第6話
魔女が立てる物音が遠くなっていったことを確認すると、ガブリエルは部屋を出て、教会を調べ始めた。
村のどこからでも見えるほど大きな教会であるため、村全員が訪れることが出来るようにと、部屋数は通常の教会よりもかなり多かったが、そのほとんどの部屋が何も手をつけられていないままだった。
しかし、袖廊に位置していた子供達の部屋から見てちょうど正面にある2部屋。
そのたった2部屋に、あの魔女の狂気が集約されていた。
まず一つ目の部屋。
ドアを開けると目の前に置かれている安楽椅子。その材料は明らかに木材ではなく、真っ白な人骨だった。骨の太さや、大人の骨は捨てられていたことを考えると、これは子供のものなのだろう。
それだけではない。
その安楽椅子の下に敷かれた敷物。
よく想像される赤い絨毯とはかけ離れた薄茶色の絨毯。触ってみるとふわふわとした触感は一切なく、すべすべとしており、少しひんやりとしている。
絨毯を見てみると、その四方の先端は細く延びている。いや引き延ばされている、というべきか。さらに向こう、絨毯に付いていたのは元の顔が分からないほどに恐怖に歪んだ人間の頭部。
ガブリエルが呟く。
「...剥製か。趣味悪いね」
椅子の前に設置された長机には不気味な色の薬品や器具が多く並べられていた。上部にはガブリエルも知らないような薬草が吊り下げられている。
中央には、同じく子供の指の骨を組んで作られたオブジェが置かれていた。
恐らく寸前まで魔女が何か作業をしていたのか、幾つかのハーブの香りが部屋に充満している。
そしてもう一つの部屋。
この部屋はさっきの部屋とドアで繋がっていた。
ドアを開けると、その部屋は大きなクローゼットのようになっている。
ガブリエルはその折戸を開いた。
その中に仕舞われていたのは―大量の子供の亡骸。
新品の衣服を着せられ、化粧を施され、綺麗に着飾られたその亡骸達は、首を鉄のフックに貫かれ、1列になってぶら下げられていた。
ただ死体をぶら下げているだけではないのだろう。腐敗はなく、腐臭の発生もなかった。
あの魔女は純粋に『コレクション』として子供達の死体を蒐集していたのだ。
数十の死体を目前にしながら、それでもガブリエルは冷静であるように見えた。
(建物の構造からして魔女がいるのは…礼拝堂か)
ガブリエルは頭の中に教会の造りを思い浮かべる。
この教会は真上から見ると大小の十字が縦に2つ連なったような形をしている。
子供達が居た部屋は村に面している下側の小さな十字の袖廊、つまり十字の横端になる。
小さな、といっても礼拝堂のある奥の十字と比較した際の話であって、普通の住居に比べると十分に大きく、パープルステップの小さな村には酷く不釣り合いであった。
そしてガブリエルが今居るこの部屋は交差部を挟んで子供達の反対端。およそ10メートル以上は離れている。
「ここなら大丈夫か」
すると彼は、2つの部屋を繋ぐドアの間に立ち、おもむろベルトから1つの小瓶を取り出す。
その瓶の蓋を開け中身を2つの部屋全体に振りまいた。
「弔いだ」
すかさず黒剣を一閃。
空気中で刀身と振りまかれた粉末が擦れ合う。2つが打ち金と火打ち石の働きをし、火花をあげる。
無数に飛び散った火花は部屋のあちこちに引火し、剥製の絨毯や吊り下げられた子供達の衣服に火を着けた。
水分を失っていることにより、火は凄まじい勢いで亡骸に燃え広がり、あらゆるモノを焼却していく。
どちらかの部屋に仕舞われていた、魔女が亡骸の保存に使ったのであろう薬にも火がつき、硝子瓶が割れるとともに何かが腐ったような不快な臭いを発生させた。
ガブリエルは火が燃え移り脆くなった1箇所を蹴破り、壁に大穴を開け強引に身廊に戻った。
「さすがに魔女も気付いてるよな、これ」
ガブリエルは燃える部屋を離れ身廊の中央から礼拝堂へと続く大扉を見上げた。
大扉は2つの十字をちょうど真ん中で区切っており、この火事騒ぎが起きても魔女が現れないことを考えると、魔女が扉の向こうで待ち構えていることは明らかだった。
「…よし、やるか」
