其の5

 『ヤングチャンプ』34号の『ヤングダム』の続きについては、貴家の言った通りに妓王が仏御前に殺される寸前に主人公のケンに救われるという周一にとって喉が潰れてしまうほどの情けない展開を見せていた。予め心の準備が出来ていたとはいえ、それは贔屓のスポーツ選手が憎むべきライバル選手に屈辱的な負け方をした比ではない、もう深刻すぎる打撃を彼に与えたが、そのことが自分の果たすべき仕事に於いて何としてでも妓王を仏御前に勝たせねばばらないという周一の闘志に太陽から吹き出るフレアの如き一層の炎を点したのであった。

 彼は会社での萠系たちの3Dスキャンやソフトウェアのバージョンアップなどの仕事を終えた後、その萠系ギャルのデータを自宅に持ち帰って新たな職場である『時おり裏本プレミアム黄金倶楽部』に持参するための動画作りに夜毎精魂を傾けて励んだ。何しろ肝心の素材と来た日が萠系ときているわけで、その萠え系たちの対決にはちっとも萠えることができないという彼にとっての最大のハンディキャップはあったものの、そこはシチュエーションを何とか萠えやすく設定したり、演出に小賢しい策を弄したり、表情や動作などに出来得る限り普通人の性的むらむら感を呼び起こし易いような微細なニュアンスを加えていったりなどしていって、自分としてはまあ納得のいくものが最大限出来たのではないかと納得したので、その第一作目を張り切って貴家のオフィスに持参したのであった。

 貴家のオフィスは、渋谷駅にほど近い1階に不動産屋とか整骨院とか中華料理店とかのテナントが入っている老朽化した赤煉瓦風外壁のマンションの8階にあった。周一がおんぼろエレベータで上がって遠慮がちに薄暗い廊下の奥のドアを叩くと、貴家を初め、電車の中で『ヤンチャプ』を読んでいた例の塚本君、スマホの画像で見た貴家の愛人天野響子、それからもう一人眼鏡を掛けた30歳代前半かと思われる青年が出迎えた。中でも仏御前天野響子の存在感は群を抜いて強大であり、他の3人が女王様の身の回りの世話をする卑しい虫ケラではないかと感じられるほどであった。

「亀山さん、そう遠慮しなくてもよろしいですよ。あなたはすでにここの社員なのですから。しかも肩書きは映像部長なのですぞ!いいですか、次からは勝手に出入りしていいのですよ。ささ、どうぞお入りください…」

 オフィスの室内は40畳はあろうかと思うほど広いもので、一般のオフィス同様パソコンやサーバー等の並んだ机や大型コピー機などが置かれていたが、部屋はパーティションで真ん中からちょうど真っ二つに仕切られていて、右半分には数多くの書籍類が積み上げられており左半分は自分の会社の3Dスキャン用のスタジオにどことなく似た構成になっていた。恐らく右半分は元々の裏書籍編集用のスペースで、左半分は周一のために新たに拡張した動画作成業務用のスペースであるだろうと理解できた。また左側の壁にドアが二つあることから、さらに他に二つの部屋があるらしかった。

「申し訳ないが亀山さん、奥のほうの部屋はその…、副社長…、まあぶっちゃけ、天野響子の居住スペースになっておりまして…響子と私以外如何なる者も立ち入り禁止ということでご了承くださいよ…。いいですか、映像部長のあなたといえどもくれぐれも立ち入ってはなりませんぞ!!そして手前のほうの部屋ですが、いまのところ予備室ということにしておりまし、社員たちがその都度私用の目的で利用しておりますんで、あなたもぜひご自由に何なりとお使いください」

