■3 フェアトレード

「それで? 私のところに来たってことは、何か欲しいものがあってのことでしょう」

「……獲物を」

「また同族狩り?」


 マダムは困ったように笑った。


「あなた、結構有名になってるのよ。って呼ばれてるの、さすがに知ってるわよね」


 トウキョウに地下鉄を走らせ、どこからかデーヴィスを生産し配備している。トウキョウで何か欲しいものがあればトチョウに御殿を構えるマダムに頼むのが最善にして唯一の方法だ――リコリスの、そしてこの檻に囚われた者たちの共通認識である。常識という言葉に何が含まれるかと問われれば、この事実はきっと上位に挙げられるだろう。

 クロユリがマダムに頼むのは、刀のメンテナンスのための道具一式、それと獲物の情報。獲物そのものが欲しいとは言わない。何故ならクロユリの目的は補食ではなく斬殺にあるからだ。。彼女が黒百合を提げている理由でもあり、彼女が歩む道を意味する。そして挑むなら強者がいい。そうなると必然的に、ただ斬られる人間ではなく同族のリコリスになるというだけだ。クロユリにとってはなんらおかしくない論理だった。何度でも言うが、彼女リコリスに理知的なものを求める時点でボタンをかけ違えているのだが。


「リコリスの情報がリークされている筒抜けだとわかったら、私の信用も落ちてしまうわ」

「……わかっている。だから、の場所が知りたい」

「えぇ?」


 マダムは渋そうな顔をした。それから緑茶を一口すする。湯気はだいぶ落ち着いてきたが湯呑みは十分温かい。


「どこが『だから』なのかしら。私がリコリスの居場所をリークするのに変わりはないじゃないの」


 保身に走るのは何も珍しいことではない。マダムはトウキョウ中の生き物と常に商談をしている。友好な顧客との関係を築きたいし、過度な肩入れは身を滅ぼすと知っているのだろう。刀ひとつで生きることを決めているクロユリには縁のない話だが。

 マダムの気持ちや立場を推し量ることはできる。だが、それでクロユリが要望を取り下げるのは話が別だ。自分の本能を前にリコリスは理性を失う。もとよりなかったものに期待することはできまい。クロユリは薄黄緑の水面を見つめて呟く。鏡面のような湖に石を投げるように。


「……商売仇を斬る」


 ぴくりと、湯呑みを持つマダムの右手中指が跳ねた。たかだか数ミリの変化だがクロユリの心眼はそれを見逃さない。クロユリは続けた。


「……マダムにとって邪魔なのは誰? 私がそいつを斬る。口を塞いでしまえば、マダムの立場も悪くならない」

「あなたねえ」


 マダムは驚いたというよりは呆れたような顔をしていた。クロユリにはその意図が理解できない。マダムにとって都合の悪い条件ではないはずだ。それともこれでは交渉条件として不釣り合いなのだろうか。


「クロユリ、あなたリコリスにのはいつ?」


 マダムの質問はやはり理解の範疇を超えていた。しかし回答はできる。虚言を吐く理由も見つけられなかったのでクロユリは正直に答えた。


「……は二年前。十二歳のとき」

「そう。可哀想に」


 クロユリは首を傾げる。先程からマダムの言葉には理解が及ばない。自分の何が可哀想だと言うのだろう。憐れみを誘うような振る舞いが自分にあったのだろうか。マダムが湯呑みをガラステーブルの上にそっと置いた。茶柱の浮かぶ水面が振動でさざめく。クロユリは唇を真一文字に結んだまま何も言わない。けれどマダムの顔つきが商人のそれに切り替わったのはわかった。表情筋が強張り、なまじりが上がった。一切の温情も妥協もない、クロユリにとっても都合のいい顔だ。


「クロユリ。あなたは私に自分自身を売り付けるつもりなのね」

「……そういった解釈でも構わない。マダムが望むものを斬る」

「私があなたに殺しを依頼した場合のデメリットを考えたことはある?」


 損得勘定。貨幣の機能しないトウキョウでも、マダムがいる限り打算的な考えは存在する。マダムにとってその「商品」にはどんな魅力があるのか。手にした場合の難点は何か。彼女と交渉をするのなら、それなりの説得力と話術でもって彼女を納得させなければならない。リコリスは理性をほとんど壊しているのに、だ。


「……あるの?」

「あるわ。あなたが私を裏切るかもしれない」

「そんなことはない」

「ええ、きっとストイックなあなたのこと。一度した約束は違えないでしょう。でもそれを客観的に証明することはできないの」


 信じてという言葉に微塵の意味もないこと、あなたにはわかっている? マダムは静かに、しかし温情のない声で淡々と告げた。クロユリは返事に窮する。自分がマダムの指名した相手を殺す、その約定を反故にする可能性をクロユリは「あり得ない」と言える。自分のことだ、誰よりも知っている。だがリコリスは相手の心を読み取ることなどできないし、マダムの言うとおり客観的な証明、というのも不可能だ。心のうちを晒すなど、心臓を差し出したって見えてこない。


「……どうすればマダムは納得する?」

「そうね」


 マダムは思案するため視線を落とした。爪までしっかりと手入れの行き届いた指が濃い赤の唇を辿る。化粧というものもクロユリには縁がないが、派手好きなマダムには濃い色の化粧が映えていた。

 やがて、数拍の沈黙ののち。マダムは視線をあげ、クロユリを試すように真っ直ぐ見据えて言った。


ペナルティを与えましょう」

「……罰?」


 聞き慣れない言葉にクロユリはまた疑問符を浮かべる。当然善悪の概念などトウキョウにおいては定義されていないし、論じるだけ無駄な話である。それでもマダムは、相手との商談に人間のような理性の枠組みルールを提示する。マダムが人間だという話は聞いたことがないが。


「もし万が一、私の依頼をあなたが果たせないことがあれば。そのとき私はあなたの命をもらう。これでどうかしら」

「……マダムが私を殺す、そういうこと?」

「裏切りは許せないタチなの」


 でもクロユリなら大丈夫よねと、一転してマダムは穏やかな声で告げた。クロユリも首肯する。マダムに与えられた標的を斬ればいいだけの話だ。クロユリが求めるリコリスにも会える、マダムの信頼も得られる。約束は破らないから、罰なんてあってないようなものだ。

 それに。万が一、百歩譲ってマダムが自分に罰を与えようとしてもそれは無理な話だ。体格を見ればわかる。マダムの身体は女性的な丸みばかりが目立って筋肉がついていないし、反射速度もそこまで速くない。湯呑みの指先の動きで判断できた、クロユリにかかればマダムの首だって楽に落とせる。


「……わかった。私はマダムを裏切らない」


 共食いの異名を持つ黒檀の乙女は、豪奢な商人の傭兵として契りを結んだ。

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