恐ろしいリコリスもいると聞くわ。彼女たちに見つかる外にいるよりは、私の国にいた方が安全だと思うのだけど」


 どうかしら? と小首を傾げる姿はあざといとも受け取れる。しかしここがトウキョウで、徘徊するのは狂乱する化け物ばかりだと知っていたら……少女の仕草は愛くるしいとのとして捉えられる。

 男はふたつ返事で頷いた。少女の計算通りだ。形式的な説明をしているものの、イエスかノーかは夜のうちに聞いている。それでも少女は華やかに、ぱっと明るい笑顔を浮かべて謝辞を述べた。


「ありがとう。今日からあなたは私の国民よ。私の名前は有栖ありす。でもここでは王女さまと呼んでくれないかしら?」

「王女……さま」


 少女・有栖が蠱惑的な声色でそうお願いをすれば、男の目はたちまちに蕩けていく。瑠璃の羽織で身を包んだ少女はその清廉な外見と裏腹に、男の心を捉えて離さない。かつての東京では当たり前だった、夜景の見える洒落たバーで頼むカクテル。有栖という少女の瞳はそんな色をしている。王女さま、王女さまとうわごとのように呟く男に有栖はくすりと微笑んだ。


「じゃあ、あなたのお部屋に案内してあげる。付いてきてくれるかしら」


 完全に絡めとられた男は首を縦に振ることしかできない。それ以外の動作を忘れたように、男は有栖の後ろに付き従った。

 有栖の住まうシロガネダイの「城」を出て、広大な住宅地を歩く。地形はすべて把握してある。どこにどんな家があるか、有栖は景観こそに重きを置いて場所を選定したのだから。城から歩いて五分程度の場所に、似たようなつくりをした家が整然と並んでいる。そのうち紺色の屋根の家で足を止める。有栖はとっておきのものを披露するように、ほんの少し悪戯めいた微笑を浮かべていた。


「ここがあなたの厩舎いえよ」


 そこにいたのは――リビングだった場所で繰り広げられていたのは――昼間から交合に励む複数の男女だった。衣服というものは役割を果たしておらず、ダイニングだった場所にうずたかく積まれている。まるで獣に戻ったように、ひたすらに互いを求め、求められ、搾取し奪い合う。これを愛の営みと呼ぶかはわからない。ただ、虚ろな目をしたものたちは皆、同じく情欲に犯された色に染まりきっていた。


「まずはあそこの雌と。夜には別の雌をあてがうわ。食べ物はたくさんあげる、でもそれは仕事をきちんとしたご褒美よ」


 最も性欲と縁遠い外見をした少女はなんてことないように話を続ける。


「繁殖に成功したら更にご褒美をあげるわ。――私と夜を、過ごしたいでしょう?」


 一度蝶の蜜を知った男は、もうあの快楽を忘れることはできない。可憐な顔にわずかな色を乗せて囁く王女の虜。男は欲望に囚われたまま、その渦へと飛び込んでいった。

 ここはシロガネダイ。有栖という色欲の王女に囚われた、混沌のドールハウスである。

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