其の7

「稚絵さん、いかがですか?いまのが再生回数7千万を突破したムービー『SAKURAタンが稽古つけてあげるから穂香ぶつかっておい~で♡』です。ご覧になってわかるようにですな、この動画は萠キャラ系アイドルの3Dデータによって作成した萌え系同士の戦いでありながら、妓王と仏御前との戦いのミニチュア版ともいえるすべてのエッセンスをも含んでおる良質な作品なわけです。従ってストーリーはこれまでの作品中最も人気度の高かったこの『SAKURAタンが稽古つけてあげるから穂香ぶつかっておいで~♡』をほぼ踏襲したものになるものと考えてみてください。ただしストーリーはストーリーとして、実際の格闘シーンに於いては、稚絵さんがこのSAKURAに相当する役を演じることになり、ここにいる天野響子が穂香に相当する役を演じて、そうした上で…もう双方ガチで全力で戦って貰もらうことになるわけなんですがなあ!!」

「いまの動画って…!」

 その稚絵であるが、仏御前のほうにチラリとも目をくれることもなく真っ直ぐに貴家の顔を見たまま言った。

「何か一見モロにエッチ感丸出しの映画って感じで私ちょっとアレなんですが…、でもまあ冷静に見るならば、道場で水着姿で戦ったり、格闘の最中にとても大きなあえぎ声を張り上げたりするところ以外は、ちゃんとまっとうな試合として成り立っているって感心しました。それで警察がこの作品のどこに目をつけたのかはわかりませんけど…やはり水着とあえぎ声の件でしょうか?私もそこはちょっとアレなんで、そこんところばかりちょっと別のものに変えていただきたいですね…ですが、今度の動画はまったく真剣な演技抜きのマジバトルって聞いてきたんで、まあそれならばって思って、女優としてというよりも格闘家として、すごく出演への意欲は感じているとこなんです」

「稚絵さん、その対戦相手が、この天野響子でもですか…?」貴家は意地悪そうにちょっと口を歪めながら自分の傍に立つ愛人を示し、そうしてその目をじいっと覗き込んだ。稚絵は黙ってその貴家を見返したまままったく響子のほうは見ようとはしなかった。が、その刹那、周一は妓王の顔に不自然なこわばりを一瞬見いだして、思わず唾を飲み込んだ。貴家の傍らでは仏御前天野響子が腕を組んであたかも絶対神が下界の民を見下すような眼付きで稚絵の顔をじいっと睨みつけており、その二人を見較べると彼の口の中には、それはそれは強烈で嫌な酸味がじわじわと広がっていくのだった。

「勿論、水着、あえぎ声の2点についてはもう少し大人しいものと差し替える必要があります。今度の作品については、恐らく世界中に1億人はいるであろうと想定される我々の動画ファンたちの性的むらむら感を、それこそフルスロットルに刺激する最高の作品にしつつも、一方で警察に動く理由をまったく与えないものにも仕上げなくてはなりませんからな…」

「まあっ、やっぱりオタクたちの性欲を煽り立てるものを造るってのが、ホントの狙いだったのね!」天野響子の視線の容赦ない圧力を感じ取って、柔らかそうな頬の肉を僅かに強ばらせながらも、稚絵は余裕のあるところを繕うように笑ってみせた。

「いや稚絵、そうじゃない!もちろんそうだけど、そればかりじゃない!性的むらむら感を煽り立てるってのはもちろんそれはそうだけどさ…、実はその背後に隠された胸キュン♡感を引き出すってことが、ボクたちの真の狙いであるんなあ!稚絵、このムービーはね、100%猥褻に満ち満ちて見えはしても、実は人間にとって、とても大切な胸キュン♡感をテーマにしたものなんだよ!!ね?わかるだろ?」

 周一が眼前の仏御前の存在すら忘れたかのように熱っほく語ると、稚絵も変テコな顔をして頷いた。

「うん、胸キュン♡感って大事だよね。それはよくわかるわ」

「その通りさ!!胸キュン♡感って青春ドラマの代名詞だろ?つか、初恋の淡くはかない胸のときめきとして、人間の最も初々しく繊細な感情として昔からよく語り伝わっているものさ。だけどこれは戦う二人の女子を見た時に(ああ…こっちに勝って欲しいなあ!こっちが勝つ世の中ってホントステキな世の中だなあ♡)って胸をときめかす感情と本質的には同じものなんだ。格闘ファンの心理の延長上っていうのかな…?たとえそれがおちんちんを立てながらの感情であったとしてもだ!青春ドラマの胸キュン♡感の感情と基本同じなんだ。おちんちんを立てることと、爽やかな青春ドラマとは表裏一体のもんだとボクはて確信して止まないわけ」

