第7話

「やだネ!アタシは気づいてんだよォ…アンタはそこらの異端狩りじゃない…アンタは―」


 魔女はその言葉を口にしてから気が付いた。

 戦いの中でも消えなかった狩人の口元の緩みが消え去り、まるで別人か、仮面を被ったかのように無慈悲な相貌で、黒い狩人が此方を直視していることに。


「―アンタは、魔女狩りだろぅ?」


 ドルク国内に幾人か存在する【異端狩り】。

 常人とは比較にならない力を持つ狩人達の中でも、特に優れた実力を持つ者には、識別の意味も込めて、聖月十字団から異名を与えられることがある。

 その中の1つが【魔女狩り】である。

 ドルク中の人間が畏れ、ドルク中の【異端】が恐れる、【異端狩り】の狩人達の中でも最も凄絶な狩人。

【魔女狩り】に仕事を依頼することは極力避けなくてはならない。

 それは軍や国家の中では暗黙の了解とされていた。

 理由は単純。

 彼が狩人達の中でも異質中の異質の力を持つからである。


「…なんだ。気づいてたのか」


 ガブリエルは先程までの無表情の一変させ、再び口元に笑みを貼り付けて言う。

 しかし、その眼差しは変わらず魔女を仕留めようと鋭いままだった。


「あたしのガーゴイルをあんな一瞬で壊しちまうんだ。そんなことが出来る狩人、魔女狩りくらいさね」


 魔女はケニーを盾のように抱き上げながら続ける。


「だけどあたしは知ってるのさ!1番惨むごい狩人のくせに、アンタは子供を殺せないんだろぉ?」


 そう言った魔女は、またアヒャアヒャと不快な笑い声をあげた。

 ガブリエルはそれを静観している。


「あたしの可愛いケニーやぁ、お前は本当に役に立つねぇ」

「うぅ…おにいさん…」

「ケニー、大丈夫だ。すぐに助けるから」


 涙を流しながら助けを求めるケニーをガブリエルは優しく宥なだめる。

 しかし、状況は最悪だった。

 下手にガブリエルが動けば、魔女は間違いなくケニーを殺すだろう。

 お互い1歩も動かずに、ケニーの泣き声だけが礼拝堂に響く。

 魔女とガブリエル、どちらも次の一手で勝負が決まることを理解していた。

 先手を打ったのは、ガブリエル。

 剣を鞘に戻し、腰のベルトに装備していた小さなナイフを魔女とケニーの僅かな顔面に向けて投擲。

 ナイフは1寸の狂いもなく魔女の顔めがけて飛んでいく。

 だが、魔女もただ棒立ちをして待っているはずも無くケニーを強引に引き寄せその体を盾に身を守る。

 魔女は考えた。

 勝ったのは私だ。

【魔女狩り】はきっと子供を殺したことに動揺する筈だ。

 それでも稼げる時間は数秒にも満たないだろう。

 しかし魔女にとってはそれで十分だった。

 この礼拝堂にはそこら中に魔術が埋め込んである。

 単純な魔術である為、【魔女狩り】が冷静であるうちは躱されてしまうだろうが、数秒注意を引くことさえ出来れば数百の杭が教会の素材を使って生み出され狩人の体を串刺しにする。