それから貴家は例の眼鏡の青年を示した。

「そうそう…、あなたに岬省吾先生を紹介しておかなければなりませんでしたな」長身でやや猫背気味のその男は病的で見るからに血色の悪い顔色をしていたが、眼鏡の奥の眼からは何やら絶対的な薄気味の悪い自信を持っていると思わせるような眼光が放たれていた。「亀山さん、岬先生はね…、今度業務拡張が決まってから新しくこのプロジェクトに参加して貰うことにした映画のメイクアップアーティストでありまして、何とハリウッド映画の特殊メイクも手掛けたことのあるほどの凄いお方なんですよ!!ただ本来の意味での才能は失礼だがどうもいまひとつのようで…、これも失礼だが先生の才能っていうのは、ほら、それこそ観る者の性的むらむら感を触発するようなものに限って発揮されるのです!それで、私が先生のお名前を知った経緯と申しますのはな…、先日偶然手にした新作DVDの『石榴城』を見ております時にな、可憐な町娘お千絵が牛裂きの刑という刑にかけられる際の断末魔のあまりにも強烈で斬新な特殊メイクが私の目にとまりましてな、もう思わず私「これだああああああああああああぁぁーーーーーー!!」と絶叫したのであります。そしてこのメイクを手けたのが岬省吾という名のアーチストであることをテロップで知り、先生がメイクを担当した作品をいくつか検索してみた結果、先生のメイクはどれもこれもが観る者がまだ自覚すらしていない潜在意識下の性的むらむら感を顕在化する独特のインスピレーションに満ち満ちておるものばかりだとわかって、亀山さんの作った3Dムービーに仕上げのメイクを加えることができるのは、これはもう全世界に岬先生をおいて他にない!とこう鋭く洞察いたしましてね、この度それはそれは法外な報酬を条件に来ていただくことにしました次第なんです。」

 貴家が言うのだから、岬の作品の方向性は彼等が目指すものにピタリと一致しているのに違いないと、周一は思った。しかしそんな天才・岬でさえ、この広いオフィスの空気をほぼ支配している天野響子の圧倒的な磁気嵐の中では、卑小な凡人に感じられて仕様がないのだった…。周一の意識の9割方は純度96%の仏御前の或る意味暴力的ともいえる気勢に対する警戒心に当てられており、彼は意識の残り1割ぽっちでまっとうな仕事の打ち合わせができるかどうか、はなはだ心配になってきた。しかしそんな周一の内心を知る由もなく、岬は少し横柄な上から目線気味のの口調で言った。

「まあ3Dのメイクについてはディズニー作品にちょっと参加した時に担当したことがあるんで大した問題はありません…。亀山君、それより亀山君…、あなたの嫌いな萠系のギャルが何故いま人気の主流となっているかを考えたことはありますか?亀山君それはね、萠系というのは、昔からの人気キャラ系の古典的王道であるヒロイン系の実に亜流として派生したものだからなんです。まあいまも昔も一般大衆の基本的なキャラの好みというのはね、実はそれほど変わってなくて、いまの萠キャラマニアやオタクたちだって、自分では昔はなかった萠キャラに萠えることに何かトレンディみたくものを感じて時代の先端を行ってるつもりになってますけど、実はヒロイン系と萠キャラ系は記号的には相似であってね…、萠系というのはヒロイン系をいまの時代に合わせてちょこっと小賢しく変形させただけのものなんです。そういう意味で彼らは萠キャラに萠えているようで、実はその背後のヒロイン系に萠えているんですね…。まあ今回亀山君に持参していただいた萠系同士の格闘動画については、萠キャラの本質を熟知する私に任せてください。まああなたは萠キャラの門外漢なんでそのムービーにも恐らくいくつかの破綻が見られることでしょうが、私のメイク技術でその破綻を申し分なく修復してあげますから、安心してくださいね。勿論萠系ばかりでなく、妓王系、仏御前系についても私はその本質を余す所なく熟知しておるつもりですよ」

 周一は岬の知ったかな喋り方がどうもいちいち鼻について嫌悪感でいっぱいになったが、彼が毛嫌いしている萠系の本質を、彼の理解と同じ程度に岬は見事なまでに解き明かしているのを聞いて、さすがにハリウッドやディズニー映画のメイクを担当したアーチストであると認めざるを得なかった。天野響子のその烈風の如き重力場に支配されたこの息も詰まる時空間の中で、岬省吾の存在はさしずめ仏御前の指令で動く歩兵軍団の中に稀にいる、とんでもない特技を持ったクズの一兵卒みたいなものだな…と彼は冷笑しながらしみじみ思った。