「すると周一、ヒトを好きになる恋愛感情とスポーツで片一方を応援する気持ちとは同じってことなわけ?」

「それはそうだよ…。恋愛って相対的なものだから。つまりいままでつまらない異性ばかり見てきた者がある時ある異性を見て(うわっ、これはいままで見てきた他の異性にくらべて何かステキ過ぎ!)と感じた時に芽生えるのが恋愛感情で、他の異性との比較なしには存在しないものなんだから、スポーツ試合で片一方を応援する気持ちと全く同じものだよ!!」

「ふうん…何かちょっと違うような気もするし、それはもしかして真理のような気もする…。尤も違うような気がするってのは、何かいままで恋愛はこういうもの、スポーツ観戦はこういうもの、という古い括りで捉えていたためで、人間本来の心の働きに立ち還って考える原点回帰の努力が私に足りなかったせいなのかも知れないわね…」

 貴家が拍手を送りながら言った。

「いやぁ、稚絵さん、素晴らしい!!素晴らしい!あなたは実にユニークな個性の持ち主です。思考パターンが一般女子とは随分かけ離れているようで、さすがこれぞ妓王の骨頂と絶賛せざるを得ませんですぞ。私が昔付き合っておった妓王系の女子もちょうどあなたと似たような考え方を持っておったことをつい思い出しまして…、いや…、いまあらためて妓王系というもののあり方について感じ入っておる次第であります。稚絵さん、それで一つ質問なのですが…水着、猥褻なあえぎ声に替わる何かいいアイデアとやらはございましょうか?」

 稚絵は真顔で考えながら答えた。

「社長さん、何かこう水着の替わりに…さらしの木綿布を胸と腰に巻くっていうのはどうですか?昔何か映画で観たような気がするんですけどね、戦国時代女武者が出陣する折確か甲冑の下からそんな感じの綿布を肌に巻きつけていたように記憶しているんです。これだったらある意味戦闘着といえなくもないし、少なくとも水着よりはエッチ度は薄いかな?って感じはします…。そしてあえぎ声なんですけど、いま観た動画の「あんっ!あんっ!」てのは如何にも猥褻そのものなので、私いつも回し蹴りを全力で放つ時に「らあっ!らあっ!」って掛け声を掛けて気合いを入れていたので、これならば私全然抵抗ないです」

「……らあっ!らあっ!」貴家、周一、岬、塚本、4人は顔を見合わせながらその言葉を反芻してみた。「稚絵さん…それって、あなた自身が胸と腰に布を巻いただけの姿で、そして「らあっ!らあっ!」と叫びながら戦うことになるんですが、またその様子はライブで全世界に生中継されることになるんですけどそれでよろしいのですかな?」

「ええそれならエッチ感あまり感じないし、私としても抵抗ありません」

「そっちのほうが全然猥褻だ!!」アルバイトの塚本が叫んだ。

「わ、わかりました。ええっと…あなたは裸に腰巻き姿で戦いになるというわけですね。それで一方のここなる天野響子ですが、彼女についてはどのようなスタイルですればいいとお考えになられますかな?」

 稚絵はチラと仏御前の方へ目を向けたが慌てて目を逸らした。

「ええっ…それも私が決めるのですか?」

 貴家は力を込めて言った。

「もちろんですとも!あなたは今度の動画の主演女優なんですよ。いわばここの中心的人物、社長のようなものだ。社長……………あっ、そ、そうだ!!」貴家は絶叫した。「稚絵さん、あなたたったいまからここの社長になりなさいっ!いいですか!稚絵さん、これは社長命令です。稚絵さん、イヤとは言わせませんよ。いいですか。あなたにここの経営権を全権譲ります。これは社長命令です!稚絵さん、イヤとは言わせませんぞお!!」

 あまりの想定外の言葉に、周一、岬、塚本は絶句した。岬などは椅子ごと仰向けにひっくり返って後頭部をしこたま打ち付けた。周一も貴家の驚天動地の発言に恐らく生まれて最高度の驚きを感じたことだろうが、その直後に来たその驚きを何倍も上回る衝撃波に、風船のように膨らんでいた彼の下腹部は一瞬にして萎んでしまったのだった。