ガブリエルは両手を押し当て、ゆっくりと扉を開く。本来機械仕掛けで開くはずの大扉はぎいぎいと床を擦りながら、ガブリエルのしなやかな筋肉によって、無理矢理に開かれ始めた。
そして僅かに開いた扉の隙間からガブリエルの目に入ったのは、此方にめがけて一直線で飛来する赤黒い杭。
「おらぁっ!!」
瞬間、ガブリエルは突き飛ばすようにして扉を一気に開けきると、すかさず黒剣を抜き放ち、そのままの勢いで杭を両断した。
2つに裂けた杭はそれぞれガブリエルの後方に突き刺さり、大きな音をたて大扉を吹き飛ばした。
「くそくそくそくそ、どうして異端狩りに気付かれちまったんだよぉ!」
黒い狩人の姿を見て、不快な声色で喚き散らす魔女。
その背後にある聖人像は首をへし折られ、代わりに子供の首が載せられていた。
「あぁ、あぁ、そうだ、コイツを殺して、奪って、剥いで、ぐちゃぐちゃにしなきゃねぇ!」
魔女はまるで誰かと会話しているかのような音量で独り言を言うと、肩にかけた血濡れの鞄から人間のものと思わしき心臓を取り出した。
「EinSteinmonster beobachtetdas Leben, tötet und nimmt weg undschläftwieder《石の怪物は命を見張り、殺して奪って再び眠れ》!」
呪文の詠唱と共に魔女は心臓を握り潰した。潰された心臓は、その中から大量の血を吐き出す。すかさず魔女はその血濡れの腕を振り、左右に置かれた石像に血を浴びせる。
すると、ただの石造りであるはずの像がまるで心臓を得たかのように鼓動し始めた。
数回の鼓動の後、石像は動きだした。
幸いな事に教会に多く設置された石像の中で動き出したのは、角を生やした大男と蝙蝠の羽根が生えた猿の石像の2体。
動き出した石像―ガーゴイルは、ガブリエルを視界に捉えると、2体ともほぼ同時に動き出した。
大男のガーゴイルはその見た目通りの力強さと頑丈さで、礼拝堂に並べられた長椅子を蹴散らしながらガブリエルに向かいまっしぐらに走り出した。
大男はガブリエルを叩き潰さんと巨槌のような拳を振り上げる。常人であれば、それを確認したのと同時に押し潰されてしまうのではないかと思う程の速度で、大男の拳がなんの構えもなく、ただその場に立つガブリエルに叩きつけられようとしていた。
だが一瞬、ガブリエルの体がぶれたかと思うとガブリエルは体を反らし大男の鉄槌を体捌きで躱す。
次の瞬間にはガブリエルは散乱した長椅子の瓦礫を足場に空中に飛び上がり、床板にめり込んだ隆々とした大男の岩肌に着地した。
それを狙っていたかのように、石像とは思えない速度で教会を飛び回る猿のガーゴイルが蝙蝠の羽根を羽ばたかせながら、その手足についた鋭い鉤爪をガブリエルに向けた。
ガブリエルは猿に気付くと大男の腕を蹴って再び飛翔する。そして空中で矢の如く真っ直ぐ向かってくる猿に正面から体当たりを喰らわす。
しかし、相手は全身石で構成された怪物、重さのないガブリエルの体当たりなどものともせずに、床から数メートルの高さで、そのまま教会の壁にガブリエル諸共激突し、その体と共に数枚の硝子と瓦礫を粉砕した。
「あはっ、あははっ!死んだ、死んだ、異端狩りが死んだぁ!」
離れたところから様子を見ていた魔女はまるで子供のように手を叩いて喜んだ。
衝突の際に猿のガーゴイルは砕けてしまっているだろうが、そんなことはどうでもいい。多くの【異端】が恐れる【異端狩り】を殺したのだ。
魔女は大いに喜んだ。
―気だるそうな狩人の声が、粉塵の中から聞こえるまでは。
「いったぁ…くそ、やっぱ軽かったかぁ…」
粉塵がはれ、魔女に狩人の姿を見せる。
ガーゴイル諸共に壁に衝突したはずのガブリエルは、クレーターのように凹んだ壁面にぶつかったままの姿勢で呑気に座っていた。
教会全体が揺れるような衝撃であったはずのガーゴイルの突撃が、まるでそんなことは無かったかのような顔をして、ガブリエルはふわりと床に着地した。
外套についた汚れをぱたぱたと手で叩く。
ガブリエルがした事はそれだけ。
傷の手当てはしない。
苦痛に顔を歪めるでもない。
魔女は混乱した。
―何故この男は傷を負っていない?