 右側の『時おり裏本プレミアム黄金倶楽部』用のオフィスに堆く積み上げられた裏出版物の中には、タイトルから周一が思わず手にとって読みたくなるような誘惑に満ちたものが数冊はあったが、中でも目を引いたのはやはり『ヤングチャンプ』の裏34号であった。他の出版物に混じって十二、三冊ばかり積まれたその『ヤンチャプ』を見て、この『ヤングダム』の中ではああ…、妓王が仏御前を倒すんだっ!!って思うと一冊持って帰って我が青春の家宝にしたくて…どうにもこうにも我慢ができなくなってしまった。それでわざと彼らにアピールするように冊子の束に大袈裟に目を近づけてみしたりしたが三人はニヤニヤ笑うばかりで誰も「そんなに欲しければ一冊持って行ってもいいのですよ」と言ってなどくれなかった。あの時はアルバイトの塚本君でさえ一冊貰って電車の中で読んでいたっていうのに、自分はここの部長なのに…と思いながらふと見ると、床の上に裏34号が何冊か散らばっているのを見つけて、指で差してそれを彼等に示した。

「あっ、大事な商品が床に落ちてますよ…」

「拾って!! 」

 それはかつて彼が聞いたことのあるどのような猛女の声よりも、威圧感と暴力に満ちた恐るべき波動で、周一はモノなど考える暇もなく、犬のようにビクついて裏34号を拾い上げた。同時に周一のすぐ近くにいた岬省吾も彼同様にビクついて拾い上げようとしたがタッチの差で彼に奪い取られたために、所在なげにオロオロしているばかりだった。

「机っ!!」周一が拾った冊子を手渡そうとすると、響子は手で机を指しながら突拍子もない声で命じた。周一は金玉が縮み上がってしまい、全く無抵抗で素早く本を机に戻した。瞬間周一と岬は卑屈な顔と顔とを見合わせて、お互いの目に共通した自尊心の崩落によるダメージを読み取りいたたまれなくなって、どちらからともなく顔を背けた。人間をはじめ集団生活を営む生物には、天性の群の指揮者に無条件で従う本能のようなものが組み込まれているに違いなく、仏御前ほどの高レベルの指揮者の資質を備えた者には、あらゆる理性や判断を通り越して下僕のように従ってしまうのは、ただもうやむを得ないことであるのかも知れないなどと思うのだった。ふと周一は数年前渋谷でオヤジ狩りの被害に遭遇した死ぬほど嫌な記憶を思い出し、その時に彼を迫害したチンピラや生意気なコギャルたちでさえ、響子の前ではまず間違いなく彼と同じような卑屈で従順な犬になり下がってしまうのだろうと推測した。岬の様子を覗うと、まだ卑屈さの貼り付いた顔のままで、何とか自尊心を回復するために懸命にカッコつけようと脳内奮闘していることがわかった。

 一同揃って周一の3Dムービーを評価するためにプロジェクターで拡大投投影して見てる頃までには、岬の表情にはまだ卑屈さが残存しているものの、かなり元の天才アーチストらしき体勢を取り戻しつつあるようだった。塚本君のほうは年齢もまだ若いし何しろアルバイトの身分なので、仏御前に対して下卑たザコのように振る舞うことにほとんど抵抗もなさそうで、そんな気楽な彼の立場を羨ましいとさえ周一は思った。

 あらかたムービーを観終えると、ソファーに座ってそれを観ていた天野響子が、威圧的ではあるがどことなく王族のような高貴とも取れる微笑を浮かべながら口火を切った。

「亀山君はごく普通の一般人。ここには見るべき芸術性は一切存在しないし、その他見るべき何の価値も感じられない。ユーチューブに投稿してあるのと同レベルのまったく素人が作った普通の作品。それにしても親麿呂、あなたもよくもまあこんな素人を連れてきて新プロジェクトなんぞ立ち上げてくれたものね」仏御前は貴家を睨みつけた。周一は、この動画の中では2人の萠系ギャルがそれはもう死に物狂いで死闘を繰り広げるのであるが、この仏御前がその中に割って入って攻撃を仕掛けたならば、まるで赤ん坊のようにいとも簡単に2人まとめて尻をひん剥かれて蹂躙されてしまいそうな気がして、思わず下腹部がまるでビルの屋上まで届くのではないかと思うほど勃起しそうになるのを必死で股を押さえて堪えた。

「いやいや、天野副社長」貴家はニコニコ笑いながら言った。「今回のプロジェクトに芸術的価値は必要ないんだよ。今回のプロジェクトに必要なのはね、こうしたギャルたちの対決を見る者たちに、それはもういまだかつてない新種の性的むらむら感を、脳細胞が破裂するばかりに爆裂的に感じさせることにあるのであって、亀山さんは一般的な意味でのクリエイティブワークではまったく使い物にならないが、この点に於いては恐らく日本で最も優れた者だと私は評価しているのですよ!岬先生も同様で、二人が超一流であるからこそ、今回こうやってプロジェクトを興してまでこれまでの文化に殴り込みをかける意義があるんです!」貴家が得々と語るその弁舌はさすがに海千山千のテクニックを感じさせるものであって、これならば完全無敵の女王である仏御前とも或いは上手くやっていけるのかも知れないな…と周一は思った。それにしても貴家はプライベートな時間やベッドタイムに於いてもこのようなへりくだった口調で愛人と会話しているのだろうか?と彼は疑問に思った。