 パァーーーーンという大音響とともに、貴家の身体が椅子から浮き上がり弧を描いて3メートル先まで飛んでいった。天野響子は貴家に粉石機のような平手打ちを喰らわせた後、稚絵の間近まで詰め寄って金剛力士の吽形のようなとてつもない形相で彼女を見下ろした。稚絵は彼女とまったく視線を合わせようとせず、下を向いたまま固まっていた。

「貴家!!これはどういうことなのっ!ちゃんと説明してっ!!」

 貴家は折れた奥歯を血糊とともに吐き出しながら言った。「響子さん、言った通りです…。いまからこの稚絵さんがここの社長というわけなので、これからは彼女の指示に従って行動してください。私はいまから副社長をつとめます。響子さん…、副社長のあなたは専務に格下げです…」

 再び仏御前の殺人平手打ちが唸りを上げて炸裂し、貴家の身体は5メートルばかりすっ飛んでオフィスの壁に激突した。

「この私に対してよくもそんな仕打ちができたものね!こ、この私に対してお前…!!」

「うわ!!」周一、岬、塚本の3人は視覚化できるほど高密度に充満した仏御前の殺気に喉からヒュ~ウと悲鳴を漏らした。

 貴家は、床の上を死にかけた芋虫のようにゴソゴソと這い回りながらも、不気味に笑って己の愛人を見上げた。「どうします。さて響子さん…。気に入らぬのなら、ここを去ってもよいのですよ?」

 響子はハイヒールの踵で貴家の横面を踏みつけ、グリグリと踏み回した。

「もちろん去るわっ!!でもその動画には出るわ!ここを去る前にこの小娘を殺してからでないと!」

 周一も床の上にへたり込んでいた。

 しかし貴家は血みどろの身体を起こしながら楽しそうに叫んだ。

「ありがとう!やっぱり動画には出てくれるんですね!あなたはやはり私の思った通りの女(ひと)でした…。是非動画には出てくださいませ。そして妓王と力一杯戦って、私の許からもここからも立ち去ってくださいませ」そして笑顔で稚絵のほうに向き直ると、「では社長殿、天野響子があなたと戦う際の服についての指定を宜しくお願いします!」

土気色の顔をしたまま固まっていた稚絵は、気を鎮めるようにゴクンと大きく唾を揉み込んだ。

「そうですね、天野専務の服装については…、えと…、ほとんど裸同然の私とは対称的に、薙刀のヒトが着てる袴の道着みたくのが、何かこの戦いにはピッタリ合う感じがしますね。それよか、貴家副社長大丈夫ですか?こういう場合、勿論私が止めに入れればよかったんだけど、咄嗟のことで私も何だか、ビックリしちゃって…」

 専務、副社長…ああ何ということだろう。稚絵はもうすっかり社長になった気分でいるようであり、その変わり身のあまりの早さに周一は眼前の仏御前に全開でビビりながらも感心してしまった。

「ああ…加川社長、片や胸と腰に布を巻いただけの裸に近い姿…、片や丈夫な生地で仕立てられた勇ましそうな袴姿…この強力なバランスの落差に闘いを観る者たちは、もうそれこそ狂い死にするほどの性的むらむら感を掻き立てられるに間違いありませんぞ!実にあなたはここに来るや否や、我々が目指していることの本質をそれこそ何もかも理解してしまわれたようです。あなたは恐らく何でもこなす万能型の天才に間違いありませんぞ。やはりあなたを社長に抜擢したのは大正解でありました!!これからは動画ばかりでなく、是非『時おり裏本プレミアム黄金倶楽部』のほうの部署でもあなたが中心となって我々を引っ張っていってください。ああそれにしても…胸と腰に布を巻いただけの裸に近い状態の細身の女子が、勇ましそうな袴姿で道場に荒々しく入り込んできた大柄な女子に『SAKURAタンが稽古つけてあげるから穂香ぶつかっておいで~♡』なる凄い台詞を吐き、そこから始まる本物の死闘をこの目で実際に目撃できるなんて…、うわあ…もう本当にこんな幸運があっていいのだろうか?と現実を疑いたくなるほどの夢見心地で私ありますぞ!」

