■3 同室の恋人
貴島里砂がどうしてドロシーについていくと決めたのか、そこには単純なひとつの理由しかない。好きだから。好きな人と一緒にいたいのは当然の願望である。遠距離恋愛よりも添い遂げることを望んだ。その結果である。
世界から隔絶されたトウキョウという環境で、里砂はドロシーを憐れんだことは一度もない。そんな生易しい感情でここで生きたいと願うほど里砂も人間ができてはいない。里砂は人間だ。ドロシーと同じものを食べなくても生きていけるし、ドロシーと同じ男を殺さなくてもいい。それでも彼女は同じものを食べ、同じように殺す。ドロシーとすべてを共有したいから。
「ん、う」
薄っぺらいベッドで肌を重ね、体温を確かめるように手足を絡めとる。自分よりも身長が低いというだけで小さくて可愛いように思える。本当は五センチしか違わないのに、これも惚れた弱味というやつだろうか。
外は朝日が射し込んでいた。月は空にフェードアウトし、また黄金の太陽が昇る。冷えきった室内を暖めようとする陽光はまさしく天の恵みだった。
身支度のためにベッドから抜け出そうとするも、きつく絡ませた少女の手足がそれを認めない。意味のない呟きをこぼしながら眠るドロシーを、やはり里砂はいとおしく思った。ベッドに散らばった赤い長髪の一房を弄ぶ。そっと唇を当てた。椿油の心地よい香りがする。里砂が念入りに手入れをしているためだ。
「……里砂ぁ?」
寝ぼけ眼で投げる問いかけ。重たそうに瞼を開き、近距離で笑う里砂にドロシーはそう確認を取った。相変わらず子供っぽい。チェーンソーを振り回しているときもそうだが、ドロシーは基本的に「楽しいこと」に貪欲なのだ。行動原理が快・不快だから、余計に幼く見えるのかもしれない。発育含め、見てくれは遠い日の女子高生に変わりはないのに。
確かめる呼びかけに、里砂は柔らかい笑みでもって応じた。
「おはようドロシー、朝よ」
***
昨日ドロシーが盛大に汚した服は、海水を煮沸して洗った。サバイバルの知識ではないけれど、真水がおいそれと手に入らないこの街では蛇口を捻っても何も得られない。幸か不幸か海辺はあるから、海水をいかにして活用するかが生存においての重要なテーマとなっていた。
外部から物資が「支給」されるのを待つのもひとつの手だ。だが
日本の中心にぽっかりと開いた穴。朽ちていくだけの建物と真新しい支給品、成立しているリコリス同士の「商売」で、面白いほどトウキョウは回っていた。人間が苦肉の策で産み出したこの檻は、ある意味でリコリスの楽園でもある。彼岸に近いという意味では間違っていないのかもしれない。
「今日はどこに行こっか。見たいものとかある?」
人間がすっかり減ったディストピアでは、人通りというものをほとんど気にしなくていい。毎日が貸しきりのような街を闊歩すると、なんとなく優越感が沸いてくる。通りにあるのは錆び付いた建物ばかりだが。
行き先の相談は、ドロシーと里砂にとって日課ともいえる会話だった。ドロシーの意見を聞いて、里砂の体力と相談して決める。底無しのバイタリティーのドロシーと異なり、里砂は燃費も悪いし体力だってそんなにない。人間としての食事を求めながらの散策は、実に慎重に選定しなければならなかった。
「マイハマ」
「あそこはトウキョウじゃないから行けないでしょ」
即答するドロシーに、里砂は辟易しつつも応じた。どこへ行きたいと聞くと決まってドロシーはマイハマを指定する。あれが確かにトウキョウ二十三区に存在していたならば、毎日退屈しなかっただろう。ドロシーの年齢を考えても、キャラクターの耳をつけて絶叫マシーンに乗ることは憧れだったのかもしれない。
口を尖らせるドロシーは「オオサカでもいいよ?」と言ったが、聞かなかったことにする。社会現象にもなったファンタジー小説の、長ったらしい魔法の呪文を唱えていた。
「箸を杖にしない」
「ちぇー」
ぺし、と優しく叩かれた手の甲を大袈裟にさすってみせる。どこまでも計算ずくのようなドロシーの振る舞いはまさに小悪魔だった。里砂はそれでも節度ある大人だから、ドロシーのいいようにされたりはしない。そのあたりの分別は弁えていた。
「そっか。じゃあ海がみたいな」
「海……って、オダイバとか?」
「ううん。カサイがいい。臨海公園あったよね? あそこに行きたい」
「わかったわ」
カサイなら地下鉄東西線に乗れば行けたはずだ。
「じゃあ、準備ができたら出立しましょう。地下鉄に乗るから、デーヴィスへのお土産を忘れないでね」
「何がいいかなぁ? 昨日のご馳走は全部食べちゃったし」
「彼が身に付けていたもので貴金属はない? 金属でなくてもキラキラしたものなら何でも受けとるわよ」
じゃあ見てくる、と言ってドロシーは隣の部屋に放置された死体をあさりに向かった。メンテナンスのされていない壁は薄く、ガサゴソという衣擦れの音だって里砂の耳に届いた。やがて物色の音は止み、代わりに軽快なステップを踏むドロシーの靴音が聞こえてくる。ローファーのくせにやたらと靴底がコツコツ鳴っていた。
「時計があった! 金色の!」
「悪趣味ね」
言いながら里砂は失笑した。とは言え有名ブランドの一品である。文字盤にメーカーのロゴがあるのを確認する。もし時代が時代なら、数十万円で取引されたかもしれない。トウキョウにおいて紙幣など、燃料かメモ用紙にしかならないけれど。
ドロシーから時計を受け取ろうとすると、「あたしが見つけたからあたしが持ってていいでしょ」と駄々をこねた。まるで児童のような理屈だ。里砂はそれ以上強要せず、ドロシーに持たせることにした。デーヴィスにあったら大人しく渡すよう、何度も言い含めて。
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