「しかしいくつかの問題点はありますぞ…」貴家が言った。「まず現在の3D技術そのものの限界のために、予想通りリアルさの点でどうしても粗末な面が見えることです」ちらと岬のほうを見て、「まあ…これは岬先生に申し分ないものに修正して貰うのでよしとして…よろしいですかな、亀山さん?女子同士の対決に於いては…、いや男子同士の対決、男女の対決に於いても同様なのですが、見る者の性的むらむら感を最大に引き出すためには、たとえそれが妓王系と仏御前系ではない対決であっても、それを妓王系と仏御前系との戦いにシンクロさせる要素がなくてはいけないのですよ。…わかりますか?よいですかな、ここがポイントなのですが…、女子同士の対決を見る者は観戦者の常として、必ずそのうちの一方を応援いたします。よろしいですか?そして二者のうちどちらに心の声援を送るかについて考えてみるならば、結局二者のうち妓王的要素をより多く感じ取ったほうを応援しているのです。勿論その妓王的要素の受け取り方にはまあ個人差があって様々ですが…、これは何人であっても例外ではありませんぞ!人間何人たりとも皆そうなのです!!亀山さん…、従ってですな、我々は女子同士の対決動画を制作するにあたって、そのうちの一方により多くの者が妓王的要素を見いだすことのできる最大公約数的な演出を施してやらなければならないわけですぞ!ねえ、亀山さん…、今回あなたは実に真摯に女子の対決ムービーを作成しておいででした。彼女等の表情や動作の絶妙さから覗うに、あなたが観戦者の性的むらむら感を触発しようと懸命に努力された跡が、それこそ私にもひしひしと伝わってきます。けれどもあなたは単に萠系を平面的に対決させただけで終わってしまって、その彼女等の差別化を図る大事な工夫というものをお忘れです。これでは観る者は、どちらを応援すべきかに混乱をきたしてしまうことになるでしょう…。系もつまらない、服装も髪型も似たり寄ったりでまったく同じでつまらん同士の対決では観戦者の性的関心を喚起することはできませんのですぞ。そこには必ず立体性がなければ」

「貴家編集長、そこは私が具体的に補足しましょうか…。亀山君動画をもう一度再生してください」先程は仏御前の下卑た犬同然だった岬だが、すっかり自分を取り戻したのか、余裕綽々の笑いを浮かべて言った。だがそれは天野響子が声を出した途端に萎んでしまいそうな余裕ではあったのだが…。

「ほら、ご覧なさい。一方のギャルはダルメシアン柄のワンピースにサテン地のブルゾンを着て、髪型は強めのカール、もう一人はニットキャミソールと花柄スカートに、ヘアーはかきあげ風バング…と、どちらも典型的な萠系ファッションすぎて、これでは違いが全然わからないでしょう?もちろん通にとっては両者のファッションはあまりにも違いすぎるのですが。一般人にはわからない…。いいですか君っ!一方にスカートを着せたならばもう一方はパンツルックにしなければならないよ!そして君っ、この場合スカートが仏御前でパンツが妓王ですからね、それはわかるよねっ!?或いは一方がロングパンツなら、もう一方はショートパンツでもよろしいし、一方がミニスカートでもう一方がショートパンツでもいいですよ。するとさて君…、この場合どっちがどうであるかな?そうそう…ミニスカート、ロングパンツ側が仏御前でショートパンツ側が妓王だね…。ほーう、君も一応わかってきたことはわかってきたじゃない?また一方を深紅系とかヒョウ柄系でまとめたら一方を思い切ってオール白にしてみるのも一手だね。オール白ってのは、それこそ見る者に妓王的イメージを彷彿させるまことに強烈なアイテムですからね。わかる?そして君、髪型については一方をロングでもう一方をショートにしてみるとすこぶるよろしいぞ!ショートカットってのはね…、それこそダイレクトに妓王にイメージがつながるわけだ。ただしレイヤーのかかったショートは駄目です。レイヤーをかけるとね、萠キャラのイメージが全面に出過ぎちゃって、妓王のイメージを感じ取り難くなるんだ。あくまでストレートのショートであること!わかる?この涎が出そうなあまりにも絶妙な対比を、果たしてキミはわかるかな?」