 周一も見事に同感だった。しかし稚絵が社長になった件については微妙に複雑だった…。そして何よりも仏御前が恐ろしく、彼は全身を悪寒のように震わせるばかりで、混乱しきった脳内思考をどう処理することもできないでいた。

「あの…皆さん、今度の社長である私が主演する動画のタイトルについてなんですけど…『チータンが稽古つけてあげるから響子ぶつかっておいで~♡』っていうのはいかがでしょう?ええ…そうなんです!前の作品のタイトルとまんまかぶってるきらいがなきにしもあらずなんですが、というよりか実際そうなんですけど…何せ再生7千万回を突破したそのファンたちの勢いをそっくりそのままの形で次なる作品に引きずり込むためには…前作のタイトルをそのままの形で踏襲するってのが一番だと思うんですよね。私その『チータンが稽古つけてあげるから響子ぶつかっておいで~♡』のライブ生中継の日取りをいまから一週間後に社長権限で独断で決めちゃいますから。それで皆さんには、その期間ネットで大いに宣伝をしていただいてファンたちの期待感を高めたいと思うんです。実はファンたちには一週間後と明確に日程を知らせるんじゃなくって、うーん…そうですねェ…『一週間内近日公開!!』みたいな形で、ファンたちが「今日かも知れない」「今日じゃなかった。では明日かな?」とサイトを毎日こまめにチェックしてくれることで評判が評判を呼んで、もう公開前から再生回数がどんどん上がっていくようにもっていきたいと思うんです。では皆さんの役割分担ですが、まず岬先生…、あなたは中継の舞台となるこの空間を私とその響子専務の死闘にふさわしいものになるようにセットしてください。塚本君、キミは私がリストアップするライブに必要な物資、機材、道具等を調達するように。そして周一…、今度の作品は君が作る3Dムービーとは異なるものではあるけれど、カメラワークという形で多少なりとも君の制作意欲を満たしてくれないだろうかな…?周一、君にはカメラマンを命じます。といっても君はカメラワークは初めてなので、カメラは塚本君が得意だそうだから、彼にコツなりいろいろ教わりなさい。それで前社長の貴家副社長は、私と一緒に作品の細部について綿密な打ち合わせをいたしましょう。また制作費用とか機材の購入費用など資金面での遣り繰りなどは全面お任せします。さあて前副社長の天野専務さんですが、あなた私と戦って勝てるようによーくトレーニングに励んだり体調を整えたりしておくようにね」

 周一は耳を疑った。初めて訪れた恋人の職場で、しかも彼女には未知の業種で、いくら社長になったからとはいえ、いきなりこのように仕事の微に入り細に渡って淀みなく指示を与えるることができるものだろうか?これはやらせではないか?実は貴家と稚絵とは周一の知らないところで既に通じており、このようなシナリオができ上がっていたのではないだろうか?…考えれば考えるほど彼の疑心暗鬼は膨らんでいったのだが、それにしては当の貴家も呆気に取られた顔をしているのが実に不思議ではあった…。

「いや…加川社長、私驚きましたぞ、加川社長!あなたがいまおっしゃったことは、実に私が言おうと思っていたこととそっくりそのままであります。特に一週間後と明確な公開日時をファンに伝えずに、一週間内と幅を持たせたことによって彼等の期待感を巧みに高めていく高度な手法など、よもや私以外の誰も考えつくはずもないのですが…、一体どうなっておるのか実にまったく空恐ろしさすら感じるほどであります。もしかして稚絵さん、あなたは平家物語に出てくる本物の妓王の生まれ変わりなのでは…?」

 ドゴーン!と大きな破裂音がしたので一同飛び跳ねるように音のした方を向くと、稚絵の頭にぶつかったブロンズ製のフットボールの置物が彼女の頭からゆっくり落ちていくのが彼等の目に入った。そしてそのブロンズのココナッツ型ボールを投げつけたであろう仏御前の投球直後の姿勢、そしてこめかみの辺りからドクドク…と血を流す妓王の姿が周一の目に入った。それは頭蓋骨に亀裂が入ったのではないかと思わせるほどの恐ろし気な響きだったが、稚絵はなおも響子と目を合わせようとせず、血をドクンどくんと流しながら無表情で横を見たままであった。

