其の6
周一はその足で稚絵のマンションに赴き、貴家のいまの話を語って聞かせた。稚絵の居間の棚には縫いぐるみコレクションに新たにくまモンとねば~る君の新メンバーが加わっていたが、却ってそれらは周一を無性に苛立たせるのだった。彼女の出した大好物の和牛ヒレ肉の甘煮風牛丼とたたき牛蒡を、味もよくわからぬ体で無造作に口に運びながら、うわずったヒステリックな声で切り出した。
「これって恐らく次のムービーは、君と社長の愛人で副社長でもある天野響子とのじかの戦いになるってことだと思うわけ!!ほら…君が妓王系で副社長が仏御前系だから、ね?そ、その……いままでみたく萠キャラ系アイドルやモデルから採った3Dデータを使うんじゃなしに、本物の女子である君と副社長を、何か…こうガァーッと死に物狂いで戦わせるみたいな、その…言ってみればガチンコ気味に展開されるって予想されるわけよ。正式な説明は明後日で、まだ直には聞いてないんだけども…僕の予想は間違いないと思うわけ。まあ社長の話ってのは、ぶっちゃけそんなとこ。で、稚絵としてはそこんとこどう思う?会議来る?つか天野響子と闘う?つかムービー出る?」
「まあ落ち着け落ち着け」稚絵は苦笑いしながら、細い指で背後から周一の肩を力強く揉んだ。「つまり社長さんは、その映画とやらに出演させる同意を取り付けるために私を会議に呼んだってわけね。それに関しては一にも二にもOKってことだから、早めに彼に連絡して安心させてあげて。私も昔は相当入れ込んで空手やってたから、そういう戦いの場を設けてくれたことについては、抵抗があるどころかこちらからお願いしてやらせて貰いたいくらいだわ!!それに映画に出演できるなんて何かもうワクワクしちゃうじゃないっ!」
「いや、映画じゃなくてただの動画…まあ映画並によく出来た動画ではあるんだけど…」
「いいのいいの…、周一の会社ってちゃんとした出版社が母体なんでしょ?そんな会社が作る動画だったらもう映画とおんなじことよ。ここんとこずっとエアロビのインストラクターや子供スケート教室のコーチやらの関り仕事ばかりで、随分長いこと格闘技の世界から離れていたからそれが出来ると聞、いて久しぶりに心の底に火がついてきたみたい」
ふと周一は或る事に思い当たってそれは実に何でもないことであったが、少々気になる心理が働く部分もあったのでさり気なく稚絵に尋ねてみた。
「稚絵が空手やってた時ってどうなの…?こいつは手強いとか、こいつとは苦戦したとか…、そんな感じのライバルっていたの?いや、だからって別にどうってことはないんだけど、まあほんのちょい参考までにと思ったもんで」
「周一、それって小山加奈子ちゃんだよ」彼女の答えは素早かった。「同じ道場で私の次に強かった加奈子ちゃんだよ!」
「小山加奈子…」周一はその名前から受ける印象にどことなし小者的な集団的階層の低さを感じ取ったので、不満の入り混じった少々批判めいた口調で問い詰めた。「そいつ強そうだった?ね、見てくれどんな感じのやつだった?うんと強そうだった?稚絵のライバルだったんなら勿論うんと強そうだよねえっ!?」
稚絵は笑って首を振った。「ううん、強そうというかねぇ…見た目としてはちょい強くらいの感じだった。童顔だったし…、ぽっちゃりして肉がゆるんで背も私より低かったからね。でも加奈子ちゃんって地力があってさ、身体を密着させてぐいぐい押して来られると攻撃がまったく繰り出せなくなったんだ。腰抱え上げられてしこたまひっくり返されたことだって幾度もあるし…」
周一はそのライバルとやらのレベルにかなり落胆しつつも、ズボンのチャックが弾け飛ぶほどに下腹部を固く膨らませてその戦闘光景をありありと思い描いた。もちろん小山加奈子なる女子を見たことなどないわけだから、稚絵の説明から自分が脳内に勝手に創り上げたイメージではあるけれども、そのどうしようもなくしょぼい女子像が実物にかなり近いものであるという確信はあった。そしてわかったことは、どうやら女子空手界の層は彼が想像していたよりも薄いらしくあるということだった。童顔、ぽっちゃり、小太り…このような身体特徴を持つ女子で仮にもナンバー2として君臨できる領域といえば運動量の少ないゴルフ界くらいで、激しく動き回るスポーツでは皆無であるはずだから。他のスポーツとの偏差で考えればその小山加奈子のレベルが3流4流であることはまず間違いなかった。(すると稚絵は真の強敵とまだ戦ったことがないのか…!!)彼はゴクンと生唾を呑み込み、人間女子の頂点とすら感じられる天野響子の圧巻なる姿を思い描き、次に脳内場面を切り替えて小山加奈子如き凡女に苦戦する加川稚絵の細い腰の辺りを拡大ズームして見たとき、全身の細胞という細胞からアドレナリンが鯨の潮の如く一斉に吹き出す感覚に、思わず全身をおしっこのようにブルブルと震わせたのだった。