 勿論その対比はイタいほど彼には分かった。(この男、実に上から目線で嫌なやつではあるけれども、ひょっとして本物の天才かもしれないな…)と周一はある種の敬意を感じた。貴家が、再びニコニコ笑いながら言った。

「今回亀山部長が持参してくれた作品は、まあ落第点ではありますけれども、どうせ公開の媒体がウェブであることでもありますし…いや、決してウェブという媒体を軽視しているわけではありませんけれどもね…一応採用することにいたします。ただし発表は岬先生の手直しの後でということで。それで亀山さん、完成した作品はコピーを取り一つはユーチューブにアップし、もう一つはこの『時おり裏本プレミアム黄金倶楽部』のサイトで公開することにいたしましょう。さあ、これからどしどし亀山さんには作品を作っていただくことにするので、サイトのアクセス数や再生回数の推移などについて統計を取りながら長い目で見守っていくことにしましょうか」

 打ち合わせががひととおり終わると、一同夜の街へ繰り出してニューフェイス歓迎の意味もかねて親善会をはかろうということになったが、周一はもうこれ以上天野響子の重力圏内にいることにはとても耐えられそうもなく、丁重にお断りしてその足でまっすぐに妓王度79%の稚絵のいるマンションに向かった。稚絵は彼の好物である大根と鮭の煮浸しやごま豆腐、レイシと春雨の油炒め、麺汁に長芋の入った素麺を用意して待っていた。

 そのマンションの部屋といえば、家具、家電製品からパソコン、カーテンに至る何から何まで純白で統一されており、それが天井や壁、寝具などの漆黒と見事な対比をみせて、清潔な中にもインパクトのある雰囲気を醸し出していた。僅かに無彩色でないものといえば、棚の上に並べられた沢山の可愛らしい縫いぐるみや、透明なグラス類、それと寝室に置いてあるドス黒いバーベル、腹筋台、サンドバッグ…等々のトレーニング器具であった。稚絵はこれらの筋トレマシーンを日々使用することで、いまなお学生時代同様スリムで絶妙なボディラインを維持していた。彼は純白のジャージの中で歩く度に左右の尻の山がそれぞれ独立しているかのように別々に揺れる、柔らかいが少しコリコリした肉の動きを見ながら、仏御前に汚染された心身がその尻によって次第に癒やされていくのを感じた。彼は早速稚絵の身体に飛び掛かって、その頼もしくも細い肉体で天野の悪魔色を払拭したい気持ちで一杯であったが、稚絵の妓王的磁場に満ちたこの空間にいるだけでも、天野の悪夢が薄れていくようでもあった…。彼女の作ってくれた食事は、何だか放射線を除染してくれるるヨウ素剤のような気がした。

「周一、顔色悪いけど、新しい職場に初出勤で緊張したのかい?それとも周一の苦手な仏御前系とやらがそのメンバーにいたりしたのかい?」

 稚絵は、女性特有の直感によるものか、或いは彼のひどい疲れ方の背後に仏御前が関連しているのを感得したのかも知れなかった…。周一が仏御前や妓王系に対して特別な感情を抱いていることは稚絵にもかつて話したことがあったからである。だが彼女はその妄想の背後に核爆発のように凄まじい性的むらむら感がとぐろを巻いていることまでは分からず、単に三国志で「呂布と仲達とはどっちが強い?」とゲーマーたちが真剣に議論している程度の他愛のないものとして捉えているようだった。また彼女は自分が彼のよく言う妓王系に属しているらしいことは認識しておったが、仏御前系については、彼が幾度も説明したにも拘わらず、いまだに具体的にどのようなタイプの女子であるのかは思い描けないようだった…。周一はそんな稚絵の彼とはちょっと鈍感で鷹揚な精神世界を至って好ましく思うのだった。