「貴家副社長、その…何でしたっけ?今度のムービーのタイトルって…?」稚絵は血で塞がった目で貴家のほうを見て明らかに無理な笑顔をつくった。

「は…えっと…その、『チータンが稽古つけてあげるから響子ぶつかっておいで~♡』でしたっけ…?」さすがの貴家も完全にひいた様子で答えた。

 稚絵は微かな笑みを口許に浮かべたままよろよろと立ち上がり、いままで目を伏せていた天野響子と身体をくっつけるようにしてその真正面に立った。核爆発寸前の静けさがオフィスの中いっぱいに立ち籠めた。

(ひゃあ~~~~~~~~~~~っ!!)周一は次に起こる惨事を予感して、その陰気な脳の内部で東京23区全土に響き渡る如き大絶叫を張り上げた。

「ふふ…チータンが稽古つけてあげるから響子ぶつかっておいで~♡」

 稚絵が仏御前に顔面をぴったりくっつけてその台詞を言い終わるや否や、彼女は全力疾走で自分の身体もろとも妓王の身体をオフィスの壁に激突させ、その身体を壁に押しつけたまま金剛力士の阿形を遙かに上回る形相で砲丸のような鉄拳を電光石火の如く叩きつけ出した。4名の男たちが呆然としてただただ立ち竦むばかりの中、稚絵の身体は徐々に変形していき、その手脚は妙な角度に折れ曲がっていくように見えた。勿論妓王は抵抗するどころの騒ぎではなく、ただ白目を死人のように剥いたまま、溺死寸前の者が最期に喘ぐようにアップアップ…と懸命に息を吐き出しながら仏御前の悪夢のような砲撃を受けているのだった。

「た、助けろ…だ、誰か助けろ!」周一は仏御前の腰に飛びかかり、貴家、岬、塚本に向かって懸命に叫んだ。「た、助けろ!は、早く……!」天野響子の腰回りについた恐るべき筋肉の弾力に彼女が少し腰を動かしただけで弾き飛ばされながらも、再び彼女の腰にしっかりと腕を回して声を限りに叫んだ。「は、早く!馬鹿野郎!!お前ら、馬鹿早く助けんかっ…お前ら!!」

 周一の懸命の訴えにほとんど死人の顔のようである彼等も、弾けたように天野響子に飛びかかった。4名の男子は歯を食いしばって彼女の腰にしがみつきその動きを封じようとしたが、鋼のバネのような肉の弾力に何度も弾き飛ばされベソをかきながら半ば憑かれたように同じ試みをただただ繰り返した。男子4名の力をもってしても仏御前の暴行をとめることはほとんど不可能のようであった。

 貴家が何かを思い付いたように自分の机に猛ダッシュで駆け寄り、引き出しを開けて血眼になって何かを探し始めた。ほどなく彼は引き出しからスタンガンを取り出してそれを持って必死で駆け戻り、3人を退かせて天野響子の臀部にグイと押し当てた。ブブー…ンブブブブブブブーーン…!!という轟音と共に一瞬響子の動きが止まり、貴家のほうを振り向いたが、すぐに妓王に向き直って暴行を再開した。もう一度彼はスタンガンを響子に押し当てると今度は決して離すことなくそれを押し当てたままにした。だが仏御前はそんなものなぞ意に介することもなきが如く、少し攻撃の勢いが弱まりはしたけれども、妓王への鉄拳の嵐が止む気配は全くないのだった。(何なんだ一体?これは何なんだ?人間なら、これやられて人間だったら…フツー全身の筋肉が腓返りを起こして失神するんじゃないのか?何なんだ!!この化け物性は一体、何なんだよお?)周一は仏御前の得体の知れない生命力に自分の下腹部を毟り取ってしまいたいほどの歯痒さを、地団駄を踏んで噛み締めた。貴家はついにスタンガンのパワーつまみをMAX一杯まで回した。

「皆さんっ離れなさいっ!!これは殺傷を目的として開発された軍用の特製のスタンガンです。電圧をMAXにすると、電気椅子並の高圧電流が流れるんです!!」

 ンバチバチバチバチバチバチバチバチバチィーーーーーーッ!!と凄まじい音がして、天野響子の全身から無数の稲妻が四方八方に放電された。その身体からは煙が上り、身体は青光したり白光したりを繰り返しながら、そして肉の焦げるような臭いが辺りに立ち籠め始めた。

 仏御前は仁王立ちのまま動かなくなった。しかし興奮はなおも収まらないのか、顔面の肉を怒りに引きつらせながら、ベンガル虎の咆吼のような凄まじい息遣いで喘ぎ続けていた。