 魔女は勝利を確信した。

 ―しかし、数秒待っても子供にナイフが刺さるような音は聞こえてこなかった。


「―!?」


 魔女は首を傾げる。

 ケニーの首筋越しに目の前の様子を見た魔女は驚愕した。

 数メートルも離れていたはずの狩人が、投げたナイフを逆手に握り、その切っ先を同じくケニーの首筋越しに魔女の顔面へと突き立てていたのだから。


 ✕✕


 とある村があった。

 特に珍しいものもない、普通の村。

 そこには1人の少女がいた。

 少女には2人の両親と1人の弟がいた。

 裕福ではないけれど、貧しくもない、一見幸せそうな家族。

 けれど実際は違った。

 村人の1人がふと口にした。


「あの家の子供達は体中に殴られた痕がある」


 小さな村の退屈な村人達は、子供が虐待を受けているなんて話題で持ちきりになった。

 村の大人達は、作業をする少女をつかまえ問い詰めた。

 正直者であった少女は、村の大人達の前で全てを話した。

 少女が家に帰ると、激昴した父にこれまで以上に激しく殴られ、蹴飛ばされた。

 散々殴られ瞼が腫れ上がり視界がほとんど失われた時、少女は自分が正直であることを後悔した。

 翌日、痛みに耐えるうちに眠ってしまっていた少女が目を覚ますと、隣で弟が寝ていた。

 少女は全身の痛みに堪えながら、朝だよと弟に呼びかける。

 ―返事はない。

 体を揺すりながら、再び呼びかける。

 ―返事はない。

 おかしいと思った少女は無理矢理に弟の体を抱き起こした。

 ――弟は死んでいた。

 少女以上に顔面に痣を作り、昨日と同じ服を着ていなければ、もはや誰かも分からない程に顔を歪ませて、死んでいた。

 少女は体の痛みも忘れて泣き叫んだ。

 幸い親は家に居らず、また殴られることは無かった。

 どれくらい時間が経ったのか、涙も枯れる程に泣きじゃくった少女は冷たくなった弟をおぶって、村の教会に向かった。

 小さな村にある小さな教会だったが、そこの神父は村で唯一少女達のことを気にかけてくれていた。

 少女の狭い世界の中では、たった1人の信じることが出来る存在であった。

 ボロボロの少女を見た神父は涙を流しながら言った。


「きっと神が…君を守ってくれる…」


 少女はそんな神父を力ない眼差しで見ながら、考える。


『私が、大人から子供達を守らないといけない』


 幼い少女の身に余る、大きな決断だった。

 教会に弟を埋葬して家に帰ると、両親がいた。

 父親が言う。

 まだ生きてたのか、と。

 母親は言う。

 どうして生まれてきたのか、と。

 少女が言った。

 お前らなんか、殺してやる、と。

 少女のその言葉に父親はまた腹を立てて、拳を握った。

 しかし、少女の瞳に宿った殺意はそんな事では怯まなかった。

 少女はすかさず足元に落ちていた木の杭を手に取ると父親の懐めがけて走った。

 酒が回っていた父親は突然の少女の行動に驚くことしかできず、そのまま杭に腹を刺し貫かれた。

 大量の返り血を浴びた少女を見て、母親はがたがたと震えて言った。

 お前はあたしの子供だろ、と。

 少女は一言そうだ、と言って母親の顔に血塗れた杭を突き立てた。

 少女のことを知る村人達は彼女を咎めなかった。

 逆に良くやったと、少女を褒めた。

 それから少女は働いた。

 自分に出来ることはなんでもやった。

 金さえ貰えればどんなに大変な作業も真面目にこなした。

 少女は女になった。

 自分が女の体になってからは、街に出て娼館で働いた。

 受け取った金は全て故郷の教会に寄付した。

 そしてその教会に、虐げられている子供達を集め、隠し、守った。

 守る為に、がむしゃらに働いた。

 そんな生活が何年か続いた頃。

 女が久しぶりに故郷へ戻ってきた時、あの神父に会った。

 年老いてはいたものの、当時の眼差しは変わっていないように思えた。

 数年ぶりの再開に、成長した少女は思わず笑顔を零す。

 教会には自分が助けた子供達がいるはずだ。

 そんな彼女に神父は指を指して言った。


「あの女は魔女だ」


 聖職者による魔女宣言。

 この時代に於いてそれは、死刑宣告にも等しかった。

 村人達はその言葉を信じ、彼女を捕らえた。

 抵抗も虚しく、女はすぐに取り押さえられた。

 枷を着けられながら、彼女は叫ぶ。

 せめて子供達の顔を見せてくれ、と。

 村人は彼女の言葉に首を傾げる。

 そして言った。


「この村には、もう子供なんていないよ」


 そう言い放つ村人達の間から、ほくそ笑む神父の顔が見えた。


「あぁ…あ…そんな…」


 騙されていたのだ。

 決して少なくない額の金と、世話を頼むという旨の手紙を持たせて教会に送り出した子供達は、1人としてこの村にいなかった。


 村の端に建てられた古小屋に閉じ込められ、明朝の処刑を待つ女。

 髪を掻き乱し、一晩中神父への呪いの言葉を吐いた。

 悔しさのあまり握る拳に力が入り、何枚かの爪が剥がれる。

 痛みなど感じなかった。

 感じるのは怒りと怨み。

 そんな彼女は娼館で聞いたある噂を思い出す。


 悪魔と契約を結べば、力を得ることが出来る。


 指から滴る自らの血で、うろ覚えではあるがどこかで見た魔法陣もどきを小屋に描く。

 悪魔を喚ぶ言葉なんて知らない。

 現れるのが悪魔だろうと何であろうと構わない。

 復讐さえ出来れば良かった。


「誰でもいい…アイツらに復讐を…!」


 なんの神秘もない、けれど想いの篭もった言葉。

 知識があるものであれば、鼻で笑うような、稚拙な言葉。


 ―悪魔にとっては、それだけで十分だった。