そして、もう一つここでどうしても確かめておきたいことがふと沸き上がってきたので、彼はポケットから携帯を取り出し仏御前の画像を彼女に示した。
「この女性が今度君と多分激突することになる予感の天野響子さんだ。ほら…。まあうちの副社長でもあるんだけどね…。もちろん仏御前系でもあるってことは言わずもがなだよね?」
一瞬妓王稚絵の目が大きく見開かれたように見え、周一はその一瞬をさらに大きく目を見開いてすかさず捉えずにはいられなかった。急激に心臓の鼓動が抑えが効かぬほど速鳴りし出し、不整脈の入り混じった狂詩曲を激しく奏で始めるのだった。
「こ、こいつってさあ…まあうちの副社長なんだけど…まあ小学生の時子供相撲の横綱だったり、学生時代と社会人になってからはしばらく女子ラグビーのキャプテンやってたりとか、結構手強いかも。まあ、でもその小山加奈子さんほどには君のライバルとしては役者不足だけど、稚絵としても決して油断はしないほうがいいかもと思ってね…」
誰が聞いても彼の言葉はあまりにちぐはぐでトンチンカンなものだったが、周一としてはそれが精一杯の稚絵への思い遣りを込めたメッセージであった。
「なるほ、ど周一がいつも言ってる仏御前系ってのは、こういう女性のことだったんだね…。あんたがよく私に、仏御前は妓王の強敵とか言ったり、君と仏御前系と戦ったらどっちが強いか?とか尋ねていた意味が、やっとわかったわ。てか…これってシャレになんなくない?画像から見るだけでもこのヒトが本気出したら男子プロレスラーだって追い詰めることができそうだってことがもうありありとわかるじゃん!周一、ふつーこういうヒトは別枠として無意識的に除外した上で、そうした上でそれ以外の女子同士を比較して考えるものなんじゃないかな?あんた本気でこの天野響子さんと私を闘わせる気?私がどうなってもいいってわけね?」
「えっ!?つ、つまり稚絵としては…勝算はないと…?えっ、つ、つまり…!?」
「それは、やってみなけりゃわからないのだけれども…」稚絵は鋭い目で周一を睨みつけた。しかしまったく目に険の見られないその形相は、恐ろしさと同時にある種の心地良さをも彼に感じさせるのだった。「そりゃあ、このヒトと闘うのは半分死にに行くようなもんだけど…こうなった以上は私としても乗りかかった船でいまさら後には引けないでしょう!!勿論私だって勝算なくもないわ……まあ勝算ってたって具体的なもんじゃなくて、単なる漠然としたイメージ上なんだけどもさ。とにかくその漠然としたイメージに賭けてみる。!いずれにしても彼女と闘うためには、気持ちの整理をしたり、身体の肉質を微調整したり、といろいろの準備が必要だなって感じ…」
周一はその「肉質の微調整」ってとこでプッと吹き出した。
貴家に仕事の中止を命じられていて家に帰ってもすることが何もなくなってしまった彼は、作戦会議までの二泊を妓王稚絵のマンションで過ごすことにした。部屋での稚絵の日常の仕草や、筋トレ、ストレッチ、イメージトレーニングなどをする動きに伴って刻々変化していくその筋肉の按配に一日中目を釘付けにしながら、天野響子の肉体との差について熟考したり、ベッドに入ればその身体を頭の天辺から爪先までくまなく触りまくって、仏御前の攻撃を受けた際の耐久性などを執拗に点検したり、また下腹部同士を合体させて少しでも稚絵のポテンシャルを強化する手助けになればと、己の全エネルギーをがむしゃらに送り込むイメージでおこなったりと、何しろ生まれて初めて目撃するであろう本物の妓王と仏御前とのガチンコの前に、自分がいま妓王のために出来ることを全部やっておこうと、彼は彼なりに懸命に頑張ったのだった。勿論自分の脆弱なエネルギーを注ぎ込んでしまっては、ポテンシャルの強化どころか却ってそれを半減させてしまうのではないか?という怖れもあるにはあったが、そこは(妓王系のエネルギーというものは、それと最も相性のいいエネルギーと組み合わさることによって最高に活性化されるものである)という定理をこしらえることによって辛うじて自分を納得させたりしていたのである。(妓王系と仏御前系女子の真の死闘、これがかつて地上の歴史で行われた試しがあっただろうか?)(自分は明日、実に生命界の大ドラマを目撃することになる)(稚絵こそ偉大なり!!まさに妓王こそ偉大なり!!)などのフレーズはその間何度彼の脳内をタコができるほど去来したかわからなかった。
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