「は、反則だ!!こ、これは、は、反則だ!ぎ、妓王はまだ戦いの準備が出来ていなかったんだ…!!そ、そ、それを不意打ちで馬鹿っ!」周一は泣きわめきながら血肉の塊のようになった稚絵の元へ駆け寄った。「さ、触るな周一!!あはひはひ…、あはひゃっはひゃっ…、はひはひ…私はぶ、武人であるぞ…一般女子にするが如き女々しき気遣いはいらぬ…あひゃ~~~!はひはひはひ…わ、私を、はひゃあ~~~み、見損なうな!ひぃぃぃ~いひぃ~~~ひいっ……」そう言って稚絵は周一の手を払い退け、「た、タオルを濡らしてっ、周一……あひゃあ~~ひぃいいっ!」と彼に命じた。直ぐさま彼は洗面所に駆け入って濡れたバスタオルを持参して渡し、少し離れてその様子をオドオド見守ると彼女は尻だけをピョンと立てた俯せの姿勢のまま、妙な方向に折れ曲がった手脚をストレッチをするかのように元に戻し、真っ赤に濡れた顔や手脚の血液を悲鳴を上げながら拭き取り始めた。関節が戻りあらかた血が拭き取られると、思ったほどの深刻なダメージではないようにも思えたが、それでもその顔は以前の2倍ほどにも腫れ上がり紫色に変色しているのだった。

「はひはひ…岬先生…はひぃ~~……っ!!あなたのメイク技術で、試合の日までに、はひゃあああ…この顔を元通りに…で、で、できますか…?」

 名指しされた岬省吾は膝をガクガクブルブル震わせえながら、「そ、その…治癒することはもとよりできないながらも、その…見掛けだけなら完全に戻せるかと………」

「み、岬先生、安心しました。あひあひ、先生の天才的技術で、試合の日までにはぜひ、ひとつお願い…………………ぐ、ぐえっ!」

「む、無効試合だあ!これは無効試合だあっ!」と喚き散らす周一を尻目に、貴家が恐るおそる尋ねた。「しゃ、社長…ことによれば、もしかしてその身体で試合をするおつもりなのですか…?」

「はひぃぃぃ~…あ、当たり前でしょうが!!きゃひっきゃひっ…わ、私は妓王ですよ。あなたよもや私が負けるとでも?ひぃぃぃ~ひぃぃぃ~は、反対は許しませんから!社長命令です!げっ…ごるおええええええええええ~~~!!」黄色い胃液を嘔吐しながら稚絵が決然と言い放った。「ひはあっ!…あ、安心してください。しょ、勝算はありますから…僅か1%くらいですが…はひはひ…しょ、勝算はありますから安心してください。ひゃああああ…わ、私、僅か1%の勝算にのすべてを賭けて闘って勝ちますから…!!あ、安心してください!はひゃあああああああああああっ!!」

 1%どころか0%の勝算すらもなかろうと周一は直感したが、脳内御都合思考のレベルでは、(稚絵が1%というのだから、1%の勝機はあるのかも知れない…)(1%という勝機は大きいものだろうか?小さいものであろうか?)(いや、1%という勝機は小さいものであると言えるかもしれないが、拡大してつぶさに見詰めればそれは途方もなく大きなものとも言えるぞ!!)(そうだ!人生に於いては何事も拡大してみることが大事なんだ!)(拡大してみて、そこに途轍もなく大きな小宇宙の広がりを感じ取ることが出来るならば、この世でできないことなんて何一つありはしないぞ!!)(その証拠に稚絵のほっそりした尻の山だって、目をくっつけるようにして虫眼鏡でじいっと見てみれば、そこには無限の広がりを持った小宇宙…いや無限の大宇宙すら感じ得るではないか……!!)と極めて可能性の薄いその1%の勝算に賭ける意気込み甚だしいものがあった。彼はその後の1週間を、その同じ思考をただウジウジと繰り返したり、仏御前の電気椅子並の電流にすら耐える圧倒的肉体と他者を失禁させるような存在感を自分の下腹部を狂ったように弄り捲ることで何とか払いのけようと虚しく試みたり、二人の死闘を少しづつ動きのパターンを変えてみて何万回も脳内シミュレーションしてその中の一つくらいに稚絵の勝利が何とか見えてこないか等々の妄想を必死で繰り返しながら過ごすのだった。

 

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