死ぬのをやめてみたら鬱になった
死ぬのをやめてみたことがある。ふつうの女子になりたかった。だって「ずるい」でしょ。何度死んでも生きかえるなんて。ずるい。
回想。小学六年生の春休み。有名な市立中学校に合格した同級生の子が突然死んじゃったことがある。春休みに交通事故に遭って。家族でドライブしているときに。高速道路で「あおり運転」をされて。ぐちゃぐちゃになって。可哀想って思った。お父さんは市役所に勤めていた課長さん。お母さんは市立病院に勤めていた看護師さん。ダブルインカム。共働き。その死んじゃった同級生の子の妹さんは子役タレントで可愛くてCMにも出演したことがある地元ではちょっとした有名人だった。ふたりが並んで立っているところを見かけたことがある。美人姉妹だった。幸せそうな家族だったのに。みんな死んじゃった。終わり。すべて帳消し。市役所解雇。病院解雇。契約解除。合格取り消し。いままでの人生でやってきたことが全部ムダになる。あの世で文字を習う。回想おわり。
あたしは死んでも生きかえる。成し遂げたことは帳消しにならない。確か──小6の春休みにあたしは10回以上は死んでいる。一輪車の練習をしているときトラックに轢かれたり。変質者にいたずらされたあと証拠隠滅のために殺害されたり。あたしが特別に運が悪いわけではない。女児というものは、しばしば轢かれたり変質者にひどいめに遭わされたりするものだ。
そんなわけで何度も死んだけれど、結局は生きかえった。だから小6の春休みに食べたガリガリくんソーダ味のあたり棒を引き当てたという事実は帳消しにならなかった。中学校の入学式の帰りみち、悠然とコンビニのカウンターに持っていって引き換えた。あたしはずるい。ずるい女だ。自分のずるさがイヤになった。うしろめたい。世間様に顔向けできなかった。
中学1年生のときにあたしは鬱になった。死んでも生きかえる体質?特技?のせいで、あたしは自分で自分のずるさを責めるのをやめられなくなったからだ。朝に目覚めてもベッドから立ち上がれない日が増えた。やがて不登校になった。
死んで生きかえれば一発で治るのに。死ねばラクになれるのに。さっさと死ねばいいのに。あたしはあたしが死ぬのを許さなかった。死んでリセットすることを禁じた。自分のずるさが許せなくて死ねなかった。そうやっているうちに鬱はどんどんひどくなっていった。自分の意思では縊死できないくらいに気力が失われていった。
あるとき、精神衰弱していたあたしを見かねたお母さんが、あたしが眠っているあいだにあたしを心療内科に運び込んだ。診察を受けたあとにお薬をもらった。カタカナのお薬を飲んだら気持ちが楽になった。治療の甲斐あって、あたしは1回死ねるくらいの元気を取り戻した。
鬱のひどさを体験すると、もう二度と鬱になってつらい思いをするのはイヤだと思うようになった。ずるいあたしはあたしのずるさをずるいと思わなくなっていた。ずるさを許せないからといって鬱になるくらいなら、ずるい女であることを受け入れて、死んでも生きかえることの後ろめたさを背負ってずるく生きるほうがマシだった。そのほうが得だと思った。あたしはあたし以外にはなれない。あたしはこれからも死ぬことにした。
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