 彼は貴家や岬に指摘された点を考慮に入れながら、萌え系アイドルたちが真剣に闘うムービー作りに励んだ。回を重ねていくうちに、どのようにして一方のギャルに妓王性を持たせ、もう一方のギャルに仏御前性を持たせればよいのかが、岬の説明以上に詳しくわかってきた。同じルックスの場合、白が妓王で黒が仏御前であった。しかし全ての場合白が妓王で黒が仏御前なのではなく、白いロングコートを着た仏御前に黒いジャージ姿の妓王を挑ませるという手もあった。仏御前を象徴する深紅に対しては白ばかりでなく、淡いピンクを使うとさらに万人にわかりやすい形で妓王性を表現できることを発見した!スパッツをはいた仏御前には、思い切って褌をはかせて尻の山を剥き出しにして挑ませれば、激烈にまんまお色気たっぷりの妓王となった。背景となる状況についても、一人を倒して体力を消耗し切ったギャルにすぐさまピンピン元気な別のギャルを襲い掛からせると、疲れ切ったほうのギャルに目玉をひん剥くような危うい猥褻さが露わに感じられるのだった。この場合服や髪型は同系統でもよかった…。シャワーを浴びているギャルに突然分厚いコートを着込んだ女子が物凄い形相で襲い掛かるシチュエーションでも同様だったが、この裸体襲撃シーンはサイバーポリスを恐れる貴家によってボツにされ、代わりに水着を着た女子がシャワーを浴びるシーンに差し替えられた。周一が最も強いこだわりを持つ女子たちの股の裂き較べや膝の皮の剥き較べ、太腿の折り較べ、ほっぺに穴を穿ち合う強度較べなどは、完全ボツとなった。周一はどうしても股の裂き較べだけは世間に公開したく喰い下がったが、貴家はかたくなに単純なガチンコ以外の対決方法を認めようとはしなかった。再生回数は初めのうちは貴家がたてた予想よりもかなり低いもので、これはプロジェクトの失敗かと大いに懸念されたが、作品のレベルが上がっていくにつれて次第に上昇していき、ついには再生数1千万回まであと一歩というところにまでこぎつけた。ユーチューブと『時おり裏本プレミアム黄金倶楽部』の比較では、最初はユーチューブが圧倒的に上回っていたものの、専用のSNSサービスを有している利点もあってか徐々に周一たちのサイトが追い上げを見せてユーチューブの倍どほの再生回数に達するまでになって、現時点でユーチューブが再生回数300万回、周一たちのサイトのが600万回といったところまきていた。勿論ネットの至るところで周一の作った萠キャラ対決ムービーはすこぶるもう評判となって、フェイスブックやツイッターは無論のことテキストリームや2チャンにまで専用のスレッドが設けられて、シッタカさんたちがああでもないこうでもないと激しく意見をぶつけ合わせている光景がネットの日常となっていった。 

「花音タンのピンクのスカジャンさいこー♡玲奈のスモーキーなトップスきも~、タイトスカートもきも~、やられてトーゼンですつか逝ってヨシ(w)」

「新作の寝技対決見ますた~。白い半ズボンの芽衣チャンですがデニム地の長いスカートの美紅をカムカムすたとこ何かチョーステキ~。芽衣チャン細いのにぃ…もうおチンチンが立ちますた~!」

「藻まいらよ、有紗と胡桃のタイマンてどうよ?漏れは有紗の大逆転大勝利ぶりにもう大絶叫よ、で何か?」

「えれなと桃佳のビンタバトルってちょっと不自然だろああああ?どう考えたって絶品桃佳の勝ちだろごるあああああああああああああっ!!」

 周一はそれらの書き込みにいちいち目を通しては、ニヤニヤしながら悦に入るのだった。 まるで百万部ベストセラー作家のような気分になって、もう得意の絶頂だった。国内ばかりでなく海外のネットでも周一たちの萠キャラ系バトルの話題はもちきりで、それら無数の巷の噂に元気づけられて彼のモチベーションはもう上がりっぱなしで、それこそ寸暇を惜しんで新作の制作に没頭するのだった。本来の3Dデータ制作販売会社のほうはだんだん休みがちとなり、考えてみればいまの仕事の報酬がかなりの高額でもあるので、ここは思い切って、身の危険を感じて恐ろしくはあったが周一は社長の姫川に退職の意思を告げた。すると別に脱北者のような悲惨な目に遭わされることもなく、半日ばかり倉庫に監禁されて暴行を受けたのと、雇用契約第3条第27項違反何とかカンとか…という訳のわからぬ違約金を5百万万ばかり払わせられただけで案外すんなりと辞めることができた。その後は姫川から嫌がらせを受けたりつき纏われたりすることもなくて、晴れて自由の身となった開放感と、これからは大好きな女子対決にだけ打ち込んでいける喜びにワナワナと打ち震え、100%自分の時間を有効利用して、より密度の濃い作品制作に一層のめり込んでいったのだった。

