■4 ハロー、デーヴィス
カサイにある臨海公園は、「東京」時代に有名な観光スポットだった。あるいはデートスポットか。昆虫や鳥獣といった生態系を保護するためのエリアもあり、本来であればそういった意味のある公園だったが、トウキョウとなった今、果たして手入れのされていない「保護区」には何があるというのか。
観覧車や水族館といった俗物的な人気者もおり、環境保全と人々の享楽が共存しようとしていた。カサイ臨海公園と海浜公園はドロシーの感性も刺激するものであったらしい。
正直、トウキョウで見る「観光名所」なんてほぼ歩き回ってしまったし、これ以上どこをさまようべきかと里砂は悩んでいたのだ。ドロシーと里砂は根なし草……毎日屋根のある寝床を求めている。特定の廃墟を家としないのはドロシーの気質も大きい。「毎日同じなんてつまんない」とは烈火の乙女の弁である。里砂には別の思惑もあるが、ドロシーが楽しそうなので言わないでおく。
「あっ、デーヴィス! デーヴィスじゃない?」
地下鉄に乗るのだって初めてではないのに、ドロシーはデーヴィスを見つける度に嬉しそうに声をあげる。華が咲いたように朗らかな笑顔で改札口前に立つ
『ハロー、ハロー。デーヴィスは歓迎します』
「ハロー、デーヴィス」
ドロシーがデーヴィスの抑揚を真似して答える。英語をそのまま和訳したかのような遠回しな表現がデーヴィスの愛嬌だ。
「ねえデーヴィス、あたしたちカサイに行きたいの」
『カサイ、カサイ。承知しました。デーヴィスは対価を要求します』
「はいっ」
ドロシーはどこか誇らしげに、真っ黒いスコープ――デーヴィスの「眼」にあたる――の前に金色の腕時計を差し出した。中年男の皮脂は念入りに布で拭ったが、さすがに水洗いはしていない。
スコープからカタカタという機械音が鳴る。デーヴィスが腕時計を解析しているのだ。というと聞こえはいいが、デーヴィスは光を当ててその反射を確認しているだけで、要するにキラキラしていればなんでもいい。大袈裟な装備の割にぞんざいな審査である。今回は本物のブランド品だが。
数十万の腕時計を対価にして地下鉄に乗ることについて、二人には何の抵抗もない。トウキョウは貨幣経済が成立していないからだ。
『承認、承認。反射による光沢を確認。デーヴィスはあなたたちの乗車を承認します』
「サンキュー、デーヴィス!」
腕時計をデーヴィスの腕に引っかけて、ドロシーは機械人形の身体を情熱的に抱き締めた。デーヴィスはクールに対応するのみだが、里砂は呆れたように嘆息する。
「ドロシー、もういいでしょ。早く地下鉄に乗りましょう」
「何よ里砂、もしかして妬いてるの?」
「まあ多少はね」
デーヴィスから離れたドロシーが里砂の歩幅に合わせて歩き出す。それから里砂を見上げて言った。
「心配しなくても、あたしの
「ありがとう、私もよ」
プラットホームまでの階段を、指を絡ませて降りた。ドロシーの肌の温度を感じると安心する。少し悪戯っぽく肩をぶつけてくるドロシーに、里砂もくすりと笑みをこぼす。指をゆっくりとほどいて、焦らすように。指の腹をすれすれの距離でなぞった。ドロシーがびくりと肩を跳ねさせて、驚いたようにこっちを見てくる。階段を降りきってから二人で声を出して笑いあい、それからキスをした。
プラットホームは貸し切りだ。クダンシタを選んだのにも「遭遇しにくい」という利点があってのことだ。もし他のリコリスに出会ってしまったら? ドロシーは気にしないだろうが、人間である里砂はうまく立ち回らなくては餌食になるだけだ。ドロシーは誰かを守るための戦いなんてできないし、里砂も自分の身は自分で守るつもりだった。
「他のリコリスはどうしてるんだろうね」
ふと、ドロシーがそんなことを呟く。遭遇した場合のケースバイケースを組み立てていた里砂に、ドロシーの言葉の意図を汲むだけの猶予は残されていなかった。
「会いたいの? マダムなら話を聞いてくれるだろうけど、共食いだってしかねないし……」
「別に会いたいわけじゃないよ。ご馳走がいなくなったらあたしたちは殺しあう。それはわかってる」
可哀想だなって思ったの、とドロシーは続けた。今も現役の電光掲示板が点滅し、車両の到来を告げる。
「他のリコリスには里砂がいないから」
「……そうね」
デーヴィスの供給元によって魔改造された、目も覚める光沢を放つシルバーとゴールドのボディ。荒廃した大地であるはずのトウキョウの地下に、異様なほどピカピカに光る車両が止まった。もしかしたらデーヴィスが対価に光り物を要求するのは、この強烈な車体を維持するためなのかもしれない。
地下鉄の先頭車両はがらんどうだった。他の車両には誰かいるかもしれないが、踏み込むほど愚かでもない。ガタゴトと地下深くを突き進むド派手な鉄箱は、ノンストップでカサイまで突っ走る。途中下車する乗客は、少なくともいなかったようだ。
カサイ駅に着き改札口をくぐれば、クダンシタ駅と同型のデーヴィスが特有のイントネーションでアナウンスをしていた。『ご乗車ありがとうございました。デーヴィスはあなたたちと再び会うことを楽しみにしています』――元の英文が透けて見える定型句だ。
「観覧車に乗りたい」
カサイ臨海公園に着くなり、ドロシーはそう切り出した。臨海公園はマダムの管轄ではない。人間がこの土地を捨てた時点で錆び付いていく鉄屑と運命付けられたも同然のオブジェだ。
「今はもう動いてないし、乗れないかもしれないわ」
「大丈夫、いざとなったら入り口をこじ開けるから」
ドロシーの身体能力が人間離れしているとはいえ、それは少し違う気がする。しかしどう説得しようとも「観覧車に乗る」という事実は揺らがないようで、諦めて里砂はドロシーの好きにさせることにした。
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