 女は悪魔と契約を結んだ。

 そうして、新たな【異端】が誕生した。

 全身に痛みが走るのとともに、感じたことも無い魔力が漲っているのが分かった。

 ―翌朝、小さな村の村人は誰一人残さず皆死んだ。

 原形を留めていない神父の首を手にぶら下げて、女―魔女はある目標を定めた。


『誰にも頼らず、私が子供達を救おう』


 あの時と変わらない救済の気持ち。

 魔女は崩れた教会の地下に、子供達の亡骸を見つけた。

 魔女は穏やかな笑みを浮かべながら、腐敗の進んだ子供達全員に死化粧を施して弟の隣に埋葬し弔った。

 それからは魔女は自分が分からなくなるほどに魔術を使って戦い、子供達を救った。

 優しく、美しかった魔女は子供達に慕われ、魔女もようやく幸せを感じていた。

 しかし、それも束の間の事だった。

 ある年、ドルクに疫病が流行った。

 疫病は例外なく魔女の子供達をも蝕んだ。

 魔女に疫病は効かなかったが、治癒の魔術を幾度も発動したことにより、身体は限界を迎えていた。

 それでも魔女は手製の薬を飲み、無理矢理に魔術を使った。

 日に日に命を落としていく子供達。

 鏡を見る度に、魔術と薬の副作用で異様な姿へと変貌していく自分への恐怖。

 ―いつからか、魔女は悟った。


『生きているから、苦しんで死ぬのだ』

『それなら私が救ってやらねば』


 何かが壊れたかのように、魔女は各地の村を襲撃しては、大人を皆殺しにして、その子供達を愛で、葬った。


『どれだけの子供を救えたのだろうか』


 なんの皮肉もなく、純粋な想いで魔女は考えていた。


 魔女は間違っているのだろうか。

 果たして何を間違っているのだろうか。

 魔女はただ救いたいだけだった。

 それなのに、どうして。


 ―どうして私は狩人に殺されなければならないの?



 ✕✕


「いぎゃああああああああああああああああ」


 礼拝堂に魔女の悲鳴が響き渡る。

 きっと待たせている子供達にも聞こえているだろう。

 俺は右手に握ったナイフを、容赦なく魔女の眼球にずぶずぶと刺しこんでいく。

 鋸のこぎり状の刀身が、容赦なく眼球に無数の裂傷を負わせる。

 ナイフを動かす度に亀裂の入った眼球から鮮血が吹き出る。


「ああぁぁあ、なんでえぇえ!!!」

「大したことじゃない。ナイフを投げて、それに追いついただけだ」


 叫ぶ魔女の問いに、ナイフに込める力を緩めることなく答える。

 そして俺はベルトからもう1本のナイフを抜くと、同じように魔女のもう片方の眼にも突き刺した。

 ケニーの両肩が大量の返り血を浴びる。

 ケニーは顔面を蒼白させていたが、声を上げることは無かった。

 魔女の両眼を完全に潰した俺は2本のナイフを魔女から引き抜いた。

 まるで噴水の様に大量に出血する魔女。

 魔女は痛みに踠もがき、手足をばたつかせて俺を探すが、潰れた眼球ではケニーを挟んで対面にいる俺は見つけられない。


「ケニー、こっちに。振り返るなよ?」

「う、ん…」


 俺の指示通り、ゆっくりとケニーがこちらに歩いて来る。


「ゲエエエニィイイイイ!!いぐなああぁああ!!」


 眼から血を吹き出しながら魔女が叫んだ。


「マ―」

「聞くな!!」


 一瞬動きを止めたケニーを大声で呼び戻す。

 俺のもとに辿り着いたケニーに子供達を連れて教会を出るように指示して、この部屋から追い出す。

 魔女と俺の二人っきりになった礼拝堂は異様な雰囲気を醸していた。


「あだ、しはぁ…」


 目を両手で押さえながら、よろよろと魔女が歩きながら喋った。


「あたしはァ、すぐいたがっただけなんだよォ!!」


 叫びと共に血も飛び散る。

 俺はそれを静観する。


「あたしが殺さなくても…いつかは殺されぢまうんだ…それなら…それなら綺麗に弔ってやった方が…子供達は幸せだろぉお!!!」


 血が足りなくなって来たのか、立っていることも出来なくなり、両膝をついて魔女は訴える。

 呼吸は荒くなり、俺が止めを刺さずともこの魔女はもう長くはないだろう。


「だからって、殺すこたぁないんじゃねぇか?」

「じゃあどうすればよかった!?託しても殺され、守っても死んでいく子供達を!あたしはどうやって救えばよかった!!」


 潰れた瞳から血と涙を流しながら、魔女は慟哭した。


「俺には分かんねぇよ。俺に言えることは、お前は間違ってたってこと。それだけだ」

「違う…ちがう…ちがうちがうちがうちがう!!」


 魔女は最後の力を振り絞って、腕を振りかざした。

 その掌に濃い黒霧が集まっていく。

 ―だが、それを大人しく見届けてやる義理はない。

 地面を蹴って魔女との距離を一気にゼロにする。

 そして再び白剣を握り居合抜きの要領で、掲げられた魔女の腕を断裁する。

 ほとんど血液を失った魔女の腕の切り口からは、眼球を抉った時とは違い、少量の血が零れるだけだった。

 魔女はとうとう地面に頭を垂れた。

 俺は魔女に止めを刺そうと、歩み寄る。

 すると、近くでないと聞こえないようなうわ言の様に呟く小さな声が聞こえた。


「あたし、のか…どもた…ま…てくれ…」


 それは醜い【異端】の最期の願いだった。

 幼い頃から変わらなかったであろう、たった1つの願い。


「あぁ…任せろ」


 そう言って俺は地に伏した魔女の胸を剣で貫いた。

 悲鳴をあげることは無く、静かに魔女は死んでいった。

 そうして、新たに【異端】がこの世界から消えた。

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