 仕事は主に自室でおこなって、貴家のオフィスには充実した機材が揃ってはいたが、或る意味姫川よりも恐ろしい天野響子がいる空間にはどうしても必要がある場合以外は極力出入りを避けるようにしていた。入浴も、髭を剃ることも、コンビニに行くことも、服を着替えることも面倒臭がって、ただただ妄想の世界にのみ没頭する周一だったが、稚絵とだけは、好きであったことによることも無論あるが、動画制作のヒントやインスピレーションを得るためでも非常に重要なことであるので頻繁に会っていた。というか食事も作らず洗濯もしないでいる彼のために、稚絵のほうから毎日身の回りの世話をするために出向いて来てくれているのだった。そんな稚絵の均整のとれた絶妙ともいえる身体のラインは、何気ないその日常の仕草を見ているだけでも、時にハッとするような創作上の霊感を与えてくれて、さらに後ろ斜め下や左後ろ斜め、と様々な角度からつぶさに凝視することによって、とんでもなく斬新な着想が脳内に次々に顕れては消えるのだった。昨今の女子としては珍しい稚絵の献身ぶりには、彼女に対して(真の強者は真なる優しさをその内に有する!)とか(真の強者妓王の生涯にはもはや一片の悔いなし!!)などのフレーズを脳内ナレーションにしながら彼は心から感謝の念を抱いた。妓王のほうでも、そんな仕事一途な周一の後ろ姿を逆説的に男らしく感じたのであろうか、どちらかといえば肯定的な風に捉えている様子であった。

「私がやってた空手って型中心だったんだけれど、勿論女子同士でやり合ったこと何回もあるから、周一の感覚は理解できるよ。男子同士の対決に劣らず女子同士の格闘だってそれなりに無限の可能性や広がりのある世界なんだよ。ひとつもう世間をアッと言わせるようなすごいムービーを造ってご覧なさい!!」

 職業とはいえど、やはりその内容には後ろめたさを感じていた周一であるので、妓王のお墨付きを得たことはもうこれは天の神に認められたも同然で、これからは誰に憚ることもなく堂々とギャルの裸対決にのめり込めると闘志を漲らせるのであった。だが彼が一つだけ気掛かりだったのは、作品の不健康性について稚絵がどう感じているかであったが、いくら目を皿のようにして観察してみても彼女がそれに対して嫌悪や批判めいた感情を持っているような表情や仕草を微塵も認めることはできないので、これは高度に大人のさり気なさを装っているというよりも、彼と彼女の本質的な見解の違いによるものだという結論に至り、その見解が一般女子とも相当異なっていることが自分にとって大変都合良いもので、もう稚絵には心からの大絶賛を送るのであった。

 ネットで大評判となっている女子同士のガチンコに対するそれらの意見を分析的してみるならば、周一たちが意図的により多くの妓王的演出をほどこしたほうに、やはり圧倒的により多くのファンがつくということがわかった。半ズボンと長スカートを闘わせると、多くの者は半ズボンに味方し、ロングヘアーとショートカットを闘わせてショートカットが勝ったならば、多くの者がその勝利に喜んだ。また一方に仏御前的演出をほどこした場合、ほどこされた側の女子は決まって叩かれるのであった。しかし人々のその傾向は一朝一夕に出来上がったのではなく、最初はロングヘアー派とショートカット派半々くらいだった彼等の嗜好を、周一をはじめメンバーたちが巧妙に妓王側に傾くように時間をかけて洗脳し手なずけた結果の賜物であった。しかし貴家に言わせれば、これは洗脳ではなく、人間が持つ好みを生まれながらの原点へと立ち戻らせる「原点回帰」であり、好みの純化なのであった。ときに貴家は周一に仏御前的要素を多く持った方の女子を勝たせる動画を作るように命じることがあった。勿論彼はこの不本意な命令に猛烈な反発を覚えたものの、人々の応援の方向を妓王側へとより強化し完全に固定したものにするためには時に負けさせることも必要という貴家の説明を聞いて、成る程…と、そのあまりの高度な戦術には身震いしながら感心するのだった。彼にとってそのような妓王的側が負けるムービーを作ることは勿論断腸の思いであったが、来たるべき真性妓王の偉大な勇姿を拝む日の布石になるならば…と、泣く泣くそのイヤな動画を作ることにも心血を注いだ。