―何故この男は死んでいない?
―何故、
―何故、
―何故この男は笑っている?
「あぁあ、また穴空いちゃったよ…はぁ」
ガブリエルは外套に空いた小さな穴を発見し肩を落とす。しかし、それも直ぐにやめると再び黒剣を握り直し、大男のガーゴイルに向き直った。
魔女と違い、ガーゴイルに感情は無い。ただ与えられた命令を実行するのみ。
ガブリエルがまだ生きていることを確認した大男は声帯もないであろう体から、低い唸り声を響かせて教会を震わせた。
踏み出す一歩一歩で地鳴りの様に大きな音を起こしながらガーゴイルは目の前の狩人に拳を繰り出す。
しかし、狩人には当たらない。
狩人はただ口元をニヤつかせながら針のような鋭い眼差しでガーゴイルの胸元、人間であれば心臓のある位置を睨んでいる。
無いはずの心に恐怖を感じたガーゴイルは両手を組み、ただでさえ大きな拳をその2倍もの大きさにしてその恐怖の原因であろう狩人に振り下ろす。
その刹那、ガーゴイルは突然自分の腕が軽くなったことに気付く。次の瞬間ズドンと、何かが大きな音を立てて足元に落ちるのが聞こえた。
足元に落ちたのが、組んだままの自分の両腕であるとガーゴイルが気付くのに、それほど時間はかからなかった。
ガーゴイルの視界に入ったのは、切り落とされた自分の両腕と、その前に立つ黒い狩人。
ガーゴイルが組んだ両腕を振り上げた瞬間、ガブリエルは消えるように大男の懐に潜り込み、黒剣を一閃させ、固く頑丈な石腕を両腕とも二の腕から切断したのであった。
ガブリエルはがら空きになった大男の胸元に剣を突き立てる。
石で出来ていることを忘れているかの如く、片刃の剣先は大男の体を貫く。
ガブリエルはガーゴイルの中の何かを断ち切ったことを確認すると、黒剣をガーゴイルの体から引き抜いた。
瞬間、全身の力が抜けたかのようにガーゴイルは膝を突き、その場に倒れ込んだ。
大きな体の衝突は再び教会を揺らがせた。
揺れが収まると、ガブリエルは黒剣を魔女に向ける。
「さぁ、あとはお前だけだな」
「こんな…こんな…」
「喚いてないでさっさと死ね」
顔色を変えぬまま、ガブリエルは魔女に歩み寄る。
「あたしの…子供達ぃ…あ゛ぁ゛…」
嗄しゃがれた声で魔女が呻く。
慌てた様子できょろきょろと周囲を見渡す。
すると突然、魔女はまるで壊れたかのように笑いだした。
「あはっ、あはひゃ、あひゃひゃ…」
「何笑ってんだ?」
「異端狩りぃ…アンタにコイツが殺せるのかい!」
そう言って魔女が手を引くと、その手には見覚えのある少年―ケニーが捕まえられていた。
「あぅ…おにいさん!―むぐっ!」
「ピーピー喚くんじゃないよ!」
ガブリエルに助けを求めるケニーの口に魔女の枯れ木のような掌が覆われる。
「あひゃひゃひゃひゃ!神様なんて大嫌いだけど、どうやらアタシはアイツ神様に好かれてるみたいだよォ!」
「ぐぅっ!」
魔女に強く抱き締められ、ケニーが呻く。
「くそっ、おい!ケニーをこっちに渡せ!」
「やだネ!アタシは気づいてんだよォ…アンタはそこらの異端狩りじゃない…アンタは―」
魔女はその言葉を口にしてから気が付いた。
戦いの中でも消えなかった狩人の口元の緩みが消え去り、まるで別人か、仮面を被ったかのように無慈悲な相貌で、黒い狩人が此方を直視していることに。
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