 再生回数は1千万を超えたあたりからしばらく落ち着きを見せてきて、少しづつ増加はしていたものの以前に比べればその増加の仕方は微々たるものになった。しかしここで事件が起こった。ある作品の発表をきっかけに、再生回数が7千万回にも達したのである!それに一番驚いたのはメンバーたち自身で、予期せぬ再生回急増加に一体如何なることか?と色めき立ちながら、皆で早速当の作品の分析検討に取り掛かった。『SAKURAタンが稽古つけてあげるから穂香ぶつかっておいで~♡』と題されたその作品は、骨法の達人SAKURAが師範代をつとめる道場に、格闘技素人の稲香が入門するという設定で作られたもので、細めのSAKURAには当然ながら妓王的演出とメイクをほどこし、グラマーな穂香には勿論仏御前的なるものをほどこした。穂香は格闘技は素人なものの、昔とった陸上短距離ではいまだ破られていない日本記録を保持していてまた現在は巨大企業で部下たちから独裁者の如く恐れられているスーパー管理職のキャリアウーマンであるという設定になっていた。道場に入門してきたこの屈強で大柄な穂香に対し、華奢な骨法達人SAKURAが青畳の上に水着姿で女座りに股をおっぴろげながら、先のタイトルに示した台詞を放つという不自然ではあるがあまりに凄まじい場面から対決は始まるように仕組まれていた。怒りに満ちた形相の穂香が虎のような咆吼とともに砲弾の如く襲い掛かれば、たちまちSAKURAは撥ね飛ばされもみくちゃにされながらも、「あんっ!!あんっ!!」とカン高い何かよがり声のようなものを発しながら、いかにも見た目弱々しく応戦し、ここが全世界の人々の性的むらむら感を最大限に刺激した一番の見せ場となっているのだった。周一自身もこのムービー制作中に自分自身の着想のその激甚なる破壊力に、我知らず下腹部を大蛇の如くのたうち回らせたことを思い出した。彼は穂香の攻撃には一撃で相手が即死するのではないかと思うほどのパワーを見る者が感じるようにし、SAKURAの攻撃は見た目綺麗だが、軽量であまり効き目がなさそうにわざと差をつけて演出した。巨大猛獣のような唸り声をあげてSAKURAを力強く滅多打ちにする穂香と、いまにもヘタレそうな情けない表情で「あんっ!!あんっ!!」と弱々しい回し蹴りで応戦するSAKURAとの格闘応酬は予想外に長引いて、その結果ついにSAKURAが穂香をKOしてしまうというあまりにも不自然な結末を一見自然に見えるようにつくり終えた時には、彼は腎虚になってしまった如く憔悴し切っていのだったた。

 尚この作品を発表して1週間ばかり経った頃警察から警告メールが届き、水着姿で股を開く箇所など格闘の枠を過剰に逸脱した極めて下品で有害なものであり、対決の最中発するよがり声のような真に迫った叫びに至っても青少年に明らかに有害であるからして、今後このような過激な内容のものを作り続けるのであれば、貴社に対して法的手段の強行もやむなしという内容であった。

 貴家は作品をチェックし終えた後しばらく考え込んでいたが、何かを確信し思い詰めたような顔でメンバーたちに言い渡した。

「いよいよ私たちの動画を予てからの念願である次のステップへと移行する時がやってきたようです!亀山さん、いまやっている作品の制作は即刻中止してください。そして皆さん方いいですか?明後日とてもとても大事な会議を行いますから、絶対に欠席などなさることのないようお願いしますよ!塚本君も岬先生も、その点よろしいですね?また亀山さん、その際にですね…、あなたの彼女…加川稚絵さんでしたっけね、その稚絵さんにも、一緒にその会議にご参加いただくわけにはいきませんでしょうか?ねえ亀山さん…、いかがでしょうか?」 

(稚絵をここへ連れて来る?稚絵が…会議に参加する?)最初はそんな貴家の言葉がよく呑み込めていない風であったが、すぐに彼の意図する恐るべきその全貌を理解できたのであろう、周一は小刻みに身体を震わせて言った。

「貴家社長、そ、それって、まさか……」

 貴家は意味ありげにニヤリと